情報発信の本質は取材にある。ただし、話を聞き出すには「語るに足る人」でなければならない
企業の外部発信に関係した仕事を10年以上もしていると、クリエイターやプロジェクトの担当者からそんな声が取材のあとに漏れてくることが何度もありました。これはメディアの取材、自社発信を目的にしたインタビュー、どちらでもです。
逆に、
そんなことを、嬉しそうに話してくれることもあります。
いったい この違いはなんのか?
企画、環境、など、関係するものはさまざまありますが、なにより「誰が聞き手となっているか」ということが大きく影響しているように思います。
そして、この話し手に新しい発見があるときというのは、ただ「いい気分で話せてよかった」ということでなく。そこで語られるエピソードの深みに繋がり、最終的なアウトプットである記事や動画・放送で、明確にコンテンツのクオリティとしてあらわれていました。
本記事では、この「聞き手によって、話し手から引き出せるエピソードの濃度がまったく変わってくる問題」について、まとめます。
「濃ければよいのか」という話もありますが、「情報が溢れている」といわれ続ける今だからこそ、うわべの同じような話ではなく、より深みのある話が聞きたい。それを引き出せる聞き手の役割について考えます。
情報発信における「取材」の意義
そもそも、情報発信において「取材」とはなんなのでしょうか。
ライターの田中泰延さんいわく、
取材とは、ライターにとってほぼ全てだと言います。これは、文章の執筆に限らず「情報発信」に共通しているように思います。
また、編集者の竹村俊助さんいわく、
書く前に、取材が勝負だと言います。文章を書くことは、「書く」こと自体を勝負のように感じてしまいますが、その前の「取材」の時点で勝負は始まっていて、戦う前に勝機は決していたという状態になっていることも多いのかもしれません。
確実に新しさはない取材の典型
では、実際に考察を深めていくにあたって、逆説的に「絶対に失敗する取材」はどんなものだろうかと頭を整理してみます。
知識0であえて来ましたという取材
まったくの事前知識なく、取材にいらっしゃる方がいます。さらに、良かれと思って「勉強になります〜」なんて相槌をリズミカルに打ってしまわれるようなことも。
ライターの古賀史健さんいわく、
取材は外に発信する責任を持つことだと言います。
聞き手のための講義ではないので、「初心者が聞く対談企画」などでない限りは、少なくともネットで調べられる範囲の情報は知っておきたいところです。
聞き手の話が多すぎる取材
エピソードごとに「それ分かります!ぼくも〜」と自分の体験を勢い強く話される方がいます。
より深い話にもっていくためのフリとして話されるうまい方もいらっしゃいますが、あまりにもそれが強く出すぎてしまうと話しづらいことこの上ない。
編集者の野本響子さんも、これまで多くのインタビューをおこなってきた経験から、インタビューのコツを上げるとすれば、コレだと言われています。
明らかに話し手に興味ない取材
事前に準備してきた質問をたんたんと順番に読まれていると、「あれ、いま話してること興味あります?」って思ってしまう瞬間があります。
よく言われることではありますが、あらためてライターの田中泰延さんの言葉を引用すると、
相手の興味が薄そうなときには、できるだけ伝わりやすい「定番エピソード」を薄いレイヤーで話すことになりがちです。とくに「つまらないインタビュー」になりやすい。
一方でこれは、話し手目線で「聞き手がどれくらいの知識がある方か分からない」ときにも起こることがあるので、話し手と聞き手を繋ぐマネジメントの役割をする人は「今日はここの部分がっつり深く話して大丈夫です」と事前に認識揃えておくことが大事だったりします。
幕間:音声配信でも求められる聞き手の存在
普段、音声系のスタートアップで働いているのですが、最近は音声業界でも「MCの聞き手」が大事だとよく言われます。
ここで言う聞き手とは「リスナー」という意味ではなく、メインで話す番組MCの相方として、進行をしたり、話題をふったり、質問や相槌をすることによって、話を展開していく役割です。
編集者のお二人、設楽悠介さんと 野村高文さんも放送の中でこんな話を紹介されています。
これはまさに、これまでの取材でも同様に起きていたことでした。
新たな発見につながる取材の生まれ方
では、話し手自身が新しい発見が生まれてしまうほどの面白い取材とはどうやって生まれるのか。
要素を2つに絞ると
なのかなと。この2つを互いに認識した状態で話すからこそ、「ここまで突っ込んだ話をしてみてもよさそうだ」と信用して話すことが出来る。
逆に「ぜんぜん面白いエピソードを話してくれないんです」なんてことを思ったときには、もちろん「取材対象の選定」時点でテーマに合った方を選べてなかったということもあるかもしれませんが、
話し手から「この人は話すにあたいしない」と思われているのかもしれません。
妖怪の専門家のようだった あるライターの話
昔、妖怪のゲーム作品の立ち上げをおこなった際、そんな面白い取材ばかりされる1人のライターの方に出会いました。
その方からのインタビューは、いつもはあまり乗り気じゃないゲームクリエイターであっても、「あの人なら話したい」と言わせるほど。
通常、ゲームのインタビューは
なんて、質問を序盤いただくことが多いのですが、
その方とのインタビューでは、取材がはじまるやいなや、
なんて、妖怪オタクトークからはじまり、「あの妖怪、江戸時代には〜」「おそらくですが、この妖怪の造形はあれですか?」など、ぐいぐいと深みに切り込んでいく。
そのインタビューで話されたことの半分以上は、専門的過ぎて記事には載せられていなかったけれど、最終的なアウトプットもまたそこでしか読めないすごく面白いものになっていました。
後書き:「専門家」になるか「家の猫」になるか
一方で、専門性はないけれど信用してなんでも話してしまう存在に「家の猫」がいます。ほんとの家族にさえ話せないようなことも話せてしまう。
妖怪作品では猫妖怪のぬいぐるみに向かって、子どもたちが今日あったことを報告しているという話を聞いて、すごくほほえましく嬉しくなったものですが、
専門性やアウトプットを抜きにして、「この人ならなんでも話したい」と思ってもらえる人は強いですよね。
「専門性高く、ハイクオリティのアウトプットが出せる仕事人」だからといって、エピソードを引き出すことが難しい場面はどうしてもあります。そんなときに大事になってくるのが、相手との距離感なのだと思います。
スタジオジブリの代表でプロデューサーの鈴木敏夫さんが、まだ「アニメージュ」の編集者だったころ、「ルパン三世・カリオストロの城」の製作をしていた宮崎監督を取材に行っていたときにも、「何やっているんですか。話すことなんかないんだから、帰って下さいよ」なんて言われて追い返されていたそうです。
ただそんなことを言われながらも毎日通った結果、
話し手のふところまで入り込む執着、熱意。
聞き手から、ジブリの代表にまでなってしまったというのは特殊ケースのように思えますが、多くの取材の現場で活きる話だと感じました。
あなたがいま一番取材したい人は誰でしょうか。
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