シェア
石井清堅
2021年2月19日 13:21
中山先生(孫中山)私は30歳台の後半は毎年、年2回の「広州交易会」に参加していました。一担当者から課長になってからもそれは続きました。団長は、例の飢狼のような風貌の空手の達人から、温厚な大人風の伊知地部長に替わっていました。私のNOTEで実名を書くのは初めてですが、今回は実名を出さないわけにはいきません。大会会場の一隅に防織品公司の商談室として、長い廊下に沿って、取調室のような小部屋が並ん
2021年2月12日 11:19
後味の悪い幕切れとなった平壌業界商談に続き、30歳台の中頃から、対中国貿易の一大イベント、「広州交易会」に、毎年2回(春季、秋季)参加することになりました。例によって「国家による外国貿易の独占」という綱領は、当時中国においても健在でした。お祭り騒ぎの真剣勝負! 共産圏貿易担当者の最大の仕事は、この交易会に参加することでした。何しろ1国の需要を1つの窓口で買い付けるわけです。人口の規模から