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崩れて失うのではなく 崩せて現れるもの

本当に色んな事がその人なりに起きていて
その出来事に大小は無く優劣もなく
ただ分かっているのは
それはその人完全オリジナルで
その人にしか体験できない出来事で

そして それを別の角度から観ると
それをその人が経験してくれている
とも観ることが出来て

その人がそれを経験してくれているから
自分は別の出来事を経験する事が出来て
その経験に どちらがいい というのはないのだけど
そしてそれは
他の誰かからしてみてもそうな訳で

自分が出来ていない経験は
誰かを通して感じることは出来て
まるっきり同じにとはならないけれど
そんな事もあるんだね
そんな感じ方もあるんだね と
その 自分では起こり得ない世界 を
誰かと通して触れることは出来るのね



例えば歌い手だったり画家だったり
それひとつの事が一気に沢山の人々に
伝わるっていうのは素晴らしいと思うけれど

でもそうでなくても
そんな大きな事でなくても

例えば
美味しくお茶を淹れる事が出来る とか
気持ちいい場所を発見するのが得意 とか
どこでも眠ることができる とか
そんな事だって素敵な経験だし

自分を進化成長させることが好き とか
自然との繋がりを深く感じられる とか
周りのヨキ事を見つけるのが得意 とか

そんな 自分としては当たり前で小さな事
と思っている事が それらも完全オリジナルで
無意識にそれらを楽しんでいる という事が
周りにとっては助けになっていたりもして

幼い頃からの馴染みで
「こういうのが出来る事が素晴らしい」
「こういう風に出来なきゃ大した事ない」
とか勝手に思い込んでいるという事は
ものすごく沢山あるから

誰かや何かを見たり触れたりして
ああ これも自分の勝手な思い込みだったんだ
って気付ける事が
今は本当に大切で必要なのかなと感じてます



もうそれは
何かの出来事が起きなくても
それこそ散歩の途中で目に入ったものとか
フと漂って来た香りや音とか
あらゆるものが 気付かせてくれる 対象で

日常と言うのは
自分にいつの間にか溜め込んでいたものに
あれこれ気が付いてリセットして

あ こんなものもあるんだ
あ こんな風にもなるんだ
あ こうあってもいいんだ

と 新しい瞬間の発見の連続
そんな為に日々という日常が
あるんじゃないのかしら と
最近は感じたりしています



何かを成し遂げて得られる
達成感のようなもので続く日常に満足したら
それには終わりがないし
求めていたものは
その達成感ではなかった と気付いたら

成し遂げようと頑張らなくても
得る事で存在価値を見せなくても
それでも大丈夫なんだ という
そんな扉が現れます

それは
頑張って成し得て作り上げた自分
という自分像からの反転なので
それが崩れる痛みや怖さのようなものは
一旦目の前をふさぐかのように感じますが

そもそも成し得て作り上げた自分像
というものが
思い の世界のものなので
実体ではない 自分で作り上げた思い込み と
見切る事が出来れば すぅーっと流れます



そして その作り上げた自分像に
どれだけの重しを付けていたのかと
驚くことになります

自分で自分に付けていた重しで
しかも実体のない 思い だけのもので
誰かのせいでも 何かのせいでもなく
自分一人の思い込みの世界だったと笑います

今それぞれに訪れているのは
今までの重しとなっていた思い込みを
一旦崩す作業であったりするので
表向きはキツく大変かのように見えます

今までの自分 が
とてもとても暴れたりもします

消えたくない と
あの手この手で仕掛けてきたりもします

でもそこも勘違いで
今までの自分 が消えることはないし
崩すことで失うものも 何もありません



起きているのは
何かを失うのではないか
という不安との対峙です

得ることで成し遂げて来た 今までの
対となるものが現れているだけです
そこが崩れて来ているので
そういった不安が出てくるのは当たり前です

今までの延長 で
何かが始まるのではなくて

まるっきり観る視点が違う
新たなハジマリなので

その不安やオソレは
今までの自分 との切り替えであり
そのマボロシの先には
気付き が待っています



その人に合ったタイミングで
その人に合った出来事が
ちゃんと訪れて
そしてなるべく自然な形で
気づきが訪れるよう促されています

それはその人だけのものであり
他の誰も経験することは出来ません

誰かのそれを助けてあげたい
助けられるんじゃないか
と思うかもしれませんが
それは驕りであって
自分にはそれをコントロール出来るという
思い込みのひとつでしかなく

誰かのそれを助けてあげられるのは
自分自身の経験があふれるのみです



自分が穏やかで真ん中であり
じぶんで在る 事で
その誰かのそれを 助けてあげられています

そうは見えなくても思えなくても
助けてあげられています

その じぶんの真ん中で在る ことで
してあげなきゃ では出てこない視点視座が
現れて来てくれます

だからやっぱり

自分のことに一生懸命であることで
いいと思うのです

自分をよく観て 自分を癒して
自分を心地よい状態にしてあげること が
すべてに拡がっていくと感じるのです

そしてその 心地よい というのは
どこかへ行かなくても
じぶんの真ん中に いつもあるんです


今までの自分の崩壊
つまりは
今までの思い込みの取り崩し です

崩れたことによる 痛み でさえ
思い込みだった と
気付ける瞬間です

だいじょうぶ

みんなそれぞれが
それぞれのカタチで
ちゃーんとなってます



あとから気づけるそのことを
お愉しみにしながら
春のぬくもりを味わいながら



ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。