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象の居る部屋

数年に1回ほどのスパンで不意に思い出す映画がある。2003年に公開された『エレファント』という映画だ。

この映画はアメリカで起きた事件を元に作られたもので、当時話題になっていたのでご存知の人も多いかもしれない。内容が内容だけに決して感動するものでは無いし、人の心を動かすような効果音も無い。

その映画と同じ題材を扱った映画は多くあり、事件に関連する人たちにインタビューの形をとったものも観た。そちらでは、事件の犯人が当時よく聴いていたミュージシャンが出演していた。

事件が起きた学校の生徒や事件の起きた街の人々に何を言うか、といった質問への返答を、わたしは時折思い出す。

「何も言わない。黙って彼らの話を聞く。誰一人としてそれをやらなかった」


先日、プライベートで友人と会食をする機会があった。
別の友人同士での諍いを耳にしていたものの、それまでひとつの視点しか聞けておらずなにか燻るものがあった。

会食では偶然、もう片方の視点から話を聞くことができた。人様のことで自分が善悪を決めること自体無粋だと思うので、聞いたところで何かが動く訳では無い。

善悪をつけるのではなく「事実」を知る。
知って、自分がどう感じるか、どう考えるか、そんな自分すら傍観するほうが大切な気がする。答えを決め続けるのは時に、自らが誘導した真実になりかねない。


わたしは絵を描いていて、現在noteで自分の絵から皆様に小説や詩を創作してもらう企画を主催している。表現や創作そのものをコミュニケーションとして遊びたいだけなので「こういうラストに持っていってほしい」「こんなご時世だし、みんなで明るくハッピーにしていこう!」みたいな願望は1ミリもない。明るいだろうが物騒だろうが関係なく、どんどんご自身の表現や世界観を探求し打ち出すためのツールとして扱ってもらえればいいと思っている。


映画『エレファント』がなぜ印象に残っているかというと、視点だ。自分がただ静かに傍観するだけの、色彩に例えるならばモノクロームのような流麗にまわるカメラ。仕向けられた表現はおよそゼロに等しい。

仕向けられた表現は目が濁る。

絵が誰かの一部となる瞬間。
絵は、わたしは、傍観者となる。


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