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インターネットによって試される良心

インターネット黎明期、はじめて2ちゃんねるを閲覧したときの嫌悪感が忘れられない。

人とはこんなにも醜悪な生き物か。そんな醜悪な自分をたとえ匿名でもさらけ出すことに抵抗感が無いものなのか。

恥知らずだ。

そう思う。自分が誰なのか特定されるかどうかにかかわらず、自分で自分の行為が恥ずかしくならないことが信じがたい。

僕は常にこう考えている。インターネットは絶え間なく己の良心を試してくる場所であると。

良心とは人の目を気にすることではない。自分で自分を監視する機能だ。人がどう思うかどうかは関係ない。だから本来、匿名であるということは良心を脱ぎ捨てるための手段にはなり得ない。

なぜなら僕がどんな名前を名乗っていようと、僕を監視するもうひとりの僕の目から逃れることはできないのだから。

相互フォローしている方が、note に居場所を失ってしまった。良心を脱ぎ捨てた卑劣な人間の所業によって。とても残念に思う。

そして卑劣な人間たる「あなた」に言いたい。

何があったのか詳しい事情は知らないし、あなたが誰なのかを特定することもできない。けれどこの世界にはあなたのように恥知らずな人間が確かに存在するということを証明したその所業を忘れない。誰も言い切れなくなってしまうんだ。「人間はそこまで卑劣な生き物ではない」ということを。あなたのような人間の行いのせいで。

みんなやってることだというのなら、それが自分の行為を許容する理由になるのなら、所詮はあなたもその「みんな」と同じレベルの人間だということだ。

そして僕は、そんな「あなたたち」と同じでありたいとは思わない。

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おつかれさまでした。またいつか、何らかのかたちで繋がることを願っています。僕もまた折を見て、あの映画をもう一度観てみようと思います。

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