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資格をとる。それが鎧になる。
最近、資格の勉強を始めました。
簿記3級と、ITパスポート。
数多ある資格の中では、そんなに難しい資格ではありません。たぶん「履歴書には書けるけど、書いたからってそこまでプラスにならない」程度のレベルだと思います。
それでも資格を取ろうと決心したのは、自分の「防御」のためです。
白状すると、私は資格が嫌いでした。
「就職に有利だから」
「給料が上がるから」
そういう俗世的なことにアレルギー反応を起こすのが、これまでの私でした。(お恥ずかしい。)
資格を取るための勉強も、肝心の勉強内容も、勉強する姿勢も、どれをとっても良いことのはずなのに、私はそういう「役に立たせるための」「実学的」な行動に、異様な反発、もっと言えば軽蔑感を持っていました。
大学は哲学を専攻しました。
当時から実学的なものでなく、本質的なものに目を向けたい思いがありました。
その選択自体を悔いたことはありませんが、
「哲学って何の役にたつの?」
と周りに聞かれるたび、「本質的なことも考えないなんて」という軽蔑感の裏で、「本当にこれでいいのか」という妙な焦りも感じていました。
(長らくその焦りには蓋をしていたわけですが)
その代償は、わりとすぐ私の身に降りかかってきました。
晴れて社会人になり、自分が仕事ができないことに気づいたんです。
周りは経済学部や法学部、情報学部などの実学を学んできた人たち。
社会で役に立つ知識を備えた彼らとの差は、徐々に広がっていきました。
「マーケティングって?」
「売掛金って?」
「HTMLって?」
こんな基本的な言葉さえも知らなかったのです。社会にでて痛い目を見るのは、当たり前といえば当たり前でしょう。
「哲学ってなんの役に立つの?」
この疑問の真意が本当にわかるようになった頃には、私はすっかり自分に自信を失ってしまいました。
埋まらない周りとの差に引け目を感じて、次第に職場で孤立するようになり、最後にはノイローゼで職場を退職するにいたりました。
ようやく体調が回復し、幸いなことに新しい働き口も見つかりました。
そしていま、残りわずかになった休職期間を資格の勉強に当てようと考えています。
私は、たぶん生まれてはじめて、社会で生き抜くための術を本気で身につけようとしています。
それは受験のための過去問対策のようなもの。試合のための筋トレのようなもの。モテるための心理戦略を学ぶようなもの。
「みんな、社会で負けないために必死なんだ」ということが、仕事で完敗を期した今の私ならわかります。
やはり、世の中甘くない。
どこまで通用するかはわかりませんが、まずは資格を得て(社会で役立つスキルを身につけて)、自分のレベル上げをしようと思います。
と言っても、社会で勝ちに行くためではありません。
今回資格を取る私の目的は、あくまでも「負けないため」「自分を守るため」。
勝ちに行くのは、もう少し後から取り掛かることにします。
戦闘のための鎧を纏うように、自分が社会にでて潰れないための、身を守るスキルが、今の私には必要だと思うんです。
いつか、先を歩く先輩社会人の方たちと同じ土俵まで上がれたら。
そのときは、哲学が仕事でも活かせると、私のこれまでも無駄じゃないと、証明したいです。
最後に、私が大好きな、相田みつをさんの言葉を。
むりをしないで なまけない
わたしは 弱い人間だから
I won’t try too hard.
but then again, I won’t be too lazy.
I’m such a weak person, you see.
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