ガスチニッツァ・ウクライーナ(ホテル・ウクライナ)
ホテル住まいで三食自炊
それは、クツ-ゾフスキー大通りがモスクワ河を渡る橋のたもとに正に傲然と聳え立っていました。
高さ206メートル、34階建てのスターリン・ゴシック様式の建物で、同じような建物が、モスクワ大学本部、レーニングラード・ホテルなど、モスクワ市内の7箇所にあります。
ホテルの前庭は、モスクワ河に面した公園になっていて、ウクライナの詩人、タラス・シェフチェンコの巨大な銅像が建っていました。
私の駐在事務所はこのホテルの701号室(セミデラックス)にありました。
正に職住超近接で、起きたら出社という状態です。
当初、日本商人の事務所は、ほぼ全部このホテルの中にありました。
(後に、ロシア産品を日本に輸入する総合商社は、市内の一戸建ちの事務所がもらえましたが、ロシア向け輸出だけのメーカー駐在は、ズーッとホテル住まいのままです。)
ロシア料理が、珍しい時期が過ぎ(約1週間!!)、もう少し油気のないものが欲しいとなると、自炊しかありません。
レストラン北京という中華料理店はありましたが、中国人シェフが帰国してしまった後は、「はて、以前は、なんと言う料理だったのかな??」というほどデフォルメしていて、味付けもロシア風に変わっており、「行ってもしょうがない。」とすぐに気が付きます。
そんなわけで、歴代駐在員が701号室のバスルームに自炊用の設備投資をしてきました。
100ボルトで動く日本製の調理機器を使えるように巨大な変圧器(ロシアの電圧は200ボルト)、包丁、食器用の戸棚、そして便器の蓋か、洗面台の上に俎板という具合です。
水は、すばらしい水質の水道が使え、野菜屑はトイレに捨てて、流します。ロシアのトイレは偉大で、スイカを食べたあと、スイカ一個分の皮を流しても詰まることはありません。
食材は、ハードカレンシーショップのスーパーが1軒だけあって、エジプト産のお米(なんとジャポニカとインディカの2種類)、ソーセージ、ハム、シベリア産のキングサーモン、キャビア、イクラ、新鮮野菜などなど何でもあります。
日本商社の駐在員も全部ホテル住まいなので、夕食には困っていました。
中には、家族連れで赴任してきて、大き目のスイートルームに暮らしている人もいましたがこれは本当に例外で、ほとんどは単身赴任です。
ある日、スパゲッテイを軟らかく煮て、牛肉とねぎのざく切りを、出張者が置いていった昆布茶に入れて、「肉うどん風」にしたところ、これが絶賛を浴びて、石井食堂の評価が高まりました。
昆布茶は塩が入っているので、醤油は控えめにしないと塩辛くなってしまいます。
バスタブに泳ぐ鯉
季節が冬になって、水道水の水温が4度Cぐらいになった頃、或る商社の繊維機械担当の新任駐在員が、挨拶にこられました。
話の中で、話題が自炊に及ぶと、
「私は、料理が趣味で今回も引越し荷物に刺身用の柳刃包丁を入れてきました。」
というではありませんか。
其のとき、閃きました。
例のスーパーの魚売り場には活きた鯉が、水槽の中を泳いでいるのです。
ボルガ河の支流であるモスクワ川では、鯉が釣れるのです。
鯉はぬれた新聞紙にくるめば1時間以上活きています。
買ってきた鯉は、ロシアサイズの大きなバスタブに放流されました。
和食の達人、柳刃の佐川さんが
「1週間は泥を吐かせたほうが良いでしょうね」
と宣言して、私は其の1週間の間、お風呂が使えなくなりました。
仕方なく、仲の良い商社駐在員の部屋に、洗面器とタオル・石鹸を持って「お風呂を頂きに」行く破目になります。
1週間後、商社の繊維担当者には、「鯉の洗いを試食する会」の案内が送られ、日本を代表する大手総合商社の駐在員が7名ほど集まりました。
佐川さんが、厨房(トイレ!?)に入って、薄切りの鯉を、水温4度Cの水道水で締めてちりちりになった鯉の洗いが登場します。
日本から送られてきた信州味噌をロシア産のウクスース(おそらくただの酢酸)で溶いて酢味噌も用意しました。
よく冷えたウオトカ、ビール、ウイスキーなどは、沢山あります。
突然、或る商社員が発言します。
「川魚には、肝臓ジストマが居るので、気を付けたほうが良いと聞いています。」
一瞬全員がフリーズして、箸を置きます。
私は、少し腹が立ちました、
「そうですね、やはり止めておいたほうがいいかも知れません、
私は頂きます。」
といいつつ、大皿の洗いを取って酢味噌につけて口に入れます。
突然、全員がワッと箸を出してきました。
其の夜、鯉は全てなくなり、ウオトカは3本飲まれました。
このイベントは少しだけ有名になって、後日、朝日新聞の夕刊小説「19階日本横町」に登場します。
現在、ネットで調べると、ウクライナホテルは、世界的なホテルチェーン「カールソン・レジドール・ホテルス」傘下に入り、その名も「ラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワ」となっています。
写真で見る限り豪華な装飾と洗練されたイタリアンレストランなどを備えた5つ星ホテルに変貌しており、当時の「ガスチニッツア・ウクライーナ」の面影はありません。
でも、もう一度訪れて宿泊するのなら、薄暗い証明、黒っぽい赤の絨毯、洞窟の奥のようなウクライナホテルに泊まってみたいものです。
トイレで自炊することなど「ありえへん!」事はよくわかります。
なにしろ、50年もの間変わらないものなどありませんから。
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