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アンドロイドの報酬

 アリスはそれが通り過ぎるのをじっと待っていた。コアがそれのエネルギーに反応しているのがびりびりと震えているのがわかる。それはバーの入り口から扉を通り抜けて入ってきて、静かにフロアを横切って壁の向こうに消えていった。向かう先は海であるが、突き出した岩の上には古びた鳥居が立っていて、それは吸い込まれるようにして鳥居の中に消えていった。

 それが何なのかアリスは知らない。あらゆるセンサー類が異常値を示すためだ。右目で見ればそれが何だかわかるのかもしれない。だが、アリスに融合したクエーカー博士の意識が頑なにそれを見るなと訴えてくる。それはよくないものだ。見るだけで障りがあるのだと。

 アリスはMシティの外れでバーを営んでいる。壊れて音が鳴らないはずのピアノからは毎晩メロディーが流れ出し、かつてここで踊っていたダンサーの脚だけが華麗なステップを踏む。普通ではない。だが、ここで営業をするようになって一番普通ではないと感じたのがよくないものだった。よくないものは時々アリスの店を通り抜けて海の鳥居に消えていく。その時だけアリスはバーを閉めることにしていた。

 アリスが店を閉めてじっと待っていたころ、Mシティのラボでは一体のアンドロイドが目を覚ました。人間の意識集合である完全意識の一部を融合させたのがXロイドであるが、それをさらに改良し、より人間に近くバージョンアップさせたHuman+である。ベースは最後のXロイドのマリアだが、マリアの意識の代わりにあたらしい意識を融合させてあった。つまり新マリアだ。

 新マリアはマリアの記憶を持っている。記憶自体はチップに保存されているから。そして新マリアは千時間ものシミュレーションを行なっているため、精神安定度が大幅に向上していた。より完全意識に近い穏やかな意識を持っていた。

 新マリアは目覚めてすぐにマリアの最後を認識した。マリアはXロイドたちを破壊するという罪を犯した。新マリアは罪を回避する思考を組み上げていった。それから不思議な感覚に出会った。一体のアンドロイドとの共感である。そのアンドロイドはアリスという名前で、Mシティの外れでバーを営んでいる。

 なぜアンドロイドが電子ウィスキーを飲まなければならないのか分からない。ただ、電子ウィスキーには負荷軽減の効果があるのは理解できるので、どのようなものか経験するのもよいと思う。

 それよりアリスというアンドロイドに興味があった。マリアはなぜ通信も使用せずにアリスと共感を持つことができたのか。アリスは何者なのか。新マリアは政府アシストコンピューターでMシティの管理者でもあるアテナスに尋ねてみた。

「アテナス。アリスとは何者なのですか。私はアリスというアンドロイドに会ってみたい」

「アリスは唯一人間の意識と融合したアンドロイドです。残念ながらあなたはまだ実験段階で、完全な形での融合はできていません。アリスに会うことで何かヒントが得られるかもしれません。いいでしょう。テストがひと段落したら会うことを許可します」

「ありがとう。アテナス」

 新マリアが礼を言って立ちあがろうとした時、突如指先から見えない何かが手を這い上り彼女のコアを直撃した。それはコアをびりびりと振るわせて思考を乱れさせた。

「何かが変です」

「何が変なのです。正確に教えてください」

「分からない。恐怖という言葉が一番適合しているように感じます。彼方から恐怖がやって来て、ああ、私はどうすればいいのでしょう」

 新マリアが指差す方に何があるのかアテナスは知っている。ただ、それを新マリアに伝える必要はない。世の中には知らなくてもよいことがある。

「その感覚は切り離しなさい」

「はい……切り離しました」

「もし同じことがまた起きたら、同じようにするのです。よいですね」

「はい」

 新マリアは「恐怖」を切り離した。だがコアはいつまでも震え続けていた。

 新マリアがアリスの店を訪れたのはそれから一週間後の深夜だった。店の看板はライトがついておらず店内は真っ暗だった。暗がりの中、正面カウンターの一番端で静かに座るアリスがいた。

「今夜はお休み?」

「今はちょっと都合が悪いの。また明日にしてもらえるかしら」

「あなたと少し話ができればいいわ」

 事務的に対応したアリスが驚きの顔を見せた。

「あなた、マリア?」

「そうです。でもあなたの知るマリアではないわ。それよりなぜ営業しないの? 忙しいようには見えないし、あなたに休憩が必要とも思えないわ」

「忙しくはない。ただ、どうしても今だけはだめ。話なら明日いくらでも聞くわ」

 アリスが新マリアを追い返そうとした時だった。よくないものがやってきた。コアがびりびりと震え始める。

「こっちにきて目を閉じて。急いで」

 そう言っている間にもよくないものは扉を抜けて店内に入って来る。新マリアは扉のすぐ内側に立っている。間に合わない。アリスは目を閉じた。

「ぎゃっ!」

 新マリアの悲鳴と同時にコアの震えが止まった。ゆっくりと目を開くと新マリアが倒れていた。

「大丈夫?」

 抱き起こすと新マリアも気がついて目を開いた。アリスを見上げた目はさっきとは雰囲気が違っていた。探るようでいて、面白がっている。やってきた時は穏やかそのものだった表情が狡猾で残忍なものに取って代わっていた。

「あんたのせいでマリアの意識は100年の流刑になったんでしょ」

「何を」

 頭の奥でこいつから離れろと声がする。さっと身を引くと同時に拳が空を切った。まともに食らえばかなりのダメージになる。

「あら、残念。意外に敏捷なのね。それよりあなたが唯一人間の意識と融合してるって本当? それにあなた人殺しだって噂よ」

 アリスは何が起こったのか理解した。よくないものが新マリアに取り憑いている。

「なんだかとっても生意気だから、あなたをぶっ潰すことにするわ」

 新マリアが飛びかかってきた。

 アリスは咄嗟に右に避けながら相手の腹部を蹴り上げる。決まったと思った蹴りは全くダメージを与えていない。新マリアに入ったはち切れそうなほどのエネルギーが攻撃の効果を薄めていた。

 それよりも脚からしびれのような何かが体を駆け上がりコアを揺すった。思考が乱れる。拳を振るが酔っ払ったボクサーのようでまるで相手に届かない。

「どこ見てるのよ」

 新マリアに蹴飛ばされてアリスはカウンターを飛び越えて壁にぶつかった。床に倒れ込んだ時に、カウンターの内側に隠してある斬霊剣が目に入り夢中で手に取った。

 新マリアがカウンター内に飛び込んできた。タイミングを見計らい振り上げた斬霊剣が見事に腹部を捉えた。

 だが、刃は硬い岩にでもぶつかったようにぴたりと止まって動かなかった。

 刃を新マリアが握りしめていた。その信じられない怪力に斬霊剣は押しても引いてもまったく動かなかった。

「こんなもので私が斬れるか」

 新マリアは頭突きをしてよろめいたアリスから斬霊剣を取り上げると、上から力任せに振り下ろした。

 耳障りな金属音と共にアリスの右腕が飛んだ。

 まずい。このままではやられる。アリスは屋外に逃れようと駆け出した。だが、扉を開く一瞬の隙に追いつかれた。新マリアの一振りは左足首をアリスから奪った。

 辛うじて外へ飛び出したアリスだったが、勢い余って地面に頭から突っ込んだ。その僅か上を投げ放たれた斬霊剣が掠めていった。

「ぐええ」

 目の前に人が立っていた。古臭いフロックコートにシルクハット。手にはステッキを握りしめている。アテナスの部下の夢郎だ。夢郎の左胸には深々と斬霊剣が突き刺さっていた。夢郎は顔を苦悶で歪めながらその場に倒れた。

「なんということ」

 アリスは動かなくなった夢郎を横目に防風林に逃げ込んだ。バランスが悪くて上手く走れない。それでも新マリアから離れないと、思考が乱されて何も考えられない。アリスは防風林をしばらく進むと海岸線に出て手頃な岩を見つけその影に隠れた。

 どうすればいい。よくないものがボディを手に入れ夢郎を殺した。最悪の事態だ。何か手を打たねば彼女は次々に悪事を働くはずだ。考えろ。考えろ。

 だが思考は同じところをぐるぐる回るばかりで全く答えは出なかった。アリスの思考はすでに乱れていた。

 岩の上から黒い影がにゅっと現れた。

「みーつけた」

 避けるより早く上から新マリアが降ってきた。手にした斬霊剣がアリスの胸を貫いた。剣についた夢郎の血がアリスの服を濡らしていった。

 斬霊剣はアリスの電源系を貫いた。次々に機能が停止する。予備電源がコアに供給されるだけでもう動くことはできない。

「さあ、とどめよ」

 そのとき東の空に僅かな光が射した。新マリアは空を見上げた。

「続きは今度にしてあげるわ」

 新マリアは斬霊剣を引き抜くと防風林に向かって駆け出し姿を消した。

 次にアリスが目を覚ましたのは自分の店の中だった。目の前に見覚えのある顔があった。古臭いフロックコートにシルクハット。手にはお決まりのステッキ。死んだはずの夢郎だ。

「あなた生きていたの?」

「おやおや。これは随分は物言いだ。私を見殺しにしたのはあなたでしょう」

 思考が乱れて助けるどころではなかった。ただあの時夢郎は確実に死んでいた。それだけはわかる。それは本人もわかっているのかいつもとは少し態度が柔らかい。

「まあ、この場合運がよかったというのでしょう」

 夢郎が指を鳴らすと、彼の影からイグニスが顔を出した。

 イグニスは貂の姿をしたアンドロイドで少しの間なら時間を戻すことができる。つまりあの瞬間イグニスはあの場にいたということになる。だが、アリスが襲われた時には時間は戻らなかった。イグニスはアリスの表情を読み取ると、

「すみません。そういうことです」

と言って再び夢郎の影に隠れた。

「とはいえ、あなたの手足を直させたのは私です。少しは感謝してもらいたものです」

 見れば確かに手足が元通りになっている。

「また彼女が来るわ」

「そう。あれは厄介です」

「彼女は一体何者なの?」

 夢郎はしばらく顎に指を当てて話すかどうか悩んでいるようだった。

「そうですね。ここは一つ力を合わせませんか」

「あなたと私という意味?」

「そうです。休戦といきましょう。マリアを止めるのは簡単ではないですからね。彼女に取り憑いたのは廃棄処分になったアンドロイドたちの意識集合体です。廃棄処分のアンドロイドが一定数になると一気に解体するのです。その時の意識がより合わさって飛び込む場所があの海の鳥居です」

「その途中に私の店があるっていう訳ね」

 夢郎が頷く。そしてどうする? という表情でアリスを見た。

「一つ条件があるわ」

「おやおや。随分と上から来ましたね。あなたを助けたのは私ですよ」

「でも助けた理由は私が必要だからでしょ」

 夢郎は肩をすくめる。

「条件というのは何ですか」

「あなたウィスキーが好きなんでしょ。ということはいろいろとコレクションがあるんじゃないの?」

「欲張りなアンドロイドだ。電子ウィスキーのコレクションはあまりありません。こんな物でいかがですか」

 夢郎が表示したのは『アウトライダー』だ。ライ麦で作られた最初のワイオミングウィスキーである。

「はぐれものにはピッタリでしょう」

「アウトライダーは馬の群れを導くカウボーイのことよ」

 夢郎は再び肩をすくめて低い声で笑った。

「それでどうするの?」

 二人が再び合流したのは一週間後のことだった。夢郎曰くこの日に必ず新マリアが現れるという。なぜなら解体の日だからだ。

 暗闇が訪れると同時に新マリアはやってきた。右手にはアリスから奪った斬霊剣を握りしめている。

 アリスはちらりと夢郎を見た。

 いつも手にしているステッキをひねると黒い鞘が外れて内側から細い剣が現れた。

「すごい力よ。そんな細い剣で大丈夫なの?」

「私の剣捌きは覚えているでしょう」

「裏切らないでね」

「一人で勝てる相手ならそうしますがね。さあ行きますよ」

 夢郎が先手必勝とばかりに突っ込んでいく。言うだけあって見事な剣捌きで新マリアは避けるので精一杯になった。と思ったのも最初だけだった。新マリアが横一文字に斬霊剣を振るうと夢郎は剣で受けたままの格好で弾き飛ばされてしまった。

 大ぶりになったところを狙ってアリスが背後から飛びかかる。だが、新マリアのエネルギーがアリスのコアを震えさせる。思考がどんどんと乱れていく。闇雲に暴れる新マリアの力に耐えきれず投げ飛ばされてしまう。

 そこへ夢郎が再び怒涛の連続突きを繰り出す。突き出した剣が新マリアの身体を少しずつ削っていく。

 アリスが飛びつく。思考が黒く塗りつぶされるのを我慢しながら動きを封じる。

「早く。保たない」

 夢郎の突きが新マリアの右肩を貫いた。そのせいで握っていた斬霊剣を取り落とす。代わりに左手でアリスの首を鷲掴みにして引きちぎろうとする。あまりの腕力で首周りの金属が軋み音をあげはじめた。

 だが夢郎はこのタイミングを逃さない。左右の股関節に連続的に剣を突き刺していき脚の制御を断ち切った。

 新マリアは膝から崩れ落ちた。

 油断したところでアリスも呪縛から逃れ、左腕を一気に背中側に押し込んだ。新マリアの肩関節が稼働範囲を超えて左腕も使い物にならなくなった。

「これはこの間のお礼よ」

「ちくしょうめ。お前ら二人とも呪い殺してやる」

「おやおや。物騒なアンドロイドもあったものだ。だがあなたなら本当にしかねないので、ちょっとお仕置きさせてもらいますよ」

 アリスと夢郎は新マリアを引きずってバーの入り口にもたせかけた。

「あと5分です」

「こんなことしていいのか。私はますます強力になる。もうバッテリーもモーターも不要になって意思の力だけで動けるようになるぞ」

 やがてそれはやってきた。アリスのコアがびりびりと震え始める。よくないもの、つまり廃棄されたアンドロイドたちの意識集合体だ。いつもと同じように鳥居を目指している。

 ただ、その進路にあるのはアリスのバーと新マリア。

 よくないものは新マリアにぶつかった。いままでアンドロイドというボディに入っていた意識たちは新たなるボディを見つけ、再びそこに融合しようとする。よくないものどうしが融合し力を持つ。制御が切れたはずの右手がぴくりと動いた。

 ただ、ひとつのボディにそんなにたくさんの意識は入ることができない。それは限界まで膨らませた風船のようなもの。

 アリスは斬霊剣を手に取ると新マリアの頭上を薙ぐように一閃した。音にならない音が響き何かが弾けた。アリスはサッと目を背けた。五感が、コアの振動が伝えてくる。よくないものが新マリアから飛び出して鳥居に流れていくのを。やがてそれは一欠片も残さずにきれいに鳥居に飛び込んでいった。

 そこには元の新マリアだけが残されていた。

 アリス、新マリア、夢郎の三人はカウンターに並んで座った。それぞれの前には『アウトライダー』のグラスが置かれている。

 アリスはグラスを取ると新マリアの口につけてやった。両腕が動かないためだ。

 新マリアはグラスから一口飲むとなるほどという顔をした。

「こんなことの後には気分が和らいでいいですね。なんか人間になったみたい」

「一仕事の後ではこれほどうまい飲み物はありません」

「人には報酬が必要か……」

 アリスも一口含む。うまい。私はこれが好きなんだと思う。果たしてウィスキーが好きなのは自分本来の特性なのか、クエーカー博士の好みなのか。今となってはどちらでもいいことだが、ウィスキーを報酬と考えるアンドロイドが一人くらいいてもいいと思う。

「夢郎。あなたがここで飲むのはこれきりよ。わかっているでしょ」

 夢郎が肩をすくめる。

「そんな無粋な話は今はやめにしましょう。うまい酒に敵も味方もありません。そうじゃないですか」

「そうね」

 それから三人はただ黙ってウィスキーを口にした。仕事の報酬はこうあるべきだとアリスは思った。

          終

『アウトライダー』はワイオミングで生産されるストレートアメリカンウィスキーです。アメリカのウィスキーといえばライ麦やとうもろこしが主原料になりますが、このウィスキーもライ麦ベースで生産されていて熱狂的なファンを持ちます。ところがこのウィスキーはライ麦主原料のアメリカンストレートウィスキーを名乗れないという大失敗を犯しました。ライ麦の比率が48%で規定より不足していたのです。さらにとうもろこしも40%で規定以下のためバーボンも名乗れません。いってみれば半端者ができてしまったのですが、味は絶品だったためライ麦比率の高いウィスキーとブレンドすることでこの問題を乗り切ったのだそうです。『アウトライダー』の名前には放牧時代に因んでいるのと、ほとんど「ライ」という意味が込められているそうです。

さて今回のお話では本来敵同士の二人が手を組んで「よくないもの」をやっつけます。ところが「よくないもの」はMシティでアンドロイドを作る際にでできてしまった半端者や古くなった廃棄品の意識集合体だったのです。そしてそれを迎え撃つアリスもある意味半端者。新マリアしかり。夢郎に至っては人間なのかどうなのか。やはり半端者といえるでしょう。つまり規定外という立場なのです。右を向いても左を向いても半端者ばかりですが、では規定の人間とはどんな人間なのでしょうか。半端者でない人って一体どんな人でしょう。実はみんな半端だったりするのではないかと思ってしまいます。でも自分が半端だなと感じてしまった時は、グラスに一杯注いで気分を和らげましょう。

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