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稼ぎと仕事

―中尾
紅葉シーズンで、山がずいぶんきれいになってきましたね。
山と言えば、澁澤さんがお得意なのは山の暮らしですよね。

―澁澤
山の暮らしと言えば皆さん「林業」だと思われるかもしれませんが、日本で全国的に林業をこんなにやるようになったのは、実は第二次世界大戦の後、この60~70年くらいなんですよね。
じゃあそれまで、人間が山との付き合いがなかったかというと、そうではなくて、山で採れる落ち葉だとか青草を肥料にしないと、田んぼや畑をつくることができませんから、山というのは肥料を得るためにとても重要だった。もっと重要だったのは、エネルギーを得るためだったのですよ。

―中尾
薪ですね。昔ばなしに出てくるように、おじいさんが山へ柴刈に行っていたということですよね。

―澁澤
薪とか炭ですね。それから今ならば山で採れるキノコとか、木の実の類。木の実はでんぷんですから貴重な食糧源でもありました。材木をとるというよりもエネルギーや食料を得る場所が山だった。

―中尾
マタギのおじいちゃんたちの暮らしですね。
その人たちの時代は山とのお付き合いが日本全国、当たり前にあったんですよね。

―澁澤
ちょうど60年くらい前に、石油を僕たちが使うようになりました。

―中尾
石油はそんなときからしかつかっていないということですよね。

―澁澤
そんなときからです。
一般の庶民がまさに自家用車を持つようになってからですね。
じゃんじゃん石油を使えるようになったのは、まだそんなものです。

―中尾
改めて考えると、それは驚きですよね。
5~60年というと、私たちもう生きていますから、ちょっと前のお話ですよね。若い人たちから見ると、昔々のお話に聞こえるかもしれませんけど、私たちから見るとほんのちょっと前のことですよね。

―澁澤
石油を海外のものというならば、森は国内のものでした。
つまり国内のものでエネルギーを賄っていた社会が、急に海外のもので賄うようになってから、まだ60年しかたっていないということです。

―中尾
そうですよね。それまでは十分賄ってこられた社会があったということですよね。

―澁澤
その知恵が、日本人の森の文化だといわれたゆえんですよね。

―中尾
今、栄一さんの「青天を衝け」という番組がありますが、あの時代に電車などの鉄道がやってきたりして、そういう新しい技術がどんどん導入されて新しい時代がやってきました。そうやって、自然と共に生きた暮らしから、電気が当たり前になって、化石エネルギーを使う暮らしへと大きく変化したのはこの100年ですよね。そんな中で、人と人の関係も大きく変わりました。都会に人が集まるようになって、田舎の過疎化が進んで、人と人の関係がどんどん希薄になっていきましたよね。
ところが、最近、面白いニュースを見たんです。
最近つくられたある地域の集合住宅では、若い人が朝出かける前に、隣近所に「ばあちゃん元気?僕は大学に行ってくるよ」って声をかける。帰ってきたら、また「ただいま」って、様子を見に行く。そうした近所づきあいをすることで家賃が安くなるというのです。そういった人間関係づくりみたいなものが、家賃に反映されて地域づくりの一環となっていくというのを見ていて、時代が戻ってきたのかなと思いました。

―澁澤
私や中尾さんの世代の時の大学生の就職の一番考えたことは、給料が高いか安いかでしたけど、今の大学生たちと話していると、自分が社会的な課題に対して、役に立てるかどうかというのが、圧倒的に1位なのですよ。給料はそんなにいらないのです。

―中尾
あら、キツネラジオみたいじゃないですか(笑)

―澁澤
時代は変わってきています。若い世代のことを「あいつらはダメだ」と言っている上の世代の人は、私の周りでもとても多いのですけど、もう価値観は変わってきて、もっと若い人たちを信用してよいと思いますね。

―中尾
そうですね。私もそのニュースを見てちょっとほっとしました。
昔うちの実家の近所には自治会というのがあって、お葬式とかあるとその自治会が仕切っていたのです。そういうのは町の仕事でしたね。ごみ拾いをする子供会や婦人会とかもありました。

―澁澤
私が30代くらいの頃にいろんなことを教えてもらった秋田の山の中の集落では、「仕事」と「稼ぎ」は違う言葉でした。
今の私たちの都会は「仕事」=「稼ぎ」になっています。月収いくらもらえるかで仕事を考えますが、「仕事はお金じゃない」と、その集落の人は考えます。冠婚葬祭をみんなでやるとか、みんなでお互いの見守りをして、孤独死なんて言葉は当然ありませんでした。
お互いがお互いを支えるし、単なる福祉ではなくて、農作業というか日々の日常の暮らしも機械を使わないで自然の中で生きていくには、人間が支え合わないと生きていけなかったですね。

―中尾伊早子
町のごみ拾いとかどぶさらいなんかもみんなでやっていましたよね。

―澁澤
そうですね。とても重要な仕事でしたし、世代と世代の価値観がそろっていないと、つないでいけないので、どうやって世代間の価値観を合わせるかと言ったときに、その集落では一番大切な仕事は、祭りだといっていました。

―中尾
とてもよくわかります!まさにその中で生きていましたので。

―澁澤
少し前までは、社会教育というものがとても重要視されていました。
今は教育というと、全部学校でやるものになっていますけど、その当時というか、日本という国は限られた自然の中で生きなければいけなかったので、どうやって次の世代を育てていくかということは、学校よりも地域にとってはものすごく重要な問題でした。

―中尾伊早子
そうですよね。近所で祭りを仕切っているお兄ちゃんたち、かっこよかったですものね。

―澁澤
今だったら工場を作ろうとか、観光地にしてYouTubeで流して、外からお客を呼ぼうって、外ばっかり見ていますけど、昔は地域の中のこの人間たちで、どうやって来年も再来年も、10年後も100年後も生きていくかということだけを日本人は考えていたわけですから、これは重要な仕事です。
それを今の言葉でいうと、「ボランティア」っていっちゃうんです。

―中尾伊早子
うわあ、それは違います!

―澁澤
全然違いますよね。ボランティアというのはどちらかというと余暇というか自分の余裕のある時に社会貢献をするという感じなんですけど、それは一丁目一番地、その地域にとってはど真ん中のことが「仕事」だったのです。
むしろ、稼ぎという、自分の家族を食べさせたり、自分が食べたりというのは逆に余暇的なものとして見られていました。
明治になってからサラリーマンという人種が出てきました。
例えば学校の先生とか、お役人さん、兵隊さんもそうですね。集落の中が働く場ではなくて、外に行ってお金を得るという人種が出てきました。その人たちは仕事をしない人たちなのです。
それは大問題なんですよ。
これはこの次の世代のためにとっておかなければいけない。
その先の世代のために木を育てなければいけないよ、森を育てて豊かにしなければいけないよという、それをみんな仕事と言っていたのです。
仕事は、お金を介さないものがはるかに多いのです。

―中尾伊早子
それは節度がなくなったということですか?

―澁澤
私たちが暮らしの中に便利さを求めたばっかりに見えないものがたくさん出てきました。
子供たちは、お魚は切り身なんだと思っていますから。

―中尾
私は新潟のおじさんのところによく行かせていただきましたけど、そこにちんじゅの森のスタッフの子供たちを連れて行ったとき、タラを一匹丸ごと用意してくれて、私も初めて見ましたけど、その口をガーっと開けて、お腹がでっぷり太っていて、それを見せながら「だからたらふく食べた」というんだよって教えてくださったの。すると「すげーっ」ってみんな叫びましたからね。あの時の感動とか、それを切って食べるとか、その楽しみとか喜びとかおいしさとか、絶対忘れないじゃないですか。

―澁澤
それが教育の本質だったんですよ。

―中尾伊早子
今や骨もないと思っていますからね(笑)
それがね、ごみを出さないための処理だというんですよ。

―澁澤
SDGsですね?

―中尾
そうなんです。ものすごく考えますよね。

―澁澤
それは売らんとするための詭弁ですから、ある意味で物質欲をどんどんどんどん搔き立てるための詭弁ですよね。「これなら罪悪意識ないや、これを買っておこう」と。結局消費につながりますよね。
今の学生さんたちを見ていると、小学生のころから環境問題を学んでいますから、これ以上物質的な豊かさを求めないという子がとても多いのですよ。
それはたぶん、40代50代の人はそんなことはないというかもしれません。iPhone13が発売になったら行列をつくるじゃないかと思われるかもしれませんが、大学生の多くは、モノにつられる上の世代のことを、とても冷ややかに見ています。ですから、物質的な消費欲みたいなものを抑えられるかというと、一つの山を越えてしまっているのかもしれませんね。

―中尾伊早子
もう満足だということがわかってきた澁澤さんの学生さんたちが、もういいよねと言いだしているということですよね。それって、すごく希望を感じますね。

―澁澤
人間の脳みそがこれだけ発達をして、万物の長だとなんとなく自負している。その人間がしょせん自分たちの欲望に飲み込まれて滅亡してしまうというような愚かなことだけはしたくないなと思っていますので、今の子供たちの価値観の変換というのはとても希望です。

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