【異国合戦(10)】日蓮の「立正安国論」
連載第10回。
夏休みがあって少し更新期間が空きました。
失礼しました。
前回記事は下記よりお読みください。
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日蓮による「立正安国論」上呈
前回触れた通り、康元元年(1256)に幕府の執権は北条時頼から赤橋長時へと交代したが、幕政の実権は北条宗家の家督(=得宗)である時頼が握り続けた。これは政治的実力において、表向きは一御家人にすぎない北条家の家長の地位が執権という幕府の公職を超越することを意味した。
この事実は当時の誰の目にも明らかであったようである。文応元年(1260)7月16日、僧・日蓮が相次ぐ災害の原因とその対処法を宗教の立場から記した「立正安国論」を上呈するが、その宛先は執権・赤橋長時ではなく、得宗・北条時頼であった。
青年僧、日蓮
蒙古襲来の時代を語る上で絶対に外せないキーパーソンである日蓮についてここで簡単に触れておこう。
日蓮を含めたいわゆる「鎌倉新仏教」とよばれる宗派の始祖たちは3つの世代に分けることができる。第一世代が浄土宗の法然、臨済宗の栄西、第二世代が浄土真宗の親鸞と曹洞宗の道元、第三世代が日蓮宗の日蓮と時宗の一遍となる。日蓮の思想と行動は、第一世代と第二世代の活動の伝播と流行を踏まえたものであることは重要なので念頭に入れておきたい。
日蓮は承久4年(1222)2月16日に安房国長狭郡東条郷(千葉県鴨川市)に生まれた。これは鎌倉幕府が後鳥羽上皇の官軍を打ち破った承久の乱の翌年である。乱において上皇方が大々的に密教を用いた祈祷、調伏の修法を行っていながら敗戦に至った事実は日蓮の思想形成において大きな影響を与え、活動の大きな原動力となる。
出自については諸説あるが、荘園の荘官クラスで漁業に関係する家に生まれたという説が有力である。そこそこの財力はある家だったと考えていいだろう。
天福元年(1233)に12歳で生家近くの清澄寺に上って勉学に励み、16歳で出家する。その後、鎌倉、比叡山、高野山などに足を運ぶ修学の旅に立った。特に比叡山に長く学び、ひたすら経典を読み込む中で法華経こそが唯一、人々を救うことのできる経典である確信を得る。
建長4年(1252)頃に遊学を終えた日蓮は、安房の清澄寺へと戻った。しかし。法華経至上主義となった日蓮の思想は法華・念仏兼修であった清澄寺で軋轢を生み、日蓮は安房を離れることになる。
建長6年(1254)、33歳になった日蓮は武家の本拠・鎌倉を活動の拠点に選ぶ。幕府は2年前に京から宗尊親王を将軍に迎え、政治の刷新が図られた時代であった。しかし、日蓮が鎌倉に入って以降、天変地異が相次ぎ、民を苦しませることになる。
正嘉元年(1257年)8月23日に鎌倉を襲った大地震は、多くの家屋を倒壊させ、大地を割き、壮麗な神社仏閣もただ一つとして無事なものはないという大きな被害を生んだ。翌年は旱魃と暴風雨が大飢饉を呼び込み、大飢饉は疫病の蔓延と強盗・山賊等の跋扈による治安悪化を呼び込んだ。まさに天変地異の連鎖である。
幕府はその都度、諸国に祈祷を命じたが、日蓮にはそれは全く効果がない、むしろ事態は悪化するばかりに映った。
朝廷による祈祷が承久の乱の勝利を呼び込まなかったことに続いて、幕府の祈祷は天変地異を鎮める効果を生まない。これは何故なのか。日蓮は宗教者として災害の原因を究明し、社会の平安を実現するべく思索を深めた。
善神捨国論と念仏批判
日蓮の思索は「守護国家論」、「災難興起由来」、「災難対治抄」として次々と書に著され、幕府に提出された「立正安国論」で一つの完成を見る。
その主張の根幹は「民衆も為政者も正法に背いて悪法に帰依している。そのため日本を守護する善神は国を去り、魔や鬼が入って災害が発生する(善神捨国論)。このまま悪法に帰依し続ければ自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)が生ずる」というものであった。後にこの自界叛逆難と他国侵逼難は現実のものとなり、日蓮は自身の主張の正しさに自信を深めることになる。
日蓮の指摘する「悪法」とは浄土宗の開祖・法然によって広められた念仏信仰を指す。「正法」とはもちろん、法華経だ。日蓮は流行する念仏信仰に社会不安の原因を求めた。
しかし、このような過激な念仏批判は安房を去った時以上の波乱を生む。日蓮の草庵は念仏信奉者によって襲撃され、襲撃された側の日蓮が幕府によって拘禁され伊豆へ流罪となる。
日蓮への対処は念仏信奉者であった前・連署の北条重時とその嫡男で執権の赤橋長時が中心となったとも言われる。幕府は日蓮を過激な政権批判の扇動者と見なし、「立正安国論」に記された献策を無視した。しかし、厳しい迫害と伊豆流罪という展開は、日蓮の主張と社会的影響力が鎌倉市中で広がりを見せていたことの現れでもある。
日蓮は当時の鎌倉において最も強い影響力をもつインフルエンサーであった。
第11回へ続く。
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