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勉氏への書簡2023 (地涌)・7
勝利の章から続き、追記注釈を加えて行きます。
真最終章の243ページを開いてください。本文
梯子を外された私と、貴方一家との交渉に失敗したN氏にとっては、この最終決戦後の戦いは、あまり意味をなさない消化試合的なものと捉えるしかなくなってゆきました。
年齢的に裕子女史が来北をしたとしても非常に厳しい現実が待っているのが容易に予想されたし、何よりも一番の功績である折伏を成功させても叶えられなかっ
勉氏への書簡2023 (勝利)・6
では、いよいよおさらいをしてゆきましょう。
各編の転載部分を本文で表記して区切り線を引いて、下にその部分の追記注釈を解説として書いてゆきます。
※必ず、原文を読んでから追記注釈部分を読むようにしてください。
前編、冒頭を開いてください。
本文
8年前、〇ムウェイ勢や同級生勢と飲みに行ったり、色々頼み込んでさんざん金を使い間に入ってくれる人を探してました。
全員が知らぬ存ぜぬで通してきて(会員
勉氏への書簡2023 (誓願)・5
N氏が危篤状態になっているとH氏より亡くなる前日の夜に連絡が来ました。
ひと月前に地元病院に見舞いに行った時に、排尿が難しいので管を付けられていたんですが、当然布団で体を覆っているんで私は点滴の管なんだろうと勘違いしていました。
しばらく話していると目の前にある管がだんだん赤茶けてくるのを見て、なんか血が逆流してんじゃないですかと言うとホントだ看護師さん呼ばなきゃとなり、じゃあすぐまた見舞いに来
勉氏への書簡2022 (真最終章)・4
2020年7月、私は交通事故に遭い、瀕死の重傷を負っていました。
その年は7月の終わりまで気温が低く、肌寒いくらいの日が続いていました。 長袖のパーカを着ていたんです。 これが運が良かった。
雨天休業したものの、15時ごろに雨があがったんでカブで買い物へ出かけたんです。
環状2号線で新横浜方面へ走っていると、後ろの方から救急車のサイレンが聞こえてきました。
サイドミラーで後方確認すると40キロぐら
勉氏への書簡2022 (最終章)・3
2020年9月、私はN氏の2度目の墓参りに静岡県富士宮市に有る組織系の墓園を再び訪れていました。
時間に追われた前回の轍を踏まないようにと、入念に下調べをしてから出発したんで、新富士ICを降りてから異世界入りをするようなことも無く、すんなり墓園に到着しました。
この時も曇りですぐそばにそびえ立って見えるであろう富士山が一切見えませんでした。
残念に思って後で墓園から富士が見えている写真を探しました
勉氏への書簡2022 (後編)・2
2019年9月、私は前年末に霊山に旅立ったN氏の墓参りに静岡県富士宮市に有る組織系の墓園に来ていました。
横浜町田から新富士ICまで東名に乗ってバイクで2時間半ぐらいかかりましたね。
お墓に供えるしきみを買うために待合所と売店、資料館を兼ねた大きな建物に入りました。
9月の平日となると完全にオフシーズンで、広大な敷地に墓参りに来る人は数えるほどでした。
建物の中にいるのは私と売店の店員のおばは
勉氏への書簡2022 (前編)・1
2021年末
今日は嫌がらせされながら、勉氏への書簡4・5を読んでいました。
長くてすごい時間がかかりますね。
貴女一家しか、読まないでしょう。
前回の勉氏への発信がひと月以上前なのにびっくりしましたよ。
貴女ほんとに嫌がらせで自滅するんですね…。
前回、なぜ同級生勢や所属区の関係者が関わっているの分っているのに、そこに頼みにいかないのか?という所で終わっています。
8年前、〇ムウェイ勢や同級