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あなたのものではないのだから

誰それに
こんなことを言われたのが
悔しくて忘れられない

家族の誰かにかつて言われた言葉が
いつまでも離れない

あの時のあの人が
この時のこんなことが

そう
記憶には積み重ねられていて

その
誰それや 何かが
自分を今までクルシメて来たと

この家庭環境でなかったら
この親じゃなかったら
この兄妹じゃなかったら

誰それの言葉に縛られて
自分はクルシンデいる

そんな思いで何十年も
生きてきている人の
なんて多いことか



残念ながら

その 誰それが
あなたを今まで
クルシメて来たのではなく

だって
いま は居ないでしょう?

当時のその人もあなたも
いま 居ないでしょう?


あなたを
今のいままでクルシメて来たのは

あなたの
その「思い」だけなんです

「こう言われた」という
その「思い」がクルシミの元であり
それを言った
誰それさんじゃないんです

一生懸命
その誰それさんのせいにしてたかもだけど

その誰それさんは
確かに その時の いま
そんな言葉を投げ掛けたのかもしれませんが

その一瞬はそれで 傷付いた という
思いが湧いたのかもしれませんが

あなたをクルシメて来たのは
その後ずっと握りしめて離せなかった
その「思い」であり
誰それさんじゃないんです

わかりますか?



誰も
あなたを傷付けることは
出来ないんです

あなたを傷付けられるのは
あなた だけなんです

そして本当は
それすら勘違いなんです


どうぞ
その 誰それさん に対する
「やられた」という 思いを
サヨナラしてあげてください

そんなもん持って
いつまでもクルシマナイでください

そこに
あなたのエネルギーを
注がないでください



あなたはその時

傷付いたのでしょう

そしてそれを
その時出すことが
出来なかったのでしょう

「自分が傷付いた」と
認められなかったのかもしれません

でも

もう いいんです


どうぞ
それらすべてが「思い」であり
「記憶」であり
いま ではないことを
思い出してください

いま

あなたを傷付ける言葉も
誰かも ありません

誰も

あなたを傷付けることは
ありません

安心してください

そして

その握りしめていた「思い」が
もう要らないのならば

どうぞ
今まで守ってきてくれた事に感謝して
サヨナラしてください



「思い」に
「言葉」に
クルシメられる必要はありません

「思い」や「言葉」は
本来楽しいツールなのです

どうぞそれを
思い出してください


よく思考を空に浮かぶ雲に例えられますが
いま その握りしめてる「思い」を
ぽんっ! と空に投げたとして
それが雲となって 流れているとします

色んな形の雲が 次の瞬間もう形を変えながら
どんどんどんどん流れていきます

すごい早さで手前の雲は流れていき
止まっているかのように見える奧の雲は
それでもゆっくりゆっくり動いています

見え方は違うけれど
どの雲も瞬間かたちを変えながら流れています
もしくは
途中で消えています

見えているのは 認識してるのは
「雲があるなぁ」という事だけです

雲と化した「思い」は
どこへ行ったでしょう?
まだずっとそこにあるのでしょうか?

雲を見て「雲がある」と認識しなければ
雲があったかどうかなんて分からないように

「思い」や「思考」「感情」らも
それに気づいた時にしか現れてないです

あなたの中に
ずっとそれがあるわけではありません

湧いては消えるものです

だから

過去のあれこれの「思い」で
そんなにクルシマナクテいいんです

あなたのものではないんですから




ながいあいだ お疲れさまでした

でももう
楽になっていいですよ

クルシミやガンバリから
それを克服すれば という角度は

もう
シマワレテいます

だからこそ
あなたの中に違和感が
出てきてるんです

何かがチガウぞ? と



そして

あなた本来のヒカリの角度
安心や穏やかさや安らぎ

そういったものらが
うずき出しているはずです

出たいよ
出してー と



いま の 太陽が

昇ろうとしています


ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。