見出し画像

二子玉川 - ロケハン

(※写真14枚)

またポートレート撮影することになった。場所は二子玉川。なんとなくライズ周辺の景観は把握してるけど、そんなに頻繁に足を運ぶ場所でもないので、ロケハンも兼ねてスナップ写真を適当に撮ってきた。

ちなみに以前撮影したスナップ写真はこちら。

イマイチ写真映えしないのは天候のせいだろうか。どんよりしていて光が弱い。たとえばヘッダーの画像も晴天なら人物や建物の影が出るはずだ。その影の長さと光の強さがが見る者に時間帯を感じさせてくれる。曇天だとそれがない。朝にも見えるし昼過ぎにも見える。それは写真の良し悪しには関係ないことかもしれないけど、僕個人の好き嫌いには関係がある。光と影は写真においてとても重要な要素だ。

例えば映画の中のふとしたシーンでも、見たことのない外国の景色で、そこがどこなのか皆目見当もつかないけど、その場所にも等しく時間が流れていて、そこに息づく人たちがいるんだ、ということを感じさせるショットに目を奪われる。キアロスタミとかタルコフスキーとかカウリスマキとかキェシロフスキとかの作品にそういうことをよく感じる。

ギリシャの映画監督、故テオ・アンゲロプロスは曇天の時しか撮影しなかったという。なぜ曇天を好んで撮影したのか、その理由を僕は知らない。なぜなんだろう。アンゲロプロスの作品は好きだし、多くのシーンは曇天だからこそ魅力的に見えたような気がする。どうすれば曇天時の写真を魅力的に見せることができるのだろうか。

カメラを始めてからぼんやり思うのは「この世界には無限のアングルがある」ということ。例えば同じ経度緯度でも高さが違えば、角度が変われば、アングルも変わる。焦点距離が変われば画角も変わる。そんな中で「正解の一枚」を撮影するのは難しい、というか不可能だと思う。正解なんて無いんじゃないか、と思うこともある。

けれど、たとえば庵野秀明は「シンゴジラ」の撮影時、かなり細かく、異常なまでの繊細さでカメラマンに画角の指示を出していたという。そのエピソードを知ったときは驚いた。庵野秀明には、彼独自の「正解」があったということだ。確かに「エヴァンゲリオン」も、被写界深度を明確に意識して作られたアニメだな、ということを感じたことがある。

この日、僕は三台のカメラを携行した。55mm、135mm、28-70mm。撮っていて一番楽しいなと思ったのは 135mm だった。55mmは長いこと気に入って使い込んだレンズで、今でも別に好きは好きなんだけど、スナップを撮るのには中途半端なのかな、という気がしている。

来週のポートレート撮影が楽しみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?