見出し画像

山崎と竹鶴

なるべくならお酒の席では仕事の話はしたくない、僕はそういうタイプの人間だ。休日も極力仕事のことは考えたくない。忘れていたい。けれどそういうことを気にしない人もいることを僕は知っている。酒の席で仕事の話に口角泡を飛ばし、休日もネットで業界の最新ニュースを追い Facebook でシェアする。好きでそういうことをしている人もいる。

そういう人たちと僕のような人間、どちらが一体正しい在り方だろうか。

正しい、と断じるためには基準が必要だ。では何を基準にするべきだろうか。僕は「個人の生き方」を基準にしたいと思っている。つまり自分が本当にそうしたいと思っているのであれば、誰だって正しいということだ。正しい在り方は一つだけとは限らない。

マッサンを見ている方はご存知だろうけれど、山崎蒸留所も元は竹鶴政孝が中心人物となって設立に参画し、そこで「白札」というウイスキーを自ら手掛けて生み出してもいる。けれどピートの香りの強い「白札」は当時の日本人には受け入れられない未知の味だった。竹鶴は最終的に鳥井の元から離れて独立し、自らの理想を実現するべく北海道の余市に蒸留所を設立する。

日本人に合うウイスキーを模索する鳥井と本場と同様にピートを使用することにこだわった竹鶴、標榜するウイスキーの形が異なるがゆえに、最終的にこの二人は別々の道を歩むことになってしまったけれど、そのような過程があったからこそ、今僕らは多種多様でかつ高品質なジャパニーズウイスキーを楽しめるのかもしれない。

売れないウイスキーを作ってしまった竹鶴は、鳥井の目にはビジネスという面では融通の利かない無能な男に見えたかもしれない。竹鶴自身も苦悩したことだろう。それでも竹鶴は頑なに自らの信念にこだわり続け、今なお広く愛されるモルトウイスキーを生み出した。

鳥井と竹鶴、どちらの道が正しかったのか。どちらも正しかったのだと僕は思う。僕らが生きているこのややこしい世界では、残念ながら正しい者同士が常に必ず調和し合うとは限らない。僕は山崎も竹鶴もどちらも美味しいウイスキーだと思っている。袂を分かった二人がそれぞれ生み出したウイスキーの素晴らしさが、各々の歩んだ道の正しさを証明している。

でももし、鳥井と竹鶴が同じ志を共有し続けたなら。一体どんな素敵なウイスキーが生みだされたことだろうか。そんなことにも思いを馳せずにはいられない。

2015年2月23日の記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?