溶ける雨
かれこれもう一週間以上雨は降り続いていた。アンドロイドにしてみれば雨が降って困ることは滑りやすくなることくらい。別に空が青くなくたって気持ちが沈むことはない。だが、この一週間で三体のアンドロイドが自壊をしていた。本来ならゴミを元素に分解するためのプラズマ分解銃を自分の頭に向けてスイッチを押したのだ。
ここはゴミ処理島のドリームシティ。ゴミを元素に分解して売る事で収入を得ていたが、取引が停止になり仕事はない。多くの人間が肉体を捨てて完全意識に融合してしまったおかげで、サメの餌には困らない有様だ。
島に残された意識転送型アンドロイドは意識転送を終了して抜け殻になったり、日々貯蓄を切り崩して電子ウィスキーに溺れたりしている。
そして唯一、何の影響もないと思われていた独立型アンドロイドが自己破壊を始めた。理由はわからない。ただ、そういった事件が起きる時には必ず黒い雨が降っていた。
アリスはこの島でバーテンダーをしているアンドロイドだ。本物のウィスキーも僅かながら置いているが、ストックしている大半は電子ウィスキーだ。だから今日もやることがなくなったアンドロイドを相手に電子ウィスキーを振る舞っている。
だからといって店が盛況なのかといえばそうではなかった。店に来る誰もが疲れた顔をしていた。カウンター席に座ると、暗い目でグラスを見つめ黙って電子ウィスキーを喉に流し込む。そんな陰鬱な雰囲気が店と島全体を支配していた。そしてアリス自身、この店を続けていく理由を見つけられなくなっていた。
「ボビーが死んだ。頭を吹っ飛ばしやがった」
入って来た男が言った。誰も反応しなかった。男の全身を濡らす雨のしみは黒かった。
「ねえ、知っているかい」
カウンターの一番端にいるアンドロイドが言った。アルという名前で飲んでいるのは『トラベイグ』。両手でグラスを包むようにして静かに飲んでいるのだがもう3杯目だ。
「黒い雨は僕らの心を溶かすんだ。だから死にたくなる」
「でたらめを言うな。アンドロイドに心なんかねえ」
隣のフレッドが食ってかかる。
「あるさ。そうでなければ死にたくなんてならないだろ。あんただって、どうやってライフを終りにしようかって考えているんじゃないかい」
「そんなことは……」
フレッドはそれ以上何も言わなかった。
「心を溶かすってどういうこと? あなた何かを知っているの」
アリスが思わず尋ねた。アリスの右目は相手のエネルギー場を見ることができる。フレッドのエネルギー場はアルが言ったように崩れかけていた。まるで銃弾を受けそこから溶けだしたかのように。
「見えるのさ。その人の心の形のようなものが」
「もしかしてあなたクエーカー博士に設計してもらったの?」
クエーカー博士はアリスの右目に重力センサーを組み込んだ人物だ。重力センサーがわずかな重力の違いによるエネルギー場を読み取る。重力センサーは彼が亡くなり設計できる者がいなくなった。
「誰だい? その人は。僕は量産品だしみんなと変わらないよ。それなのになぜかそういったモノが見えるんだ」
「クエーカー博士は私の設計者よ。そしてアンドロイドにも心があると教えてくれた人。もちろん人間の心とは違う。彼らの心は弱くなることもあるけど、強くなることもある。でも私たちの持つ心は弱くも強くもならない」
「なぜ?」
「分からない。教えてくれなかった」
アリスはかぶりを振った。
「他にも何か見えるの?」
「ああ。スカイフィッシュが見える。滅多に見ることはなかったんだけど、このところ島の突端あたりでよく見るな。あれは一体何なんだろう」
「さあ。私には見えないわ。視覚回路のノイズなんじゃないの?」
「すごく気になるんだよな。正体を知りたいな」
アリスはアルを風変わりだと感じた。
翌日も雨だった。そして黒かった。
アルは部屋の前に立ち雲に覆われた空を眺めていた。その空をたくさんの何かが横切っていった。
「スカイフィッシュだ」
アルはスカイフィッシュを追って駆け出した。白くて素早いスカイフィッシュは曇り空で見分けがつけにくい。途中何度か見失いかけたが行き先はわかっている。島の突端、灯台があるあたりだ。ゴミ処理の仕事が途絶えてからゴミが補充されることはなく、積み上がっていたゴミ山はすっかり無くなっていた。この島は巨大な船を何隻か並べて造られている。ゴミのない甲板はすっかり見通しが良くなっていた。突端に作り付けの灯台が建っている。スカイフィッシュがその灯台に向かって飛んでいくのが見えた。
灯台にたどり着いた時、アルはそれが処理し忘れのゴミだと思った。薄汚くて破れた傘だったからだ。だが、その破れ目からぎょろりとした目が覗いた時、初めてそれがゴミではないことに気がついた。
それはやぶれた傘に隠れるようにうずくまった薄汚い子供だった。
「お前なんなんだ」
思わず尋ねたアルに子供は、
「雨降り小僧さ。おいらは雨を降らすんだ」
と答えた。
「雨降り小僧だって。ずいぶん古臭い格好しているんだね」
「それは君の目がそう見ているだけだよ。それにおいらはただ雨を降らすだけじゃない。もっといろいろなことができる」
破れ目の間の目が意地の悪い光を放った。
「まさか黒い雨はお前が降らせているのか。そのせいでアンドロイドがどんどんと死んでいく。なんでそんなことをする」
雨降り小僧はいやらしく笑った。
「それは君たちが困るのを見るのが楽しいからさ。スカイフィッシュが負のエネルギーを運んでくる。おいらがそれを雨に乗せて降らせる。そして君たちの心が病んで困るのを見て楽しむ。そういうことさ」
アルは拳を振り上げた。だが、振り上げた拳にたいして雨降り小僧を非難する気持ちが湧くことはなかった。意味なく持ち上げられた拳は静かに降ろされた。
「黒い雨で君の心もぼろぼろだ。もう何もかもどうでもよくなっただろ」
「そうだね。どうでもいいや」
雨降り小僧が何かを投げてよこした。
「これを貸してあげるよ」
拾うとそれは銃だった。電子パルス弾が装填されている。アルはしばらく銃を見詰めていたが、それを自分に使うのは当然のように思えた。それはすごく正しいことなのだと感じた。彼は銃をこめかみに当てると躊躇いなく引金を引いた。
窓の外で黒い雨はいつまでも降り続いていた。アリスはじっとその雨を見つめていた。店は開いていたし客も何人かやってきたが、まともに接待をする気になれなかった。するとどこか遠くで銃声が響いた。
「また誰か死にやがった」
客のひとりが呟いた。だがアリスにはその誰かがアルだという直感があった。気がついた時にはアリスは店を飛び出し、銃声のした方に駆け出していた。
甲板に上がると灯台の近くに誰かが倒れていた。それがアルだとすぐにわかった。アリスはアルの方に急いだが、黒い雨が全身を打つうちに最初は駆け足だった足の動きは徐々にゆっくりになり、やがて歩みになり、ついにはそのゆっくりとした歩みもアルの少し手前で完全に止まった。
「もう歩く気力も無いみたいだね」
灯台の下にうずくまる雨降り小僧が言った。
「でももう十歩だけ頑張って歩いて欲しいな。そうすれば君が欲しい物が手にはいるから」
傘の破れ目から覗く目が意地悪く光った。
アリスはゆっくりと足を前に出した。一歩、二歩と困難に耐えるように進んだ。そして頭が無くなったアルのボディの元までたどり着いた。アルの手には銃が握られている。アルはスカイフィッシュの正体を知ることができたのだろうか。
「それが必要だろ。欲しいんだろ。さあ取りなよ。君のために用意したんだ」
アリスはアルの手から銃を取り上げた。これで終わりにできる。もうわずらわしい毎日を過ごす必要もない。好きでもない客にウィスキーを出す必要もないし、店の後片付けをする必要もない。大量に溜め込んである電子ウィスキーデータがおじゃんになるのだけは少し気が咎める。
アリスの腕が持ち上がり銃をこめかみに向けた。
そういえばアルに最後に出したウィスキーは何だっけ。『トラベイグ』か。あれはスカイ島の雨が育てたウィスキーだ。降り続く雨すら美しいと思わせる妖精の宿る島。その自然の美しさから感じる感動と喜びを形にしたもの。それがウィスキー。
アリスはアルの言葉から唐突に悟った。なぜ人間の心は強くなることができるのか。それは彼らは希望という無限のエネルギー源を持っているからだ。それは固定的なものではなく、あらゆる方向から柔軟に心を治癒してくれる。それはつまり、個性をつくるエネルギー場を治すことでもある。
ならばアンドロイドだって希望を持てば、溶けたエネルギー場を治せるかもしれない。でも希望とは一体どういうものなのか。再びアルの言葉が脳裏に蘇ってきた。彼はスカイフィッシュの正体を知りたいと言った。希望とはそんなささいな考えでよかったのか。そう気づいた瞬間、アリスの腕は真っ直ぐ前に伸びていた。
「夢郎に伝えなさい。あたしが欲しければ、自分で出向いてきなさいって」
アリスは引金を引いた。
いつしか雨は止んでいた。雲の切れ間から日の光が射しこみ筋を作っている。それをアリスは美しいと感じた。そしてアルのボディを見下ろした。それはもうアルではない。アルだった物だ。にもかかわらず、アリスはアルに感謝の気持ちを感じた。
「あなたには助けられたわね。もし生まれ変わったらお店に来て。『トラベイグ』を一杯おごるわ」
アリスは言い残して立ち去った。
終
『トラベイグ』はスコットランドのスカイ島に最近できたトラベイグ蒸溜所で生産されるスコッチウィスキーです。蒸留開始は2017年のため『トラベイグ・ジェジェンシーシリーズ2017』として2021年から販売開始となったそうです。
スカイ島はタリスカー蒸溜所でも有名ですが、非常に雨の多い島です。しかし自然が豊富でその自然の織りなす造形は非常に美しいです。ナショナルジオグラフィック社から雨が降らなければ世界一美しい島として紹介されています。ただどの旅行記を参照しても『雨』の文字が見受けられますね。
さて今回のお話はそんな『雨』をモチーフにしました。雨降り小僧は日本の妖怪で鳥山石燕の画図百鬼夜行前画集・今昔画図続百鬼で紹介されています。しかしそれほど恐ろしい妖怪ではなく、雨師のめしつかいとして紹介されています。その表情もユーモラスで愛嬌がありますが、お話では少しアレンジして悪意を持つものとして描きました。雨降り小僧に祟られないといいのですが。
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