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クラシック音楽と尾崎豊

先月、誕生日を迎えました。
また一つ、おっさんになりました。お陰様で健康に過ごしております。
多くの方からメッセージ頂きました。深く御礼申し上げます。
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先日、思うところがあり、コブクロの黒田氏が尾崎豊について語っている動画を見直しました。
尾崎豊追悼コンサートにおけるスピーチと歌(ダンスホールとI love you)です。このスピーチが感動的で、しばしば見直しています。笑いもあって飽きさせません。


そこで、彼は尾崎豊の音楽に対するモチベーションについて語っています。『尾崎豊は、いつでも全力で、いま曲ができたばかりのようなモチベーションで歌っている』と語っています。
また、『そのモチベーションは持ち続けるのが難しい、それが活動休止の要因(この時期、コブクロは活動休止中でした)であり、それを取り戻すためにこの追悼コンサートのオファーを受けた』、という話をしています。(記憶ベース。概略こんな内容でした)

確かに、尾崎豊の歌は、常に全力で情熱に溢れています。
youtube時代になって、過去のライブの動画も多く見ることができるようになりましたが、どのライブ動画も、常に情熱に満ち溢れており、魅了されます。社会に対して反抗していた若いころを思い出します。
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私はこう見えてクラシック音楽ファンであり、しばしばコンサートを聴きに行っています。
先日はチャイコフスキーの交響曲第5番、今日はショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴きました。いずれもそれぞれの作曲者の代表曲であり、プロのオーケストラであれば演奏機会も相応に多いはずです。
クラシック音楽は楽譜に書いてある通りに演奏することが求められます。つまり再現性が求められます。
しかし、いずれのコンサートでも、指揮者もオーケストラも、今日初めて演奏するかのような新鮮さで演奏してくれました。
オーケストラには若いメンバーもいますが、頭髪の薄いor白いおじさんも多くいます。おばさんもいます。そんな中年・壮年の彼らが、全力で情熱あふれる演奏を披露しました。しびれました。

私がクラシック音楽を聴きに行くのは、美しい演奏を聴くためというよりも、オーケストラの情熱を体感して、自分に気合を入れに行くためなのかもしれません。

音楽の演奏において、再現性と一回性は両立するのか。
両立させるためには、かなりの力量と情熱が要求されると思われます。
高度な再現性と一回性が両立してこそ、お客さんを感動させることができ、お金を払って聴きに来てもらえるのだろうと思います。
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本稿では、音楽の再現性と一回性について書きましたが、それ以外にもこのテーマは適用できそうです。
レストランもそうです。いつもの味でありながら、こんな美味いもん食べたことない!と言わせないといけません。

我々の仕事もきっとそうでしょう。
期待通りのパフォーマンスを発揮しつつ、「今日大野と会って良かった!」と思わせないといけません。力量と情熱。いや、ここでは大学の体育会時代を思い出して、「気合」という表現を使います。

力量と気合。
この二つを今年も追い求めていきたい。
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こんなことを考えながら尾崎豊の過去動画を見ていると、某人のストリートライブの動画を見つけました。気合入ってます。
尾崎豊が好きであれば、一度見てみてください。









『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。