「生きる」と「苦しい」

昨日、初めてこのnoteに投稿してみて、自分でも驚くほど気持ちが安定した。
きっと明日も苦しむ、そう思っていたのに目覚めはよかった。ここ最近では一番気持ちがよく、カーテンの隙間から見え隠れする朝日がものすごく美しかった。

どうして調子が良かったんだろう。そう考えて、ああ私は誰かに、自分の苦しみを打ち明けたいんだなと知った。誰も読むことがないかもしれないけど、それでも私の打ちつける想いはこのインターネットの海に身を投じている。誰も気づかないままかもしれないけど、誰かは目にすることがあるかもしれない。そんな曖昧な可能性でも私には十分だった。

普段の私は、とても明るくて、少し落ち着いていて、深く悩むことは少なく、わりとポジティブで、適度にわがままを言う。そんな感じの結構ちゃらんぽらんな適当人間だ。もちろん仕事はしっかりやっているし、まじめで細かい一面もある。そういう一面が仕事に活かされて、評価だってちゃんとされている。

でもそんなだからこそ自分の苦しみを表に出すのは難しかった。というより、「わかる」がほしくて必死になって作り上げたいわば表の自分に裏側の苦しみをのせるなんてできない。私の苦しみなんてみんな何にも知らないだろう。

私は臆病だ。どうしたらいいか、どんな相槌が正解か、そんなことばかりを考えながら生きてきた。後ろの端のほうで愛想笑いをすることを選んだ。でも今日思ったんだ。周りの枠組みに自分を当てはめて、その中でうまく幸せになろうとするのは違うんだな、って。きっと順序はまるっきり逆で、私の枠を前提にするのが正解だ。この広い世界だ、私は自分の幸せの枠を自覚し、そこに入る一部を大事にする。きっとそれでいいんだと思う。

あーー-生きたい。生きたいね。

大丈夫かな、私の人生。
でももともと文章はしっかり書いてみたかったし、悪くないよな。

時間は短い。
生きにくいと思うことや、死が身近だと思うことはそんなに考え込みすぎず、でも丁寧に時間をかけて話したっていい。なんでもいいけど、私は幸せになるべきだ。そのためには、やっぱり自分の声を一生懸命聞きながら、楽しい瞬間を少しでも増やしていくしかない。そして私はそれができる。

眠くて、何を書いているのかよくわからなくなってきてしまった。
今日はこの辺で。明日は何を書こうかな。酔ってて書けないかもしれないな。(笑)

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