見出し画像

Each Of Life 3

声優養成所の新年度のレッスンが始まり、生徒の中にUVERworldが好きな生徒がいた。好きな曲を聴いたら「ALL ALONE」と答えてくれた。

その瞬間、以前だったら、そのタイトルを聴いただけで私の心はもっと揺れていたと思った。あれ? と思った。私は、UVERworldの「ALL ALONE」という曲に、非常に思い入れがある。理由は、ウェブマガジン、アパートメントで書いたとおりだ。

「絶望」が、何よりもべったりとすぐ傍に張り付いているような日々を生きていた時期だった。

改めて、自分が書いた文章を読んでいて、随分とこの地点から遠ざかっていたことに気がついた。私、よくここまで生きた。そう思えた。

今年は、L'Arc〜en〜Cielの「Blame」を、ライブで聴いたときにも、同じような地表に立つことができた。

2024年はそういう年なのだろうか。

10代の頃から染みついた孤独感は、そう簡単に消えはしない。
20代の頃に胸の中に焼きついた記憶は、私を私たらしめるものだから消すことはない。

近年の私を苦しめてきた出発点は、2013年の5月だ。
そのときの私をもっとも表していた曲といえば、amazarashi「自虐家のアリー」だと思う。

「自分の声だけが聴こえなくなる病気になった。
理不尽な暴力に襲われ身体が動かなくなった。
私を愛してくれていた人間が自ら命を絶った。」

あの時を境に、40代は「死」や「苦しみ」がどこまでいっても私の心から離れないような時間だった。

悲しいだけではない。「死」に伴うことが、どこかで私の人生をがんじがらめにしていた。ただただ、苦しかった。

「自虐家のアリー」はもちろん、amazarashiはそんなときによく聴いていた音楽だった。

UVERworld「ALL ALONE」、L'Arc〜en〜Ciel「Blame」を聴いて、自分は苦しさから抜け出せずにいたときから、違う地点に立っているのではないかと思い、amazarashiを聴いてみた。

記憶は揺り動かされるけど、今の自分の心は揺れない。

やはり、未来を生きる希望すら持ち合わせていなかった私からは遠い場所まで、どうやら生き抜いていたようだ。

およそこの10年間の変化を振り返る。
なぜ私が、深い暗闇から、今の場所まで歩いて来られたのか。

浮かぶ顔がある。
過ごした時間がある。

一人ではこうはなれなかった。

今週は、精神が混乱するほどの「死」を目の当たりにしたあの日から、11年。やはりどうしたって、毎年この時期は、どうしようもないくらい揺れる。

向き合うことでしか、進めない道がある。
向き合うことで、感じてきた優しさがある。

そのことを胸に。
今を何よりも、愛しむ。


この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?