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【大河ドラマ】鎌倉殿の13人 第10回&第11回感想

先週忙しくて書けなかったので、まとめて2回分の感想です。
サボってただけではありますが、頼朝の兄弟がメインの話が2話続きましたので、1回で書くのが丁度良い気もします。

過去の感想記事は下記をどうぞ。

第10回では佐竹攻めが描かれました。
常陸国の佐竹氏は甲斐の武田氏と同じく源頼義の三男・源義光(新羅三郎)の子孫。つまり源氏なのですが、以仁王の挙兵以後の源氏の反乱には呼応せず平家に従っていました。
そのため、紛争を抱える房総半島の上総氏や千葉氏の求めもあり、頼朝は討伐の兵を向けることに。
源頼朝にとっては源氏同士の主導権争いの側面もあって、この時代のこうした側面も無視できないから「源平合戦」の用語は徐々に歴史教科書から姿を消しつつあるわけですね。

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謀殺された佐竹義政ですが、佐竹氏の家督は弟の秀儀が継承し、後に鎌倉幕府に加わりますが、やはり頼朝と敵対した経緯から源氏一門でありながらも足利や武田と比べて幕府では冷遇されました。
しかし、その後、佐竹氏は戦国時代を生き残り、江戸時代には秋田藩主として明治維新を迎え、分家出身ではありますが現・秋田県知事・佐竹敬久氏までその「武門の名家」としての血筋は続いています。

なお、ドラマでは佐竹攻めに源義経が加わっておりましたが、これは記録として確認できません。義経は頼朝と対面してから寿永3年(1184年)に京へと出陣するまでの約3年何をしていたのかよくわかりません。なので佐竹攻めに加わっていなかった可能性もあります。
この3年に限りませんが、義経は何をしていたかよくわからん期間がとにかく長い。このことが創作の余地が大きく、「義経伝説」が膨らむことになった理由でもありましょう。

以下、源頼朝の兄弟である源義朝の子について整理しつつ、10・11回の感想としたいと思います。

長男 源義平 
別名・鎌倉悪源太。今後登場することになる木曾義仲の父をぶっ殺した人。
平治の乱で敗れて斬首となり、劇中では既に故人。
母親の身分が低く(一説には遊女)、長男だけど嫡男ではない。

次男 源朝長
平治の乱敗走中に死亡していて、こちらも劇中では故人。

三男 源頼朝 

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平治の乱が初陣。でも父や兄たちとは違って助命され、伊豆へ流される。

四男 源義門 
いつ亡くなったのかはよくわからないが劇中では既に故人であることは確実。

五男 源希義 
頼朝の同母弟。土佐に流される。
平家の勢力の強い西国に流されたために、以仁王の挙兵後の動乱の中で平家方に殺される。流された場所が頼朝と逆であったならば、その運命も逆であったかもしれない人。
亡くなった時期には諸説あり、劇中ではまだ存命の可能性もあるが、遠く離れた土佐国にあり、頼朝と顔を合わせることは当然ない。

六男 源範頼

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11回で話に出たとおり遠江の遊女の子。
兄・希義とは違って幸運だったのは後白河院の近臣・高倉範季に引き取られて養育されたこと。源義経の後援者が奥州藤原氏であったように、範頼の後援者が高倉家であったことはもっと注目されるべきと思います。
範季は尊成親王(後の後鳥羽天皇)の養育を担当しており、親王の即位によって朝廷での存在感を増すことになります。兄・頼朝がこうした範頼の京都人脈を知らなかったわけがありません。
母の身分が低くても重用された理由はこの辺りにもあるでしょう。
でも、劇中の時点では遠江を支配下に置いていた甲斐源氏の安田義定と提携していた可能性が高く、鎌倉にはまだいなかったんじゃないかと思われます。

七男 阿野全成 

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なかなか個性的なキャラクターとして描かれる全成。
ドラマのとおり結構早い段階で頼朝に合流していたのは多分事実。
でも出家していて戦場に出ることもなく、平家との戦いが続く最中に何をやっていたかはよくわからない。

八男 義円

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兄弟の中ではマイナーで、ドラマのようにこの頃鎌倉にいたかどうかは怪しいところ。ドラマでは義経の性格を描く素材として上手く使われた感じでしたが、叔父・行家に同行して平家との戦いに向かう経緯は完全にフィクション。
鎌倉で頼朝の側にいながら行家と共に平家と戦う理由を説明するのはなかなか難しく、やはり鎌倉にはおらず、独自の判断で行家に合流したと考えた方が自然な気がしますね。
墨俣川の戦いで戦死したのは史実。

九男 源義経 

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これまで映像で表現されてきた「英雄義経」とは違うキャラクターでなかなか興味深い。
11回で頼朝が「男子が生まれなければ九郎に跡を継がせようと思っている」と語るシーンがありましたが、これは近年の義経研究でも注目される九条兼実の日記『玉葉』にある両者の関係についての記述「父子の義」を踏まえたものでしょう。
「2代目鎌倉殿候補の1人だった」というのは義経という存在を考える上で重要な事実だと私も思います。

なお、雑誌『宗教問題』の連載第2回では源義経について書く予定です。

平清盛は11回で死亡。あまり印象的なセリフもなく、源平の対立はこのドラマでは大きなテーマはないのだなと感じました。
そうなると頼朝と源氏の棟梁を争う最大のライバルである木曾義仲は魅力的なキャラクターにしてもらいたいなと思いますが、初回以降は出番なし。
今週ぐらいにそろそろ登場するかと思ったのですが、名前すら出てこないとは……

そして第11回にて「鎌倉殿」、「御家人」、「侍所」の名称が登場。
後の鎌倉幕府の基礎ができたといえるわけで、この時点で鎌倉幕府は成立したとする説(1180年説)もあります。

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