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「それでも、どうしても、許せないものが二つだけある。フェミニストとマーガリンです」▶『バター』柚木麻子

私のバターに対する思い入れはそこまで強くない。冷蔵庫に常備もしていないし、お菓子を作るときも可能であれば他の油で代替する。でもこの「BUTTER」という名前の小説は、書店で目にする度に気になっていた。

柚木麻子/新潮社 

実際に起きた殺人事件がモチーフになっているという前情報があったのもその理由の一つだと思うし、背表紙にあった「フェミニストとマーガリンを嫌悪する梶井(小説内の被告の名前)」という表現にもなんだかひっかかるものがあった。表紙のバター色の髪の女性も妙な雰囲気。

主人公の女性は週刊誌の記者で忙しく働いていて、毎日の食事はかなりおろそか。一方で、3人の男性を殺した殺人事件の被告として東京拘置所にいる”カジマナ”の逮捕前の生活は、ままならぬ関係の複数の男性に養ってもらいつつ、贅沢なレストランや人気の料理教室に熱心に通うような優雅な日々。フランスのルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人がお手本とのこと。


私も社会人になったばかりの時は、仕事が忙しくて食事にあまり関心がない主人公みたいな女性に憧れていたこともあった。
でも働き始めて数年たち、社会人生活は、学生とは違ってこのあと数十年も続くものなんだと分かり始めた今、自分の身体と心の根幹になる食生活に関してはできる限り意識的でいたいな、と思う。
というわけで食へのスタンスとしては、ちょうどこの本に登場する2人の中間くらいのイメージなので、主人公がどんどんカジマナワールドに陶酔していくみたいにわたしもこの本にのめりこんでしまった。

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真似してしまったバター醤油ごはん。悪魔的。


料理がもたらす原始的な喜び、ワーカホリックな社会に充満する見えない圧力、旧態依然な男性と女性の役割への認識、痩せ神話への抗議など…ひとつの小説によくぞここまでいろんな要素を盛り込めたなというほどのこってり濃い小説。

主人公が、カジマナのとある指令によってバターにハマり、夜中にたらこパスタを作って食べた場面。

紫蘇の爽やかさがますます食欲をくすぐり、おいしい、と声に出した。自分がこの味を作り出したという事実が、いっそうこの瞬間を得がたいものにしている。
 たったこれだけのことで、今までにはなかった満ち足りた気持ちが味わえる。食べたいものを自分で作って好きなように食べる。これを豊かさと呼ぶのではないか。これまでは、何が食べたいかさえ、よくわからなかったのに、キッチンに立つようになってからは、ぼんやりとだが欲するものをイメージ出来るようになっている。

形式上一人暮らしをしてみても、時間給のお給料をもらっても、自分で自分のために美味しいごはんをこしらえることができたときの「やってやったぜ感」には勝らないなと、本当に思う。


主人公の先輩記者の言葉。

「なんだかね、自分をいたわってない人を見ると、こっちが責められてる気がしちゃうのよねー」

会社で自分だけがのんびりとお弁当をパクパクと食べている時間。確かに後ろ暗い気持ちは、ある。


前々から料理=女子力という謎の方程式に違和感があったけれど、この本にはそれも言語化してあって、誰かとハイタッチしたくなった。

 食べ歩きが好きで料理好きでふくよかな体型。それだけ聞くと、大抵の男は「家庭的」でおっとりした女だと勝手に想像を膨らませる。自分たちを凌駕するような内面を秘めているわけはなかろう、と油断する。でも、本当にそうだろうか。
 里佳はうっすらと悟り始めている。グルメというのは基本的には求道者だと思う。優雅な言葉でいくら包もうと、挑戦と発見を繰り返しながら彼らは己の欲望に日々、真正面から向き合っている。自分で料理を作るとなれば、ますます外界を遮断し、精神に砦を築けるようになる。(中略)食べたいものしか食べない、美味しいと思うものしか口にしない。欲望に常に忠実であろうとする一種の生真面目さだ。

料理するって生きることだから女子とか男子とか未回答とか、本来そういう線引きが必要ない世界だよねと改めて思う。


体重増に厳しい世の中で、主人公のたくましい発言。

「私、梶井の取材のためだけに太ったんじゃないんだよ。今まで、料理することや食べることを楽しむことに対して罪悪感があった。でもね、私、味わったり身体に何か吸収したりすることが好き。今の所、ダイエットしようとは思ってない。適量をみつけるまでこのままでいる」


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付箋だらけ。


バターがトーストの上で溶けても消えたわけじゃないように、私が覚えておきたかった文章も、ちまちまと付箋を貼らなかったからといって読まなかったことになるわけじゃなく、確実に染みているとは思うものの、どうしても付箋をしておきたくなる文章がたっぷりな本。

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ついに買ってしまったエシレバター

小説に出てくる出てくる音楽とかモノを追って体験するのも楽しい。次はカルピスパターなるものを買う予定。

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