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7/9 念願の温泉と数奇な運命を辿った人々 【チェンコーン→チェンライ→メーサロン】

基本的に旅日記はその日のうちに書いているのですが、Wi-Fiに繋げない日もあって毎日更新はできていません。
そのため、旅日記と実際の日付にラグが生じており、下書きに少しずつストックが溜まっているのですが、7/9の日記の公開を飛ばしてしまっていました。
日付が前後して読みづらくなってしまいましたが、ご了承ください。

釈明

メコン川ともこれでお別れ

午前9時半発の路線バスでチェンライ(Chiang Rai)へ。

車窓風景

正午にチェンライのバスターミナルに到着。

ラオスと違って、ちゃんと市街地にバスが停まるから便利だ。
さて、今日の宿泊予定地はチェンライではない。
チェンライから北西に約60kmのところにあるメーサロン(Mae Salong)という山間の集落まで遠征する。
標高1,600mに位置する当地は景勝地であるだけでなく、数奇な運命を辿った人々が住み、それゆえに独特な景観が形作られている場所として知られている。

昼食を食べてすぐにスクーターをレンタルして、メーサロンへ出発。

日本の地方都市感

ちょうど中間地点で寄り道する。

パートゥン温泉(Pa Tueng Hotspring)。
タイ北部には源泉が湧き出る場所がいくつかあり、ちゃんと温泉地として整備されている。
ラオスで悔しい思いをした温泉にようやく入ることができる。

間欠泉
日本庭園風

日本のような大浴場はなく個室になっており、入浴料は1時間で100バーツ(約400円)。

個室

湯色は無色透明だが、ちゃんと硫黄臭がして触れるとぬるぬるする。
温度はちゃんと日本人も満足できる熱さ。
浸かったり涼んだり、桶で掛け湯したりを繰り返して久しぶりの温泉を満喫する。

足湯
温泉卵コーナー

施設内には足湯や温泉卵を作るコーナーもあった。
1時間ほどまったりして、メーサロンへ向けて再出発。

カーブの多い山道を40分ほど走ってメーサロンに到着。

さて、ここでメーサロンの町の成り立ちについてざっくりと説明を挟む。

日本軍撤退後に中国国内で発生した国共内戦(共産党vs国民党)において、劣勢に立たされた中華民国は中央政府を台湾に移した。しかし、最後まで交戦を続けていた雲南省周辺の師団は台湾に逃げ遅れてしまったため、ミャンマーのジャングルを経由してタイ北部の山中に身を隠した。彼らはアヘンの密造を行なって軍資金を稼ぎ、反逆のチャンスを伺っていた。1961年、タイ政府は彼らに反共政策の一環として国境警備を命じるとともに、その条件としてタイ国籍を与えることを約束した。

そのような経緯で、メーサロンには中華系の人々が暮らしている。
中華系といっても、中国国民党の系譜を継ぐ者たちなので、中国本土ではなく台湾と関係が深い。

メーサロンの高台に、当時の師団を率いていた段将軍の墓がある。

師団のリーダーだった段将軍は高い人徳で部下たちから慕われていたようだ。

墓地からはメーサロンの集落が見渡せる。

ちょっとだけ町歩き。
高低差が激しいので、精力的に歩き回ることはできない。

お茶が名産品

夕食は中華料理屋へ。
ラーメンと餃子を注文する。

ラーメンは香草がのっており、ややタイ料理の風味も感じられた。
焼きたての餃子は王道の美味しさだった。

集落に霧が落ちてくる

満足してゲストハウスに帰る途中に包子を発見し、肉まんとあんまんを買ってしまう。
やっぱり中華料理は美味しい。

というわけで、タイ北部の山間にある不思議な集落で本場の中華料理を食べて本日は終了。

今日の出費

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