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自分の足で、目で、耳で。信頼できる情報を取りに行く
GCストーリー・さとうさんのこちらのnoteを読んで、あらためて「一次情報」の大切さをしみじみと実感した。
一次情報、現場、生の声。Webライターのひとりとして、自分の想像だけで文章を書き公開してしまうことの怖さをそれなりに知っているつもりなので、いかに可能な範囲で誠実な情報をすくい取り提供するかは忘れてはならない原点だという気がする。
これは、私の尊敬する山口絵理子さん(MOTHERHOUSE代表兼デザイナー)もご自身の著書で言っていたこと。
世間がどんな動きであろうと、ネットやSNSで見た意見がどんなものであろうと、現地にあるもの・現地に生きている人・当事者の声を起点に、最後は自分がどう考えるかを大切にする。
その価値観を表したタイトル「自分思考」はとてもシンプルで耳にも心にも残りやすく、だからこそ日常の端々でハッと我に返る手助けになる。自分はいま、何を思い何を考えているのか。漠然とした世間や想像や妄想にとらわれず、「自分」を原点とする生き様は、いつまでも尊敬の対象だ。
惑いそうになったら一次情報に戻る。自分の足で、目で、耳で、信頼できる情報を取りに行く。
諸先輩方が手本を示してくださっているからこそ、いつどんなときも襟元を正せる。感謝しかない。
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私は旅行が好きで、なかでもひとりで旅立ちひとりで帰ってくる「ひとり旅」が好きなのだけど、その理由のひとつに「まっさらな一次情報に素のまま触れられるから」があるかもしれない。
旅行に限らず、映画や写真や絵画を観るときなども当てはまる。ファーストタッチは可能な限りひとりの状態で触れに行きたい。生の自分のままで、事前情報や予備知識も薄い状態で、何を感じ何を思い、そして何を持ち帰るのか。ひとりでいるだけで嘘をつかずに済む。近くに家族や友人がいたら、決してそうはいかない。
たとえば目の前の写真や絵画に対して、自分が「なんて引き込まれそうな質感なんだろう」と感じたとする。それが素の自分の感想だったとしても、ひとたび傍にいるもうひとりが「なんだか簡素だね」なんて漏らした場合、私はそれに引っ張られる。
反対の場合も同じで、仮に自分が「あまり惹かれるものがないな、一般的」と思ったとしても、もうひとりが「グッとくるね~最高!」なんて言ったとしたら、私は合わせて対象を絶賛するだろう。
傍にいるもうひとりに合わせて、いともたやすく私は自分を曲げてしまうし、そんな自分に嫌気が差すから、なるべくなら初めて触れる対象にはひとりで臨みたい。現場の、生の一次情報を汲み取るのに、余計な忖度を紛れ込ませたくない。
ただのワガママと言われればそれまでなのだけど、この姿勢が仕事の質にも繋がってくれると信じて、私はこれからもひとりで旅に出るし、映画や写真や絵画を観に行くだろう。
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