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何やらちょっと面倒な、名字の件(後編)

中編からの続き。まとめの後編です。

前編はコチラ↓

中編はコチラ↓

前回のラストで書いた通り、戦後、法の下では「個人の尊重」「男女平等」になったものの。
未だにありますよね。たとえば、

「えっ、旦那さんが名字を変えたの?(普通女性だよね)」
「えっ、妻名義の家に住んでるの?(普通は男性名義だよね)」

とか。

そうそう。
以前、サイボウズの青野さんが結婚して姓を変えられたことで体験したことを発信していて、話題になりましたね。

青野さんにはぜひ、下の名前のハンコづくりをおすすめしたいものです(笑)。
なお、サイボウズさんのホームページには、青野さんの氏名が通名にプラスして(本名)が併記されています。

青野さんもおっしゃっていますが、制度が時代に合わなくなってきていますよね。

国民データのデジタル管理が進行中ですが、データ流出やプライバシー保護の観点で、あれこれ問題になっているところ。
本当に!国のDX化に本腰入れ、信頼性の高いシステムを整えること、強く望む私です。
生き方がものすごく多様化している令和の時代において、「家」や「氏」に頼らない個人の識別方法としては、良き方法だと思うから。

ああ、本当に。
そろそろ、「名乗り方・令和バージョン」が生まれてもいいんじゃないかな。有史以来、いろいろと変わってきているのだから。

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ところで、2016年に北欧の小さな国・エストニアに視察旅行に行きました。

スカイプやワイズ(トランスファーワイズ)を生んだデジタル大国で、行政サービスのほとんどすべてがネットでできる。日本もマイナンバーカードの制度をつくるのに参考にした国。
詳しくはこのあたりをどうぞ↓

茨城県が導入するレベル4の自動運転バスの話でも、エストニアの国名が出ていましたね。

遠くない未来、こうやって個人をIDで管理する時代が日本にもくるんじゃないかと思う。

電子マネーも浸透したし。
飛行機のチェックインもスマホひとつでできちゃうようになりましたし。

もし、国民のID管理が整えば、「思想」を変えるのではなく「しくみ」を変えたことで、旧姓・新姓問題が多少、和らぐのかもしれない。

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さて。私の旧氏併記問題。
併記したことである程度、一区切りした気持ちになったのだけれど。

今回ひとつ、発見したことがある。
実は私、免許証に旧姓併記をするのを「あえて」辞めたのです。

身分証明書として使っている保険証、免許証。
保険証は区役所で変えられるので、その場で変えた。免許は警察署。
当初は行く予定にしてた。
けど。
ふと、思ったのだ。

(旧姓の)「渡辺清乃」であることから離れる場所があってもいいかな。

と。

いまや超・情報開示社会。
ネットで調べれば、個人情報がわんさと出てきてしまう。
常々私は、「大人には秘密が必要だ」と思っているのだけれど、「誰にも知られない私」があることは、気楽さの材料になるんじゃなかろうか。
いやいや別に、やましいことがあるわけじゃないし、有名人でもないけれど。

でもさ。個人がいつも特定できることが、幸福とは限らない。
公的な手続きがIDでできるなら、かぶる仮面(名前)はいろいろあってもいいんじゃない?

区役所からの帰り道、ふわっとわいてきたこの考えに、自分自身が驚いた。
そして私を驚かせたその考えになんだか納得してしまい、「選択肢を残しておこう」と、免許だけ、併記をやめることにしたのだ。

余白がないのは、息苦しい。
2つの名字を使えるって、案外良いかもよ。
そんなことを心の中の独りごとで味わいながら、旧氏併記、やっぱりやってみて良かったな、としみじみしたのだった。
やってみないと、この気持ちはわいてこなかったから。

帰宅後。
これまでの人生で、名字が変わる経験をしたことのない夫に聞いてみた。
「ねえ、名字を変えてみたいと思うことある?」

「うーん。名字はいいけど、下の名前を変えてみたい」

だそうな。あはは。そういうのもあるよね。

ふと、亡き祖母を思い出す。
明治39年(1906年)生まれ。
彼女は「つな子」という名前だった。
たまたま、昔の手紙か何かをみて、「つな緒」という記名をみた。

「あれ?『つな緒』って誰?」
「おばあちゃんだよ」
「え?『つな子』でしょ」
「あのね、『つな緒』が本当の名前なの。『つな子』は、おばあちゃんが勝手に変えて使ってる名前なの」
「そうなの!?(表札にも書いてあるけど……?)なんで?」

「ん?『子』が流行ってるから」

は・やっ・て・る・か・ら……!!!

自由だなあ。

「この街のお嬢さん」的な新聞記事に載った祖母の若き日の写真。この時はつな緒として載ったのだろうか……

ちなみに流行っていたという「子」のつく名前。
庶民の名前に「子」がつけられるようになったのは、明治の末頃。
それまでは、皇室・公家・大名の姫君などにしか使われなかった文字だったそうですよ。

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あらためて、今。

名字が変わることでアイデンティティ(自分は何者か、一貫した自己認識を持つこと)が損なわれる感覚になったり、キャリアが分断される。

という時代から、

いろんな「名前」を持つことがアイデンティティを健やかに保つ。

時代に変わっていくのかもしれない。という、仮説をたててみた。
これって、「ひとつの道を貫くキャリアが素晴らしい」から、「複業キャリアが面白い」に変わってきたのと、重なったりもする。

姓が何度も変わった私がかつて望んだ「私を認識できる変わらないもの」は、旧姓ではなく「私の中」にあればいい。
そもそも、「結婚は人間がつくった制度なんだから、『私』はそれによって変わらされたりしない」と豪語して今(三度目)の結婚をした私だ。
わかっていたことだけれど、「名字」についてじっくり考えてみて、あらためてそう思った。

多様な名前を持つ自分を束ねるのが、当たり前の時代。
その方が何かと便利だったり、楽しかったりして。
個人を認識する手続きはデジタルで、安全に、簡単に。本当にお願い!!!


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