【アニメ】平家物語第8話「都落ち」感想とか解説とか
アニメ『平家物語』、非常に良い作品だと思うのですが、歴史ものとアニメの食い合わせが悪いのか、アニメオタクにも歴史オタクにもイマイチ響いていない感じがして残念です。
もう少し話題になってもいいと思うんですけどね。
さて、今回は第8話「都落ち」の感想と解説です。
第9話放送済みで一週遅れ。遅くなってすみません……
前回までの記事は下記よりどうぞ。
前回、平家の総帥・平清盛が薨去。
平家の先行きに暗雲が立ち込める中、その身を案じた小松家の平資盛によってびわは屋敷を追い出される。
生き別れの母を探す旅に出るびわが最初に立ち寄ったのが、祇王と仏御前が出家して隠遁した庵であった(2話感想参照)。
ここをびわが訪れたのは生き別れとなった母が祇王や仏御前と同じ白拍子で、祇王がびわと同じ目の色をした白拍子の噂を知っていたためでしょう。
しかし、祇王も仏御前も既に亡くなっており、祇王の妹の祇女が母探しを手伝ってくれることに。
びわは路上で琵琶を弾きつつ、母らしき人物がいるという越後を目指す。
琵琶を弾くことで路銀を稼いだり、食事を世話して貰ったりした様子であり、京を離れるにあたって平家からの援助は無かった様子。
さすがに小松家が無一文で放り出すとは思えず、びわの側から断ったのだろうか?
びわは途中、立ち寄った民家で、近くの墨俣川で平家が源氏を打ち破ったことを聞かされる。
墨俣川の戦いは治承5年(1181)年3月10日のこと。清盛の死からおよそ1か月後のことである。平家方の総大将は清盛五男・平重衡。病で帰京した兄の知盛を引き継いで美濃・尾張平定を進めた。
この勝利で平家は美濃、尾張、西三河にかけて勢力圏を回復した。
負けて肩を落とす源頼朝。
しかし、史実において墨俣川の戦いで敗れたのは頼朝ではなく叔父の源行家。頼朝に決起を促した行家だが、この頃は頼朝と袂を分かっており、甲斐源氏や木曾義仲と同じく独立勢力と考えるべきだろう。
配下ではない行家が敗れても、おそらく頼朝が肩を落とすことはなかったはずである。なお、清盛の死によって後白河院政が復活したため、頼朝は上洛の大義名分を失った。そのため、御家人たちが望む関東平定を優先させることとなる。
平家も地盤である西国が大飢饉に見舞われており、東国に大規模の追討軍を派遣する余裕はなく、一連の戦いで消耗した兵の回復を優先させた。
平家と源頼朝の対決がそれぞれの事情で先延ばしとなり、軍事情勢が停滞する中、木曾義仲が動き始める。
母を探して越後に入ったびわ。
母らしき女性は越後城氏、城資永の側室なのだという。しかし、資永は木曾義仲との決戦直前に急死し、側室の女性は京に帰ったと寺の住職に伝えられる。
わざわざ越後まで来たが行き違いであったことが判明。
越後城氏については昨年簡単に解説した下記記事も参照。
源頼朝の従兄弟にして源氏の棟梁の座を争うライバル・木曾義仲はこの越後城氏を撃破し、北陸地方を勢力圏に収める。
いわゆる養和の大飢饉は天災かつ人災であった。天候不順に加え、各地の源氏の反乱によって京に入ってくる食糧が圧倒的に不足した。
日本海からの物流を確保するためにも平家は北陸を勢力圏に収めた木曾義仲との決戦が必至となる。
一方の義仲も同じ源氏同士でありながら、源頼朝とは軍事的緊張にあり、これまで京へ軍を進めることができなかった。しかし、義仲の息子・義高と頼朝の娘・大姫の婚姻が成立し、義仲と頼朝は和睦。義仲にとって平家との戦いに専念できる環境がついに整う。
木曾義仲追討に派遣されたのは富士川に続いてまたしても小松家の平維盛。
これは一門傍流に落ちた小松家が、棟梁の宗盛にとって汚れ仕事を押し付けやすい立場であったことを意味しよう。傍流ではありながらも前棟梁・平重盛の一門である小松家は率いる兵力も大きかった。
棟梁・宗盛自らの出陣はありえず、その弟で一門主力の知盛・重衡を温存するとなると、消去法で小松家が出陣するしかなかった。
大事な決戦において知盛・重衡の一門主流にして主力を出陣させなかったことは平家の大きな判断ミスとなる。
治承2年(1183)5月11日、加賀・越中国境の倶利伽羅峠の戦い。
夜襲を仕掛ける木曾義仲。
平家方は数に勝っていたが、山麓での戦いとなり、大軍を展開できる戦場ではなかった。また、平家方は総大将・維盛の家人と棟梁・宗盛の家人が主導権争いを繰り広げており、一門傍流で経験不足の若武者・維盛にはこれをまとめることは不可能であった。これには富士川の敗戦の影響もあったであろう。維盛は完全に家人たちから舐められていた。
結果、平家は大敗する。
劇中では語られないが、多くの侍大将に加えて、清盛の七男・平知度が戦死する。平家一門最初の戦死者であった。
琵琶語りをする琵琶法師(未来のびわ?)の白髪と源氏の白旗が重なる演出が素晴らしく美麗であった。アニメーション表現の感嘆するシーン。
敗れた平家は京に進軍してくる木曾義仲を相手に防戦は不可能と判断し、都落ちを決断することになる。
平資盛は「京が源氏の都になる」と語るが、徳子は「帝がいる所が都」と否定する。
安徳天皇を連れ、三種の神器を持って都を離れる平家であったが、後白河法皇は先手を打って比叡山(劇中では鞍馬寺)に逃れる。
劇中では描かれないが、摂政・近衛基通も混乱の中、一行から離れた。後白河院と近衛基通の離脱は平家にとって手痛い誤算で、両者が京にとどまったことで平家に同道する貴族はほとんどいなかった。
維盛は家族を京に置いていく決断をする。
劇中でその理由は具体的に語られないが、これは妻が平家との対立から鹿ケ谷事件で失脚した藤原成親の娘であり、同道には一門の理解を得るのが困難であったということが要因の一つとして考えられよう。
また、これも劇中では描かれないが、維盛の弟・資盛は、後白河院を通して京残留を模索するが、院からの返事がなく、やむなく都落ち一行を後から追いかけることになる。
アニメでは滅びる平家の運命を受け入れて達観しているかのように感じさせる描写もある資盛だが、実際は自身の生き残りのために動いている。
なお、小松家の有力家人で侍大将の伊藤忠清は京に残った。これらの事実から、斜陽の小松家が棟梁・宗盛を中心とする一門主流の意思決定とは距離があり、やむを得ず従った都落ちでさらに勢力を落としたと察せられる。
なお、清盛の弟で小松家同様に一門主流から距離のあった平頼盛は都落ちに加わらず、これを機会に一門から離脱した。頼盛には都落ちの連絡すらなかったというから、宗盛らから信頼されていなかったのだろう。
カリスマ・平清盛を中心に結束を誇った平家一門であったが、都落ちは一門の分裂を招いた。
かつて清盛が新たな都とするべく建設した福原に入る平家一行。
3年間、手入れはなされておらず、屋敷はすっかり荒廃していた。
平家はさらに西へ、大宰府を目指す。
平家都落ちから3日後の治承2年(1183)7月28日、木曾義仲が入京する。側には女武者としても知られる愛妾・巴御前。
軍勢は木曽勢を主力としつつ、摂津・近江・美濃・甲斐など諸国の源氏の連合軍であった。
越後から京に戻ったびわ。
乱暴を働く武士を止めようとする。
斬られるすんでの所でびわは謎の白拍子たちに助けられ、第8話は終幕。
物語は佳境となり、密度も濃く、進行もスピードアップ。
この8話だけで2年近く時が流れている。
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