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【月報2022年3月】元公僕が地域おこし始めてみた件

3月は、
【みんなでつなぐ震災伝承】
【劇中は頭の中が真っ白に】
【防災✖️なにか】
【福島は原発だけじゃない】
【避難訓練は日常から】
の内容でお送りします。

1.震災伝承ワーキンググループ

3月20日に大槌町震災伝承プラットフォーム今年度最後のの7回目のワーキンググループが開催されました。

進行を務めた震災語り部(仮称)の育成と震災教育・ 研修コンテンツの開発についてのワーキンググループの内容についてお伝えします。

毎回最初の決め事として、ワーキンググループの議論と対話をより良いものにするために、自分と違う意見を受け止めることを意識していただいています。

また、年度末なので終わってしまい、集大成のような感じになっていますが、決して終わりではなく、かと言って終わりがないから続けなければいけないというわけでなく、好きな時にできて、やめたい時はやめられる、だからこそ結果として続けられる、そんなものになればいいと思っています。

前回でも、テーマの重さや、体験を整理する場の必要性、世代や対象に合わせたやり方、伝えられた人が自分の言葉で次に伝えるなどの意見がありました。

また、より多くの人に震災
伝承に関わってもらうためには、敷居の低さ、調整役の必要性、学校教育の中でなどの意見が出ました。

そして、誰もが語り部育成講座の基礎編のモニタリングから出た注意点や意見もありました

注意点は、

先に世の中に答えが用意されているので先に答え寄せてしまうなど型にハマりがちなこと
・津波からスタートしているので、津波防災のみに偏りがちなこと
・どのレベルまで具体的にすれば良いのか難しく、抽象的になりがちなこと
・1人の講師が、対話しながら進めるには、学校のように長期的に関わる場以外では大勢を同時に相手にすることは容易ではないこと

などでした。

意見として、

・整理する中で大切な人を守るために必要なことを考えるきっかけになった
・震災を経験をしていないが、一番印象に残っている人から聞いたストーリーが明確になった

などでした。

そして、今回のテーマでも様々な意見を頂きました。

①今まで震災体験を話して来なかった人が、震災体験を棚おろししやすくする方法は?
・頭の中でわかっていても話しながらの整理が必要
・自分が話しやすい相手や場、そのための関係性づくり
・話を聞く側の存在
など

②津波以外に置き換えても伝えられる内容は?
・復興や、震災のその後
・地域のつながり、コミュニティの強さ
・生きるための力
・自分だけが悩んでいるわけではないことへの気づき
など

③伝承をもっと柔らかく、ハードルを下げるための今までの一連の流れの名称は?
・若い世代の意見も引き出せるように
・子育て世代も参加しやすいように
・前から参加している人が声をかける
・つなぐというキーワードから ゆっつける かだる
など

最終的な結論を出す場ではないので、いつもまとまっていませんが、言いたいことを言って、聞ける空気や場をこれからも作っていくことはこれからも続けて行く予定です。

今年度、ワーキンググループに参加していただいた皆様、ありがとうございました。

来年度もと言わず、いつでも誰でも、自分にできる範囲で関われるような場になり、震災を通じた対話が大槌のより良い未来を切り開くためにつながればと思っています。

対話などという小難しい言葉を使いましたが、話したいことがある人、それを受け止めることができる人が少しでも集まることが自然なものになっていけば良いと思います。

このワーキンググループでの取り組みは、震災伝承プラットフォーム運営会議の委員の方々にもご理解いただけましたので、来年度は実行に移しながらより多くの方に、関われる範囲で関わっていただけるように努力していきたいと思いますので、これからも皆さまのご力添えをよろしくお願いします。

2.釜石市民劇場に出演した件について

2014年に出演して以来、7年ぶりに釜石市民劇場に出演しました。

詳細は長くなるので省きますが、舞台の上で頭の中が真っ白になったり、数秒が永遠のように感じた瞬間もありました。

真面目な話をすると、「伝える」ということを仕事としているので、劇でもその過程で伝えるために距離を近づけたり、協力したり、相手や自分のことを考えながらセリフを発するということは大変勉強になりました。

また、副産物として最近は演劇モードだったので震災伝承モードを休ませるいい機会にもなりました。

クライマックスのシーン
練習中
唐丹の桜舞太鼓も
広いTETTOのホール
小道具たち
小道具のさかな



3.イオンタウン釜石のフォトコン

イオンタウン釜石主催のフォトコンテストの市外の人の部門で、入賞しました。

4月20日までイオンタウン釜石の2階に展示されているので、来た人はついでに寄って見て頂けると何よりです。

住んでいる大槌で写真を撮ることの方が多いので、大槌でも撮った写真を観てもらえる機会があればいいと思いました。

写真自体はここには掲載できませんが、(ようこそ釜石へ)部門の「夏色」という写真です。

ゆずの同名の曲ではなくMy Little Loverの「白いカイト」という曲をイメージして撮った写真です。


受賞した写真は下のリンクからご覧いただけます。

4.防災を学習する場巡り

最近、岩手県の防災を学習する場の視察に行っていました。

・学ぶ防災ガイド【宮古市田老】

一つ目は、宮古市田老地区の【田老の学ぶ防災ガイド】チャリバージョンでした
田老地区は明治と昭和の三陸津波で多大な被害を受けた結果、当時は先進的な津波防災まちづくりに取り組み、万里の長城とも呼ばれたX型の防潮堤が築かれたが、東日本大震災では倒壊し、多大な被害を受けた地域です。

その町を古い防潮堤の跡、津波の痕跡、新しい防潮堤やまちづくり、震災遺構の田老観光ホテルジオサイトの山王岩などを急な坂道もらくらく登れる電動付き自転車でガイドと共に学ツアーです。

坂道も楽な電動アシスト自転車

とてもよい天候に恵まれ、大槌とは異なる外海の景色や、魹ヶ崎、行き来する船サンフラワーなどが観られて絶好の場所でした。

津波の浸水の高さ

そして震災を学ぶという点では、17.3mというインパクトを示す浸水のライン、実家の近くの刑務所の壁より高い防潮堤、それでもなお感じる津波への不安感、自然と津波の強さ、ハード整備の限界を感じることがでした。

昭和・明治・平成の津波の高さを比較
実家の近くの刑務所のような壁

そして個人的に田老の学ぶ防災ガイドの他にはない一押しポイントがあります。

震災遺構の田老観光ホテルの部屋で撮影された津波の様子の動画を、撮影した同じ場所で観ることができるということです。

今はYouTubeなどで津波の動画はどこでも観ることができますが、当時と同じ場所で、今の景色と当時を比較しながら、津波の速さや高さを動画だけではなく身体で感じることができました。

動画だけでもなく、現地を見るだけでもないこれらの組み合わせが、津波をよく知らない人にリアリティを持ってもらえるためには効果があるのではないかと思いました。

しいて残念な点があるとすれば、道の駅の食べ物屋さんが定休日で、どんこの唐揚げ丼が食べられなかったということです(笑)

たろう観光ホテルへ向かう
たろう観光ホテルからの景色
遠くに見える本州最東端の魹ヶ崎
客船サンフラワー


・防災観光アドベンチャー【キャッセン大船渡】

二つ目は、キャッセン大船渡で実施予定の【防災観光アドベンチャー】でした。

キャッセン大船渡の敷地を中心に、そこを訪れた観光客の視点でQRコードのボックスを探し、コードを読み取ることによって、東日本大震災発災時の教訓や、わかれ道で選択肢を選び、難易度に応じた数のQRボックスを探すことで、避難場所の位置が地図に示されるという脱出ゲームのような内容になっていました。

分かれ道を考える

個人的には、今までの伝承館や語り部とは別の入り口から同じような内容が学べるものになっているので、今まで以上に多くの人に震災を知り、そこから何かを得てもらうきっかけになると感じました。

スマホを使ったゲームとなっているのでそもそも対象としている層が限られていますが、今までとは違う若い層に特化したものになって行けば良いと思います。

その一方でゲームをする世代でも課題はあると個人的には感じました。

一言にゲームと言っても世代によって異なる点

ゲームと言ってもインベーダー世代、ファミコン世代、プレステ世代、スマホゲー世代と同じゲームと言ってもその内容は大きく異なり、正直別物の体験となっていると思います。

観光防災アドベンチャーは、ゲーム内での話を聞き、考えることが前提となっているため、ストーリーメインではないスマホゲーが好きな人や、ストーリーよりアクションが好きな人には同じゲームとはいえ馴染みにくいところもあるのかも知れません。

個人的には、防災観光アドベンチャーの決断の要素がFF6のシャドーを見捨てる選択肢や、ドラクエ5でビアンカとフローラどっちと結婚するか迷ったり、アドベンチャーゲームや最近の海外産のゲームなどでよく観られるどちらの選択肢を選んでも誰かが困ることになったり決まった正解がないものが好きなので、そういうジャンルのゲームが好きな人には合うのかも知れません。

緊急避難場所までの坂を登る

ゲーム要素への没入しすぎ

新たな層へのアプローチにゲーム要素はありだと個人的に思いますが、その一方でゲーム要素の方にハマりすぎて肝心のストーリー部分をスルーしてしまう恐れがあると思います。

例えばレベル上げや戦闘や探索やアイテム集めにハマりストーリーや登場キャラを覚えていない某ポケモンなど、ゲームスタート時から明確な目標がわかっていると不必要に関する要素は自然と頭でスルーしてしまう恐れがあるのではないかと感じました。

現に、ゲームをやりながらQRボックスを探すことだけに没頭し、キャッセンにどんな店があったか、震災のエピソードはどんなことがあったのかと言ったゲームクリアに必要のない要素が自然と脳内で排除されてしまっていました。

逆にQRボックスの存在感はマリオの1UPくらいの存在感を示しており、ゲームの中では現実での手段と目的が逆転してしまう気がしました。

緊急避難場所からの景色

事前の説明が必要

ゲーム上の設定では、自分は観光客という設定だったのですが、ゲームをやるうちにその設定を忘れてしまい、地元の人と一緒に逃げるかどうかのわかれ道の時に、そういえば自分はこの人とは初対面だったということに気づき、選択肢を考え直しました。

ゲームスタート時には説明はあったものの、最近のゲームって始める前に説明書とかを読んだりするのではなく、映像やストーリーを体感する中で自分立ち位置に気付かせる仕組みになっているものも多いので、自然な流れでゲームに入り込める導入が必要だと思いました。

よく主人公が記憶喪失なのって、プレイヤーが感情移入しやすくなる手法の一つだったりもしますし。

新しい試みなので、個人的には気になる点も有りましたが、今までアプローチ出来なかった層に震災からの学びを提供できる手段としては貴重な存在で大船渡ならではのものだと感じました。

そして残念なことがあるとすれば、その日お店があまり開いておらず、大船渡まで行ったのに、ラーメンも海鮮丼もハンバーガーも食べられずに帰ったことです(笑)

・震災学習コンテンツ【野田村】

3つ目は、岩手県北部にある野田村の【震災学習コンテンツ】でした。

被災した時計

被災地外の地域から見るとどうしても津波の被害や犠牲者などの数字で判断しがちですが、何かを学ぶ、そして何を学ぶかという視点では、単純に被害の数字上の重さだけで判断すべきものではないことがわかりました。

仮設住宅

岩手や宮城の津波の被害な甚大な地域だとその被害の甚大さや、悲しみの多さゆえに、学ぶポイントを絞り辛かったり、残っている物も少ないなど津波以前の町との違いが大きく、何もないことでしか津波の脅威を伝えられるなかったりなど、偏りがちな部分もあると感じていました。

良くも悪くも、自治体の規模に応じても津波から身を守るために必要なことに特化して伝えられる力は十分にあらと思います。

東日本大震災の津波記念碑

また、被害の数字だけで判断してしまいがちですが、数字の上では被害が軽いといわれる地域でも他と変わらないことがたくさんあると言う視点も学べるのではないかと思いました。

新旧の防潮堤が見える

数字上の被害が重い自治体を支援することが全てではないのと同じで、数字上の被害が重い自治体で学ぶことが全てではないのだと思います。

被災した歩道橋

あと個人的に思うのですが、震災遺構も建築物より土木構造物の方が津波やべえって感じるのは僕だけでしょうか?

建築物は、高ささえ有れば何とかなると感じてしまう一方、土木構造物はそれ壊れるとかヤバない?って感じでしまうからかも知れません。

そもそも造られた目的が違うので一概には言えませんが、個人的な感想です。

震災前の街並みの模型


・まとめ

それらを踏まえてものすごく気になった点が一点

防災を学習する場なのに、防災危機管理部門があまり関わっていない気がしたことです。来訪者向けの震災伝承と、住民のための防災危機管理の間が離れているような気がしました。

元々防災危機管理の仕事をしていた時に感じたことがあります。
防災は分野横断的だと思いながらも、それぞれの部門でバラバラな防災の取り組みをしていることです。
例えば、防災以外の部門が取り組む内容は、多様性には配慮しているが、災害の想定が考慮されていないなど。
また、防災危機管理部門の取り組む内容だと、前提となる文化や知識が異なる外国人向けにハザードマップを他言語化しただけで、他のアプローチができていないなど

伝承の部門と防災の部門でも同じような気がします。
防災部門は、最近は組織内では比較的強い部門にありますが、震災伝承は出先だったりして、伝承を防災に活かし、防災を伝承に活かすことが出来てるのか不安な部分もあると感じています。

先日、岩手県から公表された津波浸水想定も、最悪の想定では東日本大震災の津波より浸水するので、震災の時にここまで津波が来たと言うだけで終わるのではなく、過去の事例以上のものに備えることを一緒に伝えて行くことが震災から学ぶということだと思っています。

そして、震災から学んだことを防災に限らず普段に活かしていくと言うことも大切なので、その辺の分野がうまくつながって行けたらいいと思います。

冷静に考えると災害に関するPDCAの一連の流れで組織が分かれてしまっているのが違和感を感じました。

大槌湾の浸水想定区域図
船越湾の浸水想定区域図


5.再び福島にて

3月は、福島県の浜通りに2回出張に行ってきました。

・福島第一原発にて

東京電力の福島第一原子力発電所を見学することが出来ました。

事故で破損した1〜4号機の原子炉を外から見学しました。

当時テレビで安全な場所で見ていた現場が目の前にあったので、原発事故がかつては遠いところの出来事のように考えているたのが、とても身近な出来事だと感じることができました。。

請戸港から見える福島第一発電所

事故当時点検中だった5号機の中を見学させていただきました。

原子炉の真上に立って、使用済み核燃料のプールを見た時は、言葉では表せない感覚でした。

そのあと、原子炉の下の制御棒を見学し、原子力発電の仕組みを身体で理解すると共に、このそこまで大きくない場所で莫大な電気が作られていることに、違和感と言うか、人の想像以上の原子力の力を感じることができました。

水素爆発した1号機の原子炉

また、今後海洋放出される予定?のALPS処理水についての説明も受けました。

たしかに聞いた限りでは安全性に問題はなさそうと感じる内容ではありましたが、実際に安全だとしても、結果として福島産の食品が売れなくなる問題などに向き合わないと本当の意味での理解にはならないと感じました。

まあ、個人的には食べ物でもそもそも売り物自体かなり厳選されたものしか食べておらず、また産地偽装などもあったりするのであまり深く考え過ぎない方が楽なのですが、それは人によるかも知れないですし。

5号機の原子炉の上にある使用済み燃料プール

原発を見学して何が言いたいかと言うと、東電けしからん!とか、原発反対とか、すでに社会の中にある意見に無意識に繋げるのではなく、自分の中で考えて、自分なりの判断、行動につなぐことが大切だと感じました。

個人的には、原発や核問題などに限らない問題があると考えています。それこそ学校のクラス内の出来事レベルでも(笑)

5号機の原子炉の下ある制御棒

原発もそうですが、エネルギーや資源に限らず、食糧、復興、SDGs、地方創生、Dxなど社会課題を解決すると言う大義名分により、個人より公共の利益を追求すると言う一変何も悪くないように感じる行いが、個人の犠牲の上で成り立っているということを強く感じました。

そこを考えないと、脱原発ができたとしても、社会の大義名分を盾に個人を踏みにじると言う構造は解決できず、ものは違えど同じことを繰り返してしまうように感じています。

それは復興と言う枠組みでも自分が感じたものでもありました。

原発を近くで見たと言うインパクトのあることだけががピックアップされがちですが、町の様子や人の話を聞くことをまとめて学ぶことができました。

こういう場を見学できる機会が得られたのも、関西にいるだけではなく東北に自ら足を運んだからだと思います。

僕の通う兵庫県立大学大学院減災復興研究科では、現場主義の理念の元、各地にフィールドワークに行くことができますが、この原発視察も是非取り入れて考える機会を学生のみなさんに作ることができたら良いと思います。

・双葉町と富岡町にて

前回案内していただいた場所ですが、雪の景色や、1月に新たに立入規制が緩和され入れるようになった場所、3月16日の地震で崩れた建物やブロック塀、普段人が生活する場所に再び訪れるのとは全く違うように感じました。

津波で漂着した砂利船

普段の生活では、自然に傷んでいく物も人の手によって変わらない、あるいは元に戻っているかのように見えるだけで、本当は元に戻るなんてことはなく、不可逆なものだと感じました。

なので復旧と言っても、決して元に戻るわけではなく、レジリエンス、復元、回復と言っても、一度経験したことは決してなくならないと思いました。

それは自分の身体が年月と共に消耗していくのを感じるなかでもそう思いました(笑)

遠くに見える福島第2発電所
ブドウ畑
今は使われていない双葉町役場

また、自分自身も震災伝承を仕事とする上で、双葉町の役場の方がおっしゃっていた「同情ではなく共感してほしい」と言う言葉が、とても印象に残りました。

かわいそうだねと言う立場だけでは分からないこと、相手の近くに寄って共に受け止めなければ分からないことがたくさんあり、そう言う視点で人と関わることが大切だと感じました。

ただ、これをどうやってうまく説明したらいいのか今の自分はまだ答えを持ち合わせていないので、これからまた先に気づくきっかけが有ればいいと思います。

だるまと原子力の看板
帰還困難区域

数字では分からない、少しの間だけ避難だと思っていたら何年も戻れなかったと言う心の準備のない中での喪失をイメージすることは簡単ではないのかも知れません。

被災地の見学や、語り部、ツアーなども単に被災地を知って終わりだけではなく、共感してもらえると言うところを目指せたらいいと思いました。

・大熊町の震災遺構にて

2011年3月11日から変化のない帰還困難区域の校舎を訪れました。

地震後そのままの教室

そこは当時と変わらない景色が残っており、原子力災害というものをより身近に感じ、当事者の個人的な感情にも共感できるような場所ですが、今後の保存の是非についてはまだ未定とのことでした。

共感できるような場所ですが、今後の保存の是非についてはまだ未定とのことでした。

個人的には、いつか来るタイムリミットの前に、単純に残して【ほしい】と言うだけではなく、残す理由、活用方法、費用などについても議論する場を作れるようにすることが、最終的にどうなったとしても多くの人が納得感を持てる結果につながるのではないかと思いました。

未だ立てていない議論のフィールドに上げることがこれから必要な問題の一つだと感じました。

大熊町民の方にとっても、これからの未来の世代にとってもより良い結果になることを望んでやみません。

福島県ヒラメ栽培漁業センター
福島県ヒラメ栽培漁業センター
帰還困難区域の草むらは少し線量が高い
浪江町のラッキー公園
富岡で食べた浜鶏ラーメン
道の駅なみえで食べた釜揚げシラスかけ放題丼


5.人生で最大の地震

3月16日のの夜中にあった地震

一応、自分の中で経験した最も強くて長い地震でした。

今まで直下型の強い地震しか経験したことが無かったのですが、1分位続いて揺れていたので、実際の被害以上に長い時間揺れている恐怖は、震度という数字だけではわからなかったものでした。

被害を受けた方がたくさんいる中で言いにくいのですが、怪我や建物被害など数字に出た被害がなくとも、人はダメージを負っていることに気付かされました。

昨日は揺れた後しばらく寝付けず朝になっても気分が悪く、仕事に集中してやっと忘れることができました。

なので、ここでだけ呟きたいです。

めっちゃ怖かった(😳)

死ぬかと思った(´・ω・`)

今までの中での恐怖トップ3に入るレベルだった(😣)

これよりまだ震度の上がいくつもあるとか考えられん(´・ω・`)

とりあえず一通り言いたいことを言ったので、物理的な被害はなくとも何も無かった一日では無かったということになりました。

6.津波避難訓練

先日、僕が仕事しているおしゃっちで津波避難訓練がありました。

大まかな時間は決まっていましたが、地震発生時刻は事前には分からない訓練でした。

おしゃっちは、津波の時の緊急避難場所ではないので津波が予測される場合は利用者、スタッフ共に高台の城山へ向かうことになっています。

僕は一利用者として参加しました。

そこでちょっとアドリブを入れて避難することをゴネる役をやってみました。

あんなに大きな防潮堤を高い金をかけて作ったのになんで逃げなあかんねんみたいに思ってもいないことを言って、対応してくれたスタッフにはご迷惑をかけたかも知れません。

ゴネているうちに、自分の荷物を強引に持っていかれそのまま建物の外に拉致されて行き、結果として避難することになりました。

自分がもし逆の立場だったら来ない可能性もある津波に対してそこまで手段を選ばずに行動を取れるのか不安になって来ました。

その一方で、いつも自分の近くで働いている人達は、様々なハードルがあってもなんとか避難してくれることが分かり、とても安心出来て良かったです(๑>◡<๑)

7.今月の大槌

すみません。
今月の写真がありません。(>_<)

来月はちゃんと写真を撮ります。

8.おわりに

あっという間に大槌での1年が終わり、正直何かを成し遂げたということはありません。

震災伝承という取り組みは、どこかで盛り上がっても、いつかその時まで続かないと意味がないと思っているので、誰もが、負担なく、続けられるように自分なりにじっくりと取り組んでいきたいと思いますのでよろしくお願いします。

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