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異国合戦

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文永の役から令和6年で750年。 東アジアの安全保障環境が激化する中、いま蒙古襲来を考えます。
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記事一覧

【異国合戦(23)】文永の役

 今回も引き続き文永の役の解説。最大の激戦となった10月20日の戦いについて。 前回記事は下…

清原弘行
2か月前
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【異国合戦(22)】蒙古、襲来

今回記事からいよいよ文永の役についてです。 前回記事は下記のとおり。 これまでの全記事は…

清原弘行
3か月前
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【異国合戦(21)】襲来前夜

 今回は二月騒動後の日本国内の動きを見ていきます。  蒙古襲来前夜。  大元帝国の脅威は目…

清原弘行
4か月前
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【異国合戦(20)】二月騒動

  モンゴルからの使者・趙良弼が日本を離れ、12人の大宰府使節が燕京を訪れた文永9年(1272)…

清原弘行
5か月前
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【異国合戦(19)】偽りの使者

 今回は蒙古襲来前の最後の使者となる趙良弼の来日を中心に、日本・モンゴルの外交と鎌倉幕府…

清原弘行
5か月前
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【異国合戦(18)】源氏将軍、復活

 久々の更新となってしまいました。  すみません。  今回は文永8年=1971年前後を中心に日…

清原弘行
6か月前
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【異国合戦(17)】モンゴル帝国に拉致された日本人

 今回は比較的マイナーであまり知られていないモンゴル帝国に拉致された日本人の物語。  同時並行で進んだ高麗の政変と合わせて解説します。  前回記事は下記のとおりです。  これまでの全記事は下記にまとめてあります。 フビライの不信 モンゴルの国書を持った高麗使・潘阜が大宰府に至った1268年正月、大陸では高麗国王・元宗の弟である安慶公淐が新年の挨拶としてフビライを訪ねた。接見に応じたフビライは安慶公淐を叱責したと伝わる。前年高麗が、黒的と殷弘のモンゴル使節を日本に案内しなか

【異国合戦(16)】蒙古国書、到来

今さらですが、あけましておめでとうございます。 本年は文永の役750周年イヤー。 記事内容も…

清原弘行
8か月前
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【異国合戦(15)】将軍宗尊親王の追放

今回から久々に日本パート。 鎌倉幕府の話に戻ります。 前回記事は下記よりどうぞ。 日本パ…

清原弘行
9か月前
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【異国合戦(14)】モンゴル帝国による朝鮮侵攻の歴史

 今回はフビライ・ハーンの皇帝即位から少し時間を巻き戻し、モンゴルによる朝鮮侵攻について…

清原弘行
10か月前
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【異国合戦(13)】帝位継承戦争

今回は第5代大ハーンの地位をめぐる帝位継承戦争について。 前回記事は下記よりどうぞ。 こ…

清原弘行
10か月前
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【異国合戦(12)】フビライの南宋侵攻

今回は前回書いたフレグの西征と同時進行で進められたフビライの南宋侵攻について。 前回記事…

清原弘行
11か月前
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【異国合戦(11)】フレグの西征

今回はモンゴルパートになります。 内容としては第7回の続きですね。 日本パートも含め、過…

清原弘行
1年前
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【異国合戦(10)】日蓮の「立正安国論」

連載第10回。 夏休みがあって少し更新期間が空きました。 失礼しました。 前回記事は下記よりお読みください。 これまでの記事は下記のまとめよりお読みください。 日蓮による「立正安国論」上呈 前回触れた通り、康元元年(1256)に幕府の執権は北条時頼から赤橋長時へと交代したが、幕政の実権は北条宗家の家督(=得宗)である時頼が握り続けた。これは政治的実力において、表向きは一御家人にすぎない北条家の家長の地位が執権という幕府の公職を超越することを意味した。  この事実は当時の