積み重ねてきたものは簡単に消える
案外、積み重ねてきたものは簡単に消えるものです。
数々のトライアンドエラーは甲斐なく、一瞬でゼロに戻るものです。
と、前回の寄稿文に書かせていただきました。
しかし、便利な工業製品があふれている今の時代、伝統工芸をそんなふうにとらえている人はいないかもしれません。どちらかというと、現代の生活とはかけ離れた嗜好品だと感じる人が多いかもしれません。
確かに…
時と場合、によってはそうだと認めざるを得ません。
実際、災害時などに人々の命を救うのは使い捨ての衛生的なものです。
インスタント食品です。
ハイテクです。
ですが
混乱が落ち着いたあと、人々がくらしを一からやり直そうとするとき、どこからなり直せば良いのか。何を軸にしていけば良いのか。
縄文時代以前に逆戻りしたくはないですね。
私たちが迷ってしまったときに戻れる場所…
人が自らの手と身近なものでやり直せる技術や知恵が蓄積されてきたもの…
それが伝統工芸や文化が内包しつつ、時代を超えて守ってきたものだと私は思っています。
だから私は、その担い手のひとりとして、私がこの仕事を通して得たものをしっかり次に伝えていきたいと思っています。
そうしたいと、願っています…
大丈夫、大丈夫。
伝統とか文化とか、長い歴史があるものがそう簡単に消えたりはしないでしょう。
そう思われるかもしれません。
いえ、消えます。
消えるんです。
とっても簡単に。
いくら文章で書き留めておいても、それは全体の一割を表せるかどうかくらいです。
動画に撮ってそこから読み取ることも難しいと思います。
手仕事の技術、知恵は、人の手を通してしか伝えられないからです。
私も刷毛づくりの方法を何かに書き留めてはいません。季節などいろいろな条件によって作り方は変動しますし、その感覚的なことを数値で表すことも難しいです。体で覚え、体で伝えていくしか方法はありません。
だから、担い手がボケたり死んだり後継ぎがいなければ、知恵や技術はいとも簡単に消えるのです。
ぱちん、と。
親方は使っていたけれど、私はもう入手できなくなってしまった道具や素材はいくつもあります。
昔は漆刷毛職人はもっとたくさんいて、技術もそれだけたくさんあったけれど、担い手が亡くなると同時に失われてしまった技術もたくさんあります。
無くなるまで、気づけなかった。
無くなってはじめて気づいた。
無くなったことさえ気づかないものもきっとある。
もうそれを作れる人は存在しないし、記述すらも残っていない。
無。
何か行動を起こせなかったことが、私は非常に悔しい。
漆の業界には、その技術者を持つ人がひとりふたりしかいないなんてざらです。
漆以外の手仕事にも視野を広げたら、どれほのの技術と知恵が消えかけているのでしょうか。
ぱちん
ぱちん
ぱちん
どうしたら良いのでしょうね…
私も分かりません。
そもそも、こんなことは担い手の勝手なエゴなのかもしれません。
自然淘汰されたらされたで、それも運命なのかもしれません。
ぱちん
ぱちん
ぱちん
でも私は漆刷毛が好きだし、漆の世界が好きだ。
だから私は私のエゴを貫く。
私が愛してやまない漆刷毛や漆の世界を、これからも勝手に思うがままに叫んでいきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?