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うつりゆくしあわせに足を止める習慣

noteには、「お題」という機能があります。同じテーマに沿って書かれる記事をたくさん募集しますよ、というもので、覗いてみると30ものお題がずらりと並んでいました。

どんな人にでも接点があるようなものばかりで、どれを選んで書こうか迷っている時間がもったいなく感じたので、一番上のお題にチャレンジしてみることにしました。

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(ポートレートの撮影中にこっそり撮った瑞々しく大きな花。奥の蕾はまだ息を潜めています)

「#習慣にしていること」。毎日を楽しく暮らすために、なにか続けていることはありますか? というものです。私は、しなやかに生きたいと常々思っているので、「しなやかに生きる人はどんなことをするだろう」と思いを巡らせ、水をたくさん飲んだり、なんでもない日に家族にプレゼントを贈ったり、しばらく会っていない友達に何気ない近況報告をしたりと、自分なりに続けていることがいくつかあります。今回は、その中でも「お花の写真を撮ること」について話します。

両親ともに花が好きで、小さい頃から園芸店に家族総出で出かけたり、日曜日のお昼間には軍手をはめて庭いじりをすることが日常でした。花の素晴らしいところはたくさんあります。愛情を注げばそれに応えてくれること。日々色を変え、新たな美しさを見せてくれること。季節のちょっとした変化や、気候の移り変わりに気づかせてくれること。

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(近所の田んぼのそばに咲いていた花。野生でしょうか)

初めてカメラを持ったのは、小学3年生の時でした。その頃中国に住んでいた祖父が私たち家族に会いにきてくれ、自分がずっと使っていたカメラを私にくれました。嬉しくって、すぐに家族みんなの日常の姿を写した覚えがあります。その次に撮ったものが、庭の花たちでした。

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(庭の紫陽花。夏がどんなに暑くても、冬がどんなに寒くても、毎年必ず咲いてくれる心強い存在)

春や秋に家族でチューリップの咲き誇る公園やコスモス畑に出かけたときには、シャッターを切ることに夢中になりすぎて気づかないうちに家族に置いていかれてしまうくらい、花を撮ることが楽しくて仕方ありませんでした。
いつもは自分の目線の高さから眺める花も、少し屈んでみたり、下から覗き込むようにすると、驚くほど表情を変えます。また、時間が経って陽の差す角度が変わると、花のふちが自ら光を放つように輝いて、思わず息をのみます。

大きくなって、学校に電車で通うようになってからは、“定点観測”の面白さに気づくことができました。家から駅までの道のりに咲く、雑草に区分されるのであろう小さな花。電車の窓に触れそうなくらいたくましく枝を伸ばす桜の木。とくに、夙川沿いの桜は見事で、阪急電車の好きなところがまた一つ増えた経験でした。校舎の中にも花はたくさんあり、中庭の端っこに佇む背の低いアーモンドの木がお気に入りでした。また、美術室の前には鉢植えがたくさん並んでいて、美術部の顧問の先生が世話をしているのか、いつも少し風変わりな花を咲かせていました。こうして毎日学校に通う中で同じ花を日々見守るのは、友達には話さない密かな楽しみでした。

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(久しぶりに行った3月のキャンパスに咲いていた梅の花。この日以来大学に行くことはできていません)

気づかずに足早に通り過ぎてしまう人も多い、日常に溶け込む花の美しさ、そしてその生命力のたくましさに気づける心を養ってくれた両親と環境に恵まれて、私は本当にラッキーだったなと思います。
これからも花はいつも私の生活のそばにあって、人生の様々なシーンに彩りを添えてくれるのだと思います。

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(駐車場のコンクリートの隙間から咲いていた白い花。白は一番好きな色です)

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