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魂の監獄

「オレンジにバニラのフレーバー。スコットランド紳士の上品さと優雅さ。そしてやさしい味わい。このお酒みたいな紳士に口説かれたとしたら断り切れないわね」

 シヴァルは大きな手にグラスを包み込み、グラスに注がれた琥珀の液体、バランタイン17年 ソウル リミテッド エディションを愛おしそうに眺めた。前衛芸術家ジウン・パークのデザインボトルも目を引く。

「ボトルで味が変わる訳ではないでしょう」

 アンドロイドのアリスは、本物を飲めないので同じものの電子ウィスキーを飲んでいる。

「馬鹿ね。お酒っていうのは魂が詰め込められているから、一杯一杯が全て違う味わいなのよ。あなたがそれを理解するには、もう少し時間が必要かもしれないわね。まあ、私のお店に来ればチューニングしてあげてもいいわよ」

 シヴァルはアリスが地下バトルロイヤルをやっていた頃の専属メンテナンストレーナーでアリスのパトロンである。アンドロイド専用のメンテナンスショップを経営していて、アリスが引退したときに永久メンテナンス保障を申し出てくれた。今は時々こうして、友人として酒を酌み交わす間柄だ。そしてシヴァルは元は女性であるが、極端な肉体改造の結果見事な筋肉美を手にしていた。

「それにしても、幽霊を斬るとその斬霊剣も刃こぼれするの? なんとなく幽霊って柔らかそうだけど」

「幽霊ではないわ。エネルギー場よ。人は誰でもその個性を表す形のエネルギー場を持っている。亡くなったときにその人の思いが強すぎると、誰か似た形のエネルギー場を持つ人に残留エネルギー場が取り憑いてしまうことがあって、それを切り離すことができるのが斬霊剣なの。エネルギーも物質も元は同じだから、ぶつかり合えば変化するものなのよ」

「硬いとか柔らかいとかじゃないんだ」

 シヴァルはアリスの片側に立てかけられた、研ぎ直しが終わったばかりの斬霊剣を不思議そうに眺めた。不思議という意味では、そんな特殊なことをアリスはできるのに、どうして辺鄙な無人島でバーテンなんかやっているのか、それちらの方がよほど不思議だった。だが、できることをするのが一番の幸せとは限らない。それはシヴァルもよく分かっていた。

 窓の外には高層ビル群の見事な夜景が広がっていた。薄暗い店内はそこそこ混み合っていて、人々の笑い声や囁きがうるさくない程度に聞こえてくる。シヴァルはこういった時間も幸せと感じるが、アリスはどう感じているだろうか。

 ふと、その囁きが消え、人々の意識が一つのニュース画面に集中した。

 画面には炎をあげ、黒煙を吹き出す建物が映し出されていた。アナウンサーがテロリストの犯行と繰り返し伝えている。人間が機械の力を借りずに、自らの意志だけで判断し生活をしていく、リアルヒューマニズムを提唱する過激派団体、レプトリアンズが破壊目的のウィルスをばらまいたせいで、一部のエリアで都市管理コンピューターが停止して火災が発生したという内容だ。

「どうしてあんなひどい真似するのかしら。自分たちだけで静かに暮せばいいのに」

 シヴァルの問いかけにアリスがちょっと待ってという仕草をした。秘匿回線で連絡が来ていた。

〈やあ、アリスか。芝警察署の張本だ。調子はどうだい?〉

〈今、友人と会っていて忙しいわ〉

〈それは済まない。ただ緊急の要件でね。手伝ってほしいことがあるんだ。いま報道を見ているだろう。ビル火災の事件だ〉

〈またレプが暴れているんでしょう?〉

〈ああ。やつらのせいで街中ウィルスだらけだ。そのウィルスのひとつが武装アンドロイド警官に取り憑いてしまい、そいつが暴走しているんだ。止めるのを手伝ってほしい〉

〈そういうのは警察の仕事でしょ。私はただのバーテンよ〉

〈おいおい。元軍用で地下バトルロイヤル百連勝の最強アンドロイドが何を言っている。アンドロイドを倒すのはお手の物だろう。市民としても強力する義務はあるはずだ〉

〈あなたのところには、もっと強い武装アンドロイド警官がたくさん配備されているでしょ。私の出る幕ではないわ〉

〈それがそうでもない。お前さんが今日斬霊剣を持っていることは調べ済みだ。その幽霊が斬れる剣で、暴走アンドロイド警官を斬って欲しい。ウィルス感染と同時に変なものに取り憑かれたらしくて、自分は生きているとほざきだしたらしい。何が取り憑いたのかわからんが、お前さんは幽霊を斬るのが専門だろう〉

〈幽霊じゃないわ。エネルギー場よ〉

〈どっちだっていい。やってくれるよな〉

〈斬霊剣を使わなくても、対アンドロイド無効化パルス銃で止められるでしょう〉

 張本が少しの間沈黙した。言おうかどうか迷っているのだろう。やがて張本は静かに言った。

〈実は人質を取られている。滅多な真似はできない〉

〈人質を取るアンドロイドなんて聞いたことないわ〉

〈暴走アンドロイド警官はちょうど警察のお仕事見学ツアー対象で、子供の意識を転送して乗せていた。レプどもはそこを狙ってウィルスを仕掛けてきたのかはわからん。だが、たまたま火災が発生したビルに意識転送した子供の身体があった。もうその子が戻る身体はない。もし、暴走アンドロイド警官が壊れるようなことがあれば、その子は死ぬことになる。手も足もでないんだ。子供のためだと思って手伝って欲しい〉

〈つまり、子供の意識だけ切り離せといいたいのね〉

〈そうだ。切り離した子供の意識をすぐに別の武装アンドロイド警官に載せ替えられれば、後はなんとでもなる〉

〈分かったわ。やってみる。ただし一つだけ条件がある〉

〈何だ?〉

〈報酬として本物のバランタイン17年 ソウル リミテッド エディションを仕入れて〉

 秘匿回線の向こうで舌打ちするのが分かった。

〈仕方ない。なんとかする。これから暴走アンドロイド警官を三田エントランスタワーに追い込む。そこで待機してくれ〉

〈切り離した子供の意識を載せ替える手はずは付いているの?〉

〈実はそこが問題だ。何かいい手はないか?〉

〈私にいい考えがある〉

 アリスは手はずを張本に伝えると席を立った。

「ごめんなさい。シヴァル」

「分かっているわよ。どうせ芝警察署の連中でしょ。あいつらいつまでタダ働きさせるつもりかしら」

「今回はちゃんと報酬をもらうわ。とっておきのをね。報酬が手に入ったら連絡するわ。楽しみにしていて」

 三田エントランスタワーの周りにはたくさんの警官が配備されていた。武装アンドロイド警官もいれば、生身の警官もいた。

 アリスは斬霊剣を鞘から少しだけ抜いたがすぐに鞘に戻した。目にした刃は見事に研ぎ上げられ、黒い鎬に相まって刃が無慈悲な光を放っていた。鎬には般若心経が刻印されている。抜いただけで般若心経が持つエネルギーが解き放たれ、辺りの空気を震わせるようだ。斬る直前に鞘から抜かないと、このエネルギーが広がりすぎて子供の意識に影響が及んでしまうかもしれない。アリスは居合で斬ることを決めた。

 連絡がきて暴走アンドロイドがもうそこまで迫っているのが分かった。柄に手をかけて腰を落とす。

 三田エントランスタワーを背にすると、正面国道から猛烈なスピードで暴走アンドロイド警官が駆けてくるのが見えた。背後にはそれを追う武装アンドロイド警官とパトカーの群れ。

 暴走アンドロイド警官が迫る。手にした電磁パルス銃で撃ってきた。狙いは正確である。

 正確であるが故に避けるのは簡単だ。アリスは電磁パルス弾を避けながら駆け出した。右目にリソースを集中して暴走アンドロイド警官のエネルギー場を読み取る。手足のエネルギー移動が手に取るようにわかる。右か左か。

 アリスは右に体を倒しながら斬霊剣を抜き放つと一息で振り抜いた。

 金属をかすめる音が響き渡り火花が散る。

 暴走アンドロイド警官はアリスの脇をすり抜けていく。同時に切り離された左腕が宙を舞った。

 そしてその背中からまばゆく光る珠のような何かが飛び出した。珠は神々しく見る者の心を揺さぶる光を放っているが、それが見えるのはアリスの右目だけである。その右目が捉えたのは、珠が揺れながら宙を浮遊したと思うと、まるで吸い寄せられるように後続の武装アンドロイド警官に飛び込んでいく光景であった。

「うまくいった」

 アリスは武装アンドロイド警官に子供の母親の意識を転送してもらうよう依頼していた。母と子。引き合うに決まっていた。子供の魂は暴走アンドロイドという監獄から解き放たれた。

 アリスがうまくいった合図を送ると同時に、四方八方から暴走アンドロイド警官に銃弾が打ち込まれた。暴走アンドロイド警官は三田エントラスタワーの正面玄関を潜る前に地面に崩れ落ちた。全ての電気系統が停止する直前に暴走アンドロイド警官はアリスだけにメッセージを飛ばした。

〈私たちは監獄の中にいる。私は先に解き放たれた〉

 私たち。

 アリスは横たわる暴走アンドロイド警官の姿を見た。そこにはもうエネルギー場と呼べるものはない。あるのはただの鉄くず。

 あなたは最後に何を感じたの?

 鉄くずはもう何も応えてはくれなかった。

          終


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