勉氏への書簡2022 (後編)・2


2019年9月、私は前年末に霊山に旅立ったN氏の墓参りに静岡県富士宮市に有る組織系の墓園に来ていました。

横浜町田から新富士ICまで東名に乗ってバイクで2時間半ぐらいかかりましたね。
お墓に供えるしきみを買うために待合所と売店、資料館を兼ねた大きな建物に入りました。
9月の平日となると完全にオフシーズンで、広大な敷地に墓参りに来る人は数えるほどでした。 
建物の中にいるのは私と売店の店員のおばはん2人の3人だけでした。
おしきみを買うと荷物になるんで、先に資料館を見学しました。
2階に上がると広大な墓園が遠くまで見えました。 
広い事広い事。
不勉強で何からの出典か分かりませんでしたが、一番正面の大きなパネルに「生も歓喜、死も歓喜」という言葉が掲げられていました。
死も歓喜かと不思議な感慨を持ってパネルを見上げたまましばらく立ち止まっていました。

この時すでに入会7年目を迎えていました。
入会当時に世話になった人も会合等で見かけなくなる事が有るんですが、おそらくは亡くなっている人もいるのではないでしょうか。
特に物凄く悲しい離別の後の陰鬱な空気みたいなもんを一度も感じたことが無いのはこの死も歓喜なのだという観念によるものなのではないかと思います。
そういうのは会合で言わないシキタリなのか特段触れられることも無かったと記憶しています。
N氏の死も取り立ててどえらい災難であったというような空気ではなく、何事も無かったかのように時間が過ぎてゆきました。
まあ家族は別でN氏夫人などはN氏の死後しばらく呆然としてなんか気力が失せていましたね。
近くに大石寺という組織とは私が中学ぐらいの時に袂を分かった大きなお寺が有るんで、墓参りの帰りに見学して帰ろうと企画していましたが死も歓喜のパネルの前に立ったのが、既に午後3時45分。
帰り時間を考えると新富士ICに直行するしかないのでした。

ここに来る時にえらい道に迷ってしまい、まっすぐ向かえば35分くらいの所を2時間半かかってようやくたどり着いていました。

高速を降りてすぐにある分岐の標識が今は有料道路ではなくなっているのですが有料のままの表記で変えられずにいたんで、間違えて反対側に向かってしまったんです。
当時の携帯はスマホの形をしたガラケーだったんで地図がわけわからないものだった。
人に道を聞こうと探すんですが、普通の住宅地なのに人が全く歩いていないんです。 
残暑が厳しく、コンビニに入って飲み物を買うついでに道を尋ねようと探すもコンビニが全くない、なんの店でもいいやと思うと、店が有っても開いていない。 
1時間ぐらいは並行異世界に飛ばされた様にわけわからない時間の中をバイクで走り回ったんです。
なんか終末世界探検系のゲームの中にいるような感覚に囚われてしまい、疲れ果てて、小さな川にかかる橋でバイクを止めてエンジンを切りました。
ふと川の名前の標識を見ると「凡夫川」。
生前のN氏がよく「我々凡夫は」と話の枕詞みたく言っていたのを思い出したんです。
そうすると、プールから上がってなんか耳に幕が張ったように水が音を閉ざしている状態から、しばらくして水が流れてはっきりと世界の音が聞こえてきた瞬間みたいな感覚で正気を取り戻しました。
地図を見ると目の前の閉まっている弁当屋を小さな画面の中に見つけることが出来て、ようやく墓園への道が分かったんです。
自販機でジュースを買って、飲みながら考えていました。
なんで一時間もバイクを止めずに走らせていたんだろうか?
すぐに止めて落ち着いて地図と周りの建物を確認すればよかったろうに…。
あの異世界転生ならぬ異世界包まれ感は何だったんだろう?
N氏が亡くなる1年ぐらい前だったか、家族で墓園を見に行ったと聞かされました。
(会員の多くは生前に墓地を購入している。N氏は自分で買っている墓地を見に行った)
その時もう癌と医師から聞かされていたので、自分が入る場所を見に行く意味だったのではないでしょうか。
自分が死んだら北枕君も墓に来てくれよと言うんで、当時裕子女史から依頼されたN氏の仮病だと思っていた私は笑って答えていました。
「うちの亡父を看取っているから分かるんですが、Nさんみたく元気じゃ死ぬのは早くて10年後ですよ。死んだら必ず墓参りに行きますよ。バイクで夏にツーリングも兼ねて。墓地の周りになんか観光地があります?」こんな感じで答えてましたね。 
(裕子部隊の盗聴録音も残ってそうですね。)
なんかのパンフレットの地図を広げてここだと示され周りの観光地を挙げてゆくうちに、私が大石寺を見つけて「これが例のお寺ですか?」「そう」
「へーこんな近くに有るんだ、帰りに見学して帰ろー」というと、N氏は何も言わずに、いつも笑顔でいることの多かった氏がいつもの笑顔をみせていたんです。

転生するとの教えなんで死んだらなんかに生まれ変わるものなのでしょうが、しばらくなんか介入する余地があるのでしょう。

私が墓参りに行く前にN氏宅を訪ねて、夫人に墓参することを伝えました。
霊山のN氏がそれを聞いて「あの泥ガメ、墓参りの帰りに大石寺を観光すると言ってたな、ちょっと細工して行けないようにしちゃるけん」とあの異世界感を作り上げたと勝手に思っています。

その後も毎年墓参して計3回しているんですが、この時にN氏が大石寺には行くなと言ったような気がして結局一度も行っていません。


N氏との話で、もう一つ不思議な事が有りました。

私が入会する直前の話です。

K氏の家へ行き事情を話して誰か組織会員の偉い人を知っているかと聞くと、私と裕子女史の関係を信じられない、そんな話ほんとにあるのか?と怪訝な顔をするんです。 
しかし、20年前からの知人でしばらく一緒に仕事をしていた関係なんで気がふれているわけでもない事は理解し真顔で話す私を見て半信半疑ながら相談に乗ってくれたんです。

で、紹介されたのがN氏でした。(二人の関係は勉書の初期を参照)

後日、K氏と私でN宅を訪ねて、事情を説明するとN氏はふーんという感じで話を聞き終わるなり、入会を勧め始めました。
N氏等草創期世代には当然の手続きの流れだとでも言うような事務的な感じで。
K氏は俺の昔からの知り合いだから、入会させないで面倒見てやってくれよとN氏に話すんですが、それもさらりとかわしていました。

その日、3人で話をしている時に既に飛びものを寄越していたんで、貴方なり裕子女史が頼んでいる出身区勢が車のGPSでつけてきていたものと思います。
その日はK氏とN氏が久しぶりに会うという事で途中から昔の思い出話に切り替わって私は隣で黙って聞いていました。
この二人の話は面白いんですよ。
帰りがけに携帯番号を交換して別れ、家に帰りました。

次の日、すぐにN氏から電話がかかってきました。 
昨日の和やかなフインキの声とは打って変わって切羽詰まったような声色に変わって言うんです。
「今日、うちに来れないか?」
当時の私はH市の仕事を辞めて無職で鎌倉女史と一緒に週一のフリマ荒らしのような生活をしてたんで、分かりましたすぐ行きますねと2日連続でN宅を訪ねたんです。
9年前に現役だった貴方に昨日のN宅訪問が報告され、すぐさまN氏の身元を割り出したのでしょう。 
所属区へ貴方が連絡を入れ、所属区の幹部からN氏に話があったんでしょう。

で、私の情報がN氏に伝わったが、N氏は私の置かれた状況の全貌はまだ掴めていなかった。 
貴方の存在も断片的な情報しか知らされなかったんで裏はどうなっているんだ?と緊張した気持ちでいたんでしょうね。
一時間後に家の前について呼び鈴を押そうとすると、その後何度も顔を合わすことになる副区長が出てゆくのと鉢合わせになりました。

電話では緊迫した感じでしたが、家に上がりN氏と対面すると昨日と変わりなく、のほほんとした雰囲気を醸し出していたんでほっとしました。

電話してから、情報を精査し、いろいろ考えて間に入って仲を取り持つことが出来るか考えていたんでしょう。 
で、やってみようと腹を決めたのだと思います。

「しかし、なんで俺の所に来たの?」と聞いてくるんで、「K氏に事情を話して偉い会員を紹介してくれと言ったらあなたの話が出て、もう40年前の若い頃からやっていたから今頃は相当偉くなっているだろうという事で昨日ここに来たんです」とありのままに答えるとN氏はクスクス笑いだして「俺の役職は副支部長」と言ってから台所の脇に古紙回収に出すようにまとめてあった機関誌を持って来て、私に読ませてから法華経と巡り合う事は難しく出会ったことは奇跡と同じなんだという法話始めました。


N氏が亡くなった日から1週間のTwitterでの発信を転載しておきます。
2018年の11月29日か30日に亡くなっているようですね。
[  ]が一つのツイートです。
直後に宮ケ瀬湖に行って猿の群れに襲われていたりした忘れていた事が思い出されてさらにくだらない事を考えている所が面白い。 
葬式に裕子女史が来なかったんでぶち切れてますね。

で、一番言いたいのは、ツイートで書いている通りに、出会った当時、N氏以外の全ての会員が貴方の圧力に震え上がって目をそらして逃げて行ったんです。
N氏だけが丈夫の勇か匹夫の勇か圧力を恐れずに助けを求めて私が差し出した手を握り返した。

だから今でも感謝を忘れずに、県境を越えて墓参しているんです。



[貴方に伝えたい… N氏は私の恩人であり、師とも呼べる存在だった。出会った当時、N氏以外の全ての〇〇が貴方の圧力に震え上がって目をそらしていた。N氏だけが手を握り返した。だから他の誰でもないN氏に一番いい所を持って行かせたかった… 私的に無念の極致、生涯消えない傷として記憶します。]
[あなたとは、この五年間、膨大な時間二人で話をしましたね。 微妙に山形弁の残った独特のやさしい語り口をもう聞けないと思うととても悲しいです。 約束した通りバイクで東名を爆走して花をたむけに行くでしょう。 裕子さんを一緒に連れてゆけるように頑張ります。 本当にありがとうNさん。]
[{吉報 静太郎氏、N氏の追悼ランを行う}
裕子女史、実は去年からN氏に宮ケ瀬湖へ連れて行ってくれと頼まれていたんです。必ず連れてゆくと答えていました… 急に〇くなられたんで実現出来ませんでした。 で、追悼と約束を果たすためやってまいりました。 下溝八景展望所]
[宮ケ瀬ダム
橋の両端に猿が狛犬の様に…]
[いつ襲われてもおかしくないので、緊迫した空気を忍び足で通過。
これがほんとの野猿街道ですよ]
[野猿の脅威から脱して、紅葉を愛でる静太郎氏。]
[宮ケ瀬湖の下の石小屋湖
私の定番ツーリングコースが宮ケ瀬湖でこの石小屋湖に必ず立ち寄り、ここからN氏に電話をすることが7,8回ありました。 だからどんな所か来てみたかったんでしょうね。 
残念ながら、特に見どころは無く、唯、人がいないので静かに昼食をとれる場所なだけでした。]
[ここで電話していました。 皆さんにお伝えしたい。老人から何か願い事を聞いたら、すぐに実現へ向けて努力するべきです。70過ぎたらいつその日が来てもおかしくありません。まだ大丈夫だろうと思っていると孝行も恩返しも出来なくなります。私がN氏の〇で気付いた事の一つです。]
[裕子女史に聞きたい。貴女が出来る、両親への本当の親孝行とはどんなものか考えてみて下さい。]
[Nさん、「Nさんは今度は健康な人に生まれ変わってブイブイ言わすのよ、だから気を落とさずに」と慰められましたよ。私が長生きしたら生まれ変わったあなたとまた出会うのかもね。私は老人になっていて、少年の話す山形訛りにあなたを思い出す。Nさん、転生してもまた山形関係かよって… ]
[2018年11月30日
緊急告知
本日、11月30日と明日の12月1日は〇〇出席の為、休業いたします。
日曜日からの復活を予定しております。]
[裕子さん、今日来ようと思えば参列出来たでしょう。N家を訪ねる事数十回、色々やっかいになってますよね。私がN氏から〇〇を教わっているとこ隣から見ていましたよね。5年も世話になったのに不義理が過ぎる。また余計な事したみたいですが、貴女誰に対する体裁なのか?誰に見せるが為の工作] [なのか?恩義に不義理で報いるような生き方やめた方がいいですよ。冥の照覧という考え方が有りますが貴女の内輪だけに体裁を整えて不義が消去されるとお思いですか?]
[じゃ、どうすれば?もうちゃんとして一回来なよ。私が鈍いのを内輪に証明しようとしている様ですが、それを立証してなんか得なことあるの?時間を浪費して自滅確定するだけだよ。N氏、懸命に間を取り持とうとしてくれたじゃない。貴女のN氏への不義は私と一緒にでだけ打ち消されるんです。]


不思議な話に戻ります。

2度目のN宅訪問から1週間後ぐらいに、新たに立った若い弁護士の女性の支援集会に誘われて私とN氏とN氏の店の客のTという男と中区の公会堂に私の車で向かいました。

地下が駐車場になっていて、まあ98%は会員ばかりが集まってきているんでしょうが、ベンツポルシェからビーエム、アウディ、レクサスに始まり私の軽自動車に至るまで全経済層を網羅している会員たちの車がとても印象に残っています。

会場に入れば、ふんぞり返って足を延ばして通行の邪魔になっている筋者風の集団から、よく見かける婦人部の人なつっこい感じの一団、体が不自由で杖をつきながら歩いている老人まで、ホントに様々な人の集まりである事を悟らされいい経験として記憶しています。

こういう一括りでは語る事の出来ない超巨大な集団をまとめ上げるには、確かにあらゆる手法を駆使しなくては叶わないだろう。
あらゆる手管、手管は悪い意味もあるそうなんで手法としときます。 
あらゆる手法を使う中にカムイ伝で書かれた前述の領民支配の手法である、被差別民の創出や敵の設定も当然の事、行われているのだと気づいた日でもありました。
嫌がらせや加害も実は数百ページある方法技術集のたった一ページでしかないのである。

集会の帰りに寿町の木賃宿に住んでいるT氏をそばまで送り、2人でN氏の店じゃない本宅へ、車で向かいました。
T氏に対するN氏が図った信心を保つための便宜にも私は深く感銘を受けて、N氏なら裕子女史との仲を取り持つ事が出来るだろうと思いました。

この頃の事は貴方に知ってもらいたいんですが、書くとものすごく長くなるんで、めんどくさ…。いやスペースの都合上、割愛させていただきます。
その辺は消えて無ければ勉書123のどこかに書いてあるんで読んで見てください。


とハショルつもりでいましたが、このまま続けるとN氏の人物像が聖人過ぎる…。 
私との関係も聖帝十字陵に埋め込まれてそうな間違ったイメージとなってしまうでしょう。
ホントにいつも笑顔でいる面白いおじいちゃんだったんですが、聖人としてみるには遠すぎる。 
血の通ったN氏像を貴方に知って欲しい。
貴方も何度もN氏と会っているのでしょう。

落語に似たような人物の話が有るが思い出せない…。 
まあ2つの家の間を伝言係のように走って、特に気を使って伝言しているわけでもないのに、いい方に伝わってしまい両家の息子と娘が婚約するまでに仕上げてしまうという奴。 
私にも貴方にもいい顔を見せて上手く立ち回っていたのが実態ですよね。

支援集会に一緒に行ったT氏は心の病気を発症していて、広域拠点での大勢が集まった集会で感極まったのか大声で奇声を挙げてしまい、会合と集会への出入り禁止処分にされていました。
T氏はN氏の店の客であったんで、N氏に一生懸命にやっているのに出禁にされた、何とかしてくださいと泣きを入れたんです。
勉書123辺りにポポと呼ばれた女と題して書いてあるはずなんですが、消えてしまっているようですね。
裕子女史に聞いてください。
そのポポちゃんも心の病気だったらしく、N氏はああいう人柄の良いのんびりした男だったから、まさに適役と相談を受ける役目を仰せつかっていて各地から心の病人が店に送り込まれていたのではないかと想像しています。

そのT氏を会合へ復帰させるために、方々へ働きかけているようでしたね。 支援集会への参加もその一環であったと遠回しに言っていました。
「彼なりに一生懸命にやってんのに会合に出れないんじゃ可哀想だから」と。

昔から貧困病気諍いの貧病争が信仰心の発露する土壌であると言われるくらいで、組織の運営によほどの害とならない限り、問題を抱えて困っている人を信仰の場からはじき出してしまったら、それはもう宗教ではないと考えていました。
N氏の行動に正義を見て感銘を受けていたんです。

この人なら裕子女史との仲を取り持つ事が出来るのではないかと思いました。

が、心の病人が集う店でもあったんで、私と初めて会った時も、また心の病気の男が来て妄言を繰り返していると考えて、速攻の折伏にかかった可能性も有るかもしれません。
ただ、私が心の病気の人達と違っていたのは、貴方がすぐさま手を回して来たんで、私の妄言と思った話が現実に起きている実話なんだとN氏に気づかせた事なんでしょう。
で、貴方の影も感じて、次の日の狼狽した電話となったのだと想像できます。
いろんな要素が都合よく働いて、その後N氏を仲介者として、話を進めて行く事になりました。


弁護士女性の支援集会の帰り道の話に戻ります。

N氏と私の乗る軽自動車は鎌倉街道をひた走ります。
実はN氏宅がある団地は私の亡父が現役時代に20年ぐらいの長い年月教えていた学校のある所で、団地の半分ぐらいが学区だったのです。

その団地は広い岡の上に有って四方どこから入るにも少し坂を上る感じの地形。
私が高校生ぐらいの時だったと記憶しているんですが、亡父の運転する車に2人で乗っていて、その団地の中を出身区の方へ走っていました。
坂の頂上に擁壁を高く作ってある一角があり、私は流れる景色の擁壁のブロックのつなぎ目が飛び去って行くのを何の気なしに見つめていました。
そうすると父が運転しながら言うんです。
「この団地に片岡千恵蔵(仮名)という昔の有名な映画スターが住んでいるらしいんだ」 
「ここに?映画スターって東京の高級住宅地に住んでんじゃないの?」 「そう思うだろ?でも学校の人が言うには本人らしいんだ」
こんな感じの会話をしていたんです。

この頃の父は今の私と同じ歳ぐらいですよ…。 
ホントに私も裕子女史も機会を失い続けた事が良く分かります。
高校ぐらいという事は、裕子宣言もなされていて、父や家族にも貴方が工作をかけ始めていた事になります。
父は、ほんとにお人よしで、よく騙されてポンコツ中古車とか掴まされてましたね。 
断れない性格で余計な仕事を押し付けられたりしてたんでしょう、50半ばで病気になり休職するんです。
今、亡父が教職にあった時に語った事を思い出すと貴方の工作があった形跡が見いだせるんです。
病休から復帰するのに新たに赴任する事になった学校は、もろに組織系が完全掌握している所だったりしました。

が、恨み言を言っているのではありません。
ただ貴方がうちの亡父と貴方のおばあさんと約した事を履行していないという事、そして亡父が裕子女史との仲を取り持とうとしてくれた事を思い出してほしい。 このまま死んでゆくわけにはいかない2人への義理が有るでしょう、それだけです。


N氏と私の乗る車は団地の坂を上り始めました。
頂上の信号に引っ掛かって、何の気なしに高い擁壁の縞模様をぼんやりと見やりました。
N氏が言うんです。
「片岡千恵蔵。北枕君は知らない世代かな? 昔の映画スターに片岡千恵蔵っていう人がいたんだ。 この団地には片岡千恵蔵が住んでいるんだ。」

その擁壁は高校生の時に亡父の運転する車から見た擁壁と同じもので、同じ場所だったんです。

亡父に言われた時の光景が瞬時に思い出され、N氏が語っている事と重なりました。

この奇妙な体験に戦慄していました。 

絶句して何も答えないでいるとN氏は続けるんです。
「ウソウソ、片岡さんは内部の人で大昔から一緒に戦ってきた同志なんだよ」

その時は数分で家に着く距離なんで、絶句したわけを説明しなかったと記憶しています。 

N氏を降ろして、一人で家に帰りながら思いましたね。
やっぱNさんとは縁が有って知り合ったんだあの人でいいんだな、亡父が手助けしてくれてんだと。

後日、千恵蔵に静太郎絶句事件のわけをN氏とYK氏に話したと思います。
そうすると、一度だけ所属地区の会合に隣の地区の千恵蔵氏が来て話が出来ました。 
N氏が私を千恵蔵氏と会わせてやろうとしたんでしょうね。


この2つの話は3年前と9年前の事です。

結局の所、一度すら貴方とも裕子女史ともまともに会う事すらなく終わり、N氏は霊山に旅立ち、今は貴方も私と裕子女史との件からほぼ手を引いていますよね。 

現状に現実的評価を加えるとすれば、裕子女史は奇跡でも起こらない限りは人生を破綻させてしまっているし、私も経済的にも社会的地位でも、あらゆる意味で底辺層に属していると言え、完全に転落している。

2つの話は実話なんで、よく考える事が有るんです。
2つの話はN氏と亡父がこの世に残した念とか、あの世から介入してきたというような、一種の天祐みたいなもんとして捉えていますが、N氏も亡父も私にやるよりも貴方と裕子女史に、こういうことを超常現象めいて示し、父娘を動かした方がどうみてもいい結果を生むだろうにと。

最近もバイクに乗っていて突如まん丸いゲリラ豪雨の雨雲に襲われて、B○○KOFFに逃げ込んで、今の場所に関係する漫画をたまたま手に取るという事がありましたが、3か月で赤字垂れ流し状態に陥り、普通にお盆休みをとってもあまり事態が変わりそうにも無いので、こうして貴方へ、伝えたいことを書き綴っています。

天祐が天祐でなく、ただの意味のない偶然としてしか機能していないんです。

天祐を掴むことに失敗し、今に至るまでの転落を続けているのは何故なのか?

それはお互いに失敗し間違いを犯した結果なのだと思います。

お互いと言っても、私は当然責任がある。 
しかし、裕子女史には責任能力が無いと言えるくらいの貴方の軛のコントロール下にあるから、裕子女史は除外して私と貴方の過失割合5対5の責任として考えてください。


いつだか忘れましたが中学の同級生勢と飲みにいって、裕子女史の事を探るために回りくどく情報が有るかと聞いたんです。 
そうすると「ダメダメあんなしょんべんくさい女」と言うんです。 
私が裕子女史に気があって探りを入れていると看破されていたんでしょうね。 
うちのヒロポンを貶されたと思い「お前等なんぞに言われたくないわ!」と私が腹を立てて言うとニヤニヤしているんです。

彼も内部なんで裕子宣言も聞いているし、子供部で一緒に活動していたりしたのかもしれません。 
私が何を聞きたいのか分かっているんで、茶化して言ったんでしょう。

しかし、しょんべんくさいとはずいぶんな言われようですが、仮に似たような役職にいたであろうA野女史を彼が評するにしょんべんくさいとは言わないでしょう。 
裕子女史はしょんべんくさいを言われるだけの性格なり人格なりを感じさせるものがあったのだと思います。
しょんべんくさいとは男で言えば青臭いぐらいの意味で、真面目で性的に成熟していないという意味も併せ持つと思います。

話した事も無く(実は写真以外でまともに見たことも無いんです…。)勝手な想像をすると根っからガチでしょんべんくさくて、大森駅では蒲田のヤンキー娘に歩いているだけで反感を買いしばかれる。 

大森のイトーヨーカ堂で私がレジで彼女の後ろに並んでしまった時などは、緊張で手を震わせてあわわあわわとして駆け去ってゆく。

中区のマンションへ来て、ピンポンダッシュして泣きながら逃走してゆく。

高校生の時の思い出で、誰か分かりませんでしたがバイクの後ろに乗せてもらって、うちの前まで走って来て止まってもらい、なぜここで止まるのかと問う男に対して「もう知らないー」と絶叫して走り去ってゆくという事も目撃しました。
バイク絶叫事件を勝手に解釈すると、よく下校する私の帰りをバス停で待って遠くの自販機や塀から顔を半分覗かせていたのに、私が話しかけても来ない。〇ルサーの姫にそんな風にする奴もう知らない。 
裕子マンションの前にたむろしているバイク乗りに頼んでうちの前まで乗せてってもらうんだもん。こんな感じだったんでしょう。

気が弱いのと幼いのといろんなものが見えてきますよね。

裕子女史は子供の頃から青くさくて真面目で子供っぽいにもほどがある幼稚さ、今でも根幹は変わらず50にして15の乙女の心を維持している天然のおばはんなんです。

こういう性格の自分の娘に父親の貴方が責任を負わせるとは思えない。
失敗の責任は私と貴方にあるんですよ。

内部外部にかかわらず、普通の女子高生は大体当たって砕けろ的に異性との交際の通過儀礼を終えてゆくものでしょう。
裕子女史の人生が普通ではなかったのは、失恋や恋や愛の生み出す痛みみたいなものから逃げたまま大人になった事だと思うんです。
中3の裕子宣言がなされたあとで、通過儀礼として私に話かけさせるべきだったのではないでしょうか?
あの時点で恋愛経験が出来ていれば、その後間違いなく私とは速攻で別れ、中学生の恋愛関係の宣言など子供の戯言と自分で気づいて普通の女性として歩んでいたはずなんです。
今頃は同志じゃなくて、外部の優れた医師と結婚し、子供は大学3年生みたいな勝利の道を歩んでいたと想像します。

なぜ裕子女史は通過儀礼から逃げてしまったのか?
これが貴方の影響でそうなったと考えているんです。
貴方が逃げ道を作ってしまったから、成長できなかったと前述しているのはこの事です。

まず「青学教師に無能呼ばわりされる事件」「ワルサーの姫に救われる事件」「同志子弟愚連隊にしめられそうになる事件」等に見られるように、貴方が工作を企画して実行もしているし、裕子女史は貴方の威光を笠に着て周りの同志子弟に示威行為を仕組んでいる。
この事態は他の同志家庭では見られない事なんです。

工作する力があっても、そういう人は世の中を良く分かっているから自制して、娘にほどよく挫折や失恋を経験させ成長させる道を選ぶはずです。

よく野球漫画とかで、理事長の息子がへぼピッチャーなのに親のコネでレギュラーの座を得て、主人公の天才ピッチャーが実力を見せるも嫌がらせをされて貶められ苦悩するというような話あるでしょ?
理事長は大体髪を後ろになでつけスーツの胸ポケットからハンカチ状のあれが出してあったりし、自分も過去に野球で挫折していて息子に夢を託していたりする、息子はロン毛で親の威光を笠に着たイケスカナイひねた性格でスネ夫調の2人の子分を従えていたりするあれです。

漫画のキャラクターになぞらえると貴方は理事長で裕子女史はひねた性格の息子に当たるでしょう。

他人の事はよく見えるが、自分の事は見えないものだと思うんで、こういう例えをすると分かるのではと思い書いています。

まあ理事長一家は、あんまり周りからも良くは思われないキャラクターなんじゃないでしょうか?

この根底に確かに流れているが貴方と裕子女史には見えない反感の存在で、貴方と裕子女史は周りの同志勢の誠意からの忠告を受けられなくなってしまっていると思うんです。

同級生同志達は普通に結婚して子供も大きくなり老後も安泰となっているのだから、裕子女史が50まで独身で私の足を引っ張っていたりしたら、友人なら必ずたしなめて忠告するでしょう。

それやっても貴女は幸せにはなれないとか、話しかければいいんじゃないとか、あいつが嫌なら私がいい男紹介してあげるから会ってみなよとか言うのが本当の友人ですよね。

裕子女史の現状を見て、なにも言わない人は本当の友人ではないでしょう。

貴方になら分かると思います。

しかし、裕子女史はそういうことを考えないタイプなんです。
後先考えずに刹那的ともいえる今だけの体裁保全にかかりきりになっている。
さらに代ミュン気質を満たす為に自分の味方である私をマッチポンプで貶めて喜びを得ている。

貴方は分かっているのに、娘を傷つける事を恐れて、周りの同志勢と同じく裕子女史に何も言えないようになってしまった。

しかし、今も転落した地にいて裕子女史は心の奥底では既につらい思いを抱えているはずです。
貴方が今からでも有効な手段を実行行使しないと、今よりも、もっと裕子女史を傷つけ悲しませる事になるのに気づきませんか?

貴方も数多の女性達と話をしたり交友し、裕子母氏とは結婚生活育児を、活動では婦人部の相方と共に戦った経験があります。

その女性達と裕子女史を比べて、彼女はどういう性格なのか、どう分類される人格なのか考えてみて下さい。
考えてもどう分類すればいいのかおそらくは分からないでしょう?
どうも貴方が、私に対して多くを求めすぎるきらいがある事からそう思うんです。

貴方も裕子女史も人間の能力について、定まった考えを持っていないからなのだと昔から思っています。

この間、機関紙に任用試験が行われると書いてありました。
私も入会した次の年だったかに試験を受けているんです。
ここでの私の扱いに貴方の私を見る目と娘の窮地への危機感の無さが良く表れていましたね。

試験勉強として機関誌の任用試験特集号をなんども読んで組織公式サイトの動画も見たんです。 
ちゃんとやっている所は監視部隊から報告を受けていたでしょう。
しかし、貴方の私への猜疑心がそうさせるのか、所属区に働きかけていろいろ工作を受けていました。
(こういった込み入った工作の類は裕子女史は関わっていないと見ています。)
区の拠点で200人は集めて行われたんですが、私は真ん中の一番前の席を与えられていました。 
前には受験者はおらず後ろにずらっと並んでいる形なんです。 
席に着いた時に思いましたよ。 

これ裕子家の仕業だなと…。

二人掛けの机座卓で、隣に来た奴が後で考えるとH市時代の客だった塾の講師だったような気がするんですがどうだったんでしょうか?

まあ隣はマラソンでいうラビットで速攻で終えて、すっくと立ちあがるとさっさと退場して行きました。

隣が退場してから、貴方一家がなぜこの一番前の席にしたのか、考えながら試験を解いていました。 
試験といってもマークシート式の原付の免許試験みたいな感じのもので、ほぼ皆合格するんです。

が、受験費無料で組織が行う「任用試験」と称された試験なんで、会員の8割は何らかの役職に就いていると言われているぐらい皆何かを担っている組織の事、真面目に勉強をする性格なのか、交通標識をあらかた覚える能力があるのか、とんでもない阿呆ではあかんから、そういうのだけは選別しておくぐらいの意味で後で文字通り任用する時の内申書に添付されるものなのでしょうね。

なぜ貴方が私を一番前にしたのかの理由を3つ考えてみました。

まずはカンニング防止策。 
前には演壇と○○〇しかないからカンニングしょうもない。 
貴方から見ると私ってそんな感じで見えるんでしょうね…。
カンニングの現場を映像に残して裕子女史に見せ、あきらめるように説得する材料とするため。

次は演壇にどっきりカメラ設置説。 
N宅で隣室に貴方とメンヘラがいて話を聞いていた時と同じく、録画して後で見るか、現場の拠点の別室で2人で見ていた。 
見たかったのはラビットが速攻で終わらせて席をたった後の私が焦っている所を見ていたかった…。 
この場合、裕子女史、病院行って嗜虐性を治療してもらった方がいいですね。

最後は信心強盛説。 
会場の演壇の裏、正面に大きな○○〇を頂く構造になっていて信心強盛な貴方一家はより○○〇に近い所へと設定してくれた。
が、カンニング牽制説とは逆に私に小賢しいイメージを持つ貴方がラビットを用意し、能力の差を見せつけて私を落胆させて精神的なダメージを与え、賢しげな態度を出来ないように仕向けた。

こういうの仕組む理由は実はどうでもいいんです。
私は40過ぎての入会なんで男子部を経験していない。

任用試験と、あといくつかの試験が存在しているのはご存じの通りです。
他の試験の受験資格は男なら男子部員に限られている。

これは男子部や女子部を経ていないと、特殊な事情でもない限り組織内での上昇が制限される事を意味すると思います。

特殊な事情というのが特殊技能による技能役職。 
まあ私で言ったらT氏を動員してもらっているくらいだから、作文分野でしょう。
これが私の買うべき唯一の能力と貴方も見たから、T氏工作を仕組んでいるんです。 
仕事の受益工作もありますが、今、赤字垂れ流し状態なのを見ると、T氏工作の方が労を費やした工作だったような気がしてます。

任用試験は真面目に受ければ何の問題も無い事柄なんです。
この任用試験最前列事件は、またいつもの私のキャリー化で貴方一家と周りの取り巻きで私の動向を観察して楽しもう、それだけだったと思えるんですね。 私の資質などについては、大体、的確に把握しているような気がしています。

何が問題なのかといえば、この任用試験の時40越えてすぐぐらいなんです。

まとめて考えると、この時点でも、まだ裕子女史には未来にいくらでも選択肢が残されていて、私を試してやるという立ち位置で仕組んでいるのが分かります。

貴方は裕子女史と一緒になって、高い安全圏にいて、高みの見物をしている場合ではないと思うんです。

冒頭の昔の同僚と公務員の娘の話では、父親が鬼の親心で見合いを勧めた年齢だから、一般的にみて貴方の父親としての娘に対する義務の怠慢でしかないんです。

貴方は私はもう入会してんだから、娘が会いに行けない、私から会いにゆくのも拒むと分かったなら、貴方から私に会いに来なくてはならなかった。

入会時に私の他に見合い相手かなんかを連れてこれないのなら、私をどんなに気に入らなくても裕子女史と会わせるべきだったでしょう。


当然の批判をしているつもりですが、前編に記した通りに貴方と裕子女史は共通する、現状認識感覚の鈍さを持っています。
だから、別言語で話しているように全く意味が分かっていない可能性も有りますね。

しかし、貴方は実家売却不動産工作等を巧みに状況判断して、遂行する能力が有ったりしますよね。
だから根っから鈍感というよりも立場による視野の限定が起きているのではないかとも思うんです。


昔から不思議と昨今話題の某一境界と縁が有ったのは貴方もご存じの通りです。 
今の場所で再び某一境界の名を聞く機会が有り(貴方の耳にもその話が届いている事でしょう。)、こんなところにまで進出してたんやなと思ったのが2か月前、その後、衝撃の元首相の暗殺事件で二十年の時を経て再び注目を集めています。

与野党問わずに境界系の各種団体のイベントに出席したり、事務人員を借りたり、資金援助を受けていたりして大問題になっています。

色んな政治家がそれについてコメントを発表していますが、特に印象に残っているのが、○○の3代目が支援を受ける事や境界傘下の団体と関係する事について「何が問題なのか分からない」と言った事です。 
その後、発言とニヤニヤしていた事について猛批判を浴びて謝罪撤回したそうですが。

関係した政治家は他にも沢山いますけど、この失言を見て余計な事を言わん方が身のためだと思ったのか、その後、関係が露見しても失言はしなくなっているようです。

3代目は世襲政治一家で○○と○○が○○にまで上り詰めた超エリート一家に生まれて、最高の教育を受けているでしょう。

なんで、そんないいとこ出の人間が失言してしまうのか?

3代目は本当に何が問題なのか分かっていないのだと思います。


豊臣秀吉が九州平定を終えて、事実上の天下統一が成し遂げられた。
その後、秀吉は薩摩にしばらく滞在して戦後処理をすませると、帰国の途につき、途中、博多に立ち寄った。
ここで、ポルトガル商人に奴隷として売られてゆく多数の日本人を見たらしいんです。

で、史上有名な「伴天連追放令」を発令する。

秀吉は、九州遠征に勝手に秀吉軍に同行していたポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見すると、四カ条からなる詰問を行っている。

まず、秀吉がコエリョに問うたのは、「なぜポルトガル人が多数の日本人を買い、本国に連行するのか」ということだった。

秀吉の問いに対してコエリョは、最大の理由として「日本人が売るから、ポルトガル人が買うのだ」と答えた。
そして、「パードレ(司祭職にある者)たちは日本人が売買されることを大いに悲しみ、これを防止するために尽力したが、力が及ばなかった」と述べた。
さらに、「もし秀吉が日本人の売買の禁止を望むならば、諸大名らに命じるべきだ」とし、「秀吉の命に背く者を重刑に処すならば、容易に人身売買を停止することができる」と助言めいた発言をしたのである。

コエリョは日本人奴隷の売買については、日本人が売るから悪いとし、どうしても止めたいのならば、秀吉が禁止すればよいと突き放した。

つまり、宣教師たちでは人身売買が解決できない問題であること、そして無関係であることを主張したのである。

日本人を奴隷として輸出する動きは、ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くもはじまったと考えられている。

16世紀の後半には、ポルトガル本国や南米アルゼンチンにまでも日本人は送られるようになり、1582年、ローマに派遣された有名な少年使節団の一行も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。
「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」
「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐 憫の情を催さない者があろうか。」
といったやりとりが、使節団の会話録に残されている。

こうした南蛮人の蛮行を「見るを見まね」て、「近所の日本人が、子を売り親を売り妻子を売る」という状況もあったことが、同じく『九州御動座記』にも書かれている。

実は奴隷人身売買は戦国の世の日本では国内で普通に行われていたそうで、1年前の天正14年の同地九州の島津氏と大友氏との戦いでは普通の農民たちが捕らえられて奴隷になっていたそうなんです。
日本人が日本人を奴隷として売買していたんです。

フロイスは『日本史』の中で、その惨状を次のように記している。
「薩摩の兵が豊後で捕らえた人々の一部は、肥後へ売られていった。ところが、その年の肥後の住民は飢饉に苦しめられ、生活すらままならなかった。したがって、豊後の人々を買って養うことは、もちろん不可能であった。それゆえ買った豊後の人々を羊や牛のごとく、高来(長崎県諫早市)に運んで売った。このように三会・島原(以上、長崎県島原市)では、40人くらいがまとめて売られることもあった。豊後の女・子供は、二束三文で売られ、しかもその数は実に多かった」
薩摩の雑兵は、捕らえた豊後の人々を肥後で売ろうとしたが、それが飢饉により困難と知るや、今度は現在の長崎県へ行って売買した。
かなりの数であったことが判明する。

この話が事実であることは、島津家の家臣・上井覚兼の日記『上井覚兼日記』天正14年7月12日条に「路次すがら、疵を負った人に会った。そのほか濫妨(らんぼう)人などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた」と記されている。

と特に珍しい事でもなく、全国各地でも行われていたそうなんです。
九州平定後の朝鮮出兵では秀吉軍が多数の朝鮮人を奴隷や職工として拉致してきているんで、同胞の日本人が虐げられている事への義憤が伴天連追放令へとつながった一因であったと言える。
(しかし、さらに後の時代には復活して日本人の人身売買は、19世紀から20世紀初頭にかけても「黄色い奴隷売買」、「からゆきさん」として知られるほど活発であり、宣教師が指摘した日本人が同国人を性的奴隷として売る商行為は近代まで続くことになる。)

あとの発令理由は支配の基盤を整備する為、検地・刀狩政策を徹底しようとする秀吉にとり、農村秩序の破壊は何よりの脅威であったことがその背景にある。
キリシタン大名がイエズス会に領内の土地を寄進して、そこからの貿易で利益を得ていた事も秀吉の支配体制に不都合な部分で潰したかったんでしょう。
まあもう日本は統一出来たから働く臣民が減って、地方の大名に利益を持っていかれては困るというも本音の所なんでしょうね。

秀吉が拠点としていた本州でも人身売買は普通にあったんですが、天下統一が達成されると、今まで自分の担当していた地域と別の大名が担当していた地域が統合され、複数の大名と一緒に今までいた階級層から一段上がって、天下人の階級層から物事を見るようになる。 
臣民全体に自分も含めた日本人という、前階級層では無かった観点を獲得する。
で、日本人、外国に売る奴許さへんで!となるわけである。

○○3代目は超名門家出だが、今の所、政治家階級層では派閥の長でもなく、子分的な議員もいない、頂上から数段下の位置からの視座しか持っていないわけなんです。
地方の大名が自領の臣民にしか影響力を持たないし、よその土地の民には興味も持たないのと同じで、国政全体を考える所にはいない。

某一境界の問題は、巨額の収益の7割を日本から得ていて、その収奪方法が洗脳技術を駆使したものだという事に尽きる。
平和サークルだとか慈善団体のセミナーと偽り、施術場に連れ込みマインドコントロールを施して、思考能力を奪って奴隷として使用し財産を奪ってしまう。

政治と宗教の関係などは、キリスト教とヨーロッパの歴史を見ればズブズブもいい所で、分離などできるわけも、出来たこともないコインの表と裏みたいな関係なのである。

教義とか崇拝対象とかも、別にそれこそ何の問題もない、何が問題だか分からない普通の宗教団体だと思います。
スティーヴン・ハッサン「マインド・コントロールの恐怖」という本をぜひ読んで見て下さい。(マインドコントロールと洗脳とは別種のものらしいが私はよく分かってないんで同義で使用)

日本人信者の内、ごく一部の幹部以外は皆洗脳されてコントロールされている被害者であることが分かると思います。
○○容疑者も殺人犯でいて被害者の一人という側面を持っているんです。 

で、秀吉が天下人となった時にこれ聞いたら、怒り狂うレベルの話でしょうね。
野党は当たり前だが、自民党の各派閥の長はこの手の失言していませんよね。 
頂上階層からの視座を獲得しているからだと思います。
同胞が苦しめられているのが見えるんですね。
○○3代目も、もう一段上昇していたら今般の失言は無かったのではないでしょうか。


人間は地位や立場、階級によって考え方や見え方が違うという事。
ここから、組織内での立ち位置、階級層、その地位に長くいた為に固着してしまっている貴方の視座の問題について書いてゆきたいと思います。


前日に上記の部分を書いたら、今日は共有案件について1家からガンガン連絡が入ってくる。 
3か月前に良く分からない連絡があったっきり音沙汰無かったのにです…。

こういう問題はもう貴方が仕切っている感じがするんで、お任せしています。 
実家案件も私がどう考えていても貴方の出した答えに強引に進まされたからです。 

貴方が言いたいのは、上記の話を書き進めて、私に貴方批判を続けられると体裁上よろしくない、書かれるだろう事は大体わかるからやめとけやという事が一つ。

貴方は感覚が鈍いなんて事はなく、物凄く繊細な理解力を持っているのだと思います。 
もしかしたら貴方一家で鈍いのはメンヘラだけ…。 いや、裕子女史だけなのかもしれませんね。

人間、老いには、どう足掻いても敵わないものだと思います。 
80過ぎると今の鋭敏さを維持していられる時間も短いものと考えます。

私は老人に知り合いが多かったんで複数の人の老耄化の過程を見てきました。 老いて能力を失うのに半年かかりませんからね。
あっという間に痴呆状態に陥るもんなんです。

旅立ったN氏へのTwitterの発信で老人の願いはすぐに叶えてやらないと、70過ぎたらいつ死ぬかわからんから、すぐに実現へ動くべしと書いているんで読み返してみて下さい。

貴方が裕子女史を救ってやれるのも、最短だったら3か月ぐらいの時間しか無い可能性があるんです。

鈍くはないが、悠長な感覚を持っていて、自分の年齢をハッキリと把握できない性格と言えるのではないでしょうか?

裕子女史が完全にそんな感じですからね。

医師から余命3か月宣告を受けたような真剣な気持ちで私と裕子女史の事について臨んでください。


もう一つは、今日、共有案件の連絡を入れている通りに様々なプラス工作も仕組んでいる。 
工作プロトコルで接触する前でないと手を出せない決まりが設けられている。 
だから私と裕子女史を会わせる前にやる事があり、まだ会わせられないんだ的な理由。

私、杉田時代に○○で40億稼いだ○○王の話を聞いているんです、池袋のつけ麺屋さんも成功者と言えるし、ケーキ王とか大手○○会社の話とかいろいろ教えてもらう機会に恵まれてきたんですが、ああいう話の人達って、何が先とか、会ったら工作できないとかの制限無いですよね?

お前がT氏の後釜を目指す的な事ゆうたから、文学系の支援をしとんのやないかい!と言われそうですが、もう時代が時代で活字を換金するのは難しいと思います。 
ファイヤースティック&iPhone導入してからTV放送を週に1時間しか見なくなりました。 
以前よく見てた超人気タレントも今年に入ってから一度も目にしてない…。 2年前までガラケーだった私ですらそういう状態だから、今の若い人なんかTV自体持ってないかもしれません。 
時代が変わったんです。 
詩文散文は趣味ではあるんで、宣伝に使えれば儲けもんだぐらいに考えていますよ。
時間が限られているんで、すぐに来て私と会ってもらいたいんです。


貴方が長く組織で支援もあれば嫌がらせもする工作全般に従事しすぎて、その役職からの視座が心に固着してしまい、加害工作も当然の事と身に沁みついてしまっていて、裏工作ばかりしてきて人と接触することも苦手となっている。 
○○波や各種工作を平然と私や老母に使ってくるのはその固着した異常な観念によるものだと思う。
その状態で裕子女史を育てたんで、彼女は貴方の生き方を真似てしまい50の独身女の立ち位置にまで下降し続けている。
という事を実例を挙げて説明しようと考えていたんですが、共有案件を放り込んでくるぐらいだからやめときます。


確かに80過ぎてネチネチ非をあげつらわれても、困りますよね。
しかし、避けて通れない私とN氏とK氏、そして裕子女史と貴方の5人の間で起きた不義理は聞いていただかないと、このまま私か裕子女史かどちらかが病気になるまで会う事は無いでしょう。
だから最後に私の入会からN氏の旅立ちまでの顛末を記して貴方の翻意を促したい。


Twitter
明日で休みは終わりです。 掃除とかあるんで営業は木曜からにしたい(暑いし)。
なんか千葉に行くんじゃなかったのかとメンヘラなどはお思いの事と思います。 報告を受けているかもしれませんが足の小指を負傷して、バイクは原付しか乗れなくなってしまい遠出できなかったんです。
勉書発信を終わらせることが出来そうにないんで大変申し訳ない。
すみませんでした。
しかし、そういうのも運の巡り合わせみたいなもんですよ。
人生万事塞翁が馬。
共有案件の話が有る時に勉氏が横浜入りしているんですかね?
まあ3か月に一度ぐらいは娘達と孫の顔を見に来ているのでしょう。
あと一週間はかかりそうなんで、いったんY口県に帰ってもnoteを読めるように、なんかのタブレット端末を借りて使い方をメンヘラに教わっておいて下さい。
で、読んだら申し訳ありませんが、再来浜して私と会っていただきたい。
宜しくお願いします。


貴方は私がN氏宅に初めて行った日に、追跡部隊から報告を受けN氏の素性を調べましたよね?

貴方的には私を折伏するのは裕子女史の手柄とするべきだと考えていたのではないでしょうか? 

人々の後ろで黙って薄ら笑いをしている女とすら評されるメンヘラで気の弱い裕子女史の事なんで、この先、折伏対象の人間なんて現れるはずも無く、裕子女史の人生で可能性があるのは私だけだったからです。

貴方はN氏から聞いたでしょうが、初めて会った時から裕子女史と会うために仲立ちして欲しいと頼みに行っていた。

他の人も言っていましたが、それってもう裕子女史から紹介(折伏)された事にしちゃっていいんじゃないか?となって行ったのではないでしょうか?
裕子女史が折伏したが、N氏の功績みたいに処理されて行った気がします。

始めてN氏と会って1週間後ぐらいから、入会必要条件を満たすように急激にいろんな事を課せられて行きました。

条件の一つが会合への参加2回か3回以上だったんで、支援集会に週内に行き、地区の会合にも2週間内に行きました。

初めての会合で言われていたのが、今は入会できない時で(組織内で定期的に人事が有って、その改変期には新たな入会を受け入れない時期があると予想しています。その事だと思われる。)幹部の親戚が受け入れられるだけで、外部一般人は全国的に入会させてもらえない。 良かったねと。

N氏は、「君は全国的に新体制の入会第一号らしいぞ、良い記念になるね」と言っていたのを憶えています。

私は遊園地入場100万人目みたいな感じで新体制の最初にやって来た男だったんですが、この入会を止めている時期に、押し込んで入会させる事が出来るのは、私に関わる人間で、貴方しかいない。

所属区の幹部勢は私を推す義理が無い。 
N氏もこの間初めて会った私にそこまでする義理は無いし力も無かったと思う。 

裕子女史がやるべきなんでしょうが、前を歩いているというだけで蒲田のヤンキー娘の反感を買いしばかれるメンヘラにそんな能力も力も無いでしょう。

貴方の許可が無ければ私は入会出来なかった事になり、事実上、貴方が私を入会させたようなものなのです。


様々な事象で人が間違いを犯して、損害が出たとする。
その損害に対して間違いを犯した人は責任を負わなければならないでしょう。
車を運転してて急にブレーキが利かなくなり、人を轢いてしまったとする。

が、その事故の30分前に整備工場で点検を受けた帰り道の事故だったら、運転手に加えて、整備工場にも責任が出てくるかもしれません。

さらに、その車は1週間前に新車で買ったばかりだったとしたら、2者に加えて自動車メーカーも責任を負う可能性が出てきたりするでしょう。

この間、トラックに轢かれて、交通弁護士や保険会社を交えて過失割合で喧々囂々喧々諤々としていたのは記憶に新しい所です。

責任を過失割合を決めて、負うべき責任の割合と補償すべき金銭の割合を出すものですが、この間のは10対0で完全に私が轢かれた判定でしたね。

私と裕子女史と貴方、N氏、K氏、YK氏などが判定されるわけですが、前述の通り裕子女史には責任能力が無いので外れる。

N氏等は貴方の依頼で動いていただけなんで責任なんかあるわけもない。
結局の所、私と貴方で過失割合を出さなければならないわけです。

裕子女史の今、現時点の境遇はかなり急峻なワインディングロードをブレーキが壊れた車で下っているようなものだと思います。

ブレーキが壊れたのはメーカーの責任だろうし、その車の購入を勧めた人がいれば、その人にも少しばかりの責任があるかもしれない。

本来は助手席に誰かが乗る予定だったが、その人が乗らない状態で走り始めてしまった、その人が乗っていれば、事故を防ぐ方策を持っていたので、裕子女史は助かるはずだった。

貴方が全体をコントロールしていた私の入会時に裕子女史と会わせるべきだったでしょう。
この機を逃したのは、貴方が全責任を負う、完全な間違いだったと思います。

この時、裕子女史は40で、もう一年2年は普通の幸福、出産育児の可能性があった。 
普通の人だったら、もう遅きに失したと考えるはずの年齢なんですが、貴方一家はその辺が鈍いのは前述した通りなんです。

その時、私が失業していたのも認められない所だったと考えています。

仕事を見つけさせてからでないと会わせられない。

さらに入会してきちんとやって行けるのかもしばらく見なければ分からない。

ギャンブルとかでダブルアップ的なチャンスに賭けるみたいな心境にあったのではないかと推測しています。

もうちょっと泥ガメの条件を良いものにしてやんないと、娘が可哀想だ、周りへの体裁的にも泥ガメに泥を塗られてしまう。

僅かな娘の可能性を全部賭けて、泥ガメのダブルアップを狙うしかない。


N氏と会う少し前の事だと記憶しているんですが、鎌倉女史とフリマに出店して交代で店番して、他の出店者の品を冷やかして回っていました。
その頃はもう尾行されていて、安価行為、嫌がらせが多発していた時期でした。
当地へ越してくる前の話で出身区の顔も名前も住所まで知っているくらいの近所の壮年が多かったですね。 
品川までつけてこさせられていたんです。

H市の仕事を辞める時はもう大体の事はネット情報や、昔のツテから聞いていたんで、裕子女史はああいうメンヘラだし、いや、ああいう性格だし、心根を腐らせて嫌がらせしてきているわけでもないだろう、父親の貴方が全て仕組んでいるんだと分かりかけている時でした。

ある時のフリマの出店者ですごい機材を持っている人がいて、これいいですねーと話しかけた事が有ったんです。
そうすると、その人はもうこの品は早く売らなくてはならない予定なんだと言うんです。 
私はその機材が有れば、それでまた仕事を始める事が出来ると思い、安く売ってくれるなら買いたいと電話番号を教えました。

その後、音沙汰無く4か月くらいたったのかな。
電話番号を渡して別れてから、N氏と会って、入会する直前にその機材を売りたいと電話がかかって来たんです。

特に安く買ったわけでもなく、その人が専門業者に下取りに出せば70万、業者が売りに出す値は180万、私は120万で買い取りました。
静岡まで行って、いろいろ大変な手続きを要する、癖のある機材だったんですが、仕事を再開できました。

何度か会って、手続きをしたり食事を奢ってもらったりしたんです。
なんかの話をしている時に中山駅のダイエーだったかマルエツだったかの隣に有るバッティングセンターの話題になりました。

そうすると彼は「あそこまだあるよ。隣のダイエーは向かいに移転して、跡に緑区の会館が出来たんだ」と言うんです。

その時は気にも留めなかったんですが、後から考えてみると外部の人だと組織の施設は○○○○の施設とか建物とか言うだろう。
内部の人間は緑文化とか「緑区の会館」と呼ぶだろう事に気づきました。

H氏と一緒に仏壇を買いに行く、車の中でその話をすると、良かったねと答え、初心の功徳と言ったか初なんとかの功徳という、信心を始めた時にある功徳なんだと説明されました。


今、宗教と金の関係が注目を浴びまくっていて、世相を騒然とさせている最中です。 
一人二人は外部の人が読んでいるやもしれないんで、事実は事実ときちんと実態を書いておきたい。

この時H氏(○○部長)と一緒に行って組織系統仏具専門店で購入したのは税込み7300円ぐらいの御厨子型の品です。 
7300円でも、さらに安いものが用意されており、うちのは下から2番目の品でした。
それが黄色いプラスチック製だったんで、H氏は最後まで木製の伝統的な奴にしてくれと言ってましたよ。 
私は身の丈に合ったこれでいいと買ってしまいました。

機関紙と冊子を購読してますが、両方で月3千円。
年末に献金を募りますが、強制ではありません。 

流布されている、風聞やネット情報とはずいぶん違うでしょう?
嫌がらせされ、付け回されたと書いてますが、フリマの会場で私が機材の持ち主と話しているのを監視部隊が見ていて、勉氏に報告して上記の結果につながっているんです。 
嫌がらせは嫌がらせですが、帳尻を合わせてくるんですね。


まとめると、あの時、私を仕事に就かせようとしていた事が分かるんです。
よく考えれば、父親として当然の選択だったかもしれませんね。

が、思い切った方向へ舵を切れば、この時点ではまだ選択肢がいくつも残されていたとも思えるんです。
言いたいことは貴方には分かると思うんで説明はしませんが。


Twitter
今朝、体調悪くされすぎて回復してないんで話が先に進みませんね…。
今朝やらかしてくれたのは裕子女史本人かな?
今、午前3時にも強力照射されてんですが、貴女くさいな…。
まあ、やけになっているところもあるんでしょうが、そのままめちゃくちゃやっても貴女は悲惨な境遇へと真っ逆さまに転落するだけでしょう。
気持ちは少し分かるんだけども、ほどかなければならない、絡まった結び目をイラついて強く引っ張りさらに固く結びつけてしまっているようなもんです。 何とか王だかが、そういった結び目を解くのに剣で一刀両断して解いた逸話があったと思いますが、我々にはその剣は無い。
ちょっと気を落ち着けて、理性を取り戻してください。
人に危害を加えて、痛がっているのを見て喜んだり、人を貶めて困っているのを見て快感を覚えていたりしてますよね?
それって全世界のどこででも悪と判定される生き方です。
みじめな生き方ですよ。
貴女がほどかなければならない結び目はやさしさとか愛情とかでしか解けないものですよ。

Twitter
妨害○○波が酷くてどうにもならないな…。
頭の中でまとまっていたものが消えてしまっている。
なんとか思い出して明日から再開させます。


先週末に全身倦怠と激しい腰痛を誘発する○○波を寝ている間中に照射され、上記Twitter発信となりました。

5日ぐらいの間勉書の発信を出来なくされているんです。
さらに営業上の赤字垂れ流し状態が慢性化して、ついに競合業者に土曜日の営業で敗北してしまいました。  
唯一利益の出ていた日曜日も落として、一週間を通して利益が無い事態に陥らされている。

なんとなく予想しているのは先週末に貴方が来浜した事を私に伝える方法が体調悪化腰痛波だったという事と、売り上げ落ちれば勉書発信も捗るやろという強硬な催促だったのではないかという事。

強力な休業してしまうほどの○○波は新始動依頼一度も無かったのに、ここにきてやられるのは、貴方が来た事で気が強くなったメンヘラが、いや裕子女史がニヤニヤしながらやらかしたのだと思う。

普段は気が弱い陰気な女ですからね、彼女は。 
ものすごく貴方を頼りにしていて、強い影響下にあるのがこれで分かるのではないでしょうか?

商売の転落もあの辺は各種業者の我田引水が露骨に見える地域ではあるが、(当地など都内やその郊外では業者の数が多いんで、あそこまで露骨には出来ないのでしょう)ついこの間まで両隣の地域で営業していたんで、当地や貴方からの働きかけが通用しないという事も無いでしょう。 

そもそも国政に近いのは当地だし、会員の人数も桁が違うだろう。 
あの辺の同志勢も当地経由で仕事をもらっているし、働いているのも当地内である場合が多い。 
競合業者も両隣の地域でうちが破ってきているから、地元だと言うだけでこうも簡単にうちに勝てるわけでもないでしょう。

急に赤字垂れ流し状態に陥るというのはなんかわけがあるという事です。
まあ、貴方が仕組んでいるとしか思えない。

で、全く不正解な手段に訴えるから、5日間勉書発信を不能にされてしまい、経済的な大損害で、拡張してゆこうとしていた予定を取り止めて来年の契約解除まで、もう一切の金を投入するのを止める事としました。
逆効果で、かえって娘の転落に拍車をかけているんです。

これは、ここ1か月ほどの事を言っているんですが、実の所、貴方の誤りが裕子女史を転落させている事例はこの35年間にいくつも山ほどの事例が有るのです。

私の入会時にダブルアップを狙って私と裕子女史を会わせなかったのも貴方の誤りです。

しかし、当時の裕子女史は40になったばかりで、まだ貴方的には余裕があっただろうし、無職の私と会わせるのも… と考える気持ちはよく分かりますし、多くの父親が賛同する選択だったと思います。

※ダブルアップとは勝った配当を、そのまま次の勝負に倍で賭けられる権利ですが、それを賭けて負けると賭けたものをすべて失い0になってしまう仕組みです。(私はコインポーカーゲームでよく遊んでいたんで分かりますが、知らない人に説明するのが難しいんで検索して調べてください。)


ここで父親としての責任を果たすには、正しい道を示し、正解を選択しなければいけなかったんです。

正解は大体2つの選択肢があると考えます。

一つは、すぐに裕子女史も納得する相手を連れてきて強引に結婚させる。
冒頭の元同僚の娘の話を思い出してください。 
どんなに娘になじられようと怒りをぶつけられようとそれに耐えて見合いまでの道を父親が敷いたんです。 
40の時だから元同僚の娘とまさに同じ歳の時なんです。
2つあるうちのこちらを選択したのであれば、命に代えて遂行しなくてはならない父親としての義務があると思います。

もう一つは、私と会わせて、うまくいきそうならすぐ結婚させる。
まあ無職だったんで、逃げ口上もバンバンビシビシと決まりに決まってしまい、貴方的にも裕子女史の逃げ口上を聞かざるを得なかった側面が強く出ていたのは確かですね。
そうなったら、最初の選択肢を選ぶべきではなかったでしょうか?
今、既に敗れた後なんで、好き勝手に言っていますが、確かにその時は2つの選択肢自体が見えていないし、そんな簡単に事が進むか分かりませんが。

で、正解を出さずに、ダブルアップを狙ってしまいましたよね。
正解じゃないという事は間違いを犯したという事です。
しかし、まだ一年ぐらいは僅かながらの可能性が残されていました。
43ぐらいで出産する人って、現代では結構多いらしいんで完全な間違いとは言えない状態。

完全に間違いを犯して、敗北させるのはK氏折伏時に再びダブルアップを狙った時なんです。




次の勝負である、私がK氏を折伏成功した時に裕子女史と会わせなかった時に、貴方は賭けに敗れて裕子女史の普通の幸福な人生の可能性を失わせる事になるんです。


記念に撮ってもらった写真を見ているんですが、平成2×年の10月12日の入会式が写っています。

私とN氏とが並んで立っていて、周りに地区の人達が一緒に一歩後ろに並んでいます。 
もう10年前の写真なんで皆若いですね。

前述の仕事の機材をこの時買い取る寸前だったと記憶しています。
フリマ荒らしとYK氏の仕事をバイトで手伝ったりしてしのいでいましたね。か、もう買い取って商売始めてたかな? 忘れちゃいました。

貴方から見ると私は怠惰な印象を持たれている事でしょうが、根が生真面目なんで、その機材を使うのが10年ぶりだったこともあり、朝一で現場について用意を始め、終業は夜の21時過ぎという過労死寸前の過酷な勤務体系で仕事を始めていました。

私の入会時には貴方と裕子女史は何度かN氏と会って話をしていますね。
N氏的には大々的に請け負った形となってしまったんで、あとに引くわけにも行かずに突き進むしかなかったんだと思います。

入会前後に、しょっちゅう、店の方に呼ばれていろいろ細かく指導を受けていました。 
私が裕子女史の年齢と加齢リスクを叫んでいたんで急いで養成する必要があったからでしょうね。 
この頃は貴方も急ぐ必要がある事に同意していたと思います。

ある日、その日も店に呼ばれて唱題をする訓練みたいな事をしていました。
そうしていると、古いアパートの一階を借りて店にしているんですが、窓の辺りがカタカタいって人の気配がするんです。
メンヘラが…、いや裕子女史が覗き見に来ていたんです。
N氏が裕子女史を呼んでこう指導してるよと見せていたんでしょうね。

それ解ってたんなら、飛び出して行ってメンヘラをとっつかまえてやればいいじゃんと思うでしょう?
脱兎の如くに、あの寸胴体型でよくあそこまで早く走れるなという俊足で逃げて行ったことでしょう。
裕子女史はそんなに簡単な女、明朗で気さくな女ではないのです。 
人類でも最難関に属する超強力な難しい女、人に話しかけられず自滅の道を行く気難しい女なのです。

男は度胸、女は愛嬌などと言いますが、私は根性無しで、裕子女史は愛嬌の欠片も無い偏屈な女だと言えるんでしょうね…。

さらに宗教的な儀式の最中にそれを止めて、居るか定かでないメンヘラを追う行為などは、もろに禁忌に触れてしまうのではないかと恐れていましたね。
せっかく力になってくれると言っているN氏の勘気をこうむるのではないかと。
諸葛亮が延命の儀式を何日もやっている所へ、魏延が禁を破って全部ぶち壊してしまう場面のような事を恐れました。


時をその場面より6年後ぐらいに進めます。

N氏は胆石かなんかで戸塚の病院に入院しました。
この時N氏は既に壮年長に昇進して、私と裕子女史の仲を取り持つ動きを止めてしまっていました。 
私も会合の時に会うぐらいになっており、以前のように頻繁に家を訪ねる事もなくなっていたんです。

事前に連絡して見舞いに行くと裕子女史は先回りして病院の中でうまい事、工作し場所を都合して私とN氏の会話を聞いていました。 
勉書のどこかに書いてあるんで読んで見てください。

N氏がいつもは面会待合室で話をするのにわざわざロビーの横まで連れて行き、そこで話をしたんです。 
その前方には人の気配のする扉があり、メンヘラの瘴気が漂っていた。 

病院を出て振り返ると遠くに裕子女史らしき女が仁王立ちしているのが見えました。

やがてN氏は戸塚の病院から地元の大きな病院へ転院しました。
そこで色々な病気が次々と見つかったんです。 
うちのすぐ近くなんで何度か見舞いに行きましたね。
一度目は普通に面会スペースで話をしました。

しばらくすると伝染性の病気が見つかったと言われて2度目の見舞いは隔離病室に入っている所に会いにゆきました。

度重なる見舞いで病院慣れしてしまい、いかにも家族枠かのようにナースステーション入りする私に初めどうぞどうぞみたいな軽い感じだったのに、記帳して名前が分かるなり、血相を変えて看護師勢が押し寄せてきて、空気感染するからドア越しに話をしてくださいと言いに来るんです。

隔離病室の前までついてきて、N氏が出てくるとその旨を伝えて去ってゆきました。 裕子女史が手を回していたんです。

N氏は苦笑いしながら大丈夫だよと言って部屋に入れてくれました。
あたかも詐病であるが如くに、どこも悪そうには見えませんでした。
伝染する病気に罹っている態度ではありませんでしたし、いつものようにくだらない冗談を言って笑ってましたからね。
ここで、N氏が裕子女史に依頼されて病気のふりをしているのだと思うようになりました。

次に、そこでさらに癌の影が見つかるんです。
新横浜の最先端の医療機器が集積されている検査機関に行き、うちの亡父と同じ種類の癌である事が分かります。

そこから出身区の私の地元の病院へ転院しました。
15年前に父が亡くなった病院です。
この病院ではいろいろな事ありました(後述)
転院したと聞いて見舞いに行きました。 

N氏は私と会ってから病気がちになったと冗談で言ってましたが、本当に入退院の連続で4つの病院に10回ぐらい見舞いに行きましたね。
ここでは普通に面会室で話をしました。 
ソファーがいくつかとテーブルとTVが有る小さなスペースで話をしていると、裕子女史が前方の階段を駆け下りてゆくのが見えたんです。 
まあ遠くて分かりずらい50%の確率でいて、そもそも何年も顔を観ていない状態なんですが、やはり縁があるもので裕子女史だとわかるんです。

私が「今、裕子女史が階段を下りて行きましたよ」と言って立ち上がろうとすると、N氏は私の肩に手を置いて座れと言う風にして言うんです。
「丸い地球の上で相手が逃げてゆくのを追うとして、捕まえるにはどうしたらいい?」と聞いてくるんです。 
私はまたいつもの昭和初期おっさん問答が始まったなとげんなりしつつ答えたんです。
「同じスピードだと永遠につかまらないでしょうね。余程追う方が早くないと」
「だけども地球上には海もあれば山もある、相手が遅くなる時もあるし、逃げる相手が疲れて止まる時だってあるんじゃない。」
今日はもう追わないでくれよと言っているのが分かるんで腰を下ろして裕子女史を探さなかったんです。

で、N氏と裕子女史が謀って見舞いに来ている私の前に姿を現している事も確信したものです。 
さらにN氏の詐病も間違いないなと思いました。

この1年半ほど後に霊山へ旅立つのですが、亡くなる一週間前にN宅を訪ねた時にも、既にかなり体調悪い感じでいましたが、私はまだ半分仮病だと思っていたくらいです。

入会当初のN氏の店での唱題訓練時も同様に私が追おうとしてもN氏に止められていた事でしょう。

ここで、N氏が裕子女史の心理的な状態を探って、把握しようと努めていた事が判明するんです。

唱題訓練を裕子女史に見学させた事もそうですが、その後何度も私が見舞いに来る時を見計らって裕子女史に連絡している事も裕子女史という重篤なメンヘラの固く閉ざされた心を解きほぐそうとする試みだったと思うんです。

で、入会6年目でN氏的には末期癌と宣告されている状態ですら、今、裕子女史を強引に捕まえて話したとしても、全てがぶち壊しになるだろうと予想して肩に手を置き、押しとどめている。

今は止めといたほうがいい時期を観ろと言ってましたよ。

私も裕子女史の心の難しさを知っているので、会って話している人がそういうんだからダメなんだろうと素直に引き下がったんです。

この裕子女史の世間の基準とはだいぶかけ離れた異常な価値観や観念をN氏も見ていたし、私との仲を取り持とうとしてくれた人は皆気づく事なんです。

その異常さに気づかない関係者が一人だけいるんです。

俺の事か?と貴方は思ったことでしょうが、その通りです。
貴方は似すぎている娘の異常な感覚に、似すぎているがゆえに見えずに気づかないのでしょうね。

貴方や裕子女史と話した人が後で私に「あの人は何言っても聞かないだろう」というような事をそれとなく濁して伝えてくれる事が何度かありました。
貴方と会う前までは、なんとか仲を取り持ってやろうという意気込みでいた人が会ったらしき後に、一斉に口をつぐみ、触らぬ神に祟りなし的な沈黙と知らぬ存ぜぬ対応に変わってしまうのを何度も見ています…。
 

全部N氏がです…。

N氏は亡くなっていて抗弁できないので、死者に全部なすりつける行為、私としては謝っても償いきれない事でしょうが、また墓参りして真剣に平謝りしてきますよ。 
後でハッピーエンドになれば回復もできるでしょうし…。

あの人にはホントに世話になりっぱなしですよね。
今度は、それこそダブルアップでしきみの束を倍で供えて山盛りにしてきましょうか。

貴方が、その人たちの善意の働きかけを素直に受け入れて、心を開いていたら、裕子女史を説き諭して、貴方譲りの異常な行動を是正することが出来たはずだから。

43までの不妊治療補助年齢以下の歳の時の話ならダブルアップを狙ってもまだおかしくはない。

50でいまだに嫌がらせをしてニヤニヤしている狂ってしまった今は敗北した状態で間違いない。

であるのなら、あの時にその人達の言うとおりにしていれば勝利していた事とほぼ同じになるんじゃないでしょうか。


政治家の立場による視座の違いの所で貴方の持っている視座、観念の異常な部分を指摘しようとしたんですが、共有案件の連絡が連発してそれは書くなという事だろうと取り止めました。
今日も共有案件の連絡が来たんですが、またそこに触れそうな気配がしたんですかね?
勘が鋭くていらっしゃる…。
嫌がるでしょうから軽く書いておきますね。

入会してしばらく経ったある日の会合で、いつものようにN宅がある団地の棟の前で、到着したから一緒に会場に行きましょうと電話したんです。

そうしてN氏は階段から降りてきました。

いつもは襟付きのシャツであるというN氏なりのドレスコードに達しているだけで、かなりラフな格好で会合に出る人だったんです。

ですが、その日は何故かスーツを着ているんです。
私が「なんか偉い人が来るんですか?」と問うと「ははは、わかる?」と笑って「横浜の○○長は、地方の県全体の会員と同じくらいの人数を取りまとめているんだ」と言うんです。

スーツの理由は所属区に住んでいる本部職員が担当幹部として会合に来るからでした。

その後だったと記憶してますが、組織全体の上位5本の指で数えられるだろう超幹部が来た地区の会合にはいつもと同じラフな格好だった。

あれはどういう事なのでしょうね?

そんな私からは、わけわからん基準で組織ヒエラルキーを捉えているN氏ですが、貴方と何度も会って話をしていますよね。

始めこそ青くなってなんで俺の所に来たと詰問してきましたが、すぐに、いつもの貴方も知っているのんびりした感じに戻っていました。

貴方が現役時代にはそれなりの役職にいて、N氏も初めはビビッていたが、話せば娘の事を頼みに来ただけだった。 

で、仲を取り持つ事に腹を決めたからいつもの調子に戻ったという事だったと思います。
N氏の感覚がわけわからないのは前述の通りだが、貴方が仕組んできた工作の数々を思い返せばそういう工作ばかりを手掛けてきた役職だったのではないかと思えるんです。

高圧的というか強硬すぎるというのか、謀略みたいのに長けていた傾向が見られますよね。

それはどうでもいいんですが、その役職に長く居た為に謀略みたいな裏活動をする感覚が身に沁みついてしまい。 
剥がそうにも剥がれなくて一体化してしまっているのだと思うんです。

その一般社会、普通の内部同志勢とは違った、異常な感覚を持つ家庭で裕子女史は育ってきているんです。 
だから貴方と同じ異常な行動を当然の事のようにやらかしてしまうんだと思います。

まずは、人の感情を工作によって、どのようにも自在に誘導できると考えている。

これ私もそうですが、老母にも兄弟にも工作を仕掛けていますよね。
家族に対するものはプラスもマイナスも織り交ぜて仕組んでいるのが分かるんであまり口を出さないでいます。

うちの老母は80手前ですがデイサービスセンターに最近行き始めました。

貴方はうちの老母よりも年上でしょうから、この文章を読んで、正確に理解して行動を起こせるだけの力を維持していられる時間は失礼ですが長くはないでしょう。 いいとこ1年2年と思います。 

だからお願いしたいんです。 
非をあげつらうような形にもなってしまいますが、腹を立てずに御自分の責任を見つける事が出来たのなら、すぐに私と会っていただきたいんです。

私に対するものは、私がこういうのを書いて公開するし、一応は会員と名乗っているので、微妙なものしか仕掛けてきていないと思っています。

末端工作人員よりも、その手の知識が有るんで心理操作が難しいタイプなんですね。

その上、私は怠惰できつい事柄を避けて生きてきました。
と言っても、人並みか人並みよりもちょっと過剰な困難回避行動しかしてないと思っていますよ。

そういう性分なのだから、貴方と同じような人生観を強要されても同じようにはこなせないんです。

貴方が出来ない事を私が出来るという事例があると思います。

人それぞれ違った個性と能力があり、一人では完全ではない、それゆえに人は集い足りない部分を補い合って社会は成り立っているのだと思います。

若い頃、デカイクレーンの仕事を斡旋してくれましたが、その頃はなんかの商売を当ててやろうという野望を抱いていたし、ワルサーの姫に救われるの所を読み返してください。 
私はああいう作業させても、とろくさいだけで、すぐに不手際を起こして、コンテナを激しく落下させて4人の後家を作っていたでしょうね。 
バイトとかでいろんな物を壊して来たんで分かるんです。

前々前職で私が営業車でマンホールを割って、そのまま知らずに去ってしまい、取引先からの猛抗議が来て、上役から後で追及を受けて私は覚えが無いので隕石が落ちて来て割れた説を訴えたのを報告されているでしょうか?

マンホールにも色々あり車が乗ると割れてしまうやわいのもあるそうで、私が破壊していたらしいんです。 
クレーンだとおそらく4人位は殺していたでしょうね。 
ああいう仕事には向かないんです。

その会社で、正社員への道を進むように工作してくれたと思います。
私はその話が来たら、面倒に思いすぐに辞めたので貴方の顔を潰してしまったのではないでしょうか? 
その時の私は全く貴方一家の工作に気づいていなかったのです。 
が、骨を折っていただいたのに申し訳ありませんでした。

ここが貴方と私の気性の違いが見えるところなんです。
貴方の考える良い仕事と私の考える良い仕事は正反対のものなんで、貴方の良いと思って斡旋してくれた仕事は、私にとっては超ブラックな仕事としか見えなかった。

他にも〇大の○○部の仕事もD氏に頼んで、私に譲ってくれるように頼んだのではないかと考えていますし、他にもそれらしき事がいろいろありましたよね、大変お世話になりました。

ただ、貴方の感覚で私の仕事に介入し続けると、裕子女史は私が貴方の付けた条件を達成するまで逃げ続けてしまうんです。


昨日の発信の前に(上記の仕事の斡旋の一群)足元を15センチはあるデカイムカデが這っているのを発見しました。 背後に雑木林を抱えているが、間に一棟挿む形なんで、この棟のこの部屋に闖入してくることは考えられず、呆気に取られて棚の下に滑り込むのを見送ってしまいました。
で、下の発信となります。


Twitter発信

「部屋に放たれたムカデをうまい事捕らえました。 
なんかの知らせめいたところがあるんで、殺すのに躊躇いましたが、テープを紙の棒に巻いて、トリモチのようにぺたんと貼り付けてしまったので、外に逃がす事も叶わず、漂白剤をかけて、苦しませないように瓶底で一思いに息の根を止めてやりました。
あいつを捕まえることが出来たのは吉兆かな。」

先々週にgyao無料でムシキングという世界の狂暴な虫たちを戦わせる作品を3時間くらい見ていたので、それで当地の工作部隊がわざわざムカデを探してきてドアの下から忍び込ませたのかとも考えました。
が、労力の割にあんまり意味ないんで老母が買ってきた鉢植えの下に張り付いて侵入したものと思います。
ムシキングにムカデも出てきて噛みついたり刺したりする場面をさんざん見た後なんで、いつ襲われるか気が気でない地に足がついていないというか、あわわあわわと狼狽えながら書いたものなんで、特殊な内容になっていますね。 なんか貴方へのメッセージとして力を持つ為に、貴方の心に届くように天の配慮としてやってきたように思います。


で、翌朝(8月27日金)普通の○○波を中照射されて起きると、老母が倒れて吐いてしまっていたんです。

前日の晩のTwitter発信
今日は変な事が頻発した日で朝、出かける時に隣家から毒ガス攻撃をされていて、あれやるのが貴方の依頼を受けた壮年なんでしょうね、昔はよくやられていたから。 現地では業者が代金を間違えていて5倍くらいで請求されていた。 帰宅して色々料金を振り込みに行くと、不手際が度重なり面倒な事になった

で、さっき自室にいたらデカイ15センチほどもあるムカデが目の前を這って歩いて行った。 ガスは昔からの各自が示す印みたいなもんだと思う。 業者の過大請求は伝票を見もしない私への裕子一派からの警告か、天からの戒めか。 振り込みの不手際はコンビニでの事なんですが、あそこへ行くとは考えもし

ないで ふらりと立ち寄ったので予測不能だろう。完全に自然発生した。 ムカデはあまりでかいんでびっくりして始末し損ねたので武器を用意してさんざん捜索した騒音に隣の監視人員が上のアホに問われたのかなんかが出たみたいだと答えているのが聞こえたんで、ムカデも偶然の出来事。 貴方が来たことを

天祐的なものが虫の知らせで伝えてきているのかもしれませんね。 で、これを2回文字消しされてんですが、ムカデは仕込みという事か? 普通に地下駐かどこかで待っていてください。 またよく似たおじいさんとかを用意しそうですが、それやるから娘を破滅に追いやりつつあるのだと思いますよ


翌朝のTwitter発信

また朝一から強力照射されて運転不能にされて、老母が倒れている。 まあ、この辺の奴の独断専行という事も無いだろう。 貴女一家の指示がある。 言ってるそばからやらかすなよ

すぐ責任者に連絡して照射人員を撤収させてください。 老母が倒れていると仕事に行け無い。 運転不能にしたら、外にもでれない。 異常な事ばかりやってないで、正しい道へ軌道修正して下さい

老人に危害を加えた時点で、物凄い罰を受けるし、私を動けなくする事でもさらに悪業を積むでしょう。 いい加減に、悪さして、今現在のところに転落している事に気づいて欲しい

すぐ現地人員を撤収させてください。 思考停止しているマシンみたいな奴だから、自重自制なんて期待しないでください。 指示しないとニヤニヤしながらやり続ける。 まだやられているから、老母倒れたままですよ。

まだ照射やられているし、老母は倒れたままだ。 時間が無いのに、また休業させる気か? またマッチポンプで赤字たれ流し日を避けて休業させようとしているんだろうな。 何度も同じ手が通用するのは、取り巻きがなんも考えられないか、分かっているのに悪意で貴女一家を諫め無いという事ですよ

なんか上で、いつもの嫌がらせ掃除騒音立てているけど、照射はやめないという…。 しかし、これこそマッチポンプもいいところで、強力照射して倒れさせておきながら、回復するはずも無いのに、行けと促す。 その異常さを周りも皆気付いているよ。 貴女が分かって無いだけだ

貴女が何をやっても、忠告してくれない、諫めて正しく修正してくれない。 ただ、支持肯定だけする。 これって、もう貴女にとって居ても居なくても同じなのでは? 今周りにいる奴への体裁が 全く価値がない事を証明できると思うよ。 よーく考えて下さい。


本文に戻ります。

前日の毒ガスと呼んでいるものは、そんな大したものでもないような気がするんですが、不快な化学臭というか中南米のタバコの煙の臭いみたいな感じのものです。 
異臭だけなのかと言えば、私からはよく分からないなんか健康被害を出すものなのかもしれません。

これやるの貴方や壮年の一党が来る時に使うイメージがあります。
前日は壮年男性勢が来ていたんです。

月齢かなんかの重力とかの関係で動物とかがちょっと狂ってしまう日ってあると聞きます。 
この日はそれだったのでないかと考えています。
まあ変なことが続く日ってありますよね。

次の日、寝ている所に○○波を照射して起こそうとされたんですが、これやるのはおばはん勢が多いんです。
掃除騒音を上で立てていると書いています、おっさんはこれやりません。

今50のおばはんとなった裕子女史もこの部に属しているんで裕子女史が自分の仲間に頼んでやらかしているのが分かります。

私への照射も強力で80分に渡ってやられ続けて運転不能にされていました。 
で盛んに抗議の発信を繰り返したんで、期限の20分前には私への照射は止んでいました。
老母の方にはずっと強力照射し続けていて、頭痛、吐き気と腹痛めまいと○○波で演出できる症状を網羅してやられてしまい、倒れこんで、唸っている状態に陥っていました。

80の老婆の容体がそれでは、一人置いて仕事に行けるわけもなく、結局休業して待機する事になりました。

5時間はぶっ続けでやられて倒れていたんですが、照射が止むと回復してゆきました。

80の老婆にそこまでのいやがらせして、障りも起きるだろうになぜやらかすのか、考えてしまいましたよ。

一つ思い出したのが、1週間前に会合の予定を伝えられていた事でした。

ああ、あのメンヘラ、会合に出席させるために休業させたのか…。と思い○○部長に休業したから出席できますよとメールを送ると、お母さんが倒れているのなら無理しないでいいと返信があり、会合の出席を理由に休業させたのではない事が判明する。

夕方、母が動けないので夕飯を近くのスーパーに買いに出かけるとうちの前に裕子女史のマーキングである○○が目立つ道の真ん中に落とされていたんです。
それで、嗚呼、メンヘラ本人が朝からやらかしていたんだなと思いました。

裕子女史はもう15年前から、うちの老母との関係を良く築けないかもしれないという妄想を逃げ口上として使っていますよね。

貴方にも、よく逃げ続ける理由として話している事でしょう。
私との関係での逃げ口上が仕事をきちんとしていると有効ではなくなり、通用しなくなってしまうので、第二の理由として、うちの老母との関係を持ち出してくるんです。 

宗教の信仰心の苗床として貧病争がよく語られるのはご存じの通りです。 争とは戦争はもちろんそうだが、主に肉親間の諍いを指すとされています。 特に女性会員には嫁姑問題を抱えて信仰心を燃やしている人が多いのかもしれません。 
私と裕子女史はほとんど会ったことも無いので、それ以前の問題ですが、メンヘラ的には仮想未来の嫁姑問題として提起し、周りの同志達から注目を集める、よいアドバルーンみたいなものなのだと考えています。

老母については前述しているんでそこを読んでください。

裕子女史が来北したら、私は今の家を出ますので、裕子女史には老母との関係が諍いに発展するような事にはならないのです。

今の家には兄弟を呼び戻して一緒に住ませるので老母の生活にも支障をきたすことはありません。

老母の未入会がどうとか言ってそうですが、そういうのは私と話を出来てから言うべきでしょう?  

コミュ障負け犬の遠吠えみたいなもんで、話しかける勇気も無いのに裏で相手本人ではなくの相手の母親の料理の腕を批判しているかの如き愚かしさ。 

法を説くのに○○波を照射してたら、逆効果でしかないの幼稚園児でもわかる事です。

貴女が来たら私が間に入って、うまい事仲良く生きられるようにしますよ。

入会させたいのなら、貴女の手柄として私が責任もって進めて完遂させるでしょう。 

まずは貴女が私と会わないと話が始まりません。


周りが裕子女史の自滅行を知りながら、諫めずにおだて乗せ上げ、愚行へ導いているんです。

裕子女史一人では大した影響力なんかないのだから、貴方がお墨付きを与えたものを見て、周りが悪意の協力をしているんです。

さらに、Twitter発信でも触れていますが、(10年前から何十回も発信している)貴方の威光を笠に着た裕子女史の妄言を、周りが上位下達と何の忠告も諫言もせずに嫌がらせや工作を実行していますよね。

実際は各自内心いろいろ思っているはずなんです。 
ただ、逆恨みされるとばっちりを恐れているのと、基本的に嫌がらせマイナス工作は指示する裕子女史が自分の首を絞めているのと同じ事だと分かっていて、裕子女史への反感から半分馬鹿にしつつ従っているんです。

貴方は裕子女史と似ていて、そういう人の心の機微を察する力が劣っている傾向があると思っています。

仮に周りの同志勢が何も考えておらずに、盲目的な信仰心に基づいて唯々諾々と指示に従っているとします。

そういう状態の人達って操作型ロボットと同じで右ボタンを押せば右へ動き、しゃがめと命ずればしゃがむ人形みたいなものと化しているでしょう。

おままごとで小さい人形をこれは悪者、これはいいもんとして戦わせたりして、自分で物語を作り演じさせているのと同じになってしまいます。

貴方と裕子女史は上記の都合よく考えているものとは違う、悪意で沈黙している連中への無駄な体裁を気にして生きているか、ロボットままごとを空虚な時間を使って一人で自作自演して、そのロボット達に対しての無意味な体裁を気にしているのと同じではないですか?

どちらにせよ、貴方一家が気にしている周りへの体裁は価値の無いものなのではないでしょうか?


そしてもう一つの凶行○○波照射について、K氏折伏事件と交えて触れてゆきます。

貴方がダブルアップを狙って、私の入会時に裕子女史と会わせることを取り止めてから、1年ぐらい様々な難癖をつけ続けているのをN氏から聞かされ続けていました。 

私と裕子女史が42になった辺りの話です。

もう不妊治療補助年齢制限に引っ掛かっているんで、事実上、詰んでしまっていたんですが、鈍さを受け継いだ父娘、貴方と裕子女史には分からなかったのでしょうね。

それを証拠に44ぐらいの時にN氏から「もう年だから、赤ちゃんが出来ないかもしれないじゃない」と裕子女史が言っていると伝えられていました。

裕子女史は、なんとなくは危機感を持ってはいるが、四つずつボタンを掛け違えて生きているというような、医学的な現実とは、かなりずれた認識を持っている事が分かるんです。

実際、物凄い鈍い神経というか、ある意味図太い鈍獣なおばはんですよね。
めちゃくちゃ言ってますが、前向きに解釈すれば純真な心を保ち続けているおばはんとも言えますね。

この間、YouTubeで見たんですが、西村知美と松本伊代が、かなりの昔風にいうと天然キャラだそうで、あんな感じの人格なのではないのかと考えています。
物凄く陰気な人垣の後ろで黙って薄ら笑いをしている松本伊代みたいなもんなんです。
44でそういう見当はずれな事を言っているおばはんには、責任なんか負わせられないでしょう? 
一緒に行動していた貴方が父親として娘に指針を与えてやらなければならなかったんです。 
貴方の責任なんですよ。

私がN氏と会う前に、組織内アムウェ〇勢に接触して仲を取り持ってくれる大物を探している中で、包み隠さず裕子女史の出産加齢リスクが来ているからと伝えていた事を憶えている事でしょう。

K氏に連れられてN氏と初めて会った日にも、包み隠さず同じ事を理由に急いで会わなければならないと話をしました。

あらゆる意味でここで間違えると不利に転がって行ってしまうのが、分かるからでした。

貴方は、いまだにそこに考え及んでいないかもしれませんが、仮にうちに来て生きてゆくとして、うちの亡父は60で他界しています、貴方は亡父と会っているから聞きますが、私は亡父と生き写しでしょう? 

おそらく裕子女史は私よりも長生きする事でしょう。
私が先に旅立った時に、うちの兄弟は子供無く離婚しているから、裕子女史は姉氏一家に支えてもらうしか選択肢が無い。

しかも、うちの兄弟の事も考えて行かないと困るわけです。

人生色々ありますよね、姉氏夫妻の様々な環境によっては、貴方の孫娘ヨモギ嬢は複数人の介護看護を受け持つ立場に置かれてしまうのではないですか?

貴方も両親の介護看護を経験しているので分かると思いますが、その時にヨモギ嬢が結婚して旦那がいたとしても旦那さんにも両親がいますからね、両親に加えて、叔母に当たる裕子女史まで介護するのは実際の所、不可能ですよね。

公務員を勤め上げれば、死ぬまで細々と生きるには困らないようになると思いますが、44で「もう年だから子供は出来ないかもしれないじゃない」とか、のたまう甘ちゃんでいて、前を歩いているというだけで、蒲田のヤンキー娘の怒りを増幅させ、しばかれてしまうという(蒲田のヤンキー娘もなんでこんなに前を歩く姿に腹が立つんだろうと自分で自分を疑ったとさえ言われている)異次元の存在感を醸し出している裕子女史の事、退職後、老後の余生にどんな困難が待ち受けているとも知れず、安穏とはしていられないのではないでしょうか?

誰も得しない、不幸を招くであろう道を選び取ってしまっていると思います。




今日は家族で墓参りに行く予定なんで、ついでに付け加えておきますが、父の他界時に小さいながらも墓所を購入しました。 
見ていそうだから言いますが、あんな小さいのに200万ぐらいしたんですよ。
最近、家族で話し合うのは跡継ぎの墓守がいなくなるだろうから、購入した墓の無縁仏墓化に対してなんか手を打っておかなくてはという事なんです。

まあ、その事案に対しては、いろいろな道がありそうなんでそれほど深刻な問題でもないんです。 

そのうち樹木葬場かなんかに墓を移そうかと考えています。

貴方は亡父と会っているから伝えときますが、正直な話、亡父と老母に対して、すごく申し訳ない気持ちでいますよ。

亡父が亡くなる少し前に二人で話をしたと勉書のどこかに書いてあるんで読んで見てください。

亡父は自分の人生は良い人生だったといくつかの話を挙げて言っていました。

私と兄弟の2子を授かった事について、子供がいて本当に良かったと思うと言ってましたね。

で、60で早くに死ぬ事で心残り、残念な事が2つあると笑って語りました。

一つは公務員として、ずっと働いてきたのに年金を1銭も貰わずに死ぬ事…。
裕子女史ならその無念の気持ちが分かるかもしれませんね。

もう一つは孫の顔を観ずに死ぬ事。
私は親不孝のバカ息子で間違いないんでしょうね。

貴方も縁したうちの亡父と裕子女史のおばあさんに対して不義理をしたんじゃないでしょうか?
二人ともこういう風になるとは思ってもいなかったでしょうから。


本題に戻ります。

この場所まで転落したのには、いくつかの問題が複合的に起きてしまっていたからだと思うんです。
一番大きいのは、裕子女史と貴方の父娘の関係だと思います。
前述の私の入会後から、矢継ぎ早にN氏よりもたらされる、貴方と裕子女史からのメッセージを思い出せる限り、列挙したいと思います。


Twitter発信より

北枕 静太郎 @kitamakura44 2019年4月1日
N氏に5年前言われたことですが、デートするにもお金がなきゃ。次は私は(裕子女史貴女ね)そんなに純潔でも純粋でもない(40年生きりゃ皆そんなもんです。そんなもん期待してないよ)その次に言われたのがは、若い娘の方が良いんじゃない?(当たり前だろ!貴女はBBAと言われる歳ですよ。でも、
北枕 静太郎 @kitamakura44 2019年4月1日
30年、自分を見続ける女は裕子女史しかいない。だから貴女で良かったんだ…)その次に言われたのが彼(北枕)はおかしい。普通でない。だから、上手く接することが出来ない。~これが最後にN氏から聞いた貴女の私わたし評ですが、千歩譲って多少のイレギュラー感を認めます。ただ、どこにでもいる程度のもの
北枕 静太郎 @kitamakura44 2019年4月1日
(この前、静岡へ仕事に行って素で書類を忘れて6万ぐらい損した時がありました。あの時自分で自分を残念な人間と思いましたね。50年間でそれも含めて2~3回の重大過失です。よくいるおっとり系の人なだけでしょう)とりたてて変と言われる覚えわないですよ。



一番初めは、デートするにも、お金がなきゃ始まらないとN氏に伝えたんですね。

私が、すんなり仲介者を見つけてきて入会してしまったんで、周りからの期待の視線をもろに受け始め焦りに焦っていたんでしょう。

裕子女史はどうしても私と会う勇気が出ないあまりに、逃げ口上を次から次へと考え始めました。

これほぼ、このままN氏が言っていたんで、裕子女史がN氏宅を訪れて私についての相談をした時の会話からなんでしょう。 

裕子女史の言った中に「デート」という言葉が含まれていたかどうかは分かりませんが、N氏が裕子女史から聞いた逃げ口上は、付き合い始めて、二人で映画とか遊園地とか行くにしたってお金がかかるじゃない、だから働いてからよ。 
全文書けば、こんな感じになるはずだったと記憶しています。
2019年の時点で5年前だから、ほぼ十年前の話ですがよく覚えているんです。

始めの頃は、間もなく私と裕子女史は会う事になるだろうと貴方を除いた周りの全員が思っていたんで、もろに裕子女史がそう言っていると伝えられていました。

貴方と裕子女史が言っているという事を入れずに、主体話者が誰であるかを隠すようになるのは私の入会の半年後ぐらいからですね。

この半年間に何が起きたのか?

裕子女史の弱さからくる逃げたい願望からの妄言を貴方が真に受けて、貴方が私の協力者達へ、圧力をかけ始めたからなんですね。

真に受けてというよりも、父娘して内面が生き写しのような似た性格なんで、貴方も同じ考えで行動に移したとも言えそうです。

・デートするにもお金がなきゃ。

・私はそんなに純潔でも純粋でもない。

・若い娘の方が良いんじゃない?

他にも色々伝言を伝えられました。

・顔色が悪い。

・性欲が強すぎる。

・作業服が汚い。(前職時代の)

・静太郎はどこか頭おかしい。

なんか一回、N氏が本気で頭を抱えていたような事も言っていましたね、勉書のどこかに消されてなきゃ、残っているので読んで見てください。

列挙したものの倍くらいは伝言としてN氏から聞かされたんですが、それくらいの数、N氏宅を訪問してN夫人も交えて話をしていることになります。
(それで、葬儀へ出席しない事に、ぶち切れ初めていたんでしょうね私は)

で、これらを普通の父親とか母親って逃げ口上として認めないと思うんです。
40ぐらいの女性って、子供がいれば中学生ぐらい歳になっているはずです。
こういう甘ちゃん発言はしませんよね? こういう発言が許されるのはというか、適正な年齢は大学出たとして働き始めて数年たった25ぐらいまでというのが社会通念ではないでしょうか?
裕子女史は社会通念より逸脱する事15年、15歳は幼い感性で生きているんです。
今、こうして思い返しても、正直言えば、当時の裕子女史は正気の沙汰ではない事を言っていたんです。
裕子女史の弄する逃げ口上小細工なんか児戯に等しいものなんですが、こう列挙して、今現在読んで見ても、貴方的には間違いが分からないのかもしれませんね。
これ組織内での貴方の役職がものすごい影響していたと思うんです。
裏工作ばかりを繰り返して生きてきたんで、表で現実にがっぷり四つに組み合い相対するという普通の世界の思考が退化してしまっていると思うんです。

私はもう入会から10年経ち、その間、内部を見てきているんですが、貴方と裕子女史父娘のような、不思議な行動を繰り返して自滅してゆく家族を一つも見たことないんです。

地元の同級生同志が「ばかじゃねぇの、話しかければいいだけじゃん」と私と裕子女史の事を評して言っていましたよ。

他にも、仲介者を探して何人もの会員と話をして、経緯を話しましたが、ホントにそんな事あるのか?という反応ばかりでした。

貴方と裕子女史の行動様式は内部でも外部でも特殊な事が分かるんです。

まず、裕子女史とは35年間に2回あいさつをしただけの、会話と言っていいものやら判断に迷う接触がありました。

そんな世間一般から見れば薄すぎる関係で35年の長きを着かず離れず、並行して走り続けている。

これを是とする感覚が普通ではない事に貴方は気が付いているのでしょうか?

貴方がこれをおかしくないと思っているからこそ、裕子女史も父親の貴方を見て、自分は間違ってはいないと錯覚しているような気がするんです。


もう最終段階に到達しているんで、赤裸々に書いてゆきます。
35年も、ほぼ話した事も無い人を相手にするのは、大昔の時代の貴族の社会にはあったかもしれないが現代では完全に異常なんです。

中流現代日本社会に生きている人って、貴方の世代では、まだ見合い結婚が大部分な位だったから30年ぐらいの薄い関係から交際結婚と進むケースも稀にありそうですが、今の十代なんてバンバン交際を深めまくって、結婚までの交際歴も片手に余る複数人に及ぶのなんか、当然な世の中ですよ。

私の世代でも、もうそんな感じで交際人数が今の何分の一かなだけで規範はほぼ今の社会のひな型みたいなものだったと記憶しています。
80年を境に、だんだん規範が緩くなっていって、今に至っている。
80年以前は遡るにしたがって、規範が厳しい貞操観が濃くなってゆく感じな気がします。
社会が豊かになるにしたがって人間て、色んな所がゆるくなってゆくんでしょうね。
不思議な事に裕子女史は、貴方の世代よりも上の世代の感覚を維持している
と言える。

貴方とおばあさんから受けた教育と規範で生きているのではないのか?
こう考えると納得いき、理屈が通る事になるんです。

列挙した中の一つに、私は(裕子女史)純粋でも清楚でもないと言っているぞとN氏から伝えられた事件があったんです。

裕子女史は性格が真面目なんですね、すれた女はこういう事を考えもしないし、自分で言わないでしょう。

純粋だと自分で言っているようなもんで、たしかN氏が頭を抱えていたのは、この裕子女史の発言だったんじゃなかったかな?

N氏は山形から集団就職で東京に出てきた苦労人でいて、若い頃はK氏とつるんでK氏の母親に対して寸借詐欺を働いていたくらいの人なんで、裕子女史の発言を聞いて、どこのお嬢様がこういうことをのたまうんだ… とわけわからなくなって頭を抱えて見せたんでしょうね。

頭を抱えると言っても、腕組んでうーむと唸っていましたね。
この二人をどうしたもんかと煩悶していたんです。

でも、そういう発言を知る事で裕子女史に対しての印象が悪くなるという事は無く、皆、好感を持つと思うんです。

私もすごい真面目な性格してんだなと思いましたよ。 
なんとなくアホっぽいけども、それを補って余りある真面目さを持っているからこそ、きつい仕事をこなして続けてこれたんだと。

真面目さゆえに、貴方とおばあさんの軛の呪縛から50まで逃れる事が出来ずに、人生を破綻させていっているんです。

貴方が自分の規範の異常さに気づいて修正しない限りは、貴方の影響下にある裕子女史が、一般社会の普通の基準に切り替えて生きる事は無いのです。

裕子女史はほんとに真面目すぎて、自分では前方にデカイ障害があろうともまっすぐにしか歩めないんですよ。

貴方が少し要領よく生きる方法を教えて進む方向を変えてあげないと、間もなく口を開けて待っている破滅の谷底へも、まっすぐに突き進んで行ってしまいます。

このままの状態でまた数年が過ぎてゆくと考えてください。 

そのあとで来北したとしても、人並みの幸福を手にできると思いますか?
どう考えても難しいですよね。

貴方の娘ではないですか、無為無策であんまり悲惨な方向へ追いやるのは止めてください。


「裕子女史に人並みの幸福な人生を送らせてあげたい」


これは、K氏折伏の後にN氏に言われた事なんですが、誰が言ったとは既に言わなくなっていました。
N氏は「彼女に人並みの幸福な人生を送らせたい」と言っているとだけ伝えてきたんです。
まあ、前後の話の流れで貴方が言っていると分かるように話してくれました。
K氏折伏成功の一年後くらいだったかな?
この時、私も裕子女史も45ぐらいになっていたんです。
既に医学的見地から設定されたであろう43歳不妊治療補助制限を超えている時で、裕子女史は出産育児といった、普通の女性の幸福らしきものを失いつつある時だったでしょう。

なぜ貴方はこの時に自分の娘の未来に対して、N氏に「人並みの幸福な人生を送らせたい」と伝えたのでしょうか?

貴方の考える人並みの幸福な人生には出産育児が入っていないからだとも考えられますが、姉氏の孫娘ヨモギ嬢の事をずいぶん可愛がっていたようだし、この発言と矛盾していると感じます。

同時期に裕子女史がN氏に伝えたのが「もう年だから赤ちゃんは出来ないかもしれないじゃない」というものでした。

これもN氏、裕子女史が言っているとは言わずに、ただ脈絡なく発言を言い出して、私に誰が言ったか推測させるという形を取っていました。
私もN氏が困るだろうと配慮して誰が言っているかを問い詰めて聞いたりはしなくなっていました。 
暗黙のルールみたいのが出来て、それに従っていたんです。

で、裕子女史は44の時にもう出産は厳しくなっていると自覚している事が分かるんです。
でも完全に否定しているわけではなく、伝えられた感じからすると3割あきらめているくらいなニュアンスが伝わってきていました。

この時、私はN氏に「そう思うんなら、普通一刻も早く会うべきなんじゃないかと裕子女史に伝えてください」と答えていました。

誰が言ったとは言われていないが、裕子女史に伝えてくれと答えて、N氏も黙ってうなずいていたんです。 
これが暗黙のルールにのっとったシキタリみたいな感じで。

貴方もその話をN氏から聞いている事でしょう。
2つの話を合わせて考えると、この44の時はまだ全然いけるでしょ、くらいの感覚で貴方と裕子女史がいる事が分かるんです。
まあ、世間一般の感覚とずれた年齢にそぐわない若い意識でいるのが分かると思います。

若い意識でいるというよりも、父娘に共通する能力の欠陥として年齢と思考意識のつり合いが取れないで生きているのではないかと考えていますよ。

貴方も現状認識が甘く、裕子女史に至っては致命的な欠陥として作用してしまっているから、50まで独身で、相手の私にいやがらせして平然としていられるのではないでしょうか?


上記部分を発信した9月2,3日をあらゆる嫌がらせをされて連続で休業させられました。

2日は前日の営業で15年間で最大の超赤字大損害を受けて、次の日の営業を休めと言う強制的なメンヘラ指示としか思えず休業。
なんか組織の記念日かとネットで検索してみたが、なぜ休業させられたか、いまだに不明です。 

毎年、こういうことある気がするんで、裕子女史の52回目の誕生日なのかな? 独身で老婆めいてきたんで終わっている感が漂い過ぎて全然うれしくないでしょ? 

まあ誰一人祝ってくれへんのやろうから、私だけは祝ってあげないとね…。 

52歳の誕生日おめでとう。

そして休業させられた日に看板の増設に使える家具を探しに出かけたんです。
出かける前から少し腹痛めいたものを感じていたんですが、それが結石痛の前触れである事を前回結石痛に遭ったのが2か月前だったんで、すっかり忘れてしまっていて思わず遠出してしまったんでした。

業務用家具屋に着くとすぐにめまいがするほどの痛みに見舞われ始めました。
この結石痛は本分の内容と関係ないんでハショッテ行きます。
スーパーに移動して店員さんにロキソニンを買ってきてもらい飲んで、車いすに乗せられ、医務室で1時間ぐらい寝かせてもらい石が流れて回復して帰ってきました。
(看板は機材と一緒にS氏に進呈したものを使っていないようなので貰って使おうと思います。)
前回に結石痛に遭った時も休業させられて遠出した時だった事を思い出しました。
休んでいるのに、遊びに出かけんじゃねぇ!という裕子女史の叫びが聞こえてきそうな気がするのと、やっぱり○○波で結石痛を作り上げる事が出来るのだと見ています。 
対象の体に結石がある事が前提ですが、うまい所で詰まって激痛を演出する波長があるんでしょうね。
結石痛に遭わされた日の、出かける前に確かに変なかんじのする○○波を照射されているのを憶えているからです。

組織が自らの研究で、そういうノウハウを得ているのではない事はなんとなくわかりますよね。 
そういうの研究しているのって超大国と大国の特殊な機関だけでしょうから。

キューバのハバナのアメリカ大使館員がハバナ症候群という○○波照射で起きるらしき各種疾患症状を訴えて同症候群が命名されたそうです。
キューバって小さい国なんで、共産国つながりでソ連時代に技術を供与されたのでしょう。

世界各国の持つ軍事技術は大体の場合、冷戦期の対立構造をそのまま反映していたりするそうで、西側の兵器を使う国にはアメリカが親元で、ソビエトロシア系の兵器を使う国は旧共産圏としての連帯が裏に流れている。

キューバが○○波機器をアメリカ大使館へ、使用するのはもろに、その症状が現れているのではないでしょうか。 
キューバの事件って、2016年の話でソビエトが倒れた後も技術を使い続けていた事になります。

組織がそれを保持しているのは…。 
なんか… い、いろいろあるんでしょうね…。

一度、調べてみたんですが、故野中広務議員と組織との暗闘の中に薄っすら何かが見えてくると思いました。
野中氏は大した男だったんですね。 
今は忘れ去られてしまっていますが…。
私と貴方と裕子女史の問題にはそういった根源的な成り立ちに関することは関係ないんでどうでもいいですね。

で、今日の朝なんですが、結石系の激痛で体調が底まで堕ちて弱っている所に強力な普通○○波を照射されて吐き気と頭痛で動けなくされてしまったんです。 

その模様をTwitter発信からの転載でご覧下さい。


実は昨日、結石系やられて倒れたんです。 効きすぎてホントに体調が悪い。 勉書発信読んでやらかしているんだろうが、よく考えて下さい。 貴女を救う為にやっているんだ、止めてください

昨日、出先で結石系の激痛で倒れたのは、回復してから帰る時の駐車場に監視人員が居たから報告されているはずだ、今、やられているのが効き過ぎている。 貴女本人でないなら、すぐ責任者に連絡して撤収させてください。 何日も休めない。

確かに貴女一家の悪癖というか、悪い所をあぶり出しているけど、これを越えないと貴女は前に進め無い。 すぐ私と会って、自分で このアカウントやnoteをどうするか決めた方がいい。 貴女の為にやっているから、会ったら全アカウントが価値を失う。 貴女の好きにして下さい

今、作動音がしたから、貴女本人ではないな、すぐ責任者に連絡して撤収させてください。

が、命じたのは、貴女だろう。でもここまでやれとは指示してない。 すぐ責任者に連絡して責任とってもらって下さい。 昨日の結石激痛のダメージに、今の照射のせいで、ホントに体調悪くされている。 ここままだと倒れてしまう。

勉氏が指示している可能性もあるな。 貴方は、私の指摘する事を悪口を言われたと捉えているのでしょうか? 逆ですよ、当然の事を言い、おかしなところをおかしいと指摘してるだけです。 解決するには、私と会うしかないですよ。

貴女、今日、休業させるとまた前の業者に利する事になる。 先々の事を考えて下さい。 今、倒れさせて、貴女が得する事は一つもないよ。

もう休業させるみたいだな。 貴女はなんも考えてないだろう。 勉氏に言いたい。 あまり商売とか健康の状態を悪化させると回復できなくなります。 貴方も裕子女史と同じですが、誰も貴方一家の事を前向きに注目なんかしてないんです。 体裁がどうとかは幻想ですよ。

ホントに酷い人間だな。

人生って、大体なんとかの法則みたいに、一番悪いもの、最悪なもんとぶち当たってしまうんだろうな。 しかし、貴方一家の為を思ってやっているのに、この仕打ちで返してくるとは。 酷過ぎて俺みたいな甘ちゃんの手に負えないよ。 あーあ

貴方、ホントに酷い事してますよ

と、やけになってもしょうがない。 マジで結石激痛のダメージに今やられているのが加わって、営業出来ないだろう。 前の業者に利すると、曜日の移動が先延ばしされてしまう。 先々の事を考えて手を打って下さい。

それでも、内破系に切り替えて照射されているという…。 貴女、やっぱり心の病気だよ。 自分になんか得な事あるか?

家全体を電子レンジ化されている。 やはり、昨日の勉書発信読んで、やっている。 一番周りに知られたくない部分なんだろうが、知られたくないという事は自分で自分の異常性を理解しているという事だ。 自分で悪い事してると思っている。 それ続けると、無意識のうちに自分を傷つけて破綻へ向かわせる。

貴女、今自分が何歳でどういう状態に陥っているかきちんと認識して下さい。 私は、貴女の間違いを修正しようとして真心からの諫言をしているんです。 色々、逃げられないように工作されているのは事実です、書いてもいいが、それだけで貴女から逃げないわけでもありません。

※ここで、実行部隊への罵詈雑言と脅迫を繰り返す北枕氏。

色々言ってますが、昨日の勉書発信の35年も話もしてないのに… という所を周りに知られたくなかった裕子女史が、なんとかどさくさに紛れさせて皆さんの記憶から薄れさせようとした工作なんです。 きちんと把握しているんで、ご心配なく。 私は報復とか考えないタイプなんで、皆さんへ向けていると

読めても、裕子女史に対して伝えているものなんで注意してください。 相手の私の健康と仕事を潰しにかかり、80の老婆に危害を加える害基地なんで直接、裕子女史宛てにすると精神崩壊してしまうんで、皆さん宛てとなるだけです。


本文に戻ります。

これだけ読むとものすごい物語の山場に差し掛かっているような感じを受けるでしょうが、こんな感じは○○波照射が始まってから、週3ぐらいのいつもの事なんです。

この事実について、貴方は把握しているのでしょうか?
それを聞きたいんです。

今日の加害はおそらくはTwitter発信にあるとおりに周りに知られたくない自分の臆病さ、異常さを前日に書かれてしまい、体裁を失ったと感じた裕子女史が朝一から強力照射しろと当地勢に指示したものとみています。

さらに次の日の9月4日(日)の今は、営業上の業績はかなり回復したものの、帰宅するなりずっとあらゆる○○波照射をされています。
老母にも昼間にかなり強力にやらかしていたそうです。

で、今日は朝から掃除騒音させていたんで裕子女史の属するおばはん勢が来ていたようです。
日曜日なんで裕子女史とその一党が現地入りしていた可能性がありますね。

しかし、裕子女史ひとりが現地入りしても、ただ前を歩いているというだけで蒲田のヤンキー娘の怒りを買いしばかれてしまうレベルのメンヘラ50女なんで、業績回復効果があるとは思えない。
誰か有力な同志友人についてきてもらって工作したんでしょう。


ここからは裕子女史へ

時間も一日費やして、お金もかかったかもしれませんね。 
だから、どうしてもその苦労を、私やうちの家族に知らせたい、分かって欲しいという感情が、加害○○波照射をやらかしてしまうのかも…。

50にして15の乙女の心を持つ裕子女史の事だから、この解析的中させてんじゃないですか?

でも、よく考えてください。
こういった支援工作が貴女が私に会えない理由にはなりませんよ。

夫婦共に会員というケースなんか9割はそうだろうし、旦那が商売をしていて嫁が別な仕事をしているというのも物凄い数あるでしょう。
共に商売しているのなんか、一番多いパターンではないでしょうか?
どの形で仕事をしていても、区別なく支援を受けているの見ています。
逃げる理由にはならない。

貴女がうちへ来て、一緒にやった方がより良い結果を生むに決まっているでしょう。

今日は、ある物を沢山持っていて、昔はそれを売って商売をしていたという人が来ましたが、あれも貴女の工作くさいですね。

確かに面白そうな話で、機会が有れば私もぜひ売ってみたいぐらいですが、貴女の工作で来る話がなぜダメなのか分かりますか?
私がその話に喰いつくと、その話が形になるまで、このままの状態で逃げ続けていられるという貴女の負の願望が透けて見える事なんです。

上記の裕子一党と助っ人が現地入りして、業績回復した次の日の営業がまた赤字垂れ流しとなって帰宅してから結石系照射が始まりました。


Twitter発信をご覧ください。

帰宅するなり、結石系照射をやられて、痛みが出始め、夕食を食べられずに痛みをこらえていた。 沈静化する感じがしないので仕方なくロキソニンを2錠服用。 ロキソニンってホントすごいですね、飲んでなかったら悶絶していただろうな…。 完全に○○波で結石痛を出すことができるのが分かりましたよ。

しかし、貴女、結石痛がどれくらい痛みがあるか知らないのか? プライベートライアンの上陸場面で体が半分になってしまっている兵士がいるんですが、あれに匹敵する痛みだと思うよ。 半分になっちゃうと、脳内麻薬みたいのが出てわけわからんようになると思うから、同等の痛みとなる。 で、物音しない

から貴女本人だろう。 老母に心理操作○○波を照射しただろ、なんかわけわからなくなっていたぞ。 そういう事に手を出すなよ、物凄い悪業を積むことになると思うから。 人に激痛を与えて、快感を覚えるようになったら人間おしまいだろ。 貴女の事だから、さほどの痛みとは思っていないからやらかすんで

しょう。 まあ確かに医者とか看護師とか専門的な立場に居なければ他人の痛みなんかわかるわけないし考える必要も無いとも言えますが、貴女も腹痛ぐらいは経験してるでしょう? 普通の腹痛の12倍ぐらいの痛みかな? それ聞いてもまだやらかすのなら勉氏に相談して自分探しの旅に出ろよ。

今、gyao無料でうる星やつらをやっているんで、この間見たんですが懐かしいですよ。 貴女が私に各種○○波を照射する感覚って、あれに近いような気がしますね…。 ラムちゃんがマモルに「ダーリン、痛い目に遭わすっちゃー」と電撃をくらわすやつ。 具体的に実際の所、あれ見てやってんじゃないのか?

あの気軽に人に激痛を与えて平然としている感…。 貴女の場合、「泥ガメ、死ぬっちゃー」とご長寿クイズの老婆たちのごと照射ボタンを連打してんじゃねーのか? で、「うち、メンヘラだっちゃー」と叫びながら天高く舞い上がるところを、人垣の後ろに回り込んで、黙して薄ら笑いをしている。

まあ、貴女の場合はそんなに性格を歪ましているわけでもないだろう。 トラックに轢かれた激痛にのたうち回っているその当日に強力照射していたくらいだから、感覚がおかしいメンヘラなんだろう。 物凄い激痛なんで、勉書発信どころの騒ぎではないんです。 深層心理に勉書発信の妨害の意図が隠れている

それを続けると、自分の可能性をドンドン削って悲惨な人生後半へ転がり落ちてゆくだけです。 貴女は、自分の欲望を抑えて、勉書発信を支えるのが、一番幸せに近づく事になる。 私と貴女の両親は貴女の味方です。 50独身の貴女にいい事を言う人は偽り与えているだけです。 味方を信じてゆかないと


さらに次の日、営業を予定していたんですが、結石照射で体調が最悪の状態になり、回復しないところに朝一で最強○○波を照射されてしまい昏倒しました。 夕方まで起き上がれませんでしたね…。


その日のTwitter発信

今日も朝一から超強力○○波を照射され、昨晩の結石激痛で体力が極限まで削り取られていたので、マジな昏倒。 夕方まで動けなかった…。 夕方から夕食をと、上大岡へ。 普通の火曜日なのに行列が出来ている店があった。 商売をやる場所を間違えましたね完全に。 つけられたみたいだったが、朝やらかし

一党と見た。 帰宅すれば、居間では洟が出る○○波をここ2週間ほどやられ、自室では目がものすごく疲れて痛む○○波と普通の頭痛波を照射され、家中が電子レンジ化されている。 まあ、貴方の後ろ盾で裕子女史が逃げたい一心で私を潰しにかかるために、当地実行部隊へ指示を出している。

貴女、このまま私の足を引っ張り続けていれば、確かに今のまま立ち位置であと3年ぐらいは行けると思う。 だが、その後の問題ですよね、55のBBAがいまのままの15の乙女のような事言っていると、馬鹿だと思われるのと、今の時点で実際は貴女の事なんか誰一人注目していないのに、3年後には相手に

痛々しくて誰も相手にしてくれなくなりますよ。 もう潮時だから、去就を明確にして下さい。 うちに来るのなら、ホントに普通に歓迎しますよ。


↑次の日も前日の最強照射のダメージで吐き気とめまいで倒れ休業させられる。
3日続けて各種○○波で攻撃を受け、本分の勉書発信をするには至らない状態にされてしまう。

で、4日目にも朝一から結石系照射を少しされ始めて、3連続休業させら層になりTwitter発信を連発して、回避して仕事に出かけられた。
が、利益は結局全く出ませんね。
なんか、現地に商売の利益の仕組みを理解できる人が味方としていないと好転しないでしょう。
もしくは、貴方の依頼で低迷するように仕組んでいるのか…。



これは確か10年前の前述の弁護士女性が党から立候補したのと同じ年の話だったと記憶しています。
伊勢佐木町の通り、今のドンキホーテの前(当時はドンキでなくオデオン。4Fの釣りDVD屋によく行っていた)で、一人の老人がビール箱に乗ってメガホン拡声器を地面に置き、拡声器の粗末さからか、10メートル四方にしか聞こえないような音量で演説を始めていました。

信号待ちで、数人が演説を聞き取れる範囲内にいました。
私はその一人だったのです。

「えー、私は石井一と言って、結構有名な政治家なんです。」
「今日は○○●〇氏の応援にやってまいりました。」

私は「あ!TVで見たことある、おっちゃんや」と思いましたが、周りは誰も解っていなかったみたいでした。

石井氏、さっきwikiで見たら6年前に亡くなられているようです。
で、2013年の参院選に落選したとなっているので、自分の選挙活動だったのか、自党の議員の応援だったのかはさらに調べないと分かりませんね。

この選挙で落選しているんです。

なぜか秘書とか党スタッフとか連れておらず、一人でビール箱と拡声器を担いで伊勢佐木町中を演説して回っているようでした。

自分でも言っていた通りに、結構、顔の売れている議員でしたし、民主党の実力者と目されている議員が一人の連れも伴わずに自分だけでポツンと演説をしているのが異様に見えたのです。

10年前の伊勢佐木町の通りは結構没落の一途をたどっていたような記憶があり、(今は外国勢の進出で賑わいが戻りつつある感じか)関内の方にはパチンコ屋と有隣堂くらいしか行くとこ無かった気がするんで有隣堂へ行って、バイクを止めている所へ戻ってくると、石井氏、今度は次の通りの前でビール箱の上に立って演説しているんです。

しかし、そこはたたき上げの政治家だけあって、10メートル内しか声が届かずとも、誰も聞いている人がいないと分かっていても、一通りの演説はやり終えてから移動しているようでした。

実際、誰一人、聞いてもいないし、完全無視状態で過ぎ去って行くのです。

ずいぶん日に焼けて、真っ黒な顔してて、本人も誰も聞いていないのが当然分かるんでしょう、物凄い焦燥感で力石が減量で亡者のようになっている時の顔をしているんです。
政治は大変だなとつくづく思ったものでした。

なぜ一人で演説して回る事になったのか?

石井氏のWikipediaを見ると組織に対する議会での質問を繰り返していたとの記載があります。

H市時代は民主党が政権を奪っていました。 石井氏は民主党の大物だったとの事。 

X氏の息子が始め民主党市議だったんですが、しばらくして離党して無所属で活動し始めたのを見ていました。 

その次の年かなんかに民主党が大敗し、自民党が返り咲いたんです。
X氏の息子さんの元には、民主党の先行き不安を想起させるだけの情報が集まって来ていたんでしょう。
私は店長と偽装してX氏に雇われている形としていたんで、親父の店だからと一番初めに息子さんが来店した記憶があります。
(いつものようにその時は分かりませんでしたが)

H市の店の前にでかでかとよくある息子さんの議員看板が掛けられていたんです。

半年後くらいに、朝、開店しようとすると看板が取り外されているんです。

貴方がX氏に接触し始めた頃なのだと思います。
この頃の貴方は60代後半くらいだったでしょうか?
まだ横浜に住んでいて故郷に帰る構想を、実行に移そうとしていた時ですかね。
いずれにしろ、まだ現役で活動していた時だと思います。
息子さんが看板を外す前に、彼の元にいろいろ情報が集まり、地方議員として私と絡めてイメージされると不利になると判断して看板撤去に至ったのだと思いました。(当時)

H市時代のこの時期に、明らかな嫌がらせがはじまったと記憶しているんです。

とにかく人数が凄かった…。
私が滞在している土地の動員可能な全員の会員が安価行為を仕掛けてくるような時すらありました。

ジョンウィック2だったかの最後に安全領域のホテルのオーナーがキアヌ・リーヴスに2時から、殺し屋勢に攻撃を受けるぞ的な警告とフラッシュモブみたいのを背後に数百人いる通行人全員に演じさせて見せるやつ。
あんなもんです。

フラッシュモブ的な安価行為を入会後の今もやられているのかといえば、今も、いろんな機会に数人で仕掛けてくることが有るには有りますが、意味合いが違い、責任者の印を残してゆくだけの行動に変わりましたね。
今日の担当は俺だ、と同年配の人員を通る道に立たせておくとか、裕子女史なら職業上のシンボル的なものを私の通る道に落として置くとかそういったマーキングみたいな感じのもの。

あいつは一応裕子系列の会員だと知らされる立場の人員と、何も伝えられずにあいつは敵だとしか聞かされていない人員がいるんでしょうね。
目を見ると、何も聞かされていない奴は敵意が目に現れていて、自我を押し殺してマシンみたいになり目が洗脳された感じになる(光が無く、くすんだ感じ)からすぐに分かるんです。

で、大人数が動員された安価行為とか、手の込んだ嫌がらせは全部、貴方が仕切っていたと考えているんです。
裕子女史悪の親玉説も考えてみたんですが、彼女はそこまで歪んだ人間ではないでしょう。

大地震の夜の2時まで帰りを待っていたり、血を吐いたと盗聴報告を受ければ私の受診の時間に合わせて病院の裏に待機する。
仕事の勤務を相当変えてもらわない限り出来ないし、もしくは寝ているだろう時間を使って来ないと出来ない。

トラックに轢かれた時も、携帯GPSは病院に入ったっきり動かない、バイクのGPSは事故車の保管場所に留まっているとの監視報告を受ければ事故に遭ったと予想して情報を収集。 
病院に照会して退院したら、家の前でずっと待機して待っている。

こういう場合、内面の悪い人間って形ばかりの見舞いか、クズっぽい嫌がらせしかしないでしょう。

よくうちの上に来て○○波を照射してますが、裕子女史の場合はそれでしかコミュニケーションをとる方法が無いからやらかしてしまうだけで、真面目で子供っぽいメンヘラコミュ障の人格が浮き彫りになるものなんです。

裕子女史を悪く思っても、きりがないし、彼女が私だけに加害を繰り返すとしたら、私はやられるだけの事を彼女にしてきたと思っているんで我慢している所なんです。

で、H市時代に初めて○○波の機材が出身区の借家の屋根に取り付けられるんですが、あれは貴方の指示だったでしょう?

そのH市時代の前の仕事(営業車でぐるぐる回る奴)の時に裕子女史は人生で2回しかない彼女からの接触をしてきていました。

それが「腐敗ブルーギル汁に愛犬ハッピーを浸す事件」でした。(勉書3参照)
子供の頃から、アクアリウム想作願望を持っているも、そういうものに不適合な人間であった為に、身の丈にふさわしい手のかからないプラ船飼育を思い立ち、H市時代に思い切って大枚をはたいて道具を購入、釣って来たブルーギルを飼育し始めました。

毎日、喜んで眺めて餌をやっていましたが、日を追うごとに魚の数が少なくなってゆきました。 
猫が喰らっているんだろうと、金網を増設したある夜の事。 
プラ船で水のはぜる音が聞こえたんで、すわ泥棒猫め、脅かして二度と近寄らんようにしちゃるけん! とドアを蹴り空け飛び出ると、そこにはアライグマの群れが。 

おいしそうに私のブルーギルを食べていたんです。

野生のアライグマって、可愛くもなんともない汚いネズミのデカイのみたいな感じで、しかも威嚇しても逆に威嚇し返してくるぐらい狂暴な動物なんです。 
怒鳴り、棒で叩こうとして見せるも奴らは平然としており、バリバリとブルーギルを喰らって行きました。 

平らげた後で水浴びをしていましたね…。

もう全部食われているようなんであきらめて家の中に入って意気消沈していました。
たしか、数日後の仕事が休みの日だったと思うんですが、喰われたブルーギルの残骸がプラ船の水の中で腐敗して危険な臭気を放ち始めていたんです。

せっかく金かけていろいろ揃えたのに…、と、釣ったブルーギルを袋に入れてブクブクで酸素が行くようにして、カブの荷台に括りつけて運んだ時の高揚感を思い出すと腐敗臭も相まって厭世観覚というのか鬱傾向に陥って行くようでした。

泣きたい気持ちで、重いプラ船をひっくり返して、腐敗汁を前の道路に流していると、道路を近所のおばはんらしき人が犬を連れて通り過ぎざまに「こんにちは」とあいさつしてくるんです。

私はこれは公共のスペースに腐敗汁を廃棄している事を咎められると思い、おばはんの方を見ないで「こんにちは」とあいさつを返したんです。

中ぐらいのプラ船が2つあったんで、全部流すのに結構な労力を必要としました。
10分ほど時間が経ち、ようやく全部流し終えそうな時にさっきのおばはんと犬らしき人影が再び前の道路を通りかかったんです。

で、前の道路で立ち止まって何かをしている。
さっきのおばはんと違うのかとふと視線をおばはんと犬の足元を見ると、毛の長いヨークシャーテリアが腐敗汁の上に仁王立ちして、乾モップが水を吸うかの如く、腐敗汁を体に吸い上げているのが見えました。

これはマジでやばいな、ぶち切れ始めるんと違うかとおばはんの顔を絶対見ないように下を向いて、おばはんと犬が去るのを待っていました。

なかなか去って行かないのです。
変だなと、おそるおそる犬がみえる程度に視線をあげると犬と目が合い、犬がしっぽを振って小躍りして、さらに腐敗汁を体に染み込ませていました。

3,4分はそうしていたでしょうか、ある瞬間、おばはんから悲しみのフォースが湧き出て光のように発散されるのを感じました。

半分泣き声混じりで「こんにちは!」と叫ぶようにあいさつしてきました。
その声でさっきのおばはんと同一人物だと気づきました。

ヒステリックな声色と聞こえたんで、これはマジで超抗議されるなと下を向いたまま、また「こんにちは」と小さく返していました。

次の瞬間、前にも感じた事が有る不思議な感覚を私に与えて、おばはんは犬を完全に引きずりながら走り去ってゆきました。

その感覚とは、裕子女史が中区のマンションでピンポンダッシュして泣きながら走り去って行く後ろ姿を上階から見た、あの時の感覚だったんです。
犬を連れたおばはんは裕子女史だったんです。

※上記「裕子ピンポンダッシュして泣きながら走り去る事件」は本文章を理解するのに不可欠な内容です。 物凄く長くなるんで、割愛させていただきます。 勉書のどこかに書いてあるんで探して読んでください。 消えてしまっていたら、お手数ですが本人から聞いてください。

この「裕子愛犬ハッピーを腐敗汁に浸す事件」は人に話しかけられないレベルのコミュ障の裕子女史にとっては、一大決心をして数週前から計画を立てていたくさい重大事件であった事は想像に難くはないと思います。

彼女はここで深く傷つき、心の闇を濃くしたのだと思います。

私も裕子女史も、色々な人と縁が結びついたり、渦中の場に居合わせたりと一見すると強運を感じさせたりするんですが、総じて考えると、ホントに運が悪い二人なんですね。
どうにも具合の悪い時ばかりに異常さを纏ってやってくるんです。

他にも話かけては来ないが、車に轢かれて体中が痛み、わけわからなくなっている時に、うちのマンションの入り口で後ろを向いてすぐ前を歩いているとか、仕事からの車での帰宅時にうちのすぐそばの超暗闇に一人立っているとかの外部はもとより、内部でも貴方一家でしか肯定されない、通用しないだろう異常な現れ方をしていましたが、あれでは私はその機会を掴めなかったからダメだったんですが、他の誰であっても無理だと思うんです。

裕子女史が人並みの幸福を生きるには、「裕子愛犬ハッピーを腐敗汁に浸す事件」では、あいさつだけでなく、話をつないで会話を成り立たせないといけないだろうし、交通事故に遭った時は、大丈夫か?どこが痛むのか?と物凄い話しかけやすい状況だと思うんです、まあ私はその問いにいちいち答えられる体調ではなかったけども、嗚呼ありがとうぐらいに、きっかけが作れていたはずなんです。 
役人としても人間としても話しかけてしかるべき時だったと思いますよ。

さらには暗闇に立っているのなんかは、どういう教育を受けるとこういう行動を起こすのか貴方の育て方に問題があるのではないかと疑問に思うくらいです。

貴方、おそらくは幼少期の裕子姉妹を安価動員に応じさせていたでしょう?
私のような立場になると、子供部隊が安価行為とかに動員されるのをよく見るんです。
あの子等のように裕子女史も嫌がらせや安価行為を強いられていたかと思うと、今の裕子女史の転落の根源的な要素はまさにそこから由来するもので間違いないでしょう。
そこで刷り込まれた異常な規範を、50になっても行動原理として生きてしまっているんです。 
外部はもちろん内部でも他に観た事のない特殊な貴方の規範を完全に刷り込まれてしまって、異常を異常と感じなくなり麻痺させてしまっているのだと思うんです。

「裕子女史に人並みの幸福な人生を送らせてあげたい」

ここで、2週間に渡る、さまざまな妨害を受けた本題に戻りたいと思います。 
次の日に結石照射で連続休業、業績の赤字垂れ流しの慢性化、重ねて結石照射で連続休業とすさまじい損害を受けていますが、貴方と裕子女史がいなければ、元々は赤字垂れ流しが当然の場所だと思うし、結石照射も体の中にある程度の大きさの石が無ければ無効のものと考えています。

裕子女史との関係が無ければ、そもそもそこで商売を始めないし、結石も自然に流れ出ていた事でしょう。

関係が続いていて、遅すぎた50にしても将来の事を考えれば、避けて通れない、意味ある指弾であると思うんです。

私なんぞは、大したことのない男で間違いないですし、貴方を非難するのは間違った行いとも感じます。 
出来たら煩わしい諍い事とは関わらないで、ひっそり琵琶湖で釣りをして生きてゆきたいくらいだし、人に難癖付けて喜ぶような性格でもないんです。

やらないと貴方は私に会いに来ないのが分かるんで仕方なく書いています。

まあ、この貴方御自身の発言を履行できていないから、触れられたくないのだと思います。


次の日、やはり壮大な嫌がらせと大損害を与えられてしまう。
その模様をTwitter発信にて↓

貴女、結局朝から体調悪化波照射はきっちりやらかしておいて、やっぱり大損害確定コースをたどっている。 いちいち始めに戻らずに、先を見据えて行動して下さい。 ひと月後ぐらいに、勉書が完結して、来北をすると想定して生きていかないと。 いつまで経ってもスタートライン上から動いていないよ。

普通の人から見たら貴女の恐れているものなど、取るに足らない幼稚な話しなんだよ。 今、怯えて先に進む事を躊躇していてもいいから、進めて先々に来たると予想される事態への対策は続けてくれと。 前職時代の地域を巻き込んで行く努力をする。 前の業者との益分割が損害のいい訳となっているから

早めにうちの休みに移ってもらうよう働きかけて行く。 あと池袋のつけ麺屋さんの話を理解して作業に組み込んでいく。 躊躇する線とは別進行で、これやって行かないと貴女の人生、終わった様なもんだよ

ここまで二人で、前の業者に全部持っていかれる刑か…。 この先、うちが撤退するまで逃げ理由に使われてしまいますよ。 家でもここでも飛び物寄越しているし、貴方が関わっているな。 それやっているうちは裕子女史は救われないと思います。 あと損害負わせすぎでしょ? 正気の沙汰ではない。

貴方、真面目な話、損害工作しても、私の立場になると、「ああ、勉氏に意図が理解してもらえてないな」と思うだけで、明日の休業を思案する事になる。 何も前向きに進んでいない状態で、また数日が過ぎて行く。

再び15年間最悪レベルの損害確定させた上、さっき結石の話を人としたら、今、結石系の痛みの兆候が出始めた…。 出来すぎた話だな。 ここにも機材付けてんのか? 貴女の事だから、録音機器は仕込んでいると思うが、○○波機材までとは…。 貴女の人生、その機材に頼った時点で破綻させた事になるな

今日を分析すると、昨日の勉書発信の例の部分を突っ込まれるのが困るんでしょうね。 で、現地勢に損害指令と嫌がらせ指令を出して、恨みの矛先を現地責任者に向けさせようとしている。 先週の土曜日が、リミッター無しの業績と見た この分だと、帰るなり結石照射で倒されて連続休業させられそうですね

そういう事ばかりやってるから破滅真っしぐらなんじゃないの

帰ったら貴女が上に来て、速攻で最強照射か眠り系で昏倒させられんだろうな…。 貴女の人生は完全に○○波機材に食い殺されたと断言できるよ。 あまり深入りしてはならない○○波沼にハマってミイラ取りがミイラになるの語の通りになったメンヘラ50女と言える。 悲しいね。

勉氏的には、またnote上の発信を妨害してTwitter発信を長く貼らせる事で、突っ込まれて困る部分から流れを変えてしまおうという意図がある。 そんまま、これ貼って行くだけですよ

しかし、ホントに最悪やな

だから、歩き姿を見ただけで、蒲田のヤンキー娘の怒りを増幅させてしまい、しばかれたりするんだろ。

なんか不幸しかもたらさないイメージが35年前からあるんですが、貴女的にそう思われて嬉しいのか? だから、後ろで黙って薄ら笑いをいつもしているなどと同級生勢からいわれるんやで

予想通りに帰宅後、結石系照射され昏倒させられた。 ロキソニンを飲んでしのいだ。 やはり私の見立て通りに勉氏が「裕子女史に人並みの幸福な人生を送らせたい」という自身の発言について、不履行を指弾されるのを嫌がって潰しにかかっているのだろう。 今日は前の業者に客を集めさせていたが、私より

も遅くまで営業していましたよ。 そういう商売ではない事は私も同業だったんで分かっているんです。 どっちかと言うと、怠惰な輩が長く続ける傾向があり、商売のとっかかりとして定住する前に腕試し的に一時やってみる業種。 前の業者は貴方の指示で動いている現地勢から途切れなく引き合いがあり帰れ

なかったか、もう話がついていて直に指令が来ていて残っていたと見ます。 貴方、ホントに今の勉書発信の部分に触れてもらいたくないんですね…。 貴方、今日なんか交通費等、もろもろ総合して計算すると8千円ぐらい支払って来た計算ですよ。 触れられたくないのなら、今日の帰りに待っていて私と話せ

ば全部解決していましたよ。 詩歌アカウント以外は全部無用になるから抹消するし、メンヘラと、いや裕子女史と会えば余計な事を言う必要もなくなるわけですから。 現地勢への指示が10時間内に来ているようだから、山口県にいるのではなく、神奈川の老人ホームかなんかに入っているのですかね?

あと、結石の痛みはなった者でしか分からない激痛です。 気軽にやるべきではありませんよ。 一端、体調が底を突いてしまうんで次の日動けなくなるくらいです。 人にそういう事ばかりしていると、ご自身のツキを失うと思います。 重要な時だからやめてください。


↑このように大損害と結石系照射で昏倒させられてしまいました。

「なにか意見しようとも、聞くような相手ではない」という勉氏、貴方評を昔、貴方と話して私と裕子女史の仲を取り持ってくれようとした人から聞きました。
今、こうして経済的なダメージと健康被害を受けて思うのは、あの人達の言っていた事は本当だったなという事です。


子曰 吾十有五而志乎学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲不踰矩

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う(したがう)。七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)をこえず。

先師はおっしゃった「私は十五歳で学問を志した。三十歳で精神的に独立し、四十歳で迷いがなくなった。五十歳で与えられた天命を理解し、六十歳になり人の意見に耳を傾けられるようになった。七十歳で、心のままに行動しても道徳的な道を踏み外すことがなくなった。」

上記の論語の一節は有名なんで貴方もご存じの事と思います。
貴方も80を越えて、あらためてこれを読むと感慨深いのではないでしょうか?
80、90の歳の話が無いんですが、孔子は紀元前の時代の人なんで、医学の進歩と人間の寿命の伸びた分を考えると15歳ぐらい若い歳の所が現代の人間の成長に相当するのではないかと思います。 御書の中に表現や例えとして儒家の書物からの引用が多く見つかるのはよく知られています。
信心を深める道筋に自然に置かれている書物みたいなもんなんでしょうね。

貴方は80歳の老人ですので、六十にして耳順う(したがう)。七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)をこえず。この辺に当たる年齢でしょう。

下記の文は公明党高知市議会の山根議員のHPからのコピーですが読んで見てください。

「老いては、子に従え」とは、年を取ったら意地を張るよりも、子どものいうことに従うほうがよいという意味です。
元々は、三従(幼少時は父兄に、結婚したら夫に、夫の死後は子に従うこと)の一つで、仏教や儒教の教えとして、女性が守るべきものとされていたもののようですが、最近では高齢の男女をさしているようです。
このことわざが発生した時代背景から推察すると、その時々に応じて、経済的にも管理面でも一家を支える立場にある家長に従うのが良いと説いているので、単に年齢のことを述べているのではなく、老人はどんな時でも子どもの世代に従うべきとの意味ではないようです。
もう少し深く説くと、「親の立場の人に対しては、子どもが一家を支える立場になったならば、それに従いなさい。子どもの立場に対しては、親の意見に真摯に耳を傾けなさい。」と解説しています。
つまり、お互いをいさめる形になっていて、お互いの立場を重んじて思いやることが大事だと読めるとのこと。
今世で親子、夫婦となったことは、深い縁があってのことであることには、変わりがありません。
「老いては、子に従え」、私自身も深く受け止めたいと思います。


論語は面白い本で、何百も孔子や高弟が話した事を収録しているんですが、正反対の記述が結構多くて、一冊の本の中で矛盾が生じてしまっているんです。 
故人の言説を集めてより合わせたものなので仕方ないとも言えますが、その不整合がかえって普遍性を生み出しているとも言われています。
背の高いプレイヤーと低いプレイヤーが同じチームに混在することで、まんべんなく広範囲を守備できるみたいなもんでしょうか。

いろいろな判断に曖昧な所があり、自分の父親が罪を犯したら孝行として、罪を隠して父親を守るべきだ的な、情が入り込んでしまう思想なんで、同じような場面で父親を警察に突き出して法で裁きを受けさせる派の法家を取り入れた噂の始皇帝の秦では害のある思想として儒家は捕えられて殺されたりして来た歴史があります。
その緩い所に情と血が通っている気がするんですよね。

1
仲弓問レ仁。子曰、出レ門如レ見二大賓一、使レ民如レ承二大祭一。己所レ不レ欲、勿レ施二於人一。在レ邦無レ怨、在レ家無レ怨。
〔仲弓仁を問う。子曰く、門を出でては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭に承えるが如くす。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ。邦に在りては怨み無く、家に在りても怨み無し、と。〕
[仲弓が、仁とはどういうことかと質問した。孔子は次のように答えられた。「家の外で他人に逢うときは、その人を自分にとって何よりも大事なお客のように扱わなければならない。人民を公役に使うときには、祭りを執り行うときのように慎み深くしなければならない。自分が他人からしてもらいたくないことは、他人にもしてはならない。そうすれば国の中枢にいても人に恨まれることはなく、家庭にあっても人に恨まれることはない。」

2
子曰問曰、有下一言而可二以終身行一レ之者上乎。子曰、其恕乎。己所レ不レ欲、勿レ施二於人一。
〔子貢問いて曰く、一言にして以て終身これを行うべき者有りや、と。子曰く、それ恕か。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ、と。〕
子貢が孔子に質問した。「一言で一生実行していく徳目というものがあるでしょうか。」孔子が答えられた。「それは恕(じょ)(=思いやり)ということだ。自分のしてもらいたくないことは、人にもしないことだ。 お前にはそれが出来るかな、とても難しい事だぞ」

80の歳で未婚の50の娘が難渋している事態にあるのですが、貴方が嫌がっているなら、嫌がっている事を書いてゆくべきではないんでしょうね。
確かに会った後の事を考えると、やめろという貴方の圧力も正しい導きなのかもしれません。


次の日。

結局、休業させられて一日寝込んでいました。

で、今深夜2時前なんですが、また結石系照射され始めています。
貴方は細かい所までは指示を出していないと見ています。
今、やらかしているのは裕子女史本人の指示で当地○○部がやっているか、本人が直に手を下しているかのどちらかでしょう。

貴方の嫌がっている話に戻るのも進展がないし、確かに会った後の事を考慮していない間違いだと思うので、○○波の機材の運用について書いてゆきたいと思います。

今、裕子女史は独身の50女という立ち位置にいます。
普通に考えると、非常に厳しい立場に追い込まれているはずなんです。

で、その状況にいる今、この瞬間に私に結石系照射して明日も休業させようとしているんです。

貴方は自分の娘の、この判断を正常だと思いますか?
おそらくは、正常も正常、普通の判断だと考えていると思うんです。
なぜなら、娘に止めとけとか、それやっても自分の首を絞めるだけだぞとかたしなめている形跡がないからです。

貴方も同じ血が流れているから何も考えていないのかといえば、そうでもありませんよね。

東北地震の後でうちに来た時の録音で「自分から話しかけた方がいいんじゃないのか」という貴方の言葉を聞いているからです。

実家売却でも人並み以上の高度な判断で、強引に売るところまで持って行っているのも普通の判断力を持っている証拠だと思います。

今般の「裕子女史に人並みの幸福な人生を送らせてあげたい発言の解説妨害事件」も、これから会うであろう人に言ってはならない事が有るという、常識人としての貴方の人柄が垣間見られる事件だったと感じています。

東北地震の後の録音には貴方の発言の後に裕子女史が感情的に反駁を加えている声が残されていました。

いろいろ総合して考えると、貴方は常識的な判断をして、絶えず裕子女史に助言していたが、裕子女史が感情的に強く拒否するので手に負えずに任せるままになってしまっているというのが父娘の関係性だと思うんです。

よく考えてください。
貴方夫婦が手に負えない娘50女を、姿もほとんど見せない、話すら出来ない私が関係を修復し、幸福に導く事なんかできるわけないでしょう?
(会えば別です。貴方と同じく私が折れて均衡を保つでしょう。もうそういう歳なんです。)

前編冒頭の父娘も難しい関係で、こっぴどく罵詈雑言を浴びせられたと言っていましたが、そういう性格の女性って結構沢山いると思いますよ。

谷崎潤一郎の小説を2冊読んで見てください。 潤一郎作品は実在のモデルがいる場合が多いと聞いて、男の立場からはわけわからん女性がいるもんだと、昔読んだとき思いましたよ。

うちの亡父も兄弟に強くは言えない関係で、兄弟は若い時は好き勝手にやってましたね。 
世の中の父と娘って、大体、娘の感情の波に飲まれて、父親は恐る恐るなだめ続けて過ごしているのではないでしょうか?

今、裕子女史が結石波を照射しているのを貴方が正常で普通だと思っているのは、裕子女史があまりに感情的になり、批判をし始めるので、仕方なく父娘間の関係を保つために、自分の常識を押し殺して自分に言い聞かせているだけだと考えています。

よくゾンビ映画とかに出てくる父親で、娘がゾンビに噛まれて、傷から菌が回ってゾンビになってしまうという時に、一緒に行動する仲間が娘を射殺しようとすると、父親はもう娘がゾンビになっているのも理解しているし、射殺するしか方法が無いのも知っていながら、ゾンビ娘を守ろうと仲間達へ、銃口を向けてやめろと叫ぶ。
そうしていると、さっきまで寝ていた娘がむっくり起き上がって来て仲間の一人を襲い始める。
その隣の仲間が娘を撃って倒れると、父親がその仲間を撃ってしまう。
で、銃撃戦が父と仲間の間に起きて、多くが命を落とす。
アマゾンプライムでウォーキングデッドを食人カルト食肉工場編までぜひ見てください。 そういうシーンが無数にあったと思う。
他のパターンだと、ゾンビ娘を地下牢とか納屋に鎖で拘禁して隔離して、治療薬が出来るのを待ち続けるという話も多いですね。

裕子女史が正常な判断が出来なくなっているのは、説明不要だと思います。
裕子女史はもうゾンビ化して判断能力が無くなってしまっていると思って下さい。 

思うのは人の肉を食うだけに近い、私にいやがらせをして周りの注目を集めたい。 
それだけなんです。 先の事は何も考えてはいませんよ。

老母との関係とか言い出すのは異常な事に気づいていると思います。
なぜなら、私とも話すら出来ないのに、なんで嫁姑問題が起きる事が分かるのか? 
勝手に因縁をつける具合に、難癖付けて、それを逃げ口上としているに過ぎないんです。

試しに裕子女史に私に話かけて見せてくれと言えばよく分かると思います。

おそらく、キーッと豚の血を浴びて殺人超能力に目覚めるキャリーのように発狂の如く、目を剥いて感情を昂らせに話しかけない理由を高圧的に延べ始めるはずだから。 
(ムンと自転車に乗る子供を睨みつけ、自転車を転ばしたりするのと同じ異様。)
その威容に父親の勉氏を始め、全員が身の危険を感じ、二度と忠告しなくなった。
裕子女史の判断能力の問題はあえて説明はしません。
貴方は分かっているはずだから。
(わからんわ。という時はもう一度勉書1~6を読み返してください。)

ただ、父娘間の関係を悪くすることを恐れているのと、あまりに激しく抗弁する娘のこころを守りたいという父親の愛なのだと思います。

しかし、時と場合により、情けが仇になり裕子女史を破滅へ、向かわせてしまう事にもなりますよね。
今はもう裕子女史に前編冒頭の父親のように、何言われても堪忍し、なだめすかせて、私と会わせる時で間違いないでしょう。


で、貴方が初めにH市時代に借家の屋根に○○波機材を取り付けた日を私は覚えているんです。

隣家(会員)の敷地内の上にうちの借家の電話線が通ってしまっていて権利的に侵害されている状態で困るという事でうちの借家の屋根と電信柱で配線をし直すという事がありました。

○○●という会社の工事作業員が来て、かなりの雨が降っている中で3時間ぐらい屋根の上でがたがたごそごそやっていたそうです。

不審に思ったんで、電話線の張替えを調べると1時間はあり得るが3時間は無いだろう事が分かりました。
それが、丁度、H市で嫌がらせが始まった頃と一致するんです。

この頃の○○波照射は貴方が管理していただけあって、節度があったと記憶しています。
H市まで1時間は車を運転するんで、朝一とか運転前には使われていませんでした。
照射されるとどの様になるか、きちんと調べて使っていたからだと考えています。

というか、狭い範囲だけに照射できる機材しか設置できなかったからそう感じるのかもしれません。
なぜなら、その2年後に出身区の借家から、当地の集合住宅に引っ越してから間もなく、うちの上階の部屋の主(会員?)から部屋ごと借り上げて、主は至近の別な集合住宅に移り住んでいるからです。
主は、たまに安価動員されてくるんですが、表情が脅されているかのごと硬い。 
もしかしたら、会員ではないのかもしれませんね。
ここで、上階とうちの部屋は間取りが同じなんで、全ての場所に○○波機材を置けることになり、照射の死角が無くなった。
それで毎日、欠かさず照射被害を受けるようになったのかも。
出身区の借家にも、いっぱい設置したかったが、平屋で屋根を開けないと取り付けられずやむなく一つだけつけただけだったのかもしれませんね。

今の家も、そんなに家賃が高額な地域でもないんですが、やはり10万ぐらいはかかるでしょうから、嫌がらせ照射する為だけに裕子女史が毎月支払うわけにも行かないでしょう。 
さらには勉氏が支払うわけでもない。
ここは組織の多様な属性を持つ数百万人の会員をまとめ上げるだけの洗練された統治手法、統治機構に乗っかって利用しているとしか思えない。

カムイ伝の話で領民統治手法として、被差別民を創出して、搾取対象の民衆の怒りの矛先をそちらへ向けさせるという、やり方が昔からあった事を書きました。 
民衆を分断して互いに対立させるんですね。
組織は、あらゆる統率手法を使って数百万人をまとめ上げているのは前述の通りなんです。
この怒りの矛先を組織上層へ向かわせないように、狭い地域に吐け口となる存在を創出しているんです。

それがTIという存在なんです。

人間て、業の深い存在で、他人をねたみ、攻撃し、虐げ自分が利益を得ようとする本能を持っていますよね。
浅はかな大衆の属性なほど、その傾向が強まって行く気がします。
明治維新で、身分制度が撤廃され、四民平等とする事が発表されると身分差別が熾烈であった関西地方では、農民の一部が被差別民の集落へ、焼き討ちをかけ殺人に及んだと記録されています。
今まで虐げていじめていた奴等と平等なんて許せん、認めないぞというわけなんでしょうね。
この農民たちは、焼き討ちするまでに虚構を刷り込まれ、幕府や藩支配者の領民支配手法にまんまと乗せられていたと言えるでしょう。
人間には、他者を虐げ、差別することで満たされる感情が存在するという事です。 
古代ローマ社会は権力者から無償で与えられる「パン=食糧」と「サーカス=娯楽」によって、民衆が政治的盲目に置かれ、支配されていたと言われます。
差別や加害行為はサーカスにあたるものなんでしょう。

この被差別民の所を、敵性人物と書き換えてみると良く分かると思います。
敵性人物に領民の怒りの矛先を向けさせる。

これを設定するのに費用がかかっても、あがりの方が莫大な金額であれば問題ないわけです。
維持に必要な経費みたいなもんで、エンジンのオイル交換的な事と考えると分かりやすい。
巨大なコロッセオを建造して剣闘士の育成に大金を投じても、永年、大衆から得られる税収に比べたら、必要経費くらいのものなんでしょう。

大衆の嗜虐性と加害嗜好本能を敵性人物を攻撃させる事で満たし、不満の吐け口を敵性人物へ向けさせ、政治的盲目へと留め置く。


つまりは私を敵性人物として指定しておいて、私財を投じる事を避けている。
組織に関する事件簿的な資料を見ると、そういう形式を取って行われているものが多いので、どこでも行われているよくある話なんでしょうね。


この辺こそ、センシティブな話題なんで上階借り上げ事件についてはここまでにして、勉氏から裕子女史に工作指揮権が移された事で破滅が始まった問題へ話題を変えてゆきます。


貴方が仕切っている時分には、常識的な判断が私の起こす出来事に対して下されていたと考えています。
裕子女史には、正常な判断能力が欠けていると散々書き立ててきました。

その裕子女史に、私への○○波機材の使用の裁量権限を当地へ引っ越してきてから与えたでしょう?
それが、全てをぶち壊してしまった失敗の根源、彼女の破滅の始まりだったんですよ。

実は、入会当初はN氏等の仲を取り持ってくれていた人達も間もなく私と裕子女史は間違いなく会う事になるだろうと考えていたんです。

なんで、会員間のなんの制限も加えられていない会話をしていました。

○○波照射についてはネット上にいくらでも情報があるんで、色々調べて知識を持っていました。

頭痛腹痛各部の痛み等の体調の異変が起き始め、明らかに上階の部屋を借り上げて○○波の機材を置いているのが分かるんで、N氏に、あのメンヘラ、上の階、借りてこんな機材まで持ち込んでんですよと訴えると、ウームと唸って「そういうのはアルミで防ぐんだ」とだけ言うんです。

で、他には何も言えないという風にそれ以上は答えず「毎日、勤行を欠かさないで、裕子さんを取り逃がさないように真剣に生きるようにしよう」というような事を言って話を逸らすんです。

別な機会に同じように訴えると「頭が痛いのも孫悟空の輪っかみたいな感じと考えるしかないのでは」と言われました。

否定するわけでもなく、特に珍しい事を聞いたという反応でもなかったんです。 
再度、記せば間もなく裕子女史と会うだろうと皆が思っていた当時の会話なんです。
それらの答えを聞いて思いましたよ。 
会員に対しても、全国どこでも普通に使われているんじゃないのかと。

しかし、今、現在に至ってまで会員に○○波を使用しているケースを見たのは一度だけ、私の折伏したK氏に対してだけなんです。

しかもK氏に対しての照射は入会直前の折伏工作時での事で、今は○○波のによるものなのか判別できないぐらいの症状を話すだけなんで無いとみるべきでしょう。
基本、会員には○○波機材は使用されていないんです。

ここで見えてくるのが、私を敵性人物指定したままでいる事なんです。

自腹を切る事を避ける為にした敵性指定が、臆病過ぎた裕子女史の逃走癖に翼を与えてしまい、逃げ口上を捏造するために相手の私を来北の光が見えてきた所で潰せるようになってしまっている。

貴方的には裕子女史と私を会わせる為に娘への説得材料の情報を組織力を使って集める為に敵性指定まで持ち込んでいたはずなのに、私の健康と仕事を潰し、うちの家族と裕子女史の軋轢を深める結果となり、本末転倒となってしまっているんです。

いまだに敵性指定されている事は、普通にこれを打ち込んでいる、今この時にも○○波照射されている事で証明できます。

貴方的にはこの勉書発信を早く終わらせろという体でいるのに、明らかに妨害となる、頭痛や腹痛を誘発させる○○波照射をされているからです。

私から敵性指定が外されると誰かが損失を被るから、いまだに続けられているんでしょう。


では誰が指定存続を望んでいるのか? 誰が損をするのか?


一番の張本人は既に書いている通りに裕子女史なんですが、それは後回しにして、軽い方で考えられる人達を挙げてゆきましょう。

まずは現在、上階だけでなく左右の部屋のうちに隣接している部屋も提供させて使っています。 
おそらくは相応の対価を支払っているか受益させているでしょう。
上階の主は不明ですが左右の部屋の持ち主は会員家庭なんです。

ここに引っ越してきてから既に9年経ち10年目を迎えようとしている所です。
来た時は高校生だった子供が成人して家を出たり、働き始めているのを見ているんです。
どこでも地区座談会の会場を地区の中で用意するのが普通だと思いますが、あれと同じような感じですかね。

読んでみて考えていただきたい。

自分の家が、うちの敵性指定のようなケースの為に供出を求められたとしたら…。
自分が高校生だったとして、自分の家に顔見知りとはいえ、年中、他人が出入りして一晩中隣家を見張っていやがらせしてんですよ…。

正直、いい加減にしてくれよと言うのが普通の感覚でしょう。

年額3千万ぐらいもらえば、まあ検討してもいいが、数百万なら断りたいのが一般的な感覚だと思うんです。

上階の主なんか、家族でいるところを見たことないが、70前ぐらいの歳の方なんで、子供はいたとしても独立して出ているでしょうが、奥さんは一緒に転居させられているんです。 
近くに移っているんで上階は購入しているはずです。 
せっかく購入した家に10年も住めないで、気の落ち着かない状態に居させられている。

で、実際の所、いくらも対価を貰ってないでしょう。
上階の主や左右の会員家庭は私への敵性指定存続を望んでいないというか、指定するも外すもなんの権限もないので考えてもいないどころか、敵性指定の組織的な意味やなんかも理解していない状態で、強制的に従わされているだけでしょう。

そして、ずばり勉氏、貴方に聞きたいんです。

貴方は、そういう関係者の人生に現実に物凄い影響を与えてしまっている事をどう考えているのでしょうか?

裕子女史にも聞きたい、貴女の臆病が周りの人達にどれだけ悪影響を及ぼしているのか考えたことがあるのかと。

ここに貴方と裕子女史の父娘の現状認識能力の欠落が良く表れていると思います。

裕子女史はいろいろ問題はあるが、純真で真面目であるが故に周りが見えない鈍重な50女となっただけだと思うんです。

演歌歌手の八代亜紀のYouTubeで見た逸話では、長崎とかの土産物でガラス製で喫煙パイプみたいな形をした、息を吹き入れてペコポコ音をさせるやつありますよね、貴方も九州に近い所だから知っていると思います。
あれをテキヤが露店で売っていたそうなんです。 
それを見た亜紀がたいそう喜んで一つ一つ試して吹いていき全部吹き終えると満足して立ち去ろうとする。 
テキヤのおっさんはぶち切れて、全部買い取れやコラと因縁をつけ始める。 亜紀はその事態にわけわからなくなり呆然としていたそうです。

なんで怒られているか分からないんですね。

裕子女史も父親の貴方が周りの反感が見えないんで何も忠告してくれないで、高校生の多感な時期から就職や独立に至る大人に成長してゆく時期に異常な環境を押し付けられる同志家庭の思いを鑑みるどころか、その存在すら理解できておらず考えもしない。

内心では、ぶち切れられているにも関わらず、もしその声が口をついて出てきたとしても裕子女史も、なんで怒られているのか分からないんです。

こういう人、珍しくはないし、なんかやらかしても責任を取らそうとは思わないでしょう。 
よく言う責任能力の有無というやつの一種みたいな感じと考えるとはやい。 

メンヘラ女に責任取らせようと誰も思わないんです。

私の中の裕子女史像は大地震の深夜2時に亡霊のように私を待っている姿と、ピンポンダッシュして泣きながら駆け去って行く後ろ姿だけに留めておきたいというのも本音の気持ちです。
私が裕子女史を悪く思い出したら、彼女の立つ瀬が無くなってしまうでしょう。
一宿一飯の恩というのが有れば、私のような不肖の者を心配してくれた裕子女史の存在はかけがえのないものだと思うんです。
貴方がすべてを引き受けて果たして行っていただくしか娘を救う方法は残されていないと思います。


で、父親の貴方は80過ぎた老人という事だけは考慮されるべきだが、責任は生じるものと思います。

前述したN氏が貴方一家の伝言を私に伝えてきたものの中に「自営業だとか言って、いい気になってんじゃないのか?」というのがありました。

貴方が伝言を頼んだ話だから覚えている事でしょう。
その頃、前職で機材代の借金を返済し終えて売り上げが急落していた時なんで「儲かってれば、いい気にもなるんだろうけども、じり貧ですからね」とN氏にそう貴方に伝えてくれと答えましたね。 
N氏から聞いているでしょう。

貴方が、私がどのような心境に居るかを予想している事が分かります。
貴方には、他人の感情や心境を把握しようとする、把握できる能力があるから予想しているんですよ。

私の感情を予想しているのに、部屋を供出させられる同志家庭の感情は一考にすらしないというのもおかしな話です。

高額の対価や高度な受益で報いていた可能性も有りますが、10年って20歳なら人生の半分を異常な環境に置かれるという事なんです。
断れるのなら全員が断っていると思うんですよ。

なぜか、貴方は外部工作対象者の感情は予想するのに、内部同志に対しては同じように予想することが出来ないんです。
その理由を考えてみると、他の諸問題にもつながってゆく、貴方の欠落した部分が見えてくるんです。


ここで、ひとつ書き加えておきたい。

読み返して分かるんですが、貴方に対する評価が一貫したものでない事に気づくと思うんです。
例えば、ある能力に欠けていると前述しているのに、次の章でその能力がある事を実例を挙げて記述していたりします。

この混乱は、そのまま私の中の貴方の人物像を投影していて、私の中の貴方は時に組織の裏工作を長く担ってきた強面の巨魁のようであり、別な時には生きる事すら不自由する心を病んだ次女を慈愛を持っていたわり護る、市井の普通の父親と同じであったりするんです。

これらの矛盾は世界でも稀と思える、貴方一家独特の家風、相手と会わずに工作だけで事を推し進めようとする奇習、異常さによって引き起こされているんです。

正直な話、世界各国の映画とか小説とか、普通の人よりも親しんでいるはずなんですが、貴方一家のような不思議な家風をアマゾンの少数民族とか中世の封建的な家族関係の中でしか見いだせない。

貴方のように、自分の娘が、破滅しかけているのに、来北させれば娘を救えるとしか普通は判断しない問題の当事者である私の足を引っ張ったり、老母との関係を悪くする工作に許可を出す思考は異常としか思えないんです。

これは後述することになりますが、なぜ重要な転換点で最適な選択をしなかったのか、未だに理解できていないんです。

文章中に見られる矛盾は貴方父娘と話すら出来ていない事で、私の想像や予想で書き綴っている為に生じているんです。

貴方の欠落した能力の一つとして、時間の経過とか老化とか、物や人間の時間の経過による価値の変化について把握できないという事があると思っています。 

これは親子なんで裕子女史も受け継いでいる。
まず、裕子女史が44の時に自営業で調子に乗ってるんじゃないのか事件を起こしていますよね。

裕子女史本人も、同じ時に普通に考えるとなんで今、それを言ってくるのか?と唖然とさせられるような事をN氏を通じて伝えてきています。

裕子女史が44歳になってしまったという、「人並みの幸福な人生を送らせる」のが、完全に難しくなっている状態であるのに、解答にしたら不正解、問題に対処する意志の無い、見当違いな事を考えてやらかし続けていた事で証明できると思うんです。

そんなことを指摘してどうしようというのか?

貴方の現状把握能力の欠落した行動は今、現在もずっと継続していていて、裕子女史の状況を悪化させ続けているんです。
すぐに切り替えていただければ「人並みの幸福な人生を送らせる」という目的に、既に失っている部分はあれども、より近づける事が出来ると思うからです。


もう一つの貴方と裕子女史に欠落した能力は、能力というよりは習性習慣みたいなもので、貴方の世代の同志には結構沢山いるんじゃないかと思われることです。 

先天的なものではなく、組織勃興期の軍隊じみた特殊な空気の中で育って生きてきた貴方くらいの歳の会員に共通してみられる宗教思想結社の団結と血の盟約みたいな感じですかね。

お国の為にと、爆弾を抱えて敵艦へ特攻をかけるのもいとわない、旧軍の体制が一番近い気がします。

2代会長の時分は○○長を○○隊長と呼んでいたそうで、結構軍隊式の規律を意識していたところも実際あるのかもしれません。

貴方の世代だと会員が上位下達、上役のいう事を疑問など抱かず、そのまま受け入れるのは当たり前という感覚が身に付いていると思うんです。

特に昭和40年代、50年代の男子部を経て、そのまま内部役職に就くと顕著にその傾向が現れてしまうような気がします。

その世代的な慣習に加えて、貴方は現状認識能力に欠けている所がさらに拍車をかけてしまう。

だから、同志家庭に異常な環境を強いても、それを理解できずに10年もの時間を費やしてしまうんだと思います。

貴方を見て真似をする裕子女史も同じように相手の感情を考えることが出来ない。

貴方も裕子女史も、同志家庭が10年も部屋を提供する異常を分からないんですね。

ついでに私や家族と話もせず、一切の意見を聞かずに勝手にプラスもマイナスも工作したり、敵性指定し続けて迷惑をかけ続けて35年も関わり続けている異常もだから分からないんです。


と書いた瞬間に目が痛くなり激しい頭痛と腹痛が起きています。
裕子女史は今日は仕事なんで寝ている事でしょう。
上階にいる末端人員へ、別棟の指示部屋いる今日の責任者照射するように指示を出している。
今いる責任者が独断でやらかしているんでしょうね。
次の容疑者としてこの実行部隊責任者たちを考えてみたいと思います。



出身区にいた時は知り合いの同志に依頼して貴方が仕切って様々な工作をしていたのではないでしょうか?

当地へ越して来た当初は、その担当して仕切る役が遠地へ引っ越している貴方から指定されていなかった為だと思うんですが、当地勢、出身区勢、所属区勢、H市勢まで4つ巴で入り乱れて安価行為とかしていました。

で、しばらくして裕子女史を交えて話し合いがもたれたのだと思います。

ある時、N氏がH市から来た奴の事をなんなんだあいつはとぶつぶつ文句言ってましたよ。 
私を潰す事を強く主張していたそうです。

H市から来たのは裕子女史が類友で引き寄せたわけわからんアホだったんでしょう。 
貴女の持つ縁ってH市で引き寄せた輩に良く表れてんですよ。

貴女に忠告してくれる善良な友人なんていないんです。
善良な本当の友人は口をつぐんでしまっているんですよ。
(貴女に本当にふさわしい男って、そのH市時代に類友だったような輩だと言いたいですよね…。)

ここで分かるのは、H市時代は貴方は工作に表向き関与していなかったという事なんです。

H市勢が私を潰す主張ができたのは、裕子女史だけの名義でH市入りし支援工作していたからだと思うのです。
私、東京都内で刑事が私向けに動員されているのも見ているし、任用試験最前列事件のように横浜市内でも一定の影響力を行使しているのを見ているんで、H市勢が貴方の存在を知らないのだという事が分かるんです。

さらに言えるのは、貴方って私に対してだけでなく、内部向けにも自分の存在を隠して工作行動をしているという事が判明する。

こういう行動をする役職に就いていたか、表に出たくない系の性格なのか?

裕子女史がいつも人垣の後ろで黙って薄ら笑いをしていると評されるのと通じるところがあるんで、そういう性格説が優勢か?
ここでも裕子女史が貴方の真似をしていて、物凄い影響下にいる事が良く分かると思うんです。

貴方が35年も話せずにいるのに工作だけで繋がりを持っていると考える事を是認しているから、裕子女史もそれを真似て異常さを肯定して疑いを持たないんです。

で、H市時代に入ってすぐにネットでみるTI被害者と同じ嫌がらせが始まったんです。

貴方は公然と仕掛けてくるようなやり方をしてこなかったので、裕子女史が企画したのだと考えています。

私が所属区に住んで外地と関わりのない時は、裕子女史の周りにいる会員が、中学の同級生で占められていて(ベビーブーマーで人数も内部で多数派)私の子供の頃からの知り合いでもあり、あまりいやがらせには乗り気ではなかったのだと思います。

H市の店での営業に嫌がらせが入り始めたのが最初なんで、裕子女史がH市勢と接触して、口車に乗せられて取り込まれて行ったのでしょうね。

当時の裕子女史は職業グループ内でも、地域組織内でも何の力もなく、私が遠くに働きに行ってしまったので、仕方なく徒手空拳でH市に乗り込んで行ったのでしょう。

ただ歩いているだけの姿を見た蒲田のヤンキー娘が憤激し、しばかれてしまうレベルのメンヘラ女の裕子女史には貴方の裏からの支えはあっただろうが、心細く、大変な事業だったと推測しています。

H市勢に私との関係を説明するにも、話したことないまともに前に立ったことすらないという奇怪な話、かなりつらい上に、コミュ障の自分をさらけ出す事になり羞恥心でズタボロにされる思いをしたのだろうと思います。

そこにつけ込まれて行ったんでしょうね。

H市勢は私を潰す方向で、うまい事おだてすかして、私と裕子女史の関係に亀裂を生じさせ、次々とTI並みの嫌がらせ工作実行を裕子女史に承諾させていったのでしょう。

裕子女史は怪我の功名といえそうな重篤なコミュ障なんで、男関係が希薄で過ごしていますが、普通の女性で裕子女史並みに口車に乗せられやすいとホストに入れあげたり、マルチ商法の餌食になったりする危険性があった事でしょう。
裕子女史こそ人生万事塞翁が馬を地で行く、ケラー並みの障害を抱えていても難事を免れ、結局、孤独死する… いや難事を免れ、なんぞの軌跡を起こしかねない強運の50女なのではないでしょうか? 
(ケラー=ヘレンケラー女史)

その模様の一端を「静太郎、新興政治団体に抗議を受ける事件」に記しているんで勉書を読んで見てください。 あの記述通りの展開だったのだと思います。 あの手この手で潰しにかかって来ていたんです。

貴方は何やっていたのかといえば、引退間際か、引退して3年ほどの頃ですかね。 
貴方の家族関係からして兄弟、母氏兄弟、裕子姉氏家族、裕子女史と、かなりの数になるんでいちいち全部に関わってもいられない。
たまに泣きついてくる裕子女史に助け船を用意していた感じでしょうか?
この頃はまだ30代なんで、余裕があった事も確かでしょう。

H市勢に乗せられた結果、自分の首を絞めてしまって現在に至るというのが真相なんでしょうね。
N氏が各関係地の責任者たちと話した後でH市勢について、あいつは何なんだと激憤していた逸話を裏付ける事にもなります。


次の日、再び15年間の営業で最悪の売り上げと巨額損害を記録する。
その日のTwitter発信

gあ15年で今日のg

mのすごいミネソタ

なんか気づいた事を発信されると困るんだろうな。 壮絶な妨害を受けている。 皆さんこれ自作自演でなく、マジで打ち込めなくされている例ですからね。

ggsティッカー g

ここまでやるという事は、素で支援失敗して大損害受けているということかな…。 しかし、マジで15年で最低の業績だったんですが、帰りに安価勢が30人待機させられていたぞ。 男子部の人事があると、景気づけに初めの頃大動員するの毎年見るんです。 それかな。 それに勉氏からの損害指令が加わって

体裁的に問題なく堂々としていられ、やらかしているのだろう。 まあ損害指令が出ている時は何言ってもそうなるという事やろ。 貴女、そんな事よりも、明日の会合の連絡が19時前に来たから出ろという事だと判断して、明日も休業するしかないぞ。 貴女的にはどうせまた赤字垂れ流し予想で体裁の為に

会合の連絡を入れてくれと依頼したんだろうが、損害がガンガン増えて行っているぞ。 貴女の所からは見えないいろんな事が有るんだから、見える所だけでも把握するべきでしょう。高速代だけで7万、光熱費合わせて4.5万、家賃は知っての通り〇〇万に、駐車場とガソリン代合わせて5万。 全部合わせて

計算してみて下さい。 最低でも、それの3倍は業績が無いといけないわけです。

で、貴女、監視人員に先週から帰宅後、眠り系で眠らせる指令を出しているだろ? おかげで生活リズムが狂いまくって体調悪くされてんですよ。 貴女、ホントに頭悪そうですね…。 この期に及んでそんなことして私の足引っ張ってどうすんだよ。 こういう時は来北した後に利益が出るように着実に手を打って

yうかないとそして

もういいや。

というかこれからの勉書発信の内容を予想して、当地勢が独断で妨害にかかっている可能性も有るな。1位域1

それもないな、上役に知られるとそれこそ干される。 勉氏からの指示があるんだろうな。 書発信のsy 勉sは5人しか読んでないし、4人は内部です。 外部の一人は自閉症児マモルくんなんで特に問題ないと思います。 考えすぎですよ


壮大な妨害と巨額損失を与えられ、勉書発信を途絶させるいつもの手です。

そして、ついに禁断の最終章へ




















~○○波も同様に逃げ口上を作るために使っている。
~内部家庭でも異質な裕子家の世界観
~K氏折伏後のダブルアップの失敗で敗北を確定させる

























































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