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天文薄明は肉眼で6等星が見えないくらいの明るさのことだよ。|掌編小説


私は何かを待っている。

いつもそうだ。何かを待ちわびている。その何かとは人なのか物なのか、はっきりとは分からないけれど。はらはらと舞う音楽に身をゆだねると、いつの間にか眠りについていた。


𓍯𓍯𓍯


吸えもしないのに、渡された煙草に口をつけた。そのあとそれを肺へ落として、白煙をツーっと吐きながら、その煙草を彼に返してベランダに置いてある椅子に腰掛けた。

「一緒に朝日を見ようよ。」

そう言う彼の言葉の裏にはGrover Washington Jr. の『Just the Two of Us 』が流れていて、なぜそのチョイスなのかわからなかったが、それはまるで80年代にタイムスリップした様なレトロな空気が頬を伝った。そして、その音楽は空の色が薄明かりに変化していく瞬間を彩っていた。すると、彼が

「この明るさは、テンモンハクメイだな。」

と、残りの煙草を吸いながらベランダの柵にもたれた。私が、

「テンモンハクメイ?」

と、聞いたら漢字を教えてくれた後に、

「天文薄明は肉眼で6等星が見えないくらいの明るさのことだよ。」

空を観ながらそう呟く彼の横顔は空気の狭間を縫うような甘い色に照らされて、私はその姿に魅せられた。そのあとふたりで何も話さずにやってくる今日を眺めた。どれくらいそうしていただろうか、ふいに彼が

「ボクたちはお似合いだね。」

と、照れることもなく無邪気な笑顔で私に言うから、こちらの方が恥ずかしくなって

「なんでやし。」

と、軽くツッコミをしてから、その恥じらいをブラックコーヒーで呑み下した。

そうしている間に空は、地平線が焼けて融けるように滲んでいる。その濃ゆい部分から色相は段々と柔らかく私たちの頭の上まで届いた。煙草を吸い終えた彼は灰皿に赤い火種を押しつけて消して私の横に座ると、優しく手をつないだ。私は、点と点だったふたりが線になったようで嬉しくて、彼の肩に頭を預けてただ昇る朝日に瞬きを繰り返しながら、

時よ止まれ、永遠に。

と、らしくもないキザな言葉を心の中で呟いて、ふたりの関係が錆びないように、彼の手を強く強く握った。








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