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固定資産税と、家の私有と、三流住宅。辿る末路。

始めに断っておきますが、なんの専門家でもありません。ただ、今のおかしな住宅関連問題の状況は、こういう構造になっていれば、自然とそうなるよなと思った話を書いておきます。







家関連のおかしな話とは

人によっては感じたことはないかもしれないが、私は違和感しかない。

・タワマンの乱立
・空き家問題
・持ち家派、賃貸派
・人生で占める住宅関連費が高すぎる
・ローコスト住宅、平屋住宅
・悪質リフォームと騙される独居老人
・保育園の38度問題で、片方が仕事をやめざるを得ない核家族化の弊害
・固定資産税が払えないから、都市部の大きな実家を手放す

構造上軽量化が必須のため、内壁が薄い。外壁も軽くしないといけないためそういう工法がとられる。結果、防音耐久性に問題があり、大規模修繕が必須の建物。高層階であることによる軽微な健康被害との関連性も指摘されていたりする。(諸説あり)

空家が増えているのに新築至上主義。江戸時代とかは長屋や貸家ばかりだったのに、CMやら流れで新築大好きに変えられてしまっている。空き家は荒廃して倒壊したり。害獸の温床になったり。犯罪者やらが住み着いたり。治安悪化にもなるのに。

持ち家派、賃貸派。ライフスタイルの変化や世帯の変化。家の整備の負担からの解放。お金の損得。隣人トラブルからの解放。近所付き合いからの解放。色々な文脈で語られる論争の的だが、そもそもそれらの問題を解決する選択肢は様々あっていいのに、選べる答えが二つしかない。おかしい。

家や家賃やらにかかるお金が高すぎる。そのせいで、ローン破綻したり。消費を渋るはめになったり。子供を生み控えたり。投資へ回すお金も減る。人生の幸福度がさがる。

こういう諸々の状況をマーケティングして、企業側が出す答えは、激安て新築だけは見映えだけはいい安かろう悪かろう(ローコスト住宅)。お金を持っている人向けの用途限定されたカスタマイズ品(平屋等)か。生涯アパート暮らしか。タワマンのように、実用性よりもいかに坪当たりの収益性が高いだけの品を上手に見せて売りさばくかになる。なにかの極に傾いて、より良いか?ではなく、より売れるかの方向になり歪む。

持ち家を選んだ人は、いずれ一人暮らしで認知の衰えたジジババになる。そして犯罪者に狙われるはめになる。詐欺か強盗か。人生の最期がそんなでいいのだろうか。

誰にでも売りやすい形を追求した結果、核家族、三人暮らし(あるいは四人)の住宅事情になる。3LDK(4ldk)の形になる。核家族化にさらされて、子供の保育園お熱問題にも悩まされる。ストレス過大での夫婦仲の悪化にもつながりやすい。そんなに核家族の家はいいものなのだろうか。







おかしな問題の根底は、個の追求と個の利益追求 VS 家の公共財的性質

これらのおかしな問題を紐解くと、そこに生じている矛盾は、土地や建物とは本来ライフラインやインフラてあり、生活基盤のものであるという点に帰結すると思う。言い換えるならば、公共財的性質を過分に持つということだ。例えば、水道の供給ラインを、一人一人が(あるいは市ごとてもいいが)”独自”に設計して”独自に”施工して”独自の”規格で作ったとしたらどうなるだろうか。共通性のない無駄や非合理的なものが溢れることになる。社会で見れば整合性のない塊となる。

あるいは、公園やプールでも良い。子供の為の公園やプールを各家庭が”独自に”自分の庭に作る必要性があるだろうか。そして、作ったら作ったでそのローンにおわれてあくせくしている。各自が勝手に”家”を好き勝手に作れば、社会的には不整合極まりない。

個の自由や利益追求の観点から見れば、現在の状況は、一見幸せに近づける状況に見えるかもしれない。個の自由が最優先されているからだ。個の自由が最優先ということは、個の利益優先も選び放題だ。しかし、上述の通り、本質的には、土地や建物は公共財的性質を有するものであり、個の自由やらを優先すると社会全体では不整合が生じるものだと思う。

ここではっきりさせておくが、全てを共有にするとか。私有禁止とは思わない。自分の住む家や部屋位自分の好きにさせろ!というのも至極まっとうな意見だ。私がいいたい事は、”私有に偏り過ぎている”ということだ。

浄水器をつけるとか。ウォーターサーバーを買うとか。ある日はミネラルウォーターを購入して帰るとか。そういう自由は良いと思うのだが、それらよりも行き過ぎて、良質な水源地からの水道パイプラインを家にひくぐらいの水準を、家づくりの私有合戦に投じているようにみえてならない。






おかしな問題の背景 金になる、金が動く

これまでのべたように現状を理屈で考えれば、おかしな現状だと思うのだが、それがまかり通っている。その背景には、お金の力学が強い。

国は、資産を持っている奴からなら、とりっぱぐれはないだろうと固定資産税をかける。(そもそも固定資産税の意義やメリットデメリットを検討しなければいけないと思う。)そして、国のもくろみ通り、税金を集めることには成功している。結果として、資産を持ち家をもてる人、あるいは譲り受けられる人。一方で、譲り受けれらない人や借家暮らしの人とに、徐々に分断していくこととなる。

こうした固定資産税の枠があるゆえに企業は、より土地を有効利用するようなプランを消費者に考案、提案しようとする。タワマンを売ろうとしたり。郊外にニュータウン(分譲化して住宅地にして土地の値段を吊り上げる)を作ったりする。(20,30年後の次世代には廃墟化していくのは目に見えているのに……)あるいは、資産を持っている個をターゲットにした商品開発にいそしむこととなる。自己満の平屋作りとか。逆に、資産をあまり持たない奴からも金を引っ張るべく超ローコスト住宅の商品開発もしていく。

というわけで、
税制やらのお金で見て一番お得!儲かる!な力学や、
・あなた程のお金があるなら、こんな家を持てますよ!
・あなた程のお金でも、こんな家を持てますよ!

という力学がはびこる事となる。

というわけで、言い換えるならば
・効率重視の密集タワマン住宅(企業にとっての効率の良さ)
・個にしか合致しない、ヘンテコ住宅
・安かろう悪かろうの3流住宅(10年後ですぐ補修が必要)

みたいな家が、世に溢れることになる。家を個の税制やお金だけで判断しようとした結果のツケが溢れることになる。

さて繰り返しになるが、水道水を、人気で格好いいからと選ぶこと。あるいは、私が好きなものが(高水準で良いものだろう)いいと選ぶこと。とにかく安価なものでもいいと選ぶこと。これが正常な判断だろうか。健康的にどうか?美味しいか?が本質であり、飲み続けたらどうか?それを維持する方法は最適か?と長期的に社会的に考えなければいけない問題が家だと思う。






目指すべき形

・社会にとって健全に持続的とは?
家余りにさせないこと。今だけ良ければよいという家をこれ以上作らせないこと。住んでいる人が満足する家を作ってもらうこと。それらが国の財政に還元されるような制度作りをすることだ。

・企業にとっても有益とは?
安かろう悪かろうではなくて、作られた家のパフォーマンスや施工やらを正しく評価されること。その技術発展が進むこと。それが実利になる事だ。

・個人にとって便利な住宅事情とは何か?
ライフスタイルに合わせて家を変えられること。住宅費負担を下げられること。子育て期や逆に老齢化期には、周囲の助けを得やすい環境にある事。

具体的には、国が家を管理する、より公有にシフトした共有化が鍵だと思う。公共事業のように入札案件として、8割位は公主導の住宅供給計画を実施する。一般市民は、それらの家の中でその時の希望に合う家に住めばよい。資産もちでどうしても自分の拘りを貫きたい残り2割位は、特別税というか負担をして、豪勢な家を建てればよいと思う。

国が管理する形であれば、人口動態や構造から、都市の規模に応じて、小さい子供がいる家庭の数や老齢者の数から必要戸数を大体算出できる。それを元に、家の形を大体規定すればよいのだ。

・一人暮らし用
・二人暮らし用
・それらのコミュニティ型集合住宅
・小さい子供がいる家庭向けのコミュニティ型集合住宅
・子供が大きくなった家庭向けの核家族住宅
・子供が大きくなった家庭向けの世帯同居住宅、コミュニティ型集合住宅
・子供が巣立った二人夫婦用住宅(二人暮らし用と同一)
・高齢者向けの一人暮らし用(一人暮らし用と同一)
・高齢者向けのコミュニティ型集合住宅(上のどれかコミュニティ型と同一)

家の種類や形など、実はそう多くはないと思う。ディテールは山ほどあるが。後は、周囲の人と馴染んで協力し合って暮らすことを良しとできる人か。どうしても個人を貫きたいかのどちらか程度の違いしかない。

それらもやってみてダメなら、公有なので簡単に引っ越すことができる。隣人トラブルみたいなものにこれで必要以上に悩むこともなくなる。また付随的に、私は賃貸!だから、この地域の住人としての協力をするしない問題も回避できると思う。賃貸か持ち家かの区別がなくなれば、残るは其処に住んでいるかどうかの基準しかない。其処に住んでいるなら、多少面倒でも、町内会というかゴミ当番というか。地域活動に参加せざるをえなくなる。というか其処に住んでいるなら、其処の地域に協力や負担をすることが当たり前という意識に切り替えていけると思う。

こうして、人の家の移動が活発になれば、情報も比較して精査することができる。どこそこメーカーの○○は~良い悪いという情報が世に溢れることになる。国から入札の予算が決まっているのだから、その予算の中で最大限の家づくりを目指すことになり、安かろう悪かろう住宅も排除されるのではないだろうか。






おわりに

というわけで、家は公共財的性質があるのだから、お金や個人の自由の対象とすると、社会全体では疲弊して、良くない家が溢れることになるのは当たり前だとそんな話でした。

その対策として、公有を主眼においた、住宅計画案も構想してみました。付随的に家にまつわる諸問題も、これで回避できるのではないかと思います。

さて、そもそも”持ち家”は、投資家界隈とかその文脈では、負債(悪)とされます。自分の家に資本投下しても資産を産みださないからです。金食い虫なだけだからです。これは一部の極端な見方ですが一理あります。

国全体で見た場合、国力やらの経済発展(投資)に、家はほぼ寄与しないということです。外貨獲得やら経済を発展させるには外向きの、革新前進的な力が必要です。しかし、家は内政というか内向きの快適さ便利さを高めるベクトルの力です。家のやり取りでお金が動き、経済効果はあるかもしれませんが、本質的にはいつか行き止まりになります。極論を言えば、国レベルで見れば、家にお金をかけたり奪われるのは国民国力の無駄であり、そこは最低限でもいいわけです。

今後、スーモとかネット勢はいずれもっと台頭すると思います。すると、購入価格や相場観が世にもっと出回るようになり、家や土地の、情報の非対称性が解消されて、健全な市場となり、家の売買はもっと容易に安易になると思います。そうすれば、部分的には、目指すべき形の一部は達成されるでしょう。しかし、家は公共財的性質があり、市場原理(お金の力学)だけに頼っていては、どこまでいっても本当のゴールには辿り着けないと思います。

月の三分の一とか四分の一をも占める住宅費問題。結構大きな割合の問題なのに、だれもあまり話さないのが不思議です。

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