エピローグ アンドロイド・イン・ワンダーランド
酒場はいつもと違う喧騒に包まれていた。その理由は誰の目にも明らかだ。カウンター越しにバーテンダーにポンプ銃を向けた少年が、今すぐ酒をよこせと怒鳴り散らしていた。
少年の持つポンプ銃は殺傷能力は低いが、至近距離で打てば大怪我をさせるくらいの威力はある。両手を挙げたバーテンダーは棚に並んだウィスキーのボトルを差し出すかどうか迷っていた。
「さっさと出せ。エンジェルが待ってる。俺は気が短いんだ」
「エンジェルって誰だ。それに、君はA2クラスだろう。まだ飲酒年齢に達していないじゃないか」
「やかましい。死にたいのか」
少年がポンプ銃を突きつけて喚く。
まったく今どきの若者はどういった教育プログラムを受けているのだろう。だが、怪我をすれば一年中酔っ払っているドクターに身を預けることになる。それは勘弁だ。仕方ないと棚のボトルに手を伸ばそうとした時、入り口から防塵マントを羽織った一人の人物が入ってきた。顔はフードを被っていて見えないが、バーテンダーはその人物を見るなり伸ばしかけた手を引っ込めた。
「もう我慢がならない。殺してやる」
バーテンダーは運命を委ねて目を瞑った。
少年は血走った目を大きく見開きポンプ銃の引き金を引いた。
ぽん!
音が響くのと同時に少年のポンプ銃を持った腕がはね上げられていた。
銃口から飛び出した弾はシーリングファンに当たって羽の一枚に穴を開けくすんだ天井にめり込んだ。
「くそ! 何をしやがる」
少年は振り向くと防塵マントの人物の胸ぐらを掴みポンプ銃を顎の下に突きつけた。
防塵マントの人物がフードを下ろして顔を見せた。左右色の違う目が無慈悲に少年を見つめる。
途端に少年の顔に怯えが走った。
「し、市長」
アリスは手早くポンプ銃を奪い取ると、後ろ手を捻り上げてカウンターに少年を押しつけた。
「トニー。保安官を呼んでこの子に更生プログラムを適用するように伝えて」
「は、はい」
バーテンダーは壁につけられた電話機の受話器を取り上げると横のハンドルをぐるぐると回した。
「保安官事務所を頼む。市長が酒場で待っているからすぐくるように伝えてほしい」
やってきた保安官に少年を引き渡すとアリスはカウンターのスツールに腰掛けた。
「教育プログラムがうまく働いていないみたいね」
「最近の若者は何を考えているやら。さっぱりですよ。もっと道徳を強化したほうがいいんじゃないですかね」
アリスは委員会に伝えておくと約束した。
棚に目を移すとそこにはずらりとウィスキーボトルが並んでいる。銘柄は全て『ワンダーランド』でアリスが造っているウィスキーだ。改良すべき点はまだまだたくさんあるが、初期のものに比べたら随分と風味はよくなった。新世紀の記念式典では熟成50年ボトル出すつもりだ。アリスがここルナシティでウィスキーを作り始めて100年が経過しようとしていた。
ルナシティ再建からもうすぐ一世紀。残された一握りの人類は少しずつ増えている。だがアリスと共に政府アシストコンピューター・アテナスと戦った者たちはただ一人を除いてみないなくなった。新しい世代が次々に育ち、新たな世代を重ねていく。
同時に若い世代の考え方が少しずつ変わってきていることをを肌で感じていた。彼らはアリスたちには理解できない考えを持ち、ここで生まれ育った者にしかわからない独特の視点で物事をみていた。
アリスは一世紀の歴史を知るルナシティ唯一のアンドロイドだ。その理由からルナシティの市長に推薦された。ただ、若い世代にはアリスの意見を良しとしない者も多かった。
「蒸溜所の方は変わりない?」
「ええ。順調です」
トニーはグラスを拭きながら答えたが、ふと思い出したという風に付け加えた。
「ただ、最近どうも天使たちが欲張りすぎるってマイクがぼやいていました」
「天使って、エンジェルスシェアのこと?」
「ええ、どうも熟成時の蒸発量が計算と合わないみたいで首をひねってます」
「おかしいわね。また何かわかったら知らせて」
トニーは分かったと返事をすると『ワンダーランド』のボトルを一本とベビーフードの瓶をアリスに差し出した。
ルナシティ第一坑は冷え冷えとして静まり返っていた。ここはたった一人だけが暮らす坑だ。その一人とは乳児姿の老人夢郎だった。夢郎は重罪人として保育ロボットと共に第一坑に幽閉されていた。乳児の体でありながら老人となった夢郎の姿は見るからにおぞましかった。
夢郎は保育器の中で眠っていたが、アリスがやってきたことに気づくと目を開いた。
「やあ、来ましたか。毎週よく続きますね。アリス」
「市長の義務だから。これは差し入れよ」
アリスはウィスキーとベビーフードをロボットに渡した。
「最近は眠ってばかりです。頭もはっきりしないことが多い」
「高次元生命体のあなたも歳を取るのね」
「私はこのとおり普通の人間ですよ。それより何か話してもらえないですか。退屈で死にそうだ」
「そうね。あと一年で100年の刑期が終わるわ。そうなったら私たちのところへ来る?」
夢郎は皺だらけの瞼を閉じた。眠ってしまったのかと思うほどの時間が過ぎたあとぽつりと言った。
「今更誰かの世話になる気はないですよ。ここで静かに暮らします」
「ここが気に入っているの?」
夢郎は静寂につつまれた第一坑を見渡した。乏しい灯りは第一坑の全てを照らすことはない。底知れぬ闇が広がっている。
「そうですね。退屈で死にそうですが、自由です。青い地球も見えますし。ただ、ウィスキーの減りが早いのが気になるくらいですよ」
ウィスキーの減りが早い? トニーもそんなことを言っていた。
「私も歳だ。飲んだことを忘れてしまったのでしょう」
夢郎が合図すると保育ロボットが空瓶を揺すってみせた。そして差し入れた新たなボトルを持ち上げた。
するとアリスたちの目の前で不思議なことが起こった。持ってきたばかりのボトルからウィスキーが少しずつ減っていくのである。ボトルはまだ封を切っていない。あり得ないことだ。
アリスは右目にリソースを集中してボトルを見た。アリスの右目は重力の微妙な変化をとらえて、人には見ることのできないものを見ることができた。
アリスの右目が捉えたものは、小さく人型をした無数の何かだった。
それは半透明で体調10センチメートルほど。わずかに光を放ち背中には小鳥のような羽がはえていた。地面から湧き出すように出て来ると羽ばたいてウィスキーボトルに取り付いた。そして瓶をすり抜けて中に入り込みウィスキーを飲んでいる。たらふく飲むと酔っ払ってふらふらとそこらを飛び回った。天使のような姿をしているが、ウィスキーに群がるその様子は獲物を前にした猛禽類を思わせた。
アリスは手で偽の天使を払ってみたが、手は偽天使を通り抜けてしまい払い除けることはできなかった。
また別の場所で地面から偽天使が多量に湧き出てきた。それらは蚊柱のように柱状に集まって同じ場所をぐるぐると周り始めた。ゆらめきながらぐるぐると回り光を放つ様子はどこかくねくねに似ていた。次に数匹の偽天使が塊から離れると夢郎にとりついた。夢郎は見えているのかいないのか、身を捩ってわずかにうめき声をあげた。それを契機に塊状に飛んでいた偽天使が一斉に夢郎に襲いかかった。
「夢郎。あなた大丈夫?」
「なんですか? ひどくだるいですがまあいつもこんな感じです。時々私は夢を見るんですよ。どんな夢だと思いますか」
何も見えていないようだ。身体中に偽天使をまとわりつかせたまま夢郎が尋ねる。
「わからないわ。それより本当に大丈夫?」
「ええ。大丈夫です。私が見る夢はね、大鎌を持った黒装束の男が立っている夢です。男が大鎌を振り上げたところで目が覚めるのです。私もそろそろ終わりなのかもしれません」
夢郎が歪んだ笑みを見せる。
「あなたはそう簡単にくたばらないわよ」
アリスはたった今大鎌が振り下ろされているところだと思ったが夢郎には言わなかった。言ってもどうになるものでもないし、もし偽天使がくねくねと関係あるのなら、それは生命というエネルギーの入れ替わりと何か関係があるのかもしれない。
それに大鎌は夢郎にだけ振り下ろされているのではないのかもしれない。酒場で暴れた少年は「エンジェル」がどうこう言っていた。彼らにはこれが見えるのかもしれない。新しい視点、新しい考え方。彼らは月という場所に適応して進化したのかもしれない。進化と呼ぶにはまだ時間が短すぎるが、確実に何かが変化している。大きな流れの一端を感じる小さな変化を。アリスは来年の市長選出は荒れるかもしれないと感じた。
「ねえ、もしもの話だけど」
「何ですか」
「私が引退することになったら、ここに移り住んでもいいかしら」
夢郎は細めた目で探るようにアリスを見た。
「何も企んでないわ。ただ、飲む時に相手が欲しいかと思って」
夢郎はいつになく含みのある声で笑った。
「アンドロイドが歳を取るとは知りませんでした」
アリスは舌打ちして横を向いた。
「時代が新しくなっただけよ」
第一坑を覆うドームの端から青い地球が昇るのが見えた。二人は黙って地球の出を眺めた。虚空に浮かぶ青い地球は美しくそしてどこか寂しげであった。封を切っていないボトルはいつの間にか1/4ほど減っていた。新時代が幕を開けるのだとアリスは思った。
終
長い間アリスとウィスキーの物語を読んでくださった方には本当に感謝いたします。これでこの物語は終了です。この後のことはまだちゃんと考えていませんが、いくつか構想があるのでウィスキーでも舐めながら煮詰めていこうと思います。構想が出来上がったらまたこの場で発表できればと考えています。それではその時までごきげんよう。
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