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生きづらさを生む「キャラ設定」

最近、寝つけない日が続いている。今は午前0時30分。
寝つけない時は頭の中にモヤモヤした考えが無限ループしているときだ。
でも決定的な理由がなんなのか自分でもよくわからない。

毎日目にする戦争の映像、地震や恐ろしい事件のニュース、そろそろ動かねばならないハローワークでの失業保険の手続き、、、
多分色々と複合的に原因があるのだろう。
一昨日見終わった韓国ドラマ「まぶしくて」も、ファンタジーラブコメだと思って見始めたのが、とてもとても考えさせられる辛い内容だったので、いまだその気持ちを引きずっている、というのも恐らく原因のひとつだ。

そして、今朝たまたまテレビをつけたらやっていた情報番組「ZIP」内のドラマで、『他人からの「キャラ設定」って生きづらくなりません?ずーっとそのキャラでいなきゃいけない感じが』と会話する青年同士のシーンを見た。

これが朝からずっと頭に残っている。自分がまさにそうだったから。

小・中学校は『運動以外はなんでもできる優等生』
大学は『自虐系ぶりっこ』
・・・的な感じ。
八方美人にも程があるくらい、人に嫌われないように求められた役割を全うしていたな、、と思う。

小中学校は脱優等生をしたくて ふざけようとも、「でも あの子は違うからね・・」となってしまう一方、何かで入賞すれば「コネなんじゃないの」と陰口をたたかれ、自分を見失って、自ずと嫌われないように生きていた。
「優等生でいなければいけない」し、「謙虚でなければいけない」と思っていい子ちゃんを演じていた。

高校の間だけは、今でも仲良くしてくれる友達と出会い、そのままの自分でいることができて、「ゆるくて自分を取り繕わない、だめなとこも見せられるところがいいよ」と今も言ってくれる。

ところが大学では先輩に、そういう面が逆に「ぶりっこ」と言われる。どうしたらよいかわからず、結果、『自虐系汚れぶりっこキャラ』的な振る舞いをすることになった。なんかもうめちゃめちゃだけど、ウケがいいし、これで嫌われずにうまくやれると思ったのだろう。
バイト先では人に恵まれていて、自分のままいられることができたので居心地がよく、壊れることなく過ごせたのだと思う。

その後社会人になると、それまでの経験から、人に『キャラ設定』をされる前に自ら『キャラ設定』をしてしまうようになる。
異動や転職でいくつか職場を経験したが、都度「この人たちはこういう人がいてほしいんだろうな」という自分を演じていた。
一度だけ、1年半ほどそのままの自分で働けたことがあった。2社で合計8年ほど働いて、たった1年半。

「そのままの自分」でいられないことは、とても疲れる。
最初は自分じゃない性格を演じていることに疲れて、次は本当の自分はどう思っているのか、自分の気持ちがわからくなって考えがまとまらず、日々疲れが蓄積する。
いつか書こうと思っているが、前職を休職することになった際もまさにそうだった。会社では「やる気のある私」家では「なんでも頑張る私」をやっていたところ、ある日突然ぷつっと電源が落ちたかのように、「あ、もうだめだ」と思い、その後自分の感情を見失ってしまっていた。

働くことを休んで1年。完全に退職してからは3か月。
今は楽しい時に楽しいと言って、嫌な時には嫌だと言える穏やかな日々が続いている。
「もう少ししたら仕事探すからね」と夫にも言っているし、いつかは仕事を探さなくてはいけないのだけど、もっと自分を見つけてから社会復帰したいな・・と心の奥底では思っている。

そういう口先だけやる気ある感を出して、実は自分を甘々に甘やかしたいところも、本当の自分なんだろうな、と認めよう。。
けれど、これもまだ「働かなきゃと思っている自分」を無意識に演じてしまっているのか??・・と自分でもよくわからなくなる。

「自分はこういう人だ!」という設定をするのではなく、「こういうところもあるし、こういうところもあるよな」と自分を少しずつ理解していきたい。

新しい自分をみつけては、またnoteに書きたいと思う。


読んでいただきありがとうございます。
みなさんも、本日もお疲れ様です。






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