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人の心に咲く花

人を愛するという行為は、花に水をやる行為と似ている。どんな色・形の花が咲くのかは咲いてみるまでは分からない。ただ健やかに成長して花咲かせることそれ自体が目的なのであり、それこそが水をやる人間の喜びに他ならない。

咲いた花の色や形は問題じゃない。花に水をやる人間の喜びは、花が咲いたその瞬間にだけ凝縮されるわけでもない。日々の水やりそのものが喜びなのだ。

そしてこの喩えの場合、一人の人間を一輪の花として考えるよりも、人の心に咲く複数の花だと考えた方が僕の感じ方としてはしっくりくる。どれだけ沢山の花が咲くか、またはしおれてしまうか、それは注がれる愛の量に依存しているのかもしれない。

人は他人の心に咲く花を枯らすことも、踏みにじることも、摘んでしまうこともできる。僕は相手が誰であれ、その人が自分にとってかけがえの無い存在であるならば、その人の心に咲く花に水をやるような人間でありたいと願う。

どんな色の、どんな形の花が咲いても構わない。ただまっすぐにその花を咲かせてほしい。そういう気持ちが「愛情」という名に値するのではないだろうか。

- 2017年8月22日の記録

こういう服を着るなとか、あんなところには一緒に行きたくないとか、お前の聴いてる音楽は最悪だとか、あんな映画のどこがいいのか分からないとか、若い頃の僕は愛情が足りない人間だったな、とつくづく思う。モラハラとかパワハラとか、要するに愛情が足りない人間の顕著な行為なのだろう。「お前のためだ」なんて言われて、最初は「それも愛情の一つの形なのかな」と相手は思ってくれたかもしれないけど、結局長続きしなかったのは、それが愛情でもなんでもなかったからなのだろう。

<本日のBGM>
松坂慶子 / 愛の水中花

サムネやばい。選曲間違えてる気がしないでもない。

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