総延長およそ150キロ!「ベルリンの壁」跡地を自転車で辿ってみた。(22)/鉄道の受難
墓地に残された壁
「ベルリンの壁」跡に整備された「壁の道」は住宅街を抜けて、静かな路地へと入っていきます。そこに見えるのは、通りに沿って伸びる壁。壁の裏側は墓地となっていますが、これは墓地の外壁ではなく、残された「ベルリンの壁」です。墓地の中に入ってゆくと、墓石の間にもコンクリートの壁があります。こちらは壁への接近を妨げる第二の壁の一部。一般的に、壁が築かれた場所には新しい建物が建てられるため、壁や壁に関連するものが残されるのは稀です。再開発されることのない墓地だからこそ、壁は残されているのでしょう。
使われなくなった鉄橋
墓地を抜けると、高架となった幾つかの鉄道の鉄橋が見えます。しかし、そのうちの一部の鉄橋は、下から覗けば空が透けて見えるでしょう。なぜなら線路が敷かれていないからです。鉄橋に敷かれていたのは、ドイツ北東部の都市シュチェチンとベルリンを結ぶ路線でした。そんな路線は第二次世界大戦の敗北によって大きな影響を受けています。ドイツの一部だったシュチェチンはポーランド 領へと変わり、運行本数は激減しました。またドイツが東西に分断されたことで、「東側」を走る路線は「西側」を経由しないベルリン東部の駅を発着することになります。こうして鉄橋は使われることがなくなったのです。
駅の跡地の公園
使われなくなった鉄橋の下を潜り抜けると、「パーク・アム・ノルトバーンホーフ(Park am Nordbahnhof)」と呼ばれる公園の中に入ることになります。公園に見えるのは植えられた木々と、その間を散歩する人々。街中にある公園は自然を感じられる気持ちの良い場所になっています。公園を進んでいくと、鉄橋の先にあったはずのものが見えてきました。それはこの場所にあった線路です。こちらの公園は鉄橋を使用していた路線の発着駅でした。ターミナル駅として多くの旅客が利用した場所ですが、駅舎などは撤去されて建物はほとんど残されていません。ですが、公園内に残された線路は多くの列車が走っていたことを実感させてくれるのです。
「ベルリンの壁」
公園で感じられるのは線路が見せる鉄道の歴史だけではありませんでした。こちらでは東西ドイツ時代の歴史にも触れることができるのです。公園内を真っ直ぐに伸びるのは「ベルリンの壁」の跡を表示する印です。1952年にこの場所にあった駅は利用されなくなり、1962年に撤去されました。そして、壁とそれへの接近を妨げる無人地帯が築かれたのです。多くの人が散歩を楽しむ公園には、ドイツの敗戦と東西ドイツの分断の歴史が刻まれているのです。
さらなる鉄道の受難
さらなる鉄道の受難をこの場所の近くで確認できます。それができるのは公園の南側にあるベルリン北駅(Berlin Nordbahnhof)です。地下に設置された駅に停車するのは、ベルリンを南北に走るSバーンと呼ばれる市内鉄道。しかし、ベルリンの東西分裂は、「西側」と「東側」の一部を走る本路線に問題をもたらしたのです。結果として、路線は「東側」を通りながらも、「東側」に位置する駅に停まることはありませんでした。そのため、ベルリン北駅は閉鎖され、「幽霊駅」と呼ばれていたのです。今では駅構内に資料が展示され、その様子を知ることができます。そして東西ドイツの分裂がいかに鉄道に影響を与えたかを実感できるでしょう。
ベルリンの壁と鉄道の関係については、こちらの記事でも取り上げています。鉄道に興味がある方は、ぜひチェックしてみてください。
こちらのnoteマガジンで「ベルリンの壁」を走破したことをレポート記事でまとめています。ぜひこちらもご覧ください。
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