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琥珀色に黄色を落として|ショートショート


黄色い香りは征服感に満ちているから、私は咳払いをしてそれを掻き消そうとしたのに、それは一滴の劇薬のように空間を支配し続けた。あまり飲まない琥珀色の紅茶とレモンの輪切りがチープな会話を際立たせて、それは耳に定着することなく私を透過していく筈だった。

「僕たち、ケッコンしませんか?」

喫茶店のBGMに紛れてケイさんがポツリと言葉を落とした。聞こえていないフリが出来れば、どれだけ良かっただろうか、そう思う瞬間もその言葉は死んで、また別の言葉を導き出してしまう程に私は狡猾だ。

「え、え、ケッコンですか?少し早くないですか?」

と、私の中にある戸惑いがそのまま口から飛び出たら、ケイさんは、にこりと笑ったあとに、

「急に変なこと言っちゃってごめんなさい。そうですよね、まだ早いですよね。」

そう頭をペコペコ下げながら呟いた。私も一緒にペコペコと頭を下げたから、周囲からは向かい合った振り子人形が交互に動いているように見えるだろうなと思い、頭を止めて「エヘヘ。」と、笑いながら次の会話を即座に考えて、「この前のことなんですけど、…。」と、ペラペラと話しはじめた。会話はまた芯を食っていないチープなものに戻り、お互いにレモンティーを飲み干して、喫茶店をあとにした。それからケイさんとミニシアターへ行き映画を観てから、レストランで夕食を食べたあとに駅で別れた。

揺れる電車の四角い車窓には電線が心電図のように上下していて、突然トンネルに入ると暗闇に反射して私が映った。私はボーッと焦点を合わすことなくそれを見ながら、ケイさんの言葉を思い起こす。


僕たち、ケッコンしませんか?


今日で出会って二回目にプロポーズされるとは思ってもいなかった。お節介な友人の紹介を断ることが出来ずにケイさんと出会った。ケイさんは気配りが出来て私の話も聞いてくれるいい人だけれど、相性が良いのかと誰かに訊かれれば判らないと答えるだろう。今日もケイさんは大好きだというレモンティーを一緒に飲んだけれど、私はレモンティーが大嫌いだ。あの黄色い香りは征服感に満ちているし、どっち付かずの味が摩訶不思議だし、飲むと気分が滅入るから、自ら進んで飲むことはない。今日もケイさんが注文したから、同じものを頼んだだけだ。そんなことを考えていたら最寄駅に到着したので、電車を降りて改札へと向かう。私は改札が好きだ。機械的に人を吸い込んで行く改札はどこか異次元へ連れて行ってくれそうな予感がある。改札を抜けて南口を出ると、地上は薄暗くなっていて太陽の余韻が空を彩っていた。すると、携帯から通知音がした。


今日も楽しかったです。
ありがとうございました。
また近々お会いしたいです。


ケイさんからだった。私は少しだけ心が温かくなり、また会うことを約束して、ラインを終えると、立ち止まっていた足を動かしてコンビニへ入り、ビールとおつまみを購入して家へ向かった。帰宅してからコートを着たままでビールを煽るように飲み干して、喉を鳴らした。「ケイさんがこの姿を見たら引くだろうな。」と、思いながら飲むビールは、どこか背徳感にも似た気分に酔いしれて、それを洗い流すようにもう一本のビールを開けて飲んだ。そして、コートをやっと脱いでカーテンをしてソファへ座り音楽を流した。


僕たち、ケッコンしませんか?


そうしたら、またケイさんの言葉が頭の底から剥がれて、ぷかぷかと浮上してきた。それを振り切ることが出来なくて、

「ケッコンって何!?」

と、逆ギレのように声を荒げる。

「みんなそうだ、三十歳を過ぎた辺りから、結婚結婚結婚結婚結婚って。うるせーんだよ。」

そう管を巻いては、ビールを飲んだ。酔った身体でベランダへ出ると寒さで酔いが醒めて、慌てて部屋の中に戻り毛布を被り今日の出来事を辿っていたら、知らない間に眠りに就いていた。

その日からケイさんから毎日ラインが入るようになった。


菜の花が咲いています。


と、写真付で届いたり、


今日は上司の鼻からカナブンの足くらいの鼻毛が出ていたので、それを指摘すると、「ふんがっ!」と、言いながら指で抜いてました。笑


と、今日の出来事を教えてくれた。私もその流れで、今日の出来事を書いて返信していた。そうしているうちに、二週間が経過した。久しぶりに会ったケイさんは髪型が変わっていたので、

「髪切った?」

と、訊くと、

「それタモリさんじゃないですか!」

と、ケイさんはそう言って笑った。その笑顔があると落ち着くなと、自然に思う自分がいて少し恥ずかしくなった私は、

「さあ、行きましょう!」

と、ケイさんを置いて、歩きはじめたけれど、背後からケイさんが、

「そっちじゃないです!こっち!」

と、笑っている。私は赤面しながら、ケイさんの横に戻り、一緒に並んで歩いて美術館へと向かい、絵画を堪能した。そのあとに、近くのカフェに入ると、ケイさんはやはりレモンティーを注文したので、私も同じものを頼んだ。そしてすぐにやってきた黄色い征服感に満ちた飲み物に口を付けると、突然哀しみが襲ってきた。黒いヘドロのようなそれは、私の体を伝いながら喉元までやってきた。

「実は、私、レモンティーが大嫌いなんです。」

言い放った側から、自分でも驚いて目を見開いてしまう。ケイさんも驚いたようで、「え?」と、言った切り言葉が出てこないようだった。それからは堰を切ったように言葉が溢れてきた。

「私、珈琲が大好きで。それにやっぱり結婚する意味がわからないんです。ケイさんが嫌いとかじゃなくて、結婚ってなんなんだろうっなって、思って…。」

私は自分が何を言いたいのか判らなくなってしまった。そして、言い終わる前に俯くことでしか自分を保てなかった。暗く沈んだ気持ちが私を覆う。

「そうなんですね、じゃあ、珈琲を注文しましょう。」

ケイさんはそう言って店員さんに珈琲を注文した。そして、顔を上げて驚く私にゆっくりと話し出した。

「実は僕は珈琲が大嫌いなんです。お互いに好き嫌いがあって当たり前です。それから僕はユイさんとはじめて会ったときに、思ったんです、"僕はこのひとと結婚する"って。ボクが思うに、結婚って、お互いを支え合いながら家族になっていくことだと、僕は思うんです。」

ケイさんは誠実で温かい言葉を私にくれた。私は何を勘違いしていたのだろうか。相性が良いのか悪いのかが総てではない。何でも頭でっかちになって決めつけた考えをしていた自分が恥ずかしく居た堪れなかった。そして、昔祖母が言っていたことを思い出した。

馬には乗ってみよ 人には添うてみよ

ケイさんの気配りが出来て私の話を聞いてくれるいい人だけではなくて、おおらかさや面白さやおっちょこちょいなところなど、毎日のラインのやり取りでケイさんを知ることが出来た。

結婚とはその人を知っていくことなのかもしれない。

私はやって来た珈琲を一口啜ってから、意を決してケイさんの目を見た。

「私と結婚前提にお付き合いしていただけますか?」

ケイさんは目を見開いて、

「え!?ぼ、僕で良いんですか?」

と、言うから、私は、

「ぜひにケイさんでお願いします。」

と、ゆっくりと呟くと、ケイさんは笑いながら、黄色い征服感に満ちた飲みものを飲み干して、

「あの、よろしくお願いします。」

と、照れ臭そうにしたあと言葉を優しく置きながら呟いた。その場には、一滴の劇薬のような檸檬と、珈琲の焙煎された香りが混ざって、それはそれなりに調和がとれていた。それはふたりの未来を予言しているように空間を漂うと、私はケイさんに、

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

そう言ってから、何も考えることなく、素直に笑顔が溢れてきた。


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