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【小説】遠い日の飛行船 #6-1 ナイトフライト

その翌日。
販売の合間に車を停めて休憩を取っていると、SNSを通じてSHUNさんからメッセージが届いた。
『今日、ナイトフライトをするそうです』
と、書かれている。
ナイトフライト?
その文字を見た時、一瞬何の事かわからなかった。頭の中で文字を分解し、訳す。騎士?飛ぶ?騎士が飛ぶって、一体どういう事だろう。
次の瞬間、はっとした。そのナイトじゃない。自分の馬鹿さ加減に思わず吹き出してしまった。




仕事を終えた後、私は日暮れの街へと飛び出した。
時刻は18時半過ぎ。まだ明るいが、少しずつ夜の気配が近づきつつある都会の空に、飛行船が飛んでいる。
ナイトフライト=夜間飛行。
飛行船は時々夜に飛ばす事もあり、特に北海道では頻度がかなり低いので、見られた場合はラッキーなのだとSHUNさんが教えてくれた。こんなの、見ないわけにはいかない。

大通公園、すすきのの辺りの上空を、ゆったりと行き来しているのが見える。この時間に飛んでいる姿を見るのは、とても新鮮だ。
車をどこかに停めたいけれど、街中では気軽に出入り出来る駐車場もない。コインパーキングにわざわざ停めるのも気が引ける。こう言う時、徒歩や公共交通機関を利用して街に出ている社会人が少し羨ましくなる。大通公園のベンチにでも座ってゆっくりと飛行船を眺められたら、どんなに良いだろう。

ウロウロとした末に、私は以前にも飛行船を見た西部公園まで移動した。せっかくだから、出来ればゆっくりと鑑賞したい。中心地からは少しだけ離れているが、あの丘の上からなら見えるはずだ。
到着した頃には、空は先ほどよりも少し薄暗くなっていた。誰もいない丘に登って街の方を眺めると、小さな飛行船が温かな光を放ちながら浮かんでいた。
不思議で、そして新鮮な光景だ。夜空を飛ぶ飛行船。以前にこの場所で、男の子がUFOと言っていたのを思い出す。あの白く光る楕円形の飛行物体を、何も知らない人が見たら、確かにUFOだと勘違いしてしまうかもしれない。




丘のてっぺんに座って、そのまましばらく飛行船を眺めた。面白いくらい徐々に暗くなっていくネイビーの空に、飛行船は逆にどんどん存在感を主張していくようだ。
平日の夜の公園はひと気がなく、時々犬の散歩をしている人が通りかかるくらい。静寂と、私と、飛行船。薄暗い夜の中で、1人ぽつんと座り込んで空を見る。きっと他の人からすれば、世間から断絶された寂しい人のように見えてしまうのかもしれないけれど。なんて贅沢な時間だろうと、当の本人は思っている。

日が落ちると、北海道は夏でも寒い。半袖のままだった私は、車に置いてあるパーカーを取りに戻る事にした。飛行船を視界から外さなければならないこの短い時間でも、何だか勿体ないと感じてしまう。

駐車場に戻って車のドアを開けた瞬間に、私はふと思いついた。
そうだ! 夜の着陸風景を見てみたい!




真っ暗な係留地には、クルーがたくさん集まっていた。
彼らは点滅する赤ランプがついたベストのようなものを着用しているようだった。これなら飛行船のパイロットからも整列する彼らが見えて、着陸地点を認識できるのだろう。
この時間にこれだけの人数のクルーがいるという、いつもと大きく違う状況に何だかワクワクしてしまう。何となく、子供の頃のお泊まり会の時の事を思い出した。安心な両親の元から離れて、友達と一緒に寝る時の、少しの不安と興奮が入り混じった感覚。いつもと違う特別な夜。
時刻はそろそろ20時を回ろうとしている。

はるさん、と聞き慣れた優しい声がした。トラック内部に灯る明かりに辛うじて照らされているSHUNさんの姿が、薄ぼんやりと見えた。
「こんばんは。やっぱり来てたんですね」
「はい。夜の着陸も見てみたいなぁと思って」
「きっとそうだろうなと思ってました」
「……って言われるだろうなぁと私も思ってました」
私達は笑い合った。お見通しな事もお見通しだ。
その時、遠くの空に飛行船が見えた。白い楕円の光が、少しずつこちらに向かって近づいてきている。
「SHUNさんは夜の着陸、見た事あるんですか?」
「僕は今日で2回目です。すごいですよ、昼間とは全然違う」
既に鼓動が速くなっていたけれど、彼の言葉を聞いてさらにスピードアップしたような気がした。

たくさんの赤ランプが、遠い場所で並んでいる。マストの先端であろう位置にも、赤ランプが光っているのが見えた。マストマン(マスト上部で飛行船の連結作業を行うクルーの事をそう呼ぶらしい)が既に待機しているようだ。
これらのランプ達がなければ、ここは本当に何も見えない。着陸地点となる範囲は完全に視界ゼロだ。見えているのは、係留地の端に停められたトラックから漏れる明かりのみ。こんな中で本当に飛行船を着陸させる事なんて出来るのだろうかと、不安になってしまう。
SHUNさんは動画撮影をし始めている。私は彼の隣で、息を殺すようにして、近づく飛行船を見守った。

段々と低く、大きく見えてきた飛行船は、すぐそこの空の上で突然消えた。びっくりしてしまったが、前後とゴンドラ下部の白い光、そして上部で点滅する赤い光だけはついたままだ。夜に着陸する時は、船体のライトを消すものなのだろうか。
横倒しの大きな菱形のような4点の光が、ゆっくりと降りてくる。その先には、赤点滅で着陸地点を示す小さなクルー達。この広大で真っ暗な空間で、それらの光達は、私にはあまりにも頼りないものに見えてしまった。遠い位置から見ているからそう感じるのかもしれないが、互いに認識し合うには不十分過ぎるような気がして、ハラハラしてしまう。
そして、私のそんな不安を余所に、光達はしっかりとひとつの場所に集まった。船体の上部から少しずつ明るさが戻り、「Smile Sky」の文字が見えてくる。やはり暗くて何をしているのかは見えないけれど、おそらくもうクルー達は既に飛行船をキャッチしている。徐々に白く明るく、いつもの姿を取り戻しながら、飛行船はマストマンに引き継がれて連結されたようだった。





飛行船が係留地上空でライトを消灯し、マストに繋がれるまで、約5分ほど。長かったような、あっという間だったような。私はその間、ほとんど息をするのも忘れていたように思う。深呼吸をして、胸にいっぱい夜の空気を吸い込んだ。

ありきたりな言葉しか出て来ない事がもどかしいけれど、物凄い技術。
街の人々が飛行船を見上げてワクワクしたり、笑顔になったりしているその背景には、一般人が知る事のない、大事な大事なプロの仕事があるのだ。私は感動に支配されて、まだ速い鼓動を打ち続ける胸をぐっと押さえた。

「……はるさん、感動してる?」
SHUNさんが笑いながら聞いてきた。彼には私の心が全て見えているかのようだ。
「とっても感動しちゃいました。パイロットさんやクルーさん、すごいですね。だってあんな真っ暗な中で、あんな的確に動いて」
「うん、本当にすごい技術ですよね。プロにしか出来ない仕事ですよ」
クルーは暗闇の中で作業を続ける。それぞれが手にしているペンライトの小さな明かりが、所々で光るのが見えている。
夜の係留地はあまりにも真っ暗で、いくら飛行船が明るいとは言っても、距離があると人の顔は判別出来なかった。橋立さんもいるらしかったが、わざわざ探してまで声をかけなくても良いかと思った。



作業を終えたクルーが去り、いつもの静けさが戻った係留地。
やっぱり私とSHUNさんは、終わったからじゃあさようなら、とはいかない。何をするでもなく、芝生に座って、ふわふわと風になびく飛行船を眺めるだけの時間が始まる。

SHUNさんは、お腹空いたぁーっと言って、車からコンビニの袋を持って来た。暗くて良く見えないが、中から何かを取り出してバリッと開けている。クッキーですけどよかったらどうぞ、と差し出してくれた。お礼を言ってひとつ手に取ると、SHUNさんも袋から数枚クッキーを取り出して一気に頬張ったようだ。もらったクッキーにスマホのライトを当ててみると、豚の顔をしている。彼がこんなかわいい動物クッキーを頬張っているのかと思うと、何だか可笑しくて笑ってしまった。
「飛行船を追いかけてる時って、不思議とお腹が空かないんですよね。だから僕は後から食べられるように、いつもコンビニでお菓子を買い込んでおくんです」
バリバリとクッキーを食べながらそう言う。私は大きく頷いた。
「やっぱり、SHUNさんもそうなんだ。私も、何かを犠牲にしても、早く飛行船を見たいなぁってつい思っちゃいます」
「ですよね。それに僕、飛行船見ながらおやつ食べるのが大好きで。なんか特別な感じがして」
また、ヘヘヘと少年の声で笑う。私は彼をかっこいい人だと思ったけれど、かわいい人の間違いなのかもしれないと思った。

SHUNさんが買い込んでいたというお菓子達を、結局私も勧められるままにたくさんご馳走になってしまった。
飛行船を見ながら、飛行船の話をしながらのおやつタイムは、確かに特別だった。いい大人2人が……と自分でも思うけれど、素直に楽しい時間だった。葵さんに話したら確実にからかわれるんだろうなぁ、と思う。



「そうだ、はるさん。こうすると星がキレイに見えますよ」
おやつタイムの後、SHUNさんは私の隣で芝生の上に寝転がった。
「係留地って、周りに高い建物があったらいけないんです。電柱とか街灯も少ないから、夜はとても暗いんですよ」
よく見えないけれど、隣で大の字になって寝そべっている気配。
“芝生に寝転がる”なんて、私にとっては漫画や物語の登場人物がやる演出というイメージだったのだけれど。何となく気恥ずかしさを感じながらも、ぎこちなく真似をしてみた。
「え……何これ」
黒に限りなく近い濃紺の巨大なキャンバスに、チラチラと瞬く無数の小さな光。
こんな星空は初めて見た。周りに明かりがないだけで、星はこんなにもよく見えるものなのか。天体観測の名所でも何でもない、都会の隣町の、ただの空き地なのに。
「夜の係留地で、僕はこれも何気にお気に入りの時間なんです」
これまで何度もここの芝生に寝転がって星を見てきたのであろう、無邪気な彼の姿を想像する。満天の星空と、SHUNさんと、飛行船。

私も宛てのないドライブをして、車中泊も何度もして来たけれど、星を見ようと上を向いた記憶はほぼない事に気付く。札幌ではこの時期の風物詩と言われているらしい飛行船の存在も、今年まで知らなかった。
私は、これまでどれだけ俯いていたのだろう。こんな素敵な世界が自分の頭上に広がっていたという事を知らないまま、ずっと生きていたんだ。

「……すごいですね……」
それ以上、言葉が出なかった。恐ろしいくらいに散りばめられた小さな星達の輝きに、ごく自然に涙がひとつ流れた。そんな自分に、私は自分で驚いていた。
飛行船がいなければ、SHUNさんがいなければ、こんな世界の存在を知る事はきっと一生なかったと思う。そして、こんな自分の一面を知る事も。





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