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北九州を通った『朝鮮通信使』:朝鮮半島と九州。今も昔も文化や技術、人が往来する海の道があります。

九州から見ると朝鮮半島は本当に近いのです。対馬海峡を挟んで対岸は朝鮮半島。対馬からは50㎞足らずなので肉眼でも韓国の建物が見えます。飛行機で北九州-釜山間は約240km、1時間。高速船では博多-釜山間は約3時間。7000年前の縄文時代前期から漁民が九州北部と朝鮮半島南部を行き来していた痕跡が残されています。太古の昔から中国大陸や朝鮮半島から文化や物資、稲作の恵みが海を経由して九州、日本にもたらされてきました。

朝鮮通信使は1375年、永和元年に足利義満が派遣した日本国王使に対して信(よしみ)を通わす使者として派遣したことが始まりといいます。室町時代にも通信使は来日していました。15世紀、有力な武将であった大内氏は大陸との交易で巨万の富を蓄え、北九州と中国地方西部を支配していました。水軍も配下に置いており、朝鮮通信使の護衛役、ならびに接待役として北九州から現在の下関(赤間関)までをエスコートしました。

江戸時代には朝鮮国は琉球王国と並ぶ通信国とされ、1607(慶長12)年-1811(文化8)年の間、12回の使節団(朝鮮通信使)が来日しました。500名もの使節団は釜山を出て対馬や壱岐、藍島(現在の相島)などを経て本州に入り、航路で大阪・堺に到着するとそれ以降は陸路で江戸までの道を進めました。日本側の護衛も含めると2千人もの大部隊だったそうです。異国情緒ある衣装と楽隊による音楽が奏でられる大行列を目にすることは当時の庶民にとり最高の娯楽、路上で楽しめるエンターテイメントだったことでしょう。

通信使ルート図

「京都奈良文化財保護サイト」より

400年を経た今も行列の再現が各地(長崎県対馬市、山口県下関市や広島県呉市、岡山県瀬戸内市、京都市など)で行われており、その影響力の大きさが伺えます。2017年10月、日韓両国の働きかけで、「朝鮮通信使に関する記録」がユネスコ世界記録遺産に登録されました。釜山でも2002年以降、再現行列が行われているようです。日韓関係が危ぶまれている中で、こうした行事や日韓の交流を大切にしている保存会や文化交流会の関係者の方々の熱意が報われる日がくることを願います。

朝鮮通信使

狩野安信『朝鮮通信使』大英博物館蔵1655年(承応4年、孝宗6年)

通信使の風俗は各地の祭りにも取り込まれ、年中行事として定着しました。岡山県や三重県では「唐人おどり」、また埼玉県に「唐人ぞろい」というお祭りがあります。江戸までの道中、埼玉には行列が通らなかったはずが、なんと、江戸で行列を見物した川越の豪商が始めたお祭りなのだそうです。東京にはこうしたお祭りが残っていないようですが、埼玉に伝わっているのは面白いですね。各地に行列の絵も残されました。なお、唐人とは当初は中国・唐の人の意味が後年、海外の人の意味に変化したものだそうです。

文化は交流していました。朝鮮側から伝えられただけでなく、日本側からサツマイモの栽培方法を伝えた記録が赤間関(下関)に残っているそうです。


みんながちょっとづつやさしくなれば、毎日の生活がちょっと楽になりますよね。ありがとうって言うとか、ニコっとしたり、駅の階段で蹴らない、とか。私はベランダの雀さんともっと仲良くなろうと奮闘中。最近はカマキリさんともお友達。みなさんはどんな感じかな?