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嫌われない勇気 2章 「成長するな」

~前章『人の目を気にしろ』はこちら~

「人の目を気にしろ」。まんまと論破された青年は腹の虫が収まらない。さきほど口にした生ぬるいコーヒーもクソまずく、怒りに拍車がかかる。青年は唇を尖らしながら、さらなる議論を吹っかけるのであった。

「成長するな」

青年 先生の主張のひとつに「成長するな」というものがありますね。

哲人 ええ。私も昔から成長してません。今でもおニャン子の解散を口惜しく思っています。

青年 ……早く忘れた方がいいですよ、それは。ところで私の意見としては「成長こそ人生の醍醐味だ」というものです。

哲人 ほう。それはなぜですか?

青年 昔の武士もそうであったように、書を読み、己を鍛え、社会を変革していく。これこそが人間の立派な生き方だと思うのです。

哲人 そう考えているのはあなただけでしょう。それがさも普遍的で当たり前かのように語るのはやめておいた方がいいですよ。適当に生きている人が生きづらくなる。

青年 適当に生きている人なんて、どうとでもなればいいんですよ! その辺でのたれ死んだってそれは本人の責任です。

哲人 なるほど。「適当に生きている人はその辺にのたれ死ねばいい」それが成長したあなたが主張する意見なのですね?

青年 そういうとかなり冷たい人間に思われるかもしれませんが、そうです。

哲人 「適当に生きている人は死ねばいい。手を差し伸べる必要はない」こう思うのが成長だと言うことなのですね?

青年 その通りです。自分の責任です。

哲人 なるほど。それなら私は一生成長しなくても良いです。

青年 はっ?

哲人 私はその辺にのたれ死のうとしている人には手を差し伸べてやりたいからです。

青年 そ、それはあくまで概念的な考え方であって、私だって手を差し伸べますよ。

哲人 概念であろうが、なんであろうが、適当に生きている人は助けなくてもいい、と思っているのは間違いないじゃないですか。

青年 それくらいの気概を持って、一生懸命生きて、成長してほしい、ということです。

哲人 そうですか。あなたにとって成長って、どのようなことを言うのですか?

青年 そりゃ、コミュニケーション能力だったり、プレゼン能力だったり、数字に強くなったり、部下を率いる統率力だったり、他には……

哲人 もういいです。しょうもない。

青年 な、な、なんですって!?

哲人 そんなことはどうでもいいと言うんです。

青年 どうでもいいことはありませんよ! 実際に私はこの辺のスキルを鍛えて、係長までのし上がったんですから!

哲人 そんなスキルを鍛えて本当に得をするのは誰なんでしょうね?

青年 もちろん、私と会社とお客様、そして社会です。成長した人間が増えると社会も良くなる。

哲人 そうですね。会社と社会は得をするでしょうね。お客さんは……どうでしょうね。あなたの口車に乗せられ、損をする人もいるかもしれません。ただ、あなたは得をしていない。

青年 そうでしょうか? コミュ力が上がって誰とでも話せるようになりましたよ。

哲人 生活は豊かになりましたか?

青年 もちろんです。給料も上がりました。自由な時間はほとんどないですが。

哲人 彼女はできましたか?

青年 う……で、できてません。

哲人 そりゃそうでしょう。四六時中働いていたら、彼女を作るヒマもないでしょうね。私のような素人童貞になっても仕方がないです。

青年 く、くそお。っていうか先生、素人童貞……

哲人 話を元に戻しますが、あなたが成長して本当に得をするのは資本家だけです。そのようなスキルのみを磨くのであれば、資本家に食い物にされる人生で終わるでしょうね。

青年 そ、そんなことはありえません!

哲人 いえ。そうなります。コミュ力、プレゼン能力をつけ、「成長した」人間が増えるとその会社の儲けが増える。ということは資本家の懐がさらに温かくなるということ。

青年 私の懐も温かくなりましたが。

哲人 少々の昇給と引き換えにさらなる仕事、責任、労働時間、が襲い掛かってきたでしょう? 趣味であるツチノコ探査もできていないのではありませんか?

青年 たしかにそうですね。土すら長い間踏んでいないような気がします。ツチノコはコンクリートの上には出現しないというのに……。やっぱり山での目撃談が多いので、土のあるところで……

哲人 興味がないので、もういいです。とにかくそのように成長することによって、まんまと資本家に良いように操られているのです。

青年 …………

哲人 コミュ力、プレゼン力、それは資本家が得するスキル。人間が一番必要なのは、そんなスキルではないのです。

青年 じゃあ何だって言うんです?

哲人 「思いやり」です。

青年 はっ! そんな生ぬるいことを! 先生、社会はね、厳しいんですよ!

哲人 いいえ。大切なことです。思いやりを見せるのは何より難しいから、そうやって社会のせいにして逃げているんでしょう。「社会は厳しい」とかなんとか言って。

青年 そ、そんなことはありません。

哲人 コミュ力などのいわゆる社会人スキルはどうだっていい。それこそ人間が得るべきスキルだと、それが常識になっていますが、それは資本家が仕組んだウソの常識です。資本主義の罠なのです。

青年 どういうことでしょう?

哲人 社会人は狡猾な資本家に騙され、会社が得するスキルばかりを身に着け、それが「人間としての成長」だと思わされています。それによって、本来、人間が身に着けるべき「思いやり」というのが疎かになっているのです。だからさっきのような「適当に生きている人はのたれ死ねばいい」なんて考えが出てくるのです。

青年 思いやり……

哲人 職場いじめも差別も、パワハラもセクハラも一向になくならないでしょう。それは「思いやり」を失った社会人が原因です。

青年 たしかになくならない……

哲人 あなたの部下が一人、鬱になりましたね。そのとき、何か手を打ってやりましたか?

青年 なにもしていません。鬱なんて甘えですから。自己責任です。

哲人 ほら。あなたには思いやりがない。

青年 はっ!

哲人 鬱は立派な病気です。自分だけではどうすることもできない。自己責任云々言う前にしっかり上司が対応してやらないといけないのです。そんな思いやりがない人間は成長しているとは言えませんね。

青年 なんと……

哲人 コミュ力、プレゼン力はあっても、思いやりがない人間はクソです。

青年 な、なんですと!?

哲人 もう一度言います。コミュ力などのスキルのみで、思いやりのないあなたのような人間はクソです。汚物です。素人童貞です。

青年 素人童貞は関係ないでしょう!

哲人 いえ、あなたはこのままだと一生素人童貞です。誰が思いやりのない人間を好きになるのでしょう? ま、あなたみたいなドスケベ素人童貞野郎は女性には上辺だけの思いやりを見せるのでしょうね。

青年 こ、こ、この野郎! 表へ出ろ!

哲人 ほっほっほ。ついに本性を表しましたね。いいでしょう。私の鍛え上げられた猫パンチを披露してあげましょう。

青年と哲人は寒空の下、殴り合った。素人童貞同志の殴り合い、それはもう、醜いものであった。青年は哲人が放つ怒涛の猫パンチを受けつつ、思った。畜生。このまま終わるものか。次はきっと論破してやる。青年は唐突な金的攻撃を受け、仰向けに倒れ、悶絶した。そのとき見上げた青空は、いつもより少しだけ綺麗に見えた。

#嫌われる勇気 #自己啓発 #本 #フィクション

働きたくないんです。