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7月シマイは賑やかで

猛暑日続きでシャワー浴びるだけという日が続いてたのだけど、久しぶりに湯船に浸かると、やっぱり身体のリラックス感は大きいなぁ。
シャワーだと外側が流されてスッキリ感するのだけど、湯船浸かると内側から要らんもん出される感じ。お風呂あがった後の身体の軽さも違うしなあ。この暑さになるまでずーっと湯船入ってたから、シャワーとの違い忘れかけてたな。シャワーも良さはあるから、その時々で使い分けよう。
それにしても、やっぱりお水さんはすごいなあ。



砂にすっぽり埋まる砂浴というのも興味あってやってみたくて。
結構前に東城百合子さん著「自然療法」で知って、やってみたーい!となったけれど現況的に直ぐには無理で、それで確か”埋まる”という共通点で酵素風呂に行ってみたんだっけ。
解毒作用が強いらしいのだけど、それを体感してみたい。酵素風呂も形的には似ているけれど、作用はちょっと違うんだろな。機会があったら是非tryしたいもののひとつ。



身体が詰まっているという感覚はあるから、この詰まりを解して流れをスムーズにするにはどうすればいいんだろ?とあれやこれや試して。循環をよくする、身体の自己治癒力を元に戻す、という事に多分興味があってここ数年やってみたりして、結局は身体だけでも駄目で精神面も同時なんだなーとなり(逆しかりで、精神面だけでも動かない時は動かない)、今またちょっと違う角度から現れてきてほーぉとなっている。



どれが正解でどれが良くてとか多分なくて、その時はそれが多分ベストで最善で。身体が伴うとちょっと躊躇もするけれど、それは「それやることでもっと良くなくなるかもしれない」という”思い”からで、そこ突き詰めると身体の死というものにたどり着く。
この身体というものの「死」に対する反応は凄いもんで、まあそれがなければケガとか事故とか無意識に身体を守る機能は無いのだろうから、ある意味有難く。



で、なーんでこの身体はそんなに死に対して反応するんだろーとなった時、結局は「”自分”というものがなくなる」事への反応だなあとなり、それは思考からくるもの。思考ならば、実態はない。
だけど、やっぱり身体は痛いんだよー、少しでも良くなりたいんだよーというのはあるし、思考だから実態はないって言われたってねぇとそりゃーなる。



ほんでもって、ここを幾ら掘り下げたって思考ループからは抜けられない。
だから、「今は身体というものを通してこういう経験をしている」以上。が一番ラクかもしれない。思考オバケから離れるための。

もう掘り下げたら幾らでも多角的に視ることは出来て、「身体の痛みはよくないことだと思っているから」とか「過去のトラウマうんちゃら」とか。でもそれら全てどこを切り取ってもストーリーのひとつではあるから、それが良い悪いではなくて、根本的な解決というものはならないんだなー。

身体が不調だったり痛みがあれば、どーしたってそっちにひっぱられるし、身体あるからこその経験でもあるし。でもやっぱりヤだなーとかここ数年やってきて、本当に今それでキツイ時には、「それだけじゃない」というのを知っている事は救いのひとつかなーと感じてる。



それだけじゃない

身体があって それが自分で
それが当たり前と感じているけど
それだけじゃない

それらを感じている感じることが出来ている
その背後というものがある
そのもう片面というものがある

現実
現(あらわれ)が実(みのる)には
現れられるためのモトがある

身体が痛いという現実がある
でも それだけじゃない
その現実は本当だろうか
疑問を持ったことはあるんだろうか

痛みは確かにある
でもそれが不幸と呼ばれるものに
イコールになるんだろうか

その いま頭の中にある
病気だから 身体だから 
だからこの先こうなる というそれは
それだけじゃない

それだけじゃない らしい という
僅かな可能性を残せれば
小さな深呼吸 ひとつ 出来るかもしれない

そうしたら
そこに少しの風が吹く

だから

それだけじゃない
今そう思っている
それだけじゃない

そこまで 自分 は

何もかも 知っている わけじゃーない



さて暑かった7月がシマワレ
暑い8月が訪れる

暑いのには変わりないのだけど
それでも何かが違うのは
自然界の不思議なところ
ちゃんと季節は動いている

それにしても
日本列島端から端まで真っ赤っかで
ここまで熱く上昇させ
いったい何を出そうとしているんだろう
何に気づけと
地球は言っているんだろう



それでも7月シマイの空は快晴で
雲が踊り 風が舞い
太陽は 輝いていた


7月 お疲れさまでした!

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。