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広州交易会

後味の悪い幕切れとなった平壌業界商談に続き、30歳台の中頃から、対中国貿易の一大イベント、「広州交易会」に、毎年2回(春季、秋季)参加することになりました。
例によって「国家による外国貿易の独占」という綱領は、当時中国においても健在でした。

お祭り騒ぎの真剣勝負! 

共産圏貿易担当者の最大の仕事は、この交易会に参加することでした。
何しろ1国の需要を1つの窓口で買い付けるわけです。
人口の規模からみてもソ連の数倍の規模で需要があります。
今では日本から合成繊維原料を輸出することもなくなりましたが、(中国、台湾、韓国、東南アジア・・全て自国生産になっている。)当時は、日本が最大の輸出国でした。
紡織品公司(中国紡織品進出口総公司進口処)が其の窓口で、1回の商談で8千トンのポリエステル短繊維(綿)を契約したこともあります。

量が多いだけに、価格交渉はいつも難航しました。
値切ったり、提案したりの値幅はKG当たり四分の1USC、即ち、1KG当たり5セント歩み寄るためには、20回のやり取りが必要です。
紡織品公司の交渉団は、会期中は北京から出張してきます。
団長は、酒仙といわれた毛李直経理以下、王鐘善、韓継先、王蔓青、膨効祖、牛熱東など選りすぐりの精鋭です。
迎え撃つ当社は、輸出部長、中国室長、各商品担当課長という顔ぶれです。
商談の中では、彼らは克明にメモを取ります。我々との商談に先立ち過去の商談の発言を読み直してくるようです。

「石井さん、貴方は昨年の春交(春季交易会)では、XXXXXと発言していましたね!」

などと、過去の発言を足場にして反論してきます。これではいけないと、その後商談に参加した全員が詳細な発言メモを作ることにしました。正に真剣勝負です。

「友好商社」と言う不思議な存在。

我々はまず香港に飛び、翌日汽車で広州に入ります。宿舎は、友好商社が中国当局から割り当てられた部屋を、友好商社から借りる形を取ります。
友好商社とは、中国共産党と政治的に繋がりがある小さな商社で、三井、三菱のような大総合商社でも、公司との直接取引は認められず友好商社を経由する取引でした。
わが社の友好商社は、新生交易、産業貿易の2社で社員の方はいずれも中国語堪能で、中には公司の担当者よりきれいなマンダリン(北京官話)を話す人もいました。
第2次大戦後、中国に取り残された残留孤児のような人も多く居て、友好商社社内の会議で議論が白熱すると、いつの間にか話していた日本語が全員中国語に変わっていたと言うほどでした。
毛沢東の「長征」に八路軍兵士として参加していたという人などは、所謂、「八路軍訛り」の中国語を話して若い公司の商談員から畏敬の眼差しで見られていました。
今では、外資系の高級ホテルが林立する広州市ですが、其の頃は、一年中開いている東方賓館、交易会会期中だけ開く学生寮のような、広州賓館、白雲賓館などがあって従業員も、会期中だけ北京から呼ばれた臨時の学生さん従業員でした。
当社の定宿は広州賓館で、二人一部屋ですが、友好商社が招待した見ず知らずの人と同室になってしまうこともあり、部屋を出るときは商談資料は必ず持って出るようなこともしていました。

商談は、必ず妥結するが・・・

ホテルに落ち着いた我々は翌日「交易会会場」(「ターホイ:大会」と言うとタクシーは何も云わず運んでくれました。)に乗り込んで公司に挨拶に行きます。お互い長い商談になることは覚悟しています。
1ヶ月の会期中に決められなくて北京に引き上げる公司について北京まで行ったこともあります。

しかしながら、我々は売らねばならず、公司は買わないわけにはいけません。原料が無ければ、中国内の紡績工場は紡績する原料が枯渇します。
結局、契約書にサインして帰る事になりますが、正式の契約書を見て飛び上がります。

契約書の最後に、

「按徐油后0.6%商業決済重量」と書いてあります。
これはいかなる意味でしょうか

と確認すると、

「今、貴方と契約したのはポリエステル綿についてであって、綿に添加された油の重量分は代金支払いの対象には含まれません。」

ポリエステル綿には、紡績工程で糸に紡ぐときに紡績機械での通過性を良くするシリコンオイルが添加されています。

「油分が無ければ、静電気が発生して、この綿は紡績できなくなります。油分は商品の機能の一部なのです。」

と言っても、

「紡績できなければ品質クレームになります。」

の一点張りで、油分を差し引いても契約数量になるように、0.6%強の入れ目を余儀なくされます。量が莫大なのでこれでも経費節約の意味があるわけです。

帰国してから、工場へ報告すればもう一度修羅場になることは避けられないと感じながらサインして帰国します。

深刻なわりには暇な広州滞在。

世界中から押しかけてくる商談相手に対応するので、公司は超多忙です。我々も毎日詰め掛けても商談時間は1日30分が最長です。
例の「共産圏カルテル」が認められているので、どこかのホテルに競合メーカーと落ち合って、公司が幾らまで買う譲歩をしたか、情報交換します。
どこの会社もコスト割れすれすれの商談なので抜け駆けしてもほとんど意味はありません。
其の後は、寝る以外はほとんどやることがありません。何しろ輸出部長以下関係者全員が出張して来ているので、本社に報告して指示を仰ぐこともしません。

そこで、昼間の観光と夜の宴会の2大イベントがほとんど毎日開催されますが、幹事は友好商社のプロが我々お客さんへのサービスとして手配してくれます。
昼間は、名所旧跡に行く気もあまり無くて、実弾でピストル、ライフル、機関銃を撃たせてくれる射撃訓練所などは、其の道に興味のある人には人気がありました。しかしながら料金は実弾1発について幾らという決め方なので、うっかり機関銃をやってみようとすると、莫大な請求書になります。当時でも1秒間に5発や10発、発射できる機関銃はありました。

夜の部は、中華料理の本場ですから、見たこともない料理が出てきました。
蛇料理で世界的に有名な「蛇王萬」、狸や蛇の濃厚スープで有名な「南苑」、正統広東料理の「越秀山公園飯店」など、所謂、精のつく食事と運動不足が重なって私のお尻には、「にきび」のような腫れ物ができて、「中山記念病院」の皮膚科につれてゆかれました。
友好商社の女性社員が通訳してくれます。
出てきた先生は、なんと女医さんで物も言わず私のパンツを捲り降ろして、

「%#!、*~##」

とつぶやいて、パンツを戻します。

「なんか、食べすぎが原因だと言ってます」

私にも心当たりはあります。ねずみ色のドブ水のようなお薬が出て、一件落着です。
塗るとぴりぴり沁みて、暗澹たる気持ちになりましたが、帰国までにはきれいに治りました。
昼間、ぎりぎりと神経質な商談をし夜に宴会となると、溜まりに溜まったストレスが爆発します。
広州一の高級料亭「越秀山公園飯店」でそれは起きてしまいましたが、詳細は次の「17話」以降でお話します。

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