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流れて 楽で

昼をどこで食べようかと考えながら、ひとつ手前の駅で降りる。

最近行ってないあそこにしようと、歩き出す。いつもと違う出口から上がると、ここらでは有名なのだけど私にはちょっと敷居の高いお店が、なんとテイクアウトを始めていた。
最近ここら辺歩いてなかったから全然知らなかった。そうか、ここもテイクアウトを始めたのか。美味しいのは間違いないので、そのうちチャレンジしてみよう。
たまには違う出口から出てみるもんだなと思いながらテクテク歩く。

目的の店に着く。
なんと満席で入れないらしい。
そっかー。今日はテイクアウトでなくて店内で食べたい気分なんだよなーと思い、店を出る。

さて、どうするか。
戻るか、何にするか? この先って何かあったっけか? あれこれ頭を駆け巡る。
そう言えば、以前行きたいと思ってた店がこの先じゃなかったかなー。
調べるとツーブロックくらい先らしい。
天気もいいしこの後予定もない。せっかくここまで来たなら行ってみるか。

それほど遠くなく店が現れる。
あら、結構よさげなお店。わたし、好きかも。
お野菜とか調理法とか、自然な事をメインにやられてるお店。今日はあまり身体に負担になるもの食べたい気分ではなかったので丁度いい。

店内にはご年配の女性が食事されてるだけ。空いてる。ラッキー。
その方の隣に と言っても今のご時世距離はかなり開けられてるので そこに座る。
昼タイムは過ぎていたからかSOLD OUTのメニューもあり、豚肉とお野菜の蒸籠蒸しセットを頼む。豚肉食べるの久しぶりだー。
でもこういった店で食べる肉は、殆んど食べれる。 ん?いや、他の店でも肉は出されてるが、なんと言うか同じ肉でも何故だか食べれない物がある。よくわからないが、調理法なり材料なりなんだろなーと思いつつ、今は決まった店でしかお肉を食べる事はしなくなった。そもそもお肉を食べたいと思うことがあまりない。でも、食べたくなった時は食べてる。たぶん身体が必要な時なんだろうなーと思うから。
以前3ヶ月くらいビーガン食というやつ?やってみた事あるがあまりよく分からなかったので、そこまで「肉は食べない」と決めちゃうのも何か変な拘りみたいにも感じて。だからゆるーく。食べたいと思った時はそれを食べる、にしたら変なストレスもたまらなくなった。

隣のご婦人は私が頼んだのと同じものを召し上がってるらしい。ま、選択幅がほぼなかったからね。 
それが、とてもとても美味しそうに召し上がっている。何て言うか。「食事を楽しんでいる」というのが伝わってくる。
ひと口ひと口、味わって食べておられる。たまに満足げなため息と一緒に。
久しぶりに「食事をしている」人をみた。

外で食べてても、「食事をしている」人は本当に少ない。スマホやらの画面を見ながらとか、新聞や雑誌見ながらとか。あれは「食事をしている」のではなく、単に「食べ物を口に運んでいる作業」だと感じてしまう。自分が今何を口に入れどんな味がしてるのか、なんて分かってなくて、単に空腹を満たすための詰め込み作業。あれ、楽しいのだろうか。よく分からない。せっかくのご飯なのだからもっと楽しめばいいのにと、つい余計な思いがわく。

ご婦人があまりにも美味しそうに満足げに食べられてるので、それだけで「あぁこの店来てよかったなー」と思ってしまう。
だって、あんなに満足げに食事してる人がいるのに、不味いわけがない。
「美味しい」「不味い」は料理人の腕だけでは成り立たないと私は思っている。その場の空気、例えば原っぱでお握り食べたってものすごく美味しいし。それからスタッフの対応と言うか人柄と言うか。小言言ってるスタッフがいるとそれだけでなんだかなーと思うし。そこら辺全部ひっくるめて「満足」がかわってきて、「美味しい、美味しくない」も変わるもんだと感じてる。別にグルメと言うわけでは全くなく、どこかの店で食べるのならそういったのを目安と言うか勘で選んでる。

思ったとおり運ばれてきたお食事はどれも美味しく。お漬け物もお味噌汁もご飯も。お野菜はお野菜の味がする。嬉しい。
ふわぁ~っと身体がゆるみ、喜ぶ。
初め行こうとした店が満席だった事に感謝してしまう。あそこがいっぱいじゃなかったら、今日この瞬間には出逢えなかった。ありがたい。

メニュー表の続きにサロンメニューも載っている。併設してマッサージサロンもやられている。
今朝から身体の調子がすこぶるよろしくない。右手は完全に握力低下で物が掴めない。あんましここまでならんのだけどなーと思っていたので、サロンメニューに目を通してみる。ちょっと流れを良くしてもらったら楽になるんじゃないのかしら。自己メンテではどーにもならんレベルだ。ただ、初めての所は合う合わないがあるのでガッツリは無理。軽ーくでいいんだけど。

完全予約制かとお尋ねしてみたら、基本そうだけど今日は夜まで予約入ってないので、希望あればやってもらえると言う。ラッキー。
身体の症状伝えて、一番負担ならない程度のをやっていただく事にした。なにぶん自己主張している身体特徴があるので、何やるにも先ずそれお伝えしとかないと後で面倒なことになる。脱臼してる指知らずにガシガシ揉まれた日にゃー翌日から動けなくなるからね。それでもやっていただけるかとお尋ねするようにしている。

食べたものがこなれた頃、30分の極楽時間が待っていた。オイルマッサージというものは初めて受けたが、まぁ気持ちの良いこと。
全身の力が抜け、詰り具合をほぐしていただき、えらくリラックスできた。びっくり。
流れが良くなったのか、お陰で帰りは膝の張りも和らぎ歩きやすくなっていたし、握力低下してた右手も動くように。すげー。
あまりに身体が楽になったので、また身体がキツくなった時の駆け込み寺のひとつとして覚えておこう。歩いて来れる距離にあるし。
その時の身体の崩れによって、幾つか駆け込みスペースを確保しとくと気持ち的に楽だ。
以前はこういったサロンとかも遠巻きに見てたが、身体壊して病院通いになったり入院するよりかは、その前にメンテナンスでこういった所にお世話になった方がいいなーと思うようになった。
検査だ薬代だと年間100万近くかかるのならば、毎月行くわけではないしメンテナンス費用なんて安く感じる。いや、これ実際のハナシで。身体壊した初年度、私は検査と薬代通院費で100万近く払い、プラスして薬漬けの身体へ変身してる。医療費の確定申告した時に「なーんて馬鹿らしいんだ!」と思った。
でもあの経験あったから、今こう思えるんだろな。よき、よき。

今朝の身体不調から始まり。
目的のお店入れなかった事が幸いして新しい素敵な美味しいお店に出逢え。
この先の身体メンテもできるかもというメンタルフォローまでオマケが付き。
それもたまたま予約が入ってなかったからで。

つくづく、てきとーに流れに任せてその時の「あ。」で動けると楽ちんだなーと思う。
もちろんそんな時ばかりではなく思考グルグルの時もあるけど、でも「あ。」が楽なのがだんだん分かってくると、自然と身体がそっちを選ぶようになってきた気がする。
そうなると、思考グルグルの時も「グルグルしとるなー」とちょっと離れて観れるようになるし、その最中は何やってもそっちに引っ張られちゃうから、好きなお茶飲んでだらーっとしてるとか、なんとなくグルグルが消えるまでやり過ごす自分なりの技を見つけられるようになる。そうするとまた楽になる。

楽であることは自分を甘やかすとかそういった事ではなく、自然で当たり前の事のように思う。
チカラが抜け、物事がするすると流れるようになる。
滞らせてるのは自分なんだなーと感じる。

するすると
水が流れるように。
そう在りたいなと 思う。





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