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今の自分が分からなくても大丈夫だという立ち位置まで飛んでみれば

今は かつての様々な事の掘り返しや呼び起こしが 記憶という媒体の中で起きていて その時「いったいこれが何の繋がりが?」と思うような事でも しばらくするとその時見えなかった線が見えるようになって来て それからまたしばらくして突然前触れもなく「あ そうだったのか」とストンと落ちるような事が起きる

とてもとても小さな些細な事で その時の自分には取るに足らないものだったとしても 実はそれが色んな所へ繋ぐハブ的な役割をしていた事だったりして その小さな事がクリアになっただけで あれもこれもと繋がりつつも途切れていたそれらが 一斉にクリアになってみたり

そんなものを眺めていると
自分にとって大切だと思い込んでいたものらも   

些細な事で大したことではないと思い込んでいたものらも
どちらも本当に全く信用ならないものなんだなと 今までの自分の必死さに笑ってしまう



いったいそれを そうだ と思い込んだモトは何だったんだろう

それすらもう思い浮かばなくて ただ ぎゅうーっと握りしめていたものだけがいつのまにか浮き上がって来て 
こんなもの掴んでいたのか と驚いてみたりしてる

そういう 今までの慣習や環境やらで自動浸透していた思い込みらは 知らないうちに持ちもの倉庫へ入れられていたから 覚えていないし知らなかったりするのだけれど この知らない見覚えのないものらが 実は無意識に繰り返し勝手に上がって勝手に消えていたからもう習慣化してしまって 当たり前すぎて気付かなくなっている思い だったりするみたい


今はそういった知らぬ存ぜぬの思いらも どんどん掘り起こされていて 突然ポーンと飛び出して来るもんだから 「あなた何?」と驚いたりするけれど それでも黙って観ていると そのうちしゅるると消えて行って と同時に「ああ そうだったのか」が訪れる

掘り起こされたり揺さぶり戻されたりすると 確かにその時は心地いいものではないのだけれど でも それをクリアにすると その後はもうそれに出逢う事はないし 消えたスペース分の安堵が心地よく拡がるということを知っているから それによって騒ぎまくる事もなく 淡々とやれることをやる



今の自分だけの人生 というものの
お掃除をやっているわけではなくて
かつての繋がりで
様々な形で留まり絡まっていた
そういう 何代も何世紀も通してのものをも
今の時代 というものがお掃除しているから
そりゃー この時代に今生きている我々は
パワフルだよね

だから本当に
今までの自分が悪かったからとか
そんな風に自己卑下する必要は無くて
もし何か悪かったような何かがあったとしても
それは今お掃除するために
そう起きてきた事だから
なるべくしてなったというだけで
そういう事があった そういう事をして来た
という事を認めるのは必要だけれど
そこに自己卑下は全く必要はないこと



いまは本当に早くて
それは情報もどんどん更新されているから
何かの教えで それが良い とやって来た事も
今はもっと別の方法で
楽に出来ちゃったりするから

誰かの何かを追って信じ切るのもいいけれど
それだと多分もう追いつかない

その時の自分の感覚 というものを
どれだけ澄ませて精度を上げて
自分で信じられるようになるか が
これからのkeyでもあって

ここで言う 自分の感覚 は
今までの自己都合の感覚ではなくて
本来のじぶんと繋がってるうえでの
キャッチ出来たり感じられたりするものだから

自分の感覚 と言っても
エゴ自分ではなく
自分と言う名の 自分じゃないじぶん
もっと賢いじぶん みたいなもの



エゴは強烈に
外側の楽し気なものへ向かわせようとして
あらゆる手を尽くして仕掛けて来てるけど

もうそれすらも
ワルアガキのように観えてきて
頑張ってるなあーと のほほんと眺めてみれば

それ以上パワーは得られないから
自然に消えて行っちゃう



ありがたいことに
時代というものが後押ししてくれてるから

自分がやらねば という
その後押しを邪魔する思いを
遠のければ遠のくほど
後押しパワーにスムーズに乗って
びゅうーんと流してくれる

自分がやらねば は
対比を知る上で必要で
今までじゅーぶん勉強して来たから
もうオシマイ

自分が(自分の思い通りに)やらなくても
何とかなるらしい ということを
今度は知って
そこに纏わる思い込みや思いクセを
取っ払うと

どうやらそうした方が
よりヨイらしい と気づいて
少しずつ納得して
だんだん 大丈夫 が増えてくる



なるべくして
なることしか起きていないし
これからも起きない

あらゆるすべての目的は
大きくみれば同じなのだから

ある意味
ヨキことしか起こりようがない

その時の自分には分からなくても

すべてはヨキこと で



それは いまでない
どこかのわたし が
知っているから だいじょーぶ




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