猿の島
海面から見上げるその島は鬱蒼とした緑に覆われていた。15分もあるけば一周してしまいそうな小さな島だが、島の周囲を取り囲む壁が人工島であることを示していた。島の一部に造り付けの桟橋がありそこから上陸できそうだった。見たところ危険はなさそうだが、太平洋の真ん中の地図にも記録がない場所にある島だ。何もないと考えるほうがおかしい。ただ、ドリームシティから1200キロメートルも泳ぎ続け、バッテリーがかなり減っていた。あわよくば充電したいとアリスは考えていた。
桟橋に上陸するとすぐにいくつもの視線を感じた。右目のエネルギー場センサーが木々の間に何者かが潜んでいることを知らせてくれる。そのエネルギー場の形と強さから猿だと分かる。
ただ、猿の視線以前にかなり手前からドローンで監視されているのに気づいていた。この島には猿以外に必ず誰かいるはずだ。
階段を登り島の内側に入る。桟橋があるくらいだから道があるのかと思えばわずかな空き地から先は完全に森になっている。木が密生していて歩きにくい。大きく張り出した枝が陽光を遮り、森の中は暗かった。
枝から枝を猿たちが移動している音が聞こえた。そしてそれらはアリスを警戒しているのか、しきりに威嚇するような鳴き声を上げていた。きっとアリスは猿の縄張りに侵入しているのだろう。
それにしてもこの島は一体何のための島なのだろうか。通常人工島はその目的が一眼でわかるような工業施設があるものだ。ところがこの島にはそれがない。外から見えるのは鬱蒼とした森だけだ。島の中心まで行けば何かしらわかるだろうという思いで歩き続けているが、今のところ何もみつかっていない。
唐突に何かを投げつけられた。右手でキャッチすると果実だった。立て続けに果実が投げつけられる。歓迎されていない印だ。とはいえ引き返すわけにもいかない。島の主に電力を分けて守らなければならない。アリスは投げつけられる果実を片っ端からキャッチし正確に投げ返した。そのうちいくつかが投げた主に当たり悲鳴が聞こえて攻撃が止んだ。
ついに島の中心と思われる場所に着いた。目立った建物はなく一本の巨木が聳えていた。
「私はアリス。こちらに攻撃の意思はない。誰か見ているなら返事をして欲しい。可能なら電力を分けて欲しい」
アリスは島の主に向けて叫んでみた。返事はない。木々の間では相変わらず猿たちが警戒の声を上げ移動を繰り返していた。
しばらくすると、巨木の影から一匹の猿が姿を現した。
見た感じは猿というよりオランウータンに近いし体格もそれなりだ。そして目立った特徴として広い額を持っていた。それは巨大な脳を持っていることを示している。こんな特徴がある猿をアリスは知らない。
アリスが猿を観察していると、いつしか数匹の猿たちがアリスの周りを取り囲むように集まってきた。
「あなたたちの主に会わせて欲しいの」
言葉が通じるとは思わなかったが、どこかで聞いているかもしれない。
すると正面の、最初に姿を現した猿が右腕を持ち上げた。
同時に電気が爆ぜるような音がして目の前が真っ暗になった。アリスの後方にいる猿が対アンドロイド無効化銃を構えていた。アリスは電気ショックを浴びて思考が停止しその場に倒れた。
巨木の影から一人の老人が姿を現した。老人はあまり背丈が高くないが腰が伸びているせいで大きく見えた。白く長い髪を後ろで束ね、同じく白く伸びた髭は綺麗に手入れされていた。そして丸い眼鏡の奥の理知的な目でアリスを見下ろした。
再起動が完了して気がついた時、アリスは部屋の中にいた。作業台のような台の上に寝かされているが、手足の制御電流を乱す電磁波を発しているらしく動くことはできなかった。そんなアリスを老人が見つめていた。
「あなたは誰?」
老人は肩をすくめた。
「君は勝手に私の島に乗り込んできた。それで私に誰だと聞く。君が名乗るのが先だろう」
「そうね。失礼しました。私はアリス。ドリームシティでバーをやっていたバーテンダーです。理由があってMシティに向かっている途中でこの島を見つけました。バッテリー出力が低下しているので電力を分けて欲しいと思っています」
「Mシティだって。呆れたものだ。あと2000キロ泳ぐつもりだったのかね」
「他に方法がなかったものですから」
「まさかボートもよこせとか言い出すつもりじゃないだろうな」
「いいえ。そんなことはありません。もしよろしければお名前を教えていただけませんか。そのほうが話しやすいと思います」
老人は鼻を鳴らした。
「私はマーロイだ。ここで霊長類の研究をしている」
先ほど出会った猿たちは研究の対象だったのかもしれない。
「そうでしたか。変わった猿を見ました」
「ああ、彼はベンだ。被験者であり友人でもある。非常に利口な猿だよ」
「彼は……」
マーロイがにやりと笑った。
「何者か知りたいのだろう。新種だよ。私が創った」
マーロイの目にどこか狂気じみた光が宿った。自分の研究に酔っているのかもしれない。早めにここを辞したほうがよさそうだとアリスは思った。
「あの、こちらに攻撃の意思はありません。自由にしてもらえないでしょうか」
するとマーロイが鋭い視線で見返してきた。
「それはどうかな。Mシティに行くと言っていたな。どんな用事だ」
「それはあなたには関係のないことです」
「泳いで行くようなやつがまともな用事とは思えん。そういった連中は私の研究を邪魔だてばかりする。君のような部外者のせいでアテナスがいつこの島を見つけてしまわないとも限らない。私としてはこのまま海の藻屑となってもらったほうが助かるのだよ」
アリスは必死にもがいた。だが手足がまともに動作せずどうにもならない。
「お願いです。私はMシティの夢郎と決着をつけなければならないのです」
「夢郎?」
マーロイの眉が僅かに持ち上がった。
「そうです。私たちの島、ドリームシティを実験場にしたてた張本人です。彼との決着をつけられれば海に沈められても文句は言いません」
マーロイは一旦部屋の奥に行き何かを持って戻ってきた。持っていたのは一本のウィスキーボトルとグラスだった。ボトルには『タラモアデュー』と書かれた緑色のラベルが貼られている。
「私はウィスキーが好きでね。ここでの唯一の楽しみだ」
マーロイはグラスに『タラモアデュー』を半分ほど注ぐと椅子に深く腰掛けて飲み始めた。
「そいつとの因縁を話してみたまえ。聞いてやろう」
アリスは記憶を整理し始めた。思い起こせば夢郎と最初に会ったのは、アリスがまだビーチバーをやっていたころだ。殺される夢を毎日見る若者の夢に飛び込んだ時に彼と出会った。アリスはその時のことからマーロイに語り始めた。
アリスがドリームシティが沈んだことを語り終えた時、ちょうどマーロイが二杯目のグラスを空にしたところだった。彼はグラスを乱雑に置くと、
「くだらん」
と吐き捨てた。
「くだらないですか」
「ああ、くだらん。機械はいつから創造主になった。この地球(ほし)は私ら生物のものだ。それを我が物顔でふんぞりかえりやがって」
「では私がやりたいことを理解していただけたのですね。私は彼らの暴走をとめなければなりません」
「私は全ての機械がくたばればいいと思っている。君も例外じゃない」
マーロイはウィスキーボトルを掴んで持ち上げた。アリスに投げつけるつもりだった。だが、ふとあることを思いつき手を止めた。
「どうだ。ひとつゲームをしないか。君がゲームに勝ったら解放してやろう。電力も分けてやる」
「ゲーム? それをやって勝てば解放してくれるのですか」
「ああ、そうだ。ただ一つ条件がある。自由にしてやるが、代わりに私の計画を手伝ってもらう。嫌と言えばその台にくくりつけたまま海に沈める。そいつは海水からも発電できるから半永久的に君を磔にするだろう。ゲームに負けても海に沈める。どうだ、やるかね」
選択肢はなさそうだ。
「やります」
アリスは不利なゲームでなければいいがと思った。だが用意されたゲームはチェスだった。よほどの達人でなければアリスに勝つことはできないだろう。どんな裏が仕組まれているのかアリスは訝った。
駒が並んだボードが置かれて対戦の席に着いたのはベンだった。
「先攻は君にくれてやる。だが侮らんほうがいいぞ」
「侮るつもりはありません。ポーン。e5」
ベンは善戦した。だがやはり計算力が全てのチェスではアリスの敵ではなかった。5戦のうち1勝しただけでも大したものだと思う。それにしてもこのゲームの意味はなんだったのか。アリスは台から降りながら考えた。
「充電はそこの椅子で勝手にやれ」
かなり酔っているらしくマーロイが投げやりに充電スタンドを示した。もはや敵外心は微塵も感じられない。最初から勝ち負けなどどちらでもよかったのかもしれない。
「あなたの計画を手伝うことになっていたけど、何をさせるつもり」
「酔っ払いを増やせ」
「え?」
「バーを開いて酔っ払いを大量生産しろと言っている」
「意味がわからないわ。Mシティには意識転送型アンドロイドもたくさんいるわよ」
「私は生物だけの星を創りたいだけだ。人間が機械の体で暮らすなんて、考えただけでもおぞましい。人間というのは、産まれたら、必死に生きて、老いて死ぬものだ」
充電しているとマーロイが何かのキーを転送してきた。
「そいつは私が買い漁った電子ウィスキー100ケース分のキーだ。持っていけ」
マーロイは言ってテーブルに突っ伏した。
「全ての人類にウィスキーを!」
その言葉を最後にいびきをかき始めた。
アリスは曖昧に頷いた。マーロイの真意がどこにあるのかわからなかった。ただ、機械化に反対なことは確かなようだ。
マーロイの手土産はもうひとつあった。太平洋に点在するいくつかの人工島の座標だった。どれもアテナスから隠れて活動をする島なのでMシティ上陸前に削除しようと思った。
人類にために活動しているのだろうかと呟いた時、驚いたことに答えたのはベンだった。ベンはカタコトを話すことができた。
「いつか。人類。滅びる。機械。滅びる。生物。俺。守る」
アリスがMシティに向けて海に飛び込んだ時、ベンは知性あふれる青い目でいつまでもアリスを見送っていた。
終
『タラモアデュー』はアイリッシュのブレンデッドウィスキーです。アイリッシュ特有の3回蒸留により甘みのある非常に飲みやすいウィスキーに仕上がっています。生産と販売は大手のウィリアム・グラント&サンズ社。グレンフィディックなどを生産しています。また、アイリッシュの特徴として挙げられるのが、シングルポットスチルウィスキー製法です。シングルモルトウィスキーというと大麦麦芽を使用しますが、シングルポットスチルウィスキーの場合は大麦麦芽と未発芽の大麦を使用して創ります。この製法が独特の味わいを作るのですね。
いよいよ新たな章に入っていくのですが、その前に少しだけ寄り道をしようと思います。今回の島はそんな寄り道のひとつです。途中でマーロイが「全ての人類にウィスキーを!」と叫びますが、これは『タラモアデュー』の宣伝コピー「全ての男にデューを!」をもじったものです。『タラモアデュー』はこの宣伝コピーで売上を伸ばしアイリッシュNo.2の地位を獲得しました。さてこのお話の中で全ての人類に提供されるウィスキーは人類に何をもたらすのでしょうか。そしてベンたちにはどのような未来が見えているのでしょうか。
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