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ゾンビヘッド

「アンドロイドに意識転送している奴らの脳を盗む事件あっただろ。違法サーバーとして使うために」

 食料配達のシロネコが首を傾げながら言った。シロネコは3Dアバターでカウンターにちょこんと座り、電子ウィスキーの『サントリー角瓶』を飲んでいた。

『サントリー角瓶』は値段の割にバランスが良く人気のあるウィスキーだ。配達後に一杯飲むのが彼の習慣だった。

「なんでも後に残された、頭が空っぽの身体まで盗まれるようになったって話だぜ。そんな物盗んで使い道なんかあるのかね」

 アリスは以前見た光景を思い出した。アンドロイドに意識転送して不要になった身体を安く買い叩きワームを育てる企業がある。そのワームで作られたスナックは飛ぶように売れている。

「物騒な話ね」

 シロネコは事件のあらましをまだ喋っていたが、アリスはもう聞いていなかった。ヘリポートに大きなカプセルが着陸するのが見えたからだ。全長10メートルほどの卵型カプセルでバケーションカプセルと呼ばれている。内部には生活空間が作られていて、ゆったりと過ごしながら世界中を旅して回ることができた。

 バケーションカプセルの入り口が開くとひと組の男女が降り立った。

「もし俺の身体がほっつき歩いているのを見かけたら、勝手に出歩くなって言っておいてくれ」

 男女と入れ替わりにシロネコはそう言い残して帰っていった。

 男はシトールといい、青年期を少し過ぎた頃合いか若々しさが残っているが、どこか落ち着いた雰囲気を持っていて、実年齢は結構いっている風に見えた。ラフな格好をしているが身なりは高級品で固められている。女は男の妻であろう。ファルシェという名で美しく洗練された雰囲気を持っていた。バケーションカプセルを利用できるくらいの生活をしているということは、企業の役員といったところか。二人は並んでカウンター席に座った。

 ここはシベリア奥地の山の中腹。険しい山の岩肌にへばりつくように建てられ、アンドロイドのアリスが営むバーである。こんな僻地にやってくる客はあまりいない。たまにやって来る客は何故か厄介事を引き連れて来た。

「君は何を飲む?」

「そうね。わたしは『シンデレラ』を頂こうかしら」

『シンデレラ』はオレンジジュース、レモンジュース、パイナップルジュースだけを使用したノンアルコールカクテルでフェイクカクテルとも言われる。

「それじゃあ、僕はスコッチをもらおうか。『アードベッグ・テン』はあるかな。もちろん本物の」

「承知しました。運がいいですね。先日たまたま一本分けてもらったものがあります」

『アードベッグ・テン』はスコットランドのアイラ島で蒸留されるウィスキーで、最もスモーキーでピーティ、かつヨード香が強いスコッチウィスキーだ。蒸溜所のあるアイラ島は泥炭層が非常に豊富なため、その味わいに大きく影響している。この銘柄を選ぶ人は昔ながらの味を好む頑固者が多い。そしてどこかくせが強い。

「バケーションカプセルですね。休暇で世界を回っていらっしゃるのですか」

「ええ。結婚40周年を記念して少し贅沢な旅をしようと思いましてね。おかげですっかり出会った頃を思い出すことができましたよ」

 ファルシェが柔らかな微笑みをシトールに向けた。二人の仲睦まじさが伝わって来るようだ。

 それからしばらく二人は旅の思い出などをアリスに語って聞かせてくれた。

 ファルシェはシトールが話をすると微笑み、そして『シンデレラ』を舐めるように味わった。

 その仕草にアリスはわずかな違和感を感じ始めていた。動きがあまりにルーチン的すぎる。確かに多少動きの違いはあるのだが、それはいわば計算されたずれの範囲内にあるように見えた。 

 つまり、機械的な反応。

 しかしファルシェはアンドロイドには見えないし、サイボーグだったとしても機械化割合は非常に少ないように見える。人間と機械は動きが違う。失礼だとは思ったが、アリスは右目でファルシェを見てみることにした。

 アリスの右目は重力への僅かな影響を読み取ることで、相手のエネルギー場を見ることができた。エネルギー場は個性と同じで人それぞれである。そして、人間のそれとアンドロイドのそれは全く違った。今アリスの右目はどちらとも似通っていない結果を表示していた。

 ファルシェのエネルギー場は半分だけ人間のそれであるが、肝心なところ、かつ一番重要な場所の生体エネルギー場がなかった。アリスは確信した。ファルシェには脳がない。

 カクテルを飲み終えたファルシェが身だしなみを整えにトイレに立った。

 すると先ほどまで饒舌に喋っていたシトールが口を閉じてアリスをじっと見つめた。何かを探るような目だった。

「気づいたんだろう」

「何をでしょうか」

「隠さなくてもいい。妻が普通の人間ではないことに気がついたんだろう」

 アリスは黙ってシトールを見返した。

「いいんだ。私も分かっている。妻の頭の中にあるのは小さなチップに過ぎない。通り一辺倒の反応ならできる。でもやっぱり本物ではない。妻は以前アンドロイドに意識転送していたんだ」

「まさか、事件に巻き込まれたのですか」

「そうだ。彼女の脳は盗まれて闇サーバー業社に売り飛ばされていた。戻ろうとした妻の意識は戻る先を失った。見つかった時はもう崩壊が進み手遅れだった。だからせめて身体だけでもと思ってね」

「お辛い話です」

「いいんだ。もう気持ちの整理はついている。ただ、たまにこうして愚痴を吐き出したい時もある」

「私でよければいくらでもお話しを伺います」

「ありがとう」

 暫くしてファルシェが戻って来た。

 シトールは残ったウィスキーを飲み干すと席を立った。

「旅の終わりにもう一度寄らせてもらうかもしれない。その時はまた同じウィスキーを飲ませてください」

「お待ちしています」

 二人は並んで出ていった。

 アリスはカウンターを片付けながら思った。こんな辛い話があるだろうか。だが技術が進歩すればそれだけ闇の世界も広がる。どれだけ便利になっても幸せの量が増えるわけではない。

 カクテルグラスを片付け、ウィスキーグラスを掴もうとした時、おかしなことに気がついた。

 ウィスキーグラスはアリスが最初に置いた位置から全くずれていなかった。

 飛び立ったバケーションカプセルの中でシトールは男と話をしていた。相手の男は夢郎といった。

「予想通りでした。妻は気付かれましたが、私は大丈夫でした」

「そうですか。それはよかった。ここまで来るのに10年かかりました。あなたが飲んだウィスキーと同じ年数です。機械も熟成させればまろやかな味が出る。さて、では計画を進めましょうか」

「はい。私は政府に戻りアテナスの手助けをします。あの見極めに使ったバーテンはどうするのですか」

「そうですね。そろそろお友達が着く頃でしょう。この辺りは雪崩が多いと聞きます。気をつけて欲しいものです」

 ヘリポートで雪煙が舞い上がった。転送エレベータで誰かがやってきたのだ。アリスは片付けの手を止めてヘリポートを見やった。そこには一人の小柄な男が立っていた。見た覚えがある男。シロネコだった。

 アリスはシロネコを入り口で出迎えた。

「今日は猫の姿じゃないのね」

「ああ? たまにはこっちも動かさないとミイラみたいに固まっちまうからな。それより知っていたか。何でも政府のお偉いさんが子供に手を出して捕まったって話」

 いつものゴシップ。でも何かが違う。そう、シロネコはゴシップを語る時はいつも首を傾げる。

「それでな…ぐえっ」

 アリスは力任せにシロネコを蹴った。咳き込むシロネコを更に、続け様に何度も蹴る。シロネコはヘリポートの一番端まで蹴り飛ばされて止まった。

「畜生。何しやがる」

「あんた誰?」

 シロネコが腹を押さえながら立ち上がった。

「何言ってるんだ。俺だ。シロネコじゃないか」

 黙って見つめるアリスに、シロネコはにやりと笑った。

「もう少しだったんだけどな」

「何故、私を狙うの?」

「何故って、社会に俺らみたいな人間がたくさん溶け込んでいる事に気がついたんだろ。そりゃまずいぜ。そうだろ」

「さっき来た夫婦のこと?」

「そう。まあいい。でももうその心配もなくなる」

 シロネコの体内で急激なエネルギー値上昇をアリスの右目が捉えた。体内に爆弾がある。それを起爆するつもりだ。

「受け取って」

 アリスは『サントリー角瓶』を勢いよく投げた。

 角瓶を受け取ったシロネコはその勢いでバランスを崩した。

「うわ。くそっ」

 ヘリポートから落下したシロネコは谷底に達する前に爆発した。

「好きだったでしょ。わたしの奢りよ」

 爆音が谷に響き渡った。頭上で地響きが聞こえた。アリスはバーに逃げ込んだ。アリスのバーは岩肌にへばりつくように建てられ、屋根をスロープにしてあった。その屋根を雪崩れた雪が滑って谷に落ちていき、シロネコの痕跡を全て埋め尽くしていった。

 アリスは窓から谷を見下ろして呟いた。

「勝手に出歩くなって本人からの言伝よ」

          終




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