勉氏への書簡2023 (誓願)・5
N氏が危篤状態になっているとH氏より亡くなる前日の夜に連絡が来ました。
ひと月前に地元病院に見舞いに行った時に、排尿が難しいので管を付けられていたんですが、当然布団で体を覆っているんで私は点滴の管なんだろうと勘違いしていました。
しばらく話していると目の前にある管がだんだん赤茶けてくるのを見て、なんか血が逆流してんじゃないですかと言うとホントだ看護師さん呼ばなきゃとなり、じゃあすぐまた見舞いに来ますねとその日は帰りました。
その日の時点でも、まあ癌は癌だが、裕子女史に頼まれて演技も半分入ってんだろうと思っていたぐらい、いつもの通りのN氏に見えました。
もう排尿が困難になってしまっていたんですね。
亡父が排尿困難状態の時は脳にも転移してしまっていて、モルヒネでぼんやりしている状態だったし、同じ病室の患者達も同じような感じだったのを見ていたんで、N氏のように元気に見える癌患者を理解できなかったんです。この時も、ドクターXの広末涼子の冗談を言っていましたからね…。
で、ここでも約束したからなんとか裕子女史と会わしてやらないといけないと言ってましたね。(ここの見舞いは録音されていたと思います。)
この3か月前に、N氏が突然うちを訪問してくれたんです。
私が休みの日でしたが、前職時代は大体どこかへ出かけていたんです。
N氏的には、うちにたどり着けば、老母が私を呼び戻してくれると考えていたんでしょう。
たしか追浜にいたと記憶しています。
追浜高校の横に図書館があってそこにいたんだったかな?
晒してしまいますが、あそこにただで車を停められるんですね…。
その前の川が私の釣り場なんで、いろいろやる事が多い場所なんです。
大体、昼にフッコクラスを目視できると、夜同じ場所で釣れたりする。
普通に本を読んでいた可能性もあるし、当時は200m先にブックオフが有ったのでそこにも行っていたのかもしれません。 忘れました。
追浜のうらぶれた商店街の夢も希望も無い雰囲気が結構好きで、たまに散策していたんです。
たしか3時過ぎくらいにN氏がうちの家電を使って電話をかけてきて、近くに来たから寄ったくらいに言うんです。
老母が応対して、お茶を出して話をしたそうです。
私は前に「連絡してくれればいいのに、今、横須賀にいるから2時間くらい戻るのにかかりますよ」と答えたんです。
暗に忙しいから戻れませんよと言ったわけです。
N氏は残念そうに「じゃあバスで帰るよ、今度うちに来て」と言って電話を切りました。
この1年半ぐらいの期間はN氏が入退院を繰り返していて、私はそれを裕子女史に頼まれた仮病だと思っていました。
病気は病気だが、かなり盛っていると思っていた。
で、ほんとに近くに用事があってついでに寄っただけだと思っていたんです。
が、亡くなる4か月前の事で、老母の話だと歩くのもしんどそうだったとの事でした。
貴方と裕子女史に頼まれて何かを伝えに来たか、急遽訪問をして尾行や盗聴勢をかわすつもりだったか。
おそらくは、貴方一家に頼まれたのなら、事前に連絡を入れていただろうから、帰りに私の車で送ってもらい盗聴できない所で2人で話をしようとしていたのではなかったかと今、思っています。
その後、歩けなくなるんで、包み隠さず話せる最後の機会という事だったのだと思います。
最後に力を振り絞ってうちまで来て、何かを伝えようとしていたんですね。
まあ、裕子女史の事で間違いない。
この日の事を後ですごく文句を言っていたと伝え聞いています。
私はここでも不義理な事をしているんです。
この日の事が、その後、墓参りをしている理由の結構大きな部分を占めていたりします。
去年は新始動と低迷と激しく変化して、墓参りに行けなかったんで、今年は暖かいうちに行くつもりです。
貴女が来北したら、一緒に行きたいですね。
亡くなる一週間前に退院して自宅療養すると聞いて、見舞いにN宅へ行きました。
この日が最後の別れとなりますが、この日もドクターXの広末涼子の冗談を言ってましたね……。
除湿器みたいな大きさの酸素吸入器が置かれていて、キュウキュウと音を立てていました。
この日のつらそうな感じを見て、ようやくこれは詐病ではなく、かなり厳しい状況にあるのだと悟りました。
でも、亡父の病状の悪化の過程と比べて考え、ドクターXの冗談を言っている所を見て、まだ1年は大丈夫だと思っていました。
そして、冒頭部に戻ります。
次の日、H氏に電話して聞いたか、N夫人へ電話したかして仕事を休業して、すぐにN宅へ向かいました。
N夫人は、悲しみに暮れて泣き続けていて、娘さんが応対してくれました。
N氏に会って、顔が穏やかに寝ている様だったのでほっとしました。
そして、ホントに亡くなってしまったと何も考えられなくなっていましたね。
H氏も仕事に行く前に来ていたんだったか、N宅で少し話をしたんだったか、電話で話したのか忘れてしまいましたが、ドクター部の医師と看護師長が来て、最後亡くなったのを確認したと言ってましたね。
貴方の推挙で壮年長になったからか、裕子女史の仕事のつてでの計らいだったと思っています。
ここから、人の死に対する考え方の文化の違いを体験してゆくことになりました。
通夜にK氏と二人で行くと、そんなに悲しみに包まれているという感じでは無いんですね。
あの時は誰が導師をしたのか地区部長のH氏だったか、ほかに誰かが来たか忘れてしまいましたが、地区の会員が集まって唱題をするんですが、隣の部屋で親戚たちが、笑い話をしていて明るい事明るい事。
この次の年の夏に富士宮の組織系霊園で「生も歓喜死も歓喜」という標語みたいの(いまだに出典を知らない)を見る事になるんですが、あの時の湿っぽくない感覚もこの言葉の中に見えるな、会員は皆確かに信心を保持していると思いました。
N氏が亡くなったのが11月の27日のようです。
で、3日置いて、組織系の葬儀会社で葬儀を挙げる事になります。
その模様をTwitter発信でご覧ください。
北枕 静太郎 @kitamakura44 2018年11月30日
緊急告知
本日、11月30日と明日の12月1日は〇〇出席の為、休業いたします。
日曜日からの復活を予定しております。
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北枕 静太郎 @kitamakura44 2018年12月1日
上大岡
裕子さん、今日来ようと思えば参列出来たでしょう。N家を訪ねる事数十回、色々やっかいになってますよね。私がN氏から〇〇を教わっているとこ隣から見ていましたよね。5年も世話になったのに不義理が過ぎる。また余計な事したみたいですが、貴女誰に対する体裁なのか?誰に見せるが為の工作 https://t.co/dZepV5exCa
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北枕 静太郎 @kitamakura44 2018年12月1日
上大岡
なのか?恩義に不義理で報いるような生き方やめた方がいいですよ。冥の照覧という考え方が有りますが貴女の内輪だけに体裁を整えて不義が消去されるとお思いですか? https://t.co/mCpmM4T6y8
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北枕 静太郎 @kitamakura44 2018年12月1日
上大岡
じゃ、どうすれば?もうちゃんとして一回来なよ。私が鈍いのを内輪に証明しようとしている様ですが、それを立証してなんか得なことあるの?時間を浪費して自滅確定するだけだよ。N氏、懸命に間を取り持とうとしてくれたじゃない。貴女のN氏への不義は私と一緒にでだけ打ち消されるんです。
貴方と裕子女史がN氏の葬儀に来るのが、わだかまりもなく、35年の因縁を水に流して会えた最後の機会だったと考えています。
これが実現できていたら、N氏の死身弘法ならぬ、死身仲立ちとなったはずです。
よくやくざ物のVシネとかで、抗争で対立団体の一方の幹部が殺され、葬儀が行われる会場に、やった側の団体の幹部勢が訪れ、殺された側の幹部達がどの面下げて来とんのじゃいと息巻いて一触即発な感じの場面ありますよね。
一応、殺し合いをしていても礼儀として葬儀に出席する。
ゴッドファーザーでも、マーロンブランドが死んだ葬儀に対立側のボスが来てという場面があります。
最後にまとめて殺される場面のボス。
葬儀は殺し合いの相手でも、商売敵でも、親の仇でも建前上の中立の聖域を作り出すものなんでしょうね。
ここで、論語の有名な所をまとめ解説した、人のものを転載しときます。
一番優れていて後継者にすると考えていた弟子顔淵の死に対する孔子が取った礼義みたいなものを読み取って下さい。
先進第十一 270
〔 原文 〕
顔淵死、顔路請子之車、以爲之椁。子曰、才不才、亦各言其子也。
鯉也死、有棺而無椁。吾不徒行以爲之椁、以吾從大夫之後、不可徒行也。
〔 読み下し 〕
顔がん淵えん死しす。顔がん路ろ、子しの車くるま以もって之これが椁かくを為つくらんことを請こう。子し日のたまわく、才さいあるも才さいあらざるも、亦また各々おのおの其その子こと言いうなり。鯉りや死しす、棺かん有ありて椁かく無なし。吾われ徒と行こうして以もって之これが椁かくを為つくらざりしは、吾わが大夫たいふの後しりえに従したがえるを以もって、徒と行こうすべからざるなり。
〔 通釈 〕
顔淵が死んだ。父の顔路は先生の車を譲ってもらって、それで外(そと)棺を作りたいと請うた。これに対して孔子は、「馬鹿は馬鹿なりに、利口は利口なりに、我が子は皆可愛いいものだ。親の情が分からん訳ではないが、息子の鯉が死んだ時も、内棺だけで外棺はなかった。
私が自分の車を売って、徒行してまで息子の為に外棺を作らなかったのは、これでも私は大夫の末席にある立場なので、徒行して出仕する訳には行かなかったからだ」と云った。
〔 解説 〕
顔路とは顔淵の父、姓は顔 名は無繇(むよう) 字は路。孔子の6才下で、弟子の中では孔子に一番年が近く、冉伯牛(7才年下)と同世代の旧くからの弟子でした。
棺とは内棺、椁とは外棺のことで、当時身分ある人の棺桶は、内棺と外棺の二重棺にしたようです。日本の皇室の棺桶は、今でも棺と椁の二重棺のようですね。(昭和天皇の大葬の礼をご覧になった方は覚えているでしょう)
孔子晩年は官職を退いておりましたが、国老として毎月一日には朝廷に出仕していたようです。論語に哀公との会話がしばしば登場しますが、これはその時に交わされたものでしょう。
いくら年が近いからと云って、自分の師匠に対して「先生の車を売って、子供の為に立派な棺桶を買ってくれ!」などと云うのは、今の感覚からすれば何と厚かましいことだろうか?と思われるかもしれませんが、当時は、「朋友の間は共に財を通じ合う」つまり、困った時はお互いに融通し合うというのが当たり前の習慣で、特別に顔路が厚かましかった訳ではないようです。以後何章かに渡って、顔淵が死んだ時の様子が語られております。
先進第十一 271
〔 原文 〕
顔淵死。子曰、噫、天喪予、天喪予。
〔 読み下し 〕
顔がん淵えん死しす。子し日のたまわく、噫ああ、天てん予われを喪ほろぼせり、天てん予われを喪ほろぼせり。
〔 通釈 〕
顔淵が死んだ。孔子は嘆き悲しんで、「ああ、天が私を亡ぼしたのだ、天が私を亡ぼしたのだ!」と云った。
〔 解説 〕
孔子は元来楽天家で、滅多に弱音を吐くことなどない人ですが、この時ばかりは身に応えたようです。顔淵の死によって孔子教学(儒学)は絶えると思ったのかも知れませんが、その後門下から曽子が立派に育ち、曽子の門下から孫の子思が育ち、子思の門下から孟子が育ち、儒学はしっかりと後世に伝えられることとなりました。
顔淵が亡くなる一年前には息子の鯉を亡くし、一年後には親分子分のような間柄だった子路が亡くなった。この他に、十哲の中で孔子よりも先に他界したのは、冉伯牛(癩病)・宰我(斉で田常の謀反に加担して落命)の二人がおります。
先進第十一 272
〔 原文 〕
顔淵死。子哭之慟。從者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之爲慟、而誰爲。
〔 読み下し 〕
顔がん淵えん死しす。子し之これを哭こくして慟どうす。従者じゅうしゃ曰いわく、子し慟どうせり。日のたまわく、慟どうすること有あるか。夫かの人ひとの為ために慟どうするに非あらずして、誰だれが為ためにかせん。。
〔 通釈 〕
顔淵が死んだ。弔問に行った孔子は、身体を震わせ声をあげて泣いた。お供の弟子達は、「先生が慟哭しておられる」とささやいた。これを聞いた孔子は、「私が慟哭したって?いかにもその通り。この子の為に慟哭せずして、一体誰の為に慟哭しろと云うのかね!?」と云った。
〔 解説 〕
弔問に行った際に声をあげて泣く「哭(こく)」は、士喪の礼と云って、当時の儀礼の一つとされておりましたが、「慟(どう)」は身内のみに限られていたようです。
葬式の時に雇われて泣くのを生業(なりわい)とする人達を、泣き男・泣き女と云いまして、中国や韓国では今でもその習慣があるといいます。能登半島の七尾市でも最近まであったそうで、代金の多寡によって、一升泣き・二升泣きという泣き分けがあったそうですね。
先進第十一 273
〔 原文 〕
顔淵死。門人欲厚葬之。子曰、不可。門人厚葬之。子曰、回也、視予猶父也。予不得視猶子也。非我也。夫二三子也。
〔 読み下し 〕
顔がん淵えん死しす。門人もんじん厚あつく之これを葬ほうむらんと欲ほっす。子し日のたまわく、不可ふかなり。門人もんじん厚くあつく之これを葬ほうむる。子し日のたまわく、回かいや、予われを視みること猶なお父ちちのごとし。予われは視みること猶子なおこのごとくするを得えず。我われに非あらざるなり。夫かの二三子にさんしなり。
〔 通釈 〕
顔淵が死んだ。門人達が立派な葬式を出してやりたいと孔子に願い出た。孔子は、「それはいけない!」と云ったが、門人達は孔子の忠告を無視して派手な葬儀を行なった。
これについて孔子は、「回は私のことを実の父親のように慕っておった。ところが私は、息子の鯉の時と同じように、分相応に心のこもった葬儀をしてやることができなかった。これは私のせいではないのだ。あの門人達が勝手にやったことなのだよ」と云った。
〔 解説 〕
孔子は常々「礼は其の奢(おご)らんよりは寧ろ倹せよ。喪はその易(そなわ)らんよりは寧ろ戚(いた)めよ。(礼式は華美にするよりは寧ろ慎ましくやるが良かろう。喪礼の場合も、体裁を整えるよりも寧ろ心から哀悼の誠を捧げるようにしなさい。形式よりも心が大事!)」と教えておりましたから、本当は「何をやっているんだ!」と叱りつけたかったのではないかと思いますが、後の祭りだったようです。
貴方と裕子女史は葬儀に来るべきだったと思います。
亡くなる一週間前にも、私と裕子女史を会わせてやらないといけないと言っていたの録音で聞いているでしょう。
孔子が顔淵の父親に車を棺の材料にくれないかと頼まれたのを、役職上の体裁を守る事は礼儀だからと断る。
で、つぎのつぎの先進第十一 273で、実際にはかなり盛大な葬儀をすることを許してしまったと後悔しているんですね。
なんなんだかわけわかりませんが、この解説を書いた人の言うとおりに「礼は其の奢(おご)らんよりは寧ろ倹せよ。喪はその易(そなわ)らんよりは寧ろ戚(いた)めよ。(礼式は華美にするよりは寧ろ慎ましくやるが良かろう。喪礼の場合も、体裁を整えるよりも寧ろ心から哀悼の誠を捧げるようにしなさい。形式よりも心が大事!)」という事なんだと思います。
車を棺の材料にするというのも、師の持ち物で棺を作ってやろうという形式的なものなので、べつに新たに車を買う金が無いというのではなく、形式主義を出仕する立場の私が政治に持ち込むわけにはいかないんだよという言い回しで断っているんですね。
※孔子の車の木材かなんかを材料として外棺を作ると言うのは私がどこでどう間違えて憶えたか独自の解釈で、一般的には車を売って外棺を作るという事らしいですね。
論語読みの論語知らずというのと、少し違った現象を起こしているんですね……。
孔子の門弟から高級役人を何人も送り出してもいて、弟子の数も何十人もいたわけで、お金に困っているわけではない事にかわりない。
顔淵の父親は孔子の大切なものを譲り受け、それを売ったお金で外棺を作るという形式的なものにこだわって頼み込んでいる。
あとは上記と同じところに帰結する。
N氏が亡くなった時に、私の出た地区の同志が集まった通夜と親戚一同が集まった葬儀とは別にN宅で裕子女史と関係者が集められた葬儀が行われていたのでしょうか?
通夜から数日間、N宅に遺体を置いていた。
火葬の順番待ちなんだと誰かが言っていましたが、当時コロナ禍の数年前だし、申し込みが殺到しているような感じは全くありませんでしたし、実際、荼毘に付される場に、N氏の関係者しかいませんでしたからね。
齢80の老境にある貴方が下関から来たかどうかは分かりません。
歳が歳なんで不義理には当たらないと思います。
が、裕子女史がどういう形であれ、弔問に来ないのは不義理も不義理の罪悪ですよ。
N氏亡きあとも、娘が近くの公営住宅に当選しているし、N夫人の元へ訪れていそうなんでまず無いと思いますが、貴女が、荼毘に付される前にN氏にお題目をあげていなかった場合、これから私と会っても、すぐに別れる事になるでしょう。
そこまでして逃げ続けていたのなら、このまま会う事もないでしょうが。
貴方にお願いしたいのは、そもそも根本的に人間の成り立ちが違う場合があると思います。
話が通じないと思いますよ。
上記したような感じだと会わせても意味ないから、すぐに同志医師と見合いさせてやって下さい。
(私はきっちり解放してくださいね)
死後数日の時間が開いていたから、もしかしたら貴方も横浜まで来た可能性もあると考えています。
貴方は来なくても、不義理には当たらないと書きましたが、何度か会っているだろうし、娘の事で奔走してくれていた人だから、本音を言えば来て当然だと思っています。
病気だったりしたら、歳も考えて仕方ないでしょうけど、何年か前にうちの前で後ろ向いて立っていたでしょう。
そこまで年老いては見えませんでした。
なんで、横浜まで来てN氏の亡骸と対面していると仮定して書いてゆきます。
地区の同志勢での通夜と親戚一同で荼毘に付した葬儀とは別に、貴方と裕子女史がN氏宅を弔問しているのだろうと考えています。
まあ、今、この瞬間もそうなんですが、N氏が亡くなったあと数日間も完全監視状態にありました。
○○波照射と作動音連発とかをやられていたんです。
で、なんか裕子女史本人が観察に来ていたように記憶しています。
私がホントに悲しんでいるのか確かめるかのように……。
うちの亡父にも家族で会いに来ているくらいだから、会員のN氏の亡骸とはほぼ間違いなく対面していると思います。
周りには私に伝えないように口封じして。
貴方がそういう立ち位置にいるから、裕子女史も同じく私と面と向かって接触出来ないんだと思うんです。
貴方がそういう風に教育したから(前述した勉氏の軛ですね)裕子女史は私と話もせずにいて、35年も関わっているんではないでしょうか?
そもそも、私対策としてやるんでしょうが、貴方と同年配の同志で娘が大変に世話になっていた人が亡くなっていて、なぜ気分よく、葬式で気分よくというのも変な話ですが、正々堂々と普通の葬儀に出席せずに、隠密行動めいた事をするのか分からないんですよね、普通に出席すればいいだけなのではないですか?
なんかの雑誌記事で読んだ話で、大物政治家が、愛人の葬儀に正式な葬儀には出ずに、隠れて弔問したというのがありましたが、それは政治家として愛人の存在が発覚する事のマイナス要素と礼儀として弔いに行かなくてはならないという人間模様の相克みたいなものです。
貴方は大物政治家でも組織の大物でもありませんよね?
組織の役職ではT氏一行を動員できるくらいの立場になっていたのかもしれませんが、貴方よりも上役がいたでしょう。
その人達が貴方のように私のような小物相手に隠れて弔問するようなマネをするとは思えないんです。
私に知られないように弔問する意味が分からない。
私に知られないようにする……。
私も貴方もそれやる意味無いとしか思えない。
百歩譲って、20年前に私の亡父に会うのに、私に知られないようにしたのは、当時まだ裕子女史も私も若いから、先に選択する道が沢山あったし、私でなく他に相手を見つけた時に障害となるやもしれんから肯定できる。
亡父の存命中に貴方が話をしたんだから、礼節を欠く行為でも無いでしょう。
しかし、N氏の場合は亡くなってから、N氏の正式な葬儀に出席せずに、裏で私に知られないようにするという為だけに隠れて弔問している。
これは、草創期からの同年配の同志の死に対して義理も礼儀も欠いているとは言えないでしょうか?
明らかに事の軽重を間違えているでしょう。
私に知られないようにするという事なんかくだらない些事に過ぎないんですよ。
世話になった同志の葬儀に参列する事の方が重い意味を持つんです。
当たり前でしょう。
貴方と裕子女史が正式の葬儀にしれーっと出席していれば、そこは中立の聖域なんだから、当然、私と対面してしまうんですが、お互いに穏やかに会話するしかないんで、N氏の死身仲介が実ることになり、先につながって行ったはずです。
ここ数週間、この勉書発信をさせる意図で帰宅後2時間ぐらい眠り系で強制爆睡させられ午前2時に起こされて、まどろみの中にいると、覚醒波で完全に目覚めさせるという、凄まじい圧力をかけられ仕事をしてかつ、書き進めてきています。
壮絶でしょう?
体がよくもっているなと思いますよ。
で、今週などは完全な赤字垂れ流しでかなりの損害を受けているんです。
それでも支援を受けている事は間違いないという。
あそこやはり難しいのかもしれませんね。
前の業者を制裁のだしに使っているのもこれから書く手口と同じ種類のものなんです。
勉書を終えたらすぐに、前の業者を別な日に動かして、前職時代のつてを復活させてください。
それで、あそこを続けるかどうかを決めるしかない。
周りは関係ないんで裕子女史と貴方しかわからないように書いてゆきます。
今日、マンションの例の駐輪場問題を主に話し合う住民総会が開かれました。
裕子女史の差し金だと丸わかりなんで、何か文句を言った所で既に筋書きが出来ていると見て、老母に任せて私は仕事に行こうとしていたんです。
いつもの時間に外へ出ると同棟に住む会員勢3人で総会中にも関わらず安価行為に及んでいました。
私を待っているわけなんです。
今日は、いつも来るお客さんが来なかったんで、その日全部を工作を軸に仕切るつもりでいたという事になる。
かなり前から私が文句を言いに総会に出席する対策を打っていた事が分かりました。
結構、大掛かりの工作を仕組んでいる。
で、貴方一家にとって、私は接触した事のない伝聞でしか情報の無い男なんで、すぐに反発して苦情や文句を言い始めるタイプとして認識している。
実際は、おとなしい文章民なんで、文句なんか余程の事がない限りは言わないタイプなんですね。
ああ、やはり事の発端から裕子女史の横槍みたいなものだったんだなと分かりました。
3人に計画書の通りではバイクを止める事は出来ないですよと伝えると、それを検討することになって棟の周りを見ている最中との事。
老母に後で聞くと管財会社からは女性二人が来て、電話で話した内部男性社員は来ていなかったらしい。
女性2人ともに内部で、片方は電話で裕子女史の独身を蔑んだ社員だったでしょうね。
いつものように隠密指令を出しているんで、電話の時は裕子女史の存在を知らされていなかったという事なんです。
まず、男性管理職と女性2人の3人とも内部でいて、バイクに乗った事がないのが分かるんです。
乗っているとあの計画の場所には止められないの、すぐに分かるから。
で、今日、それを指摘されて計画変更が決まったそうです。
管財社員3人は計画が破綻している事を理解していないんで、指摘したのは彼等ではない、バイクを止めているのは私ともう一人だけなんで、どちらかという事になる。
私は何も言っていない。
もう一人もなにも指摘していないそうなんです。
両人のバイク両方ともに250なんで、慣れれば何とかならないことも無いんでという事だったんでしょうね。
あそこに止められないと感じるメンヘラ女がいて、そのメンヘラ女が指摘したわけです。
裕子女史なんですね……。
裕子女史、CBR650に乗ってましたから、大型免許持っているんです。
(そのせいか、入会当初はよく大型を取った方がいいと勧められていました)
あそこに大型は止められない事を知っている数少ない内部女性の一人だったわけです。
自分で管財会社の内部社員を巻き込んで、くだらない企画を立ち上げて、私が指摘すると思っていたが、しないんで自分でやっちゃったという事なんです。
なんの企画なのかと何度か考えてはみましたが、もともと逃げたい一心でいつものように、こじつけ捏造しているんで他人にはおおよそ見当もつかない。
これなんじゃないのかというのは、来北したら自分の普通車を、うちの駐車スペースに止めたいんで、バイクが邪魔だ。
私の車は別な空き駐車枠へ行かせて、バイクもバイク用のスペースを増設させてそこへ移動させちゃおう。
こんな感じらしいんですね……。
貴方に伝えたい。
そういうのは来北してから、当棟の同志勢と自分で話し合ってやるべきでしょう。
うちの棟に当地幹部がいるみたいですね、10年間知りませんでしたよ……。
どおりで嫌がらせが強気でいられるわけだわ。
何やっても守られると思っているんでしょうね。
ここに来た初期の嫌がらせ老人勢とかどうなっている事やら……。
長く生きていると知る事なんですが、なんか手をだすとまずい、極彩色の毛虫みたいな奴っているんですよね。
この工作は裕子女史がやらかすいつもの時間稼ぎ逃走癖なんで、後援しないでください。
来る気もないのに老母との嫁姑問題を喧伝し続けているのと同じ構図なんです。
来る気の無いのに、来た後の車の駐車スペースを確保させようとしている。
何か話が進行している体を装っていないと、同志勢に不審がられると考えての企画なんです。
周りの同志勢は普通の会社員とかなんだから、10年も自分が行く先であるうちへ危害を加え続けている裕子女史に信頼なんか置いてはいないという事に気づいていないんですね。
貴方が現実をやんわり教えてあげないと、まだまだ恥の上塗りを続けてしまいますよ。
バイクは、今ある枠で全部収まる勘定なんじゃないですかね、私はあの枠が出来た5年前から、あそこに止めさせてくれとお願いしていたんですが、来客用だから、今のまま止めておいてくれと言われ続けていたんです。
だから、止める枠の場所も一回抽選してやり直してください。
しかし、自分の首を絞めて裕子女史はいかにしても愚かな女ですよね。
すぐに私と話し合えば何の問題も起きなかったのにね。
翌日のTwitter発信をご覧ください。
貴女、また21時から2時まで眠らされたぞ…。 それやると、一見、書き足して嵩増しできるけども、本来の勉氏と面会という内容からそれて行ってしまうんですよ。 まとめに入るところだから、いっぺん読み返していくところです。 しかし、今も加害機器を数種類使われ○○波で激痛が走っているんですが
貴女、ホントにことごとく、全てに失敗してゆく50女だね……。 なんでかなり転落している立場で加害に走るかね…。 どう考えても、加害で悪因を招いて転落してんだろ? 変な意地張らないで、素直に流れに従わないと。 周りの奴らなんか、誰も貴女の幸福なんか企画もしてないどころか貴女に興味ない
すぐに嫌がらせ人員全員を撤収させて、明日から地方栓支援の激戦地へ送り込んでください。 こいつ等に楽して甘い汁を吸わせて施しでもしているような高い所に立っているつもりなんじゃないのか?貴女。 真面目にやっている同志勢に申し訳ないから、こういう輩に餌をやるなよ
ついでにつけくわえれば、貴女も地方栓支援をする時なんじゃないの? 何考えて生きてんのか分からんが、同志に嫌がらせする任に力を割いて、貴女自身の未来に、マイナスになるとは考えられないのか? 貴女のやらかしている事が周りの戦いの中で浮いて見えて、目立ってしまっていそうですよ
さらに老母の転院騒ぎも、バイク駐輪場と同じ時期に貴女が企画した工作だろう。 N氏の貴女の職場近くの病院への転院と似た匂いがしますね。 もしかしたら、善意でやらかしている可能性も少しありそうですが、それならそれで、私と会って意図を伝えてから実行に移せばいいだけだろ。
貴女、逃げ続けていたいから、なんか囮の問題を打ち上げて、周りの目をそらそうとしているんだろ。 それやっても、その場しのぎのウソみたいなもんで、あとから、50面下げた独身女の悲哀みたいなもんに打ちのめされるだけなのでは?
本編に戻ります。
N氏の葬儀に至るまでの1年間に様々な工作をされていました。
前編に書いた、偽装査問事件、探偵興信所に捜索依頼事件もこの期間に貴方が仕組んでいましたね。
N氏の闘病中から既に、私を組織から遠ざけて、裕子女史と会わせないように仕向け、興信所に依頼させて混乱を引き起こそうとしていた事になります。
K氏折伏来北スキップ事件が、流石に体裁が悪いと考えたのではないのですか?
私が揃えた来北条件と功績を失効させる為に動いていたと思います。
まあ、功績と言ってもN氏がお膳立てしてくれたK氏折伏の功績ぐらいのものでしたが、この10年間で家族親族以外を折伏した例を見たことないんで、かなり目立つ出来事ではあったのだと思います。
貴方としては、そのまま功績があるとして放置しては置けなかったのだと思います。
N氏が「裕子病院の階段を駆け下りる事件」の時に、私が裕子女史を追うのを止めたのも裏でこういうマイナス工作を貴方が行っているのを知っていたからだと今は思っています。
父親が偽装査問工作を仕組んだり、興信所へ捜索させて偽情報を掴ませ混乱に陥れようと企画している時に、父親の影響を受けている裕子女史の人格を何度も会って知っているN氏が、今は反作用が起こっている時だから、会ってもぶち壊しになるから、やめておけと止めたんでしょうね。
で、この反作用工作期に貴方が言っているとN氏から言われた重要な言葉があるんです。
それが、何度も話に出している「裕子に人並みの幸福な人生を送らせてやりたい」という貴方の発言でした。
K氏折伏スキップ事件時が42でした。
裕子女史が「もう子供は出来ないかもしれないじゃない」とN氏を通じて伝えてきたのが44ぐらいの時です。
N氏の癌発覚が45の時だったと思う。
上記の貴方の発言を聞かされたのも45の時だと記憶しています。
偽装査問事件も45の終わりころの事でした。
この流れを見ると、娘の裕子女史は既に健康的な出産限界年齢を過ぎて、ようやく自分が子供を持てないのだと気づき始めていた事になる。
貴方は、K氏折伏スキップ事件の後に、なんとか裕子女史から私を引き離して娘を人並みの幸福へ導いてゆこうと動いていたのではなかったか?
来北させるつもりなら、ただ、娘に私と会えと勧めるか、話かけさせろと勧めるか、もしくは貴方が私と話をするだけで済むことなんで、私を貶める偽装査問事件とか、混乱を生じさせる興信所依頼のすすめ事件をわざわざ起こしたのは裕子女史に別な道を歩ませようとしていた事になるからです。
まあ、私みたいな輩はどうしても気に食わんという感じで、K氏折伏スキップ事件も起きたと思うんで、その後も同じ流れで切り離し工作が続いてゆくのも当たり前と言えば当たり前ですね。
しかし、父親として娘に対する義務と責任を果たす為には、気に入らん私を貶めて、切り離しただけでは足りないと思いませんか?
最近、コンビニのレジ待ちしている時に前に並んでいる小学生2人組が、なんか田中角栄の話をしているんですが、何者なのか全くわかっておらず、格闘家のおっさんだろうという事でまとまっていたのを見ました。
今の20代ぐらいから、もう田中角栄を知らないんですね。
私の世代なんかだと、小学生時分は田中角栄の物まねをする事がまだありましたから隔世の感を禁じ得ない。
今でもYouTubeで田中角栄を検索すれば必ず出てくるだろう、名シーンを真似してたのを憶えています。
たしか「あの田中角栄の日本列島改造論なんてダメだ! …… ダメだダメだと言うな! それよりいい案を出しなさい!」
あと続けて「まー、そのー」というのをだみ声で真似するんですね。
とくに「ダメだダメだと言うな! それよりいい案を出しなさい!」というフレーズを強く記憶していますね。
角栄のこの演説をそのまま貴方に聴かせてあげたいですね。
私がダメだと思って貶め切り離し工作をするのは流れとしてK氏折伏スキップ事件を起こしているくらいなんでおかしくはない。
裕子女史の年齢とかを全く考えてはいない暴挙だと思いますが、当の本人がようやく自分が出産限界を超えた事に気づいていたぐらいなんで、親とはいえ、同じ血が流れている父親の貴方も、その辺なにも考えていなかったのではないでしょうか?
前編に書いたとおりに、自分の置かれた境遇を正確に認識できないタイプなんだと思います。
父親として、私だけはダメだダメだという心理は、世の父親の半分ぐらいが持つ可能性がありそうですしね……。
(まあ、45の未婚の娘の事となると話は別で、逆にぜひにもという買い手市場に普通は変化するはずなんですが…。)
当時の貴方に指摘したい失敗は「それよりいい案を出しなさい!」という風に対案を出さないのに私を否定していったことです。
私を否定して切り離し工作をするのは、33歳までの娘を持つ父親の行動としては間違いでは無いと思います。
しかし、上記の工作が行われたのは裕子女史が45の時の話です。
一般に45から内向的な女性が自分で結婚相手を見つけて来たり、丁度良い歳の男性から求婚されるという可能性は著しく低いと言えるのではないでしょうか?
裕子女史の性格を考えると、新たに自分で相手を見つけてくるような外向性は当時、間違いなく無かったという事には貴方も同意すると思います。
(今もですが…。)
既に貴方の斡旋で同志医師に嫁ぐのか、来北してうちへ嫁ぐかの2択しかない状態だったんです。
貴方が娘を人並みの幸福へ導くには、どちらかを選んで後押しするしかなかったのだと思いますよ。
K氏折伏スキップ事件とN氏老人長就任事件、偽装査問事件、興信所依頼のすすめ事件で私を遠ざけようとしたのですから、おのずと残された同志医師に嫁がす工作を選んだ事になるでしょう。
それなのに、貴方は裕子女史に相手を見つけてこなかった。
これは、見つけられなかったという事でないのは、各種著名人来訪工作を実現させた実績でもって証明されると思います。
T氏一行という、組織内の高位役職陣を動員出来ていたのだから、神奈川県内の妻に先立たれた独り身の天才内部外科医を探し出す事など朝飯前の事。
さらには組織内での会員同士が組織の仲介で結婚するケースの数の多さを考えれば、体裁を損なうということも無い。
貴方はなぜ、同志医師を裕子女史に会わせなかったのか?
裕子女史が私がいいと言っていたからなんですね。
こう書くと、余程好かれて好き好き大好き状態でいるように思ってしまいますが、前編に記したとおりに、私が一番、同級生同志勢の関心を集める効果があると言うだけなんですね……。
普通の愛情であるのなら、35年も会わずに距離を詰めずにいるなんてことありえませんよね。
私は、裕子女史にとっては会わずに35年も難癖をつけ続けて、周りから拍手喝さいを得られるという、最高に都合の良い男なんです。
が、実態はそんな感じでも、貴方が父親として取るべき責任を果たさなかった事を肯定できるものではありません。
貴方は自分の娘に人並みの幸福な人生を望んでおきながら、与えられた2つの選択肢のどちらも放棄してしまった。
裕子女史が同志医師を拒否するのであれば、私の所に来るしかないのだから偽装査問事件や興信所捜索依頼事件のような、マイナス工作を即座に破棄しなくてはならなかったんです。
私を否定するのであれば、強制的に裕子女史を同志医師の元へ嫁がせなければならなかったんです。
途中で、私でも良いと考えを変えたのなら、貶め工作を全て中止してすぐに裕子女史と私を会わせなければならなかったんです。
貴方はN氏の闘病期から死に至るまでの期間に於いて、過ちを犯して悲惨な境遇に娘と相手の私を追いやり、娘の為にいろいろ尽力してくれた同志の葬儀に際して不義をはたらいて終わっている。
この発信は勉氏への書簡と題して書いているんで、貴方の犯した過ちを指弾するような内容になってしまっていますが、前に書いたとおりに、過失割合で言えば私が65%、貴方が残りの35%の責任があると思っています。
私の指摘を読んでいると、K氏折伏スキップ事件が決定的に裕子女史に致命的で回復不能な転落をもたらしていて、その後の偽装査問事件や興信所捜索依頼事件期の私への失墜切り離し工作で、残り少ない人並みの幸福な人生を送るチャンスをほぼ失っている事に気づくと思います。
実際、貴方の失敗が今の悲惨な境遇を招いた事は事実だと思います。
では、何故に私の過失割合の方が多いのか?
貴方は私よりも守るべき人、家族が多いからなんですね。
妻子3人に加えて、孫娘と姉旦那氏で5人。
貴方と母氏に兄弟がいるのか知りません。
貴方はおそらくは親類の中でも出世頭になると思います。
いろいろ相談を持ち込まれていたりしていたのではないでしょうか?
次々に現れる案件全部に、満足行く結果を出せる人間なんていませんよね。
裕子女史は次女ではあるが、家族の誰に起こった問題を優先して対処してゆくかと序列を作るわけにもいかないだろうし、起きた順に手を打って行ったのではないでしょうか?
特に貴方にとっての私などは、間に裕子女史がいるから関係があるだけなんで主戦場ではなく、外周の僻地の紛争みたいな感じで捉えていると思うんです。
N氏の葬儀などと苦情申し立てた所で、貴方にとっては親族の葬儀や組織や仕事上の葬儀も複数ある中の一つの案件でしかない。
この辺を、きちんと認識しておかないと身勝手な難癖をつけているだけに終ってしまう。
代わって私はと言えば、守るべき家族は仮想配偶者の嗜虐メンヘラを除けば、2人に過ぎないし、しかも私の働きで養っているという事も全く無い。
私の働きで守っているという事も全くない。
逆に貴方の威光に守られている事の方が多いのではないでしょうか。
知らんけど。
多面的にとらえる必要があって、ある面で見ると65対35だが、上記のような側面がある事を考慮に入れれば100対0で全部、私が悪いと言ってもいいと見れる事もある。
さらには、姉夫妻とよもぎ嬢という一家和楽と成功を実現させた家族が身内にいる事で、私などの転落を極めた場所から、何を指弾したところで、無意味な事になる。
貴方でなくとも、誰であれ聞く耳持たないでしょうね。
どんな物事にも、成否、勝ち負けはつきものです。
ただし、完全無欠の勝利というのも無い。
勝利という日の当たる部分の裏には、必ず影があるもんです。
貴方にとって姉夫婦の人生が日の当たる部分で、裕子女史がその影みたいな感じですかね…。
しかし、世間の家庭では兄弟の片方が影となりもう片方が日を浴びる為に生きるというような面倒くさい事は行われてませんよね。
2人兄弟なら2人とも人並みの幸福を掴む努力をして、なんとなく日の当たる幸福を手にしているのが大半ではないでしょうか?
それは影の部分の負担を親が自ら背負って、子供には日の当たる場所へ行かせようとするからだと思うんです。
儒家と法家の対立みたいなものとは違いますが、親の立場での人生の成功を定義するとして、兄弟の子供の片方を犠牲にして、もう片方を生かし日を浴びさせるという方法で親が自分の人生を成功者、勝ち組だとするのは冷たすぎる。
そんなにメンツや体裁ばかりに囚われるほどの地位にいるのでしょうか?
貴方は引退しても、以前の立場での体裁の幻想を見続けているように思うんです。
貴方の存命中に貴方が自分の中で体面を守れたと思っていても、このままでいると貴方が旅立った後に残されるのは、年老いても未だに独身で、私に嫌がらせを続けている裕子女史の醜態なんです。
周りの同志達は次女が老醜やさぐれているのを見て、貴方を想いかえす時に肯定的に捉えてくれるのでしょうか?
良く思う人はいないでしょうね。
裕子女史を今、人並みの幸福への道へ立たせてやらないと、後で貴方の体面も崩壊するという事です。
親子は死ぬまで、やはり親子のままだと思います。
親はいつまでも親でいて、子が60過ぎても親から見たら愛しい我が子。
貴方がどのような家庭環境に育ったかは分かりません。
いろいろあるのかもしれませんが、普通の関係であったなら、貴方の父母も貴方の為に犠牲になる事を厭わなかったと思います。
全てを失う可能性があろうとも情で判断を左右し、情動的な方が悔いの残らない生き方と言えるのではないでしょうか?
幼少期の裕子女史との思い出を考えてみて下さい。
今は孫のよもぎ嬢もいて、守るものも増えてしまってはいるでしょう。
しかし、よもぎ嬢には姉夫妻という両親がいて旦那側の祖父母もいます。
裕子女史には貴方と母氏の二人しかいないんですよ。
私が貴方に求めているのは、会って話をして欲しいという事だけです。
○○波等の加害機器の全廃や商業支援についても書いていますが、それは前述の通りなんで前編後編を読み返してください。
端的に言えば来北の障害を除くために訴えているものです。
前述している通りに加害機器で危害を加えられ続けていると、裕子女史自身が報復を恐れて萎縮してしまい。 逃げ口上の捏造に走って来た経緯があるからです。
商業支援はこれも私の仕事の低迷を逃げ口上として来た過去があるから、ある程度の業績を維持していなくてはならないんです。
ここまで書いて、次の日、壮大な反作用工作が行われた模様をTwitter発信でご覧ください。
今日は出かける時に当地安価勢が7、8人待っているという未だかつて無い多重嫌がらせシフトを組まれていた。 まあ、やられるとは思っていたが、今まで2人だぞ…。 15年間最悪の日よりも悪い。 今日が史上最悪になりそうですよ。 安価勢多数配置を見ると貴方一家から、制裁指令が出ているのでしょう?
それやっているから、話しが先に進まないんですよ。 それにしても、安価勢のうれしそうな事といったら…
基本、貴方からの指示が出ていると考えています。 そういう権限を維持しているのでしょうが、先の事考えて一段高い所から計画的に行動していただきたい。 ここで大ダメージ受けると発信妨害してるのと同じことになります。 時間が無いのだから、同じ目線でいないで下さい。
史上最悪の超損害確定した…。 これどう始末つけんだよ。 まあ、勉書発信か対抗勢力への言及に対する制裁なんだろうが、勉書に関しては公平な正論しか述べていないでしょう。 対抗勢力については、貴方一家は10年前の昔から、マッチポンプ式に私を貶める為に、なんかしら関係がある的な事を吹聴してる
のは薄々分かっています。 実際はバイト仲間に1人いたのとH市で政治的な抗議を受けた時に助けてもらっただけで、全然関係ないの知ってんでしょう。 裕子女史が私と会うのを恐れて難癖つけて貶めにかかってくるのと同じ事。 その茶番劇をやめてくれないと、だから話しが進まないんですよ
貴方、今、裕子女史を 見に行って下さい。 安価勢のあの高揚感と幸せそうな顔を見て、裕子女史も興奮してるのを見る事になるはず。 35年間、何のために、私を相手にして来たか一目瞭然となるでしょう。 彼女は私をダシにして周りの注目を集めたいだけなのが丸わかりになります。
しかし、今日は機材の点検が来て、契約の更新をしないよう勧められて継続しなかったんですが、あれも仕込みか? 一日で4人しか来なかったぞ…。 廃業強制が始まっているんだろうな… 貴女、おそらく廃業のここで自滅確定させる事になるだろう。 自分でやった事だから人のせいにしないでくださいね
15年間どころか、20代後半からだから、25年間最悪の超損害になりますよ。 裕子女史は、気が弱い女なんで、20年間最悪はやれないだろうから、貴方の仕業で間違いない。 35年も続いたわけわからん話しが遂に終わる時が来ている感じがします。 まあ良くない方で決着するんでしょうね… そんなに私と会うの嫌なんですかね?
2023
1FRI6C1
1SAT7B1
1SUN8B2
1THU12D5
1FRI13B1
1SAT14C5
1SUN15C5
1THU19C1
1FRI20B1
1SAT21C5
1SUN22A2
1THU26D4
1SAT28B1
1SUN29C4
2THU2B2
2FRI3A1
2SAT4C3
2SUN5B2
2WED8C4
2THU9D1
史上最悪の巨額損失を与えられて、帰宅するなり、また内破系最強照射されて発信妨害されている。 貴女、完全に狂ったか? 早まるなよ。 言っても聞かないんだろうけども
続けて眠り系で4時まで眠らされました……。 帰り道に片目ライトと安価カーが現地で待機させられていたから、やはり貴方の仕業で間違いないでしょう。 昨日、H氏が地区報を投函して帰っていて、御書講義をネットで見ろと走り書きしてありました。
まあ、貴方批判に対して御書を引いて正したい貴方の差し金で来たんだと思います。 で、交通費、光熱費、廃棄損害と合せて1万ぐらいは支払って帰ってくるという、史上最大の超赤字を食らいました。
まず御書を引用して反駁したいのなら、貴方が私に直接するべきですね。 貴方の世代が対話から逃げてしまうと、下の世代はそれを見て同じように逃げてしまう。 宗教の原点は識者からの悩める人へのアドバイスみたいなものでしょう。 貴方は私と会えないと遠回しに、伝えているのでしょうか? すぐに
裕子女史に同志医師を引き合わせて下さい。 K氏折伏スキップ事件にしても、その後の誹謗失墜工作にしても、父親としてやってしまう気持ちはなんとなくわかるんです。 ただ何を批判しているかと言えば、代わりの相手を用意しないで、貶め工作だけで終わらせてしまう貴方の不手際について批判しています
で、このレベルの損害を受け続けるとすぐに廃業を決定します。 裕子女史に乗せられているのでしょうが、これはいつものマッチポンプ技なのなんでわからないんですか? K氏折伏スキップ事件時に○○波と低迷工作で仕事を回らなくして、それをあげつらって来北出来ないと主張し始めたのと同じ行動。
裕子女史的には、廃業期の混乱と新たな仕事を始めるまでの時間を来北から逃げられるという狂った思考でいる事でしょうね……。 しかし、ことごとくヘタ打ちますね……。
こんなん俺の手にはおえんやろ
さらに次の日に大雪休業して時間があったにも関わらず嫌がらせで昏倒させられほぼ何もできなかった悲嘆の声をTwitter発信でご覧ください。
しかし、まだ最強内破系照射されているのは貴女、心を病んでいるよな……。 逆に最強内破系照射されて、なにか作業が出来るか考えてみろよ。 冗談抜きで間違いなく死ぬまで○○○○●するだろうな貴女は……。 と腐っていても始まらないんで、発信を続けようとしてんだから全員撤収させろやメンヘラ!
とりあえず、また複数方面作戦を強いられる展開になってきました。 このまま超損害続けられる可能性が高いんで、廃業も視野に入れて動いてゆかないといけなくなりましたね…。 まあ、明日大体、勉氏が貴女に乗せられたかどうか判明するだろう。 一年も前の業者をどかさなかった理由がついに明かされる
ここにきて、またK氏折伏スキップ事件と同じ轍を踏むことになるのだが、そういう性分なんだろうから文句言っても仕方がない。 ここにきて、普通はいきなり梯子を外さないでしょうに……。 前例があるから、信用できないのをさらに助長するとは…。 それをやらかすのが貴女一家なんですよね。
貴方はまたK氏折伏スキップ事件時と同じように梯子を外した事になっているの分っているのですか? 今度は契約更新前に梯子を外しにかかっているから、いいつもりなのか?どうかは分かりませんが、全部、私が裕子女史と話して直接話し合えばいいだけか、貴方が同志医師を会わせてそこへ嫁がせればいいだ
けでしょうに。 仄めかしで伝達する貴女一家の異常性にはついてゆけない所があります。 まあ、色んな到達点を想定して動いてゆくしかなくなったんですが、勉書も真面目に書く意義が薄れてきてしまったのではないでしょうか? どう見ても大詰めに差し掛かっている所へ20年で最大の損害を与えて来るに
も意味があるでしょう。 貴方、K氏折伏スキップ事件を深く考えていないでしょうが、あそこで裕子女史の人生的にとどめを刺されたと誰もが見ていますよ。 あの時点で梯子を外しをするんだから、今の状態なんか序の口初級編みたいな感じで、表情一つ変えずに梯子を蹴倒してくるとしか思えない。
しかし、心の底から思うのは、なんで相手と話をするという人間として最低限の能力が貴女には無いんですかね…。 貴女、このまま末期を迎えると号泣するくらいの後悔に襲われるはずですよ。 勇気を出さないと。 貴方にも疑問を持つんですよ。 もう10年間内側から組織を見ていますが、うまく立ち回って
公布にも貢献するが、自分も受益している同志が一番幸福を手にしているので間違いありません。 貴方もいつまでも、下らんどこの風習だか分からない仄めかしで何かを伝えようとして時間を失うようなマネはやめていただきたい。 御書を引用するなり、なんなり相手を諭す事は出来ないんですか?
N氏とかH氏とかは、よく御書引用の話をしてましたよ。 内部の企業家の成功例を10も20も知ってんだから、貴方が私に直接話をして何かを伝えても失効する機会は無いと判断しています。 ただ裕子女史がコミュ障だから、それと親子で似た所があるだけだとしか思えません。 どんな風評でもって
私に警戒心を持っているのか分かりませんが、それが若い時のやらかしが原因なら、私はもう50なんだから、若い時とは別な人格として考えてください。 裕子女史が重篤な心の病なんだから、貴方がしっかりしてくれないと話が先に進まないでしょうに。
ここまで来て、また反作用工作が始められ、勉氏がK氏折伏スキップ事件時と同じ過ちを犯しているのを見て泣きが入っていますね……。
だが、35年関わっていると分かるんですが、貴方が同志医師を連れて来ても、そこに嫁ぎはしないでしょうね。
私を死ぬまで〇○○○○〇するでしょうね。
伏字は貴方一家と裕子女史の来北を前提に関わる事に決めた時に、いくつか絶対、公には口には出さないと決めた言葉の一つです。
外にもいろいろ禁句を決めたんですが、全部、裕子女史が傷つくだろうと思って生涯、口にはしないと誓いを立てています。
これは私が裕子女史と完全に離れて生きて行く事になっても続くものです。
関係ないとなっても、35年はいろいろあったから、そこで誓いを翻すようなマネも出来ないでしょう。
私、この辺は、全般にいかれていそうでいて、まともなんですね。
で、貴方が同志医師と引き合わせてもそこへは嫁がないでしょうね。
私は知りませんが、実は貴方は裕子女史に何度か見合いをさせていたんじゃないですかね?
K氏折伏スキップ事件は裏でそういう動きがあったからだとしか思えないからです。
貴方がいかに現役時代に力を持っていたとしても、あれだけ何人もの同志達の協力を得て実現へ邁進していたK氏折伏を成功させたのに、そこから貶め工作へ移ると、流石に協力していた同志勢から恨まれたりするでしょう。
そういった周りの目もあるし、何も次の手を打たなかったというのは考えにくい。(それに対してのN氏の壮年長昇進だったのでしょうが。)
貴方は現実世界を生き抜いてきたから無為無策という事は無かったでしょう。
で、裕子女史はそれを蹴り続けて今がある。
同志医師の所へ行ってくれれば貴方も一番いいのでしょうが、断り続けて50過ぎてしまっている現状を見れば行かないのは明らかなのではないでしょうか?
当時も一度断ったのなら、その時に本心を察してやるべきだった。
それでいて今でも私の所へ来る気も無いんです。
ひと手間かけてやらないと動けなくなっているんですよ。
裕子女史的には一番快感を得られるのは、私の非をあげつらって、だから自分はあいつと会う事もできないのよと喧伝し、周りの同級生同志と取り巻き達から注目と同情を得られている状況なんです。
しかし、その茶番劇マッチポンプ技が通じたものK氏折伏スキップ事件時の42まで事で、残念ながら、その後は冷ややかに裏で愚かだと蔑まれていたでしょうね……。
普通の社会で働いている40代の人間がその程度の茶番を見抜けないわけが無いからです。
それじゃあ裕子女史が断るんだから、だれの責任でもなく裕子女史自身の落ち度じゃないかと言われるでしょう。
それが違うんですね、前述している裕子女史の本音本心である「誰か何も言わないでも仲を取り持ってほしい」という想いを汲み取ってあげなければいけなかったんですよ。
メンヘラの本音など分かるかボケ!と言いそうですが、当時42とはいえ、内容は30ぐらいの発達不全の裕子女史の事なんで、思春期の女性と同じ括りで考えてみるべきだったと思うんです。
一番わかっていただろう母氏と姉氏が貴方に助言できなかったのは、貴方が強い父権、家父長制を強いていたからだと思います。
母と姉の真摯な助言を封殺してしまった。
裕子女史は貴方の娘を想う慈愛の心を信じていたが、達成されなかった。
家族の忠告を封じていながら、裕子女史の本音を見抜けなかった貴方に非があるんです。
私が貴方に求めているのは、会って話をして欲しいという事だけです。
○○波等の加害機器の全廃や商業支援についても書いていますが、それは前述の通りなんで前編後編を読み返してください。
端的に言えば来北の障害を除くために訴えているものです。
前述している通りに加害機器で危害を加えられ続けていると、裕子女史自身が報復を恐れて萎縮してしまい、逃げ口上の捏造に走って来た経緯があるからです。
商業支援は、これも私の仕事の低迷を逃げ口上として来た過去があるから、ある程度の業績を維持していなくてはならないんです。
これを書いて次の日から第2次反作用工作が始まっているのが分かるんですが、そこまでして私と会いたくないんですかね……。
勉氏へのこの書簡も1年かけて書いているし、物凄い超難事業に挑んでいるかのように見えますね。
しかし、実態は恐ろしく高い山へ挑んで、頂上に旗でも立てて来いと言うようなことでもなく、絶海の孤島に裕子女史のメンヘラの特効薬を取りに行けという荒行でもありませんよね。
残念ながら、このひと手間が無いと裕子女史と会う事は叶わないと分かっているんで、私と会って話をしてくださいというだけの事なんです。
相手と話をするのって、全然難しい事なんかじゃありませんよね?
逆に貴方の立場になって考えてみたら、話をする事、面と向かって立つ事すら逃げる心理が理解できるかと思って、何度か考えて見たことがありました。
が、基本理解できない。
自分の娘が嫁(い)き損ねて50過ぎているのに、35年間事実上追い続けている相手と話もしないという行動が理解できないんです。
35年も関わっているのなら、もう話してもいいでしょ?
普通はそう考えると思います。
けれどもこれは、私しか相手がいない場合の話。
で、貴方が内部でも高位にいる同志や同志医師を見合い相手として紹介できる立場にあると仮定したらどうか?
前述の通り、T氏一行や若手幹部勢を動員できるという事は、彼らは全国幹部だから、それより狭域の神奈川県内組織の高位役職者を連れて来る事も可能でしょう。
そういう視座に居て私を見ると確かに同志医師や高位役職者の方が何もかも優れて見えてしまい。
見劣りする私はどうしても避けなくてはいけない相手として認識してしまう。
貴方が35年も私と話をしなかった理由の半分はこれだと思いますよ。
しかし、貴方のこの逃げ口上に裕子女史の年齢という要素を加味してゆくとどうでしょうか?
K氏折伏スキップ事件時の42で考えて下さい。
一般的な常識で考えると、もう遅すぎる春みたいな超買い手市場で裕子女史が、えり好みしている場合ではない状況で間違いない。
けれども貴方の威光で内部同志勢という売り込みで何とでもなる嫁ぎ先が山ほどあった。
この時点では、まだ1年ほどの短い時間ですが、出産も運が良ければ可能だし、内部見合い相手を説き伏せて嫁がせることも難しくはない。
しかし、裕子女史が内部見合いを全部蹴っていたでしょう?
だから今があるのだと思います。
今、50ですが、42の時とは事態が一変している事にお気づきでしょうか?
出産も現実的には不可能となり、まず内部見合いでも相手方から敬遠されてしまう場合があると思います。
同志医師や高位役職者であればあるほどその傾向が強くなるはず。
跡取りで墓守が途絶えてしまうのを避ける、当然の選択ですよね。
この境遇に至るまで、裕子女史の本音を汲み上げずに、私と話もせずに第一次反作用工作に及び、離間させておきながら、同志勢の元へ強引に嫁がせもしなかったのは完全な失態と言えませんか?
何故話が出来ないかに戻りますが、貴方は未だにそれなりの同志勢へ裕子女史を嫁がせる構想を持っているのではないでしょうか?
そう考えると第一次反作用工作期とK氏の他界後にも、一切、接触してこなかった謎が解けるような気がしています。
貴方がそういう心を持っていると、この勉書発信を書き終えても会いには来てくれないでしょう。
すぐに挑戦してみて下さい。
妻に先立たれた子持ちの同志医師や高位役職者を探して来て何度も見合いでもさせてみて下さい。
まんざらでもないというような感じだったら強く後押しして見ればいいと思いますよ。
もしかしたら、すんなり結婚して、案外人並み以上に幸福になるやもしれませんよ。
あとは裕子女史が断る場合もあるというか、十中八九は断るでしょう。
が、これも本音を見極めてホントに断りたいのか精査しなくてはなりませんね。
よく母氏と姉氏を呼んで3人で話し合うべきでしょう。
女性なら裕子女史の本音を見極める事が出来るはず。
2人がダメだと言ったらダメだし、押せば嫁ぐと判断したら強引に嫁がせたほうがいい。
やってダメなら、もう選択肢が私しかないのだから、私に会いに来てください。
いつまでも選択肢がいくつもあると想定していると貴方は動かないだろうから。 すぐに内部で相手を探して見て下さい。
今日、また前述のような倫理規範を逸脱した工作が行われたんです。
なんか心苦しいから詳しくは書きません。
前述部を読んでそれに類似した工作だと思って下さい。
子供を動員しているんですが、まあ裕子女史単独の企画ではないと見ています。貴方も関わっているのではないでしょうか?
この手の工作はやはり私が嫁ぎ先の第一位だからこそ行われると思います。
今日の工作は障害のある子どもを寄越しているんです。
先週もダウン症の子供が一人で買いに来ましたね。
この手の工作を仕組んでくるのは、N氏が亡くなって中継する人がいなくなってからだったと記憶しています。 4年ぐらい前からなんですね。
おそらくはというか間違いなく、裕子女史が障害のある子どもが生まれる事への危惧を知らせようとしているんです。
裕子女史がその手の話を貴方へして、貴方も工作の企画に加わっていると思います。
そんなもん話して言葉で伝えろや!と言うのは普通の世界の話で、貴方一家には貴方一家独特の文化がある事は35年関わっている私にしか分からない問題なんでしょう。
自分の立たされている境遇を理解できていないと思います。
さらには、人に対する愛に欠けている。
ましてや同志の子でしょう。
その辺も35年前から警戒されていたんでしょうが、私は完全な別文化圏の家庭に育っているんで、全く貴方一家のやり口に人間愛みたいなものを感じないんですよね。
どうしてそういう事が出来るのか理解できない。
仕方ないから相容れない文化を持つ家族であるが、縁が有るから合わせて行くしかないだろうという風に受容しています。
貴方と貴女に障害を持って生まれていても愛しい我が子がいたとして、そういう工作に動員されたら、どういう気持ちになるか考えて見たことありますか?
この話での裕子女史批判はこれでやめときますが、いい加減にしといたほうがいいですよ。
批判は終えますが、関連の話は続きます。
この工作が今現在も続いているという事は、まだ裕子女史的に出産をする気でいるという事に見えますが、実はそうでもないんですね。
まあ、50以上で出産というニュースをネットで見たことありますが、インドの65歳が突如出産とか、米歌手が55歳で衝撃出産とかよく見ますよね。
ああいうニュースって、その後、生まれた子供の情報が一切上がってこないのは、やはりいい事にはならなかったという意味なんだと思います。
その辺は裕子女史もよく理解しているんです。
内破系照射とTwitter発信でよく書いている○○波の波長があります。
下腹部、特に生殖器に激痛を与える波長なんです。
この○○波の照射加害には被害者世界で諸説飛び交っていて、○○波の波長には、体の各部位に影響を与える強さがあり、例えば出力2が頭通で、4は関節痛、7は腹痛と言うようにそれぞれ一つの機材で対応させることが出来る説と、それぞれの部位ごとに何とか線とか○○波とか機材を別に使っている説もあったりいろいろ言われています。
私は一つの機材で出力調整して各部位に合わせている説で述べて行きます。
内破系照射を一番初めに体験したのは8年前ぐらいでした。
普通の頭痛を催す波長を当時使われていたんですが、2回ぐらい20分ほど試験的に内破系の照射をされた事が有ったんです。
当時は、あまりの激痛にこれやられると生殖機能を破壊されるんじゃないかと思い、痛がっていると悟られるとさらにやられる恐れがあるんで発信もしないし表に出さないようにしていました。
そういう対策もしていた事もあってか、普通の頭痛誘発○○波しか使われなかったんです。
もう一つ、普通の○○波しか使われなかった理由があったと思います。
裕子女史的にもまだ出産の希望があったんで私の生殖機能にダメージを与えるのを避けていたんですね。
今現在は毎日、内破系照射9割に頭痛誘発系1ぐらいの割合で○○波の被害に遭っているんで、隠す必要もなく公開しています。
内破系照射が生殖機能を破壊すると上記しましたが、ホントにそういうものなんです。
私の運がよほど強力でかわしてくれていないと既に破壊されているんでしょうね……。
こういう業の深い事すると物凄い危険なのにね……。
で、この内破系照射主体の加害が始まったのが、N氏が亡くなって間もなくだったと記憶しています。
45ぐらいの時ですかね。
ある日を境に内破系に切り替わりました。
裕子女史の心の中である変化があったのだと思っています。
自分の出産をあきらめた瞬間があったのだと思います。
そして、相手の私の生殖機能を維持する必要が無くなり、工作人員へ内破系照射への切り替えを指示した。
まあ、残虐性とか倫理的なものとかいろいろ指弾するべきでしょうが、前述のとおりに別文化圏を構成している人なんで、なんとも思っていないのだと思います。
裕子女史は幼い時から、その教育を受けてきているんで、真面目な話、なんの悪気も無くやらかしているんです。
この辺について、彼女を悪く思わないようにしてますよ、前編後編に書いている通りに貴方の軛の元でコントロールされていて彼女自身の意思ではないと考えているからです。
本章冒頭部に戻ります。
なぜ自分の出産もあきらめて私の生殖機能へもダメージを与えておきながら、障害児の出産への危惧を工作で伝えようとするのか?
これも実はいつもの逃げ口上に過ぎないんです。
周りへ向けて、障害児出産への危惧を来北への逃げ口上として打ちだしているだけなんです。
この工作はおとついの2023年の2月12日の話です……。
50面下げて、いまだにこんな事やっているんですね。
こういう事は貴方からは人間的に似すぎていて、灯台下暗し的に見えないのだと思いますが、こうして指摘しているのだから、すぐに裕子女史と話合って下さい。
青汁販売の成功とかを並行してやって行けば、今の科学技術を持ってすれば金かければなんかの方法をあるかもしれないし、私はトラックと巨トレーラーに轢かれて生きてまっすぐ歩ける状態でいるし、人運も普通じゃないでしょう、強運の男なんで奇跡も起きるかもしれませんよ。
つい先日、鉢植えの花をいただいたんで、ずいぶん派手に咲くもんだなと感心して眺めた次の日が休みなんで日の当たる場所に移して、あまり水をやってはいけない花だとの事でほんの少しの水をやって帰宅しました。
な、なんか、か、枯れちゃってんじゃん……。
休み明けに日の当たる場所へ行くと、ピンピン立っていた花の茎がドロンとざるそば状にしなしなにしなだれてしまっていて枯れかけてしまっていたんです。
これは困ったなと、とりあえず水を沢山やってみたものの全然回復する様子がない。
しかし、もらいもんを3日で枯らすとは…
大体1週間ぐらいは何もしないでも持ちそうなもんを3日で枯らす方が難しいような気がするし…。 どういうことやねんと。
すぐそこの花屋さんで買ったものなので、贈呈主が花を見に来る前に同じ花を買ってすり替えて隠蔽するかと思案を巡らしていました。
そうしているうちに謎の老人が訪れ新聞紙で巻いて支えを作ってやると回復すると教えてくれたんで、その通りにすると元通りになり、事なきを得ました。
願兼於業の法理と言うのを組織の冊子で読んだことがあります。
障害とかを持って生まれてくる子には、重要な使命がある的な記述で説明されていました。
病気になる人はその痛みに耐えられるから、その病気が与えられるという話を昔聞いたことがあります。
障害を持った子も使命を果たすのを支えられる能力を持った両親の元へ、生まれてくる気がするんです。
最近、餌いらず、水の交換不要な、ほぼ不死身のポロポロエビと言うのを飼い始めたり、鉢植えをもらったりしていますが、私のような泥ガメの元には障害を持つ子供の方で拒否してやってこない気がしますよ。
子供は普通に考えると出来ないでしょう。
が、来たら来たで、幸せに生きられるように一生懸命努力すればいいんじゃないでしょうか。
深く考える必要ないでしょう。
運命ってそういうもんで、避けようとして避けられるものでも無い。
気負わず、波に乗るように流されていいのではないでしょうか。
とにかく早ければ早いほど有利になるのは貴方も同意するはずです。
もう書き終えるのを待っている的な逃げ口上を言っていると親子そろって逃走癖で醜態を晒している事になりませんか?
すぐに会いに来ていただけることを信じています。
上記部を発信の2023年2月14日の次の日15日に、ここまで来てまだ休業させられています。
貴方、ここまで娘を転落させて、まだその先まで蹴落とすつもりですか?
加害で優位に立っているという体でいられるのも35くらいまでのものです。
50で私に危害を加えて損害を与えている様は周りから見たら、恥の上塗りに過ぎないのではないでしょうか?
冷静になって御自分と裕子女史の置かれた立場を見つめてください。
周りは貴方と裕子女史を否定的に見ていても、それを口に出したりしませんから、御自分で理解するしかないんです。
休業に至る、Twitter発信をご覧ください。
また性懲りもなく最強内破系照射されて発信妨害されている。 貴女、前からアホだアホだとは思っていたが、ほんとに愚かな女だね… すぐに今いるアホ3人を撤収させて地方栓の超過酷ノルマが飛び交う激戦地へ送り込んでヒィヒィ言わせてやってください。 なんかさっき見たらNOTEメンテ休業するらしいぞ
なんか結石激痛誘発系照射されている。 明日の低迷予想で休業させるつもりだから、すぐに今いるアホ勢を撤収させてください。 この間、結石出たのに、まだあるんだね
しかし、ほんとに結石一つ出たのに……。 いやらしい加害を繰り返すね
結石系を4時までやられてロキソニン飲んだら、今度は内破系最強照射されています。 すぐ責任者を叩き起こして、今いるアホを撤収させてください。 で、明日から地方線支援の超激戦地へ送り込んでください。
もしくは、また貴女が私の怒りの矛先をアホ勢に向けさせる為にやらかし許可を与えただけか? 今日はよほど休業させたいみたいだな
実は一番大きな結石は先日体外に出たんです。 しかし、まだいくつか中くらいのが残っているんでしょうね…。 結石系照射で痛みが起きて、前よりは激痛度が低いがロキソニン飲まないと動けなかった。 で、昨晩から朝にかけて結石系と今まで体験した事のない波動で体を叩くような照射をされて昏倒休業さ
せられました。 今も内破系照射されて発信どころの騒ぎでなくされていますが、貴女いつになったら、自分が他人へ○○波等の加害機器を使ってはいけない立場なのに気づくのかね? 貴女は加害機器を使わなければ、間違いなく今頃、高校3年生の子供を持ち、人並みの幸福を手にしていたでしょう。 貴女は
私に注目を集めさせ、支援する一方で、来北話が浮上し始めたら、加害機器で転落させるというマッチポンプ技が使えたから、人生の階段を上る事から逃げてしまった。 普通の会員はこの加害機器を使用する権利が無いから、戦いながら一段一段人生の階段を上がるしかない。 この加害機器の使用権を与えたの
が貴方なんです。 権利を失わせないと話が先に進まないと勉書発信で伝えたのが半年前。 一向に加害機器の使用をやめる気配がない。 新しい加害機器を使い始めてすらいる。 この辺も貴方の生き方が私にとって全く理解できない部分でもありますよ
これも貴方の失敗の一つで間違いないんで、御自分で責任を取って下さい。
追伸
また共有案件のメールが来ましたが、実家売却や共有案件の解決は1の価値のあるものを1で売却して得ると言うだけのもので何も生み出してはいないんです。
武蔵案件は1ある価値から2を生み出しました。
この価値を増やす工作を受益と言うのだと思います。
価値を生み出す工作しか受益とは呼ばない。
さらに兄弟の所の電気設備が相次いで壊れています。
発信の貴方批判の時期と奇妙に重なっているんで工作と見ていますが、休業と修理費と合わせて、うちにとっては相当のダメージとなる。
これらの事象の全ては貴方が私と会うだけで済む話ではないでしょうか?
時間をかけすぎると、裕子女史を完全に破滅させてしまいますよ。
すぐに加害機器を撤去させて、加害権を裕子女史から奪って下さい。
本章で、既に裕子女史が出産育児をあきらめている事を証明しているんです。
いろいろ障害児出産の危惧工作とか、幼児連れ工作とかは、まだ子供を持つ気でいるという意思を偽装しているだけなんです。
貴方はこの事実を知って、父親としてどう思うのでしょうか?
50でもまだ1%くらいの可能性があるぞと言うのか?
現実的には無理だから、他の養子をとるとか科学技術で試験管の中で子供が出来るような方法を探すべきと勧めるのか?
私も35年間、貴方の行動を見てきているので予想すれば、何も言わずに裕子女史本人の意思で、裕子女史が自分で孤独死街道を進んだという事にして終わらせるのではないでしょうか?
貴方も80年以上生きて同志勢や外部の人達の無数の人生とその帰結を見てきたと思います。
因果応報的に、行いに対する相応の結果が出るから責任とるべきだと月並みの話をしても仕方ないと考えています。
人を何人も殺めているような極悪人だって、極悪なままで、裕福なまま家族に看取られ大往生することだって普通にあるし、超善人で誰からも好かれる良い人が、極貧の孤独の独り身で物凄い痛みの中で死んでゆくことだって現実には有りますよね。
極悪人をやくざの親分として考えると、何人も人を殺した事が有ってもその世界のルールにのっとった上での結果として出来事。
詐欺で年寄りから老後の資金を巻き上げたり、何の罪もない人を殴りつけて脅したりしても、それはその世界の決まりの中での話。
外に対しては無茶苦茶だが、内側の家族や子分に対しては慈愛の心で接していたりして、そういう場合、裕福なまま大往生しちゃったりする気がしますよね?
闇米は食わんと杓子定規を厳密に守る裁判官でいて、(闇米拒否餓死裁判官で検索)物凄くいい人で、誰からも好かれていながらも、全てに公平で、家族も他人も平等に扱う。
外から見たら凄い偉人のようでいて、この場合、家族から見たら愛情に薄い良く分からない人と映る。 家族は飢えてひもじい思いをし続けている。
こういう人は元から家族を作らないか、いても離れて行ってしまったりするのではないでしょうか?
両方、極端な例なんでそんな奴、現実におらんやろという感じですが、もうちょっと中間の職業や立場を想定すると、そういうのあるよねという事例が見つかるかもしれませんね。
まとめると家族だけは大事にして幸せに生きられるように努力するべきだと思います。
60億人、70億人も人間がいればそれぞれ全く違った人生があります。
人一人が関われる人数にも、限りがあるでしょう。
その人の能力でも数が違ってくるし、家族の数でも2人家族と大家族では触れ合う数が何倍にも差が出てくる。
関われる人数を守れる人の数と言い換える事も出来るのではないでしょうか?
そうなると、誰しも守れる人、守らなくてはならない人が見えて来て、自分の立っている場所を認識したりすると思っています。
私がその守るべき人達と規定するのは老母と兄弟。
この二人は親兄弟ですね。
あともう一人いて、貴方の次女裕子女史なんです。
親兄弟は分かるが、勝手にうちのメンヘラを混ぜるなと言われるかもしれませんが、14の時から、蛇のように執念深く追われ続けて35年。
老母と兄弟の二人との関係は50年だが、それに次ぐ長さになってしまっています。
二人は血を分けた家族だが、それ以外の人間で最も長く関わって来た人間なんです。
話した事もよく見たことも無い異常な関係だが、世界は広いんでもっと異常な関係なんかいくらでもある事でしょう。
日本でも60年ぐらい前まで、親の決めた結婚相手の顔を当日まで見たことないなんてざらにあったというし、色んな人生がありますよ。
裕子女史を否定してしまったら、亡父と同じ60で身罷るとしたら私の人生の人とのつながりは何も残らない事になるのではないでしょうか?
(逆に裕子女史の立場からも同じ事が言えると思います。)
簡単に言うと、もう腐れ縁も腐れ縁で今更、別個に離して考えても良い結果を生むとも思えない。
私がこの勉書発信で書き綴っているのは、裕子女史と私にプラスになる事なんですね。
で、この書簡の受取り手である貴方の守るべき人達とは誰なのか?
前述しましたが、この人数が私よりも多いから、裕子転落事件における過失割合が低く見積もられているんです。
具体的に書けば、家族の3人、貴方と母氏の親兄弟と姉氏の家族になると思います。
これも前述した通りで、裕子女史以外の人には支えてくれる存在が貴方と母氏以外にも周りにいるんですね。
裕子女史にも母氏も姉氏もいますが、貴方が家父長の権限で押さえつけてしまっているんで、手を出せなくなっている。
裕子女史を救えるのは貴方と私だけなんです。
とりあえず、貴方の立場では、妻子3人の幸福だけは自分の体裁や身を引き換えにしても守るべきだと思います。
貴方を見ていると、御自分の面子や体裁を保つために行動しているんじゃないかと思える時が多々あるんです。
これは裕子女史が50になるまで独身でいるのに相手を連れて来て強引に嫁がせていない事や、35年間に一度も私と話をしていない事で証明できると思います。
裕子女史がこのまま寂しく死んでゆくと、貴方がいかにメンツを保っていたとご自分で考えていても、周りから見たら、父親として失敗しているとしか見えませんからね。
上記のどちらかを実行するしか道がないのではないでしょうか?
相手を連れて来て強引に嫁がせるか私と会って裕子女史と引き合わせる
私と会って、裕子女史と引き合わせてくれる方で書き進めていきます。
前にも書いてますが、誰か同志医師を探してきてそこに強引に嫁がせても私は貴方を悪くは思いません。
裕子女史が終わりよければ全て良しという感じで幸せになれば、それでいいと思っています。
私の役割はきちんと果たした事になると思うからです。
上記部を書いた次の日、裕子女史的に記述に不満があったのでしょうね。
この地方栓の直前にも関わらず、出かける時に5人以上の安価勢を待機させていましたよ。
業績的にはあそこは元々、あんな感じだから支援はされていたんでしょうね。
が、嫌がらせが多発したんです。
帰宅するなり、最強内破系照射されて昏倒させられました。
裕子女史的に、どの部分が腹の立つ所なのか聞いてみて下さい。
この辺じゃないかと考えています。
・既に裕子女史が出産育児をあきらめている事を証明しているんです。
・14の時から、蛇のように執念深く追われ続けて35年。
・誰か同志医師を探してきてそこに強引に嫁がせても私は貴方を悪くは思い ません。
まあ、裕子女史でなくとも怒るかもしれませんね…。
が、その怒りを相手に伝える方法が裕子女史と貴方一家が普通の世界の人達と違う所なんです。
これは非常に重要な所なんで書いておきます。
内部外部問わず普通、この3点の記述に怒りを覚えたとしたら、どうすると思いますか?
まずは異議を申し立てる、文句を言うんですね。
解決しなければ暴力に訴えたり、訴訟を起こしたりして行く事でしょう。
これは文明社会に暮らす人間である限り、洋の東西を問わず世界中どこでも同じだと思います。
裕子女史の場合は、同志を動員してアンカリング工作を仕組み、不満がある事を仄めかし、壁一枚隔てた上の階の部屋へ来て○○波を照射して、私に激痛を与えて、怒っている事を伝え、記述に対して報復するんです。
どうしてこういう行動に移るのか前に考えてみた事が有りました。
宗教組織のヒエラルキーの傘をかぶせる、前と後での同じ人の行動の違いを比べると分かりやすいと思いました。
普通の会員は普段の仕事中は組織の傘の外に生きているんで、直接会話して外部の上役の指示に従ったり、部下に指示を出したりして普通の世界の人間の行動をしているんです。
しかし、退勤後、仕事の外部世界から外に出ると、行動規範を組織の構成員のものへと書き換えて行動し始める。
今は公務員でも一般の民間会社でも社員が会員である割合が3割に及ぶ所が結構あるそうなんですね。
この仕事の外部世界が、組織の影響が強く色濃い場合は切り替わる転換点が無く、一日中、組織構成員の行動規範で動いている事になる。
裕子女史は公務員ですが、御存じの通り公務員の会員率が高い事はよく知られています。
裕子女史の所属部署はまさにそんな感じなのではないでしょうか。
一日中、組織構成員の行動規範で生きているんです。
よくネットで組織職員幹部が民間の会社員の会員に無茶な指示をすることを指摘する内容の発信を見たりするんですが、これも同じ事で、普通の外部と内部とを切り替えて生きている会員の生活を分からなくなっているんでしょう。
で、貴方も裕子女史と全く同じ組織構成員の行動規範を生きていると分かる行動が散見されますが、これも貴方が現役時代に社員中の会員の割合が非常に多い会社(組織系の会社か会員経営の会社)にいたからなのではないかと思います。
そして、これを裕子女史の異常な仄めかし体質の原因としたい。
しかし、私は内部会員との接触の方が、外部の人よりも圧倒的に多いのは間違いないが、仕事中や外に普通にいる時は普通の人間の行動規範で生きていますよね。
だから、貴方や裕子女史のやり方を見て、上記のように理解はしていますが、私を相手にする場合、私が組織の傘を被っていない時には普通の接触をするべきだと思いますね。
話かければいいだけだろ、アホなんじゃないのかとしか思えないんです。
35年も裕子女史が私の前に立つ事すら出来ないのを肯定するのも、この組織の行動規範のベールに包まれてやんわりと体裁が立つと認識されたからで間違いありません。
組織の行動規範にスポイルされて、弱さを修正できずに破滅の道を歩んでいるんです。
貴女と貴方は異常な事をしているんだから、それを自覚して下さい。
で、普通の世界で通用する行動をしなくては話が先に進まない。
そして前述の通り、周りの同志勢も50で独身の老女とその父親が異常な行動をしているのを見て、肯定的に捉えてなんかいませんよ。
普通の行動を兼ね備えて生きた同級生同志が結婚出産と人並みの幸福を手にしているんだから、貴方一家のやり方は間違いだった事になるのではないですか?
周りもそう思っているが言わないだけです。
この記述に対しても、仄めかしと○○波と報復で返してきそうですが……。
もろに正論を大上段から振り下ろしているつもりですが、聞いてくれないんです、難しい一家でしょ。
上記の次の日、仕事はあの辺はあんなもんだろうという感じで終わりましたが、また店の前にゴミを捨ててゆく嫌がらせと嫌がらせ駐車勢多数が来ていました。
帰宅すれば、速攻内破系照射されて、激痛が走り発信妨害されています。
まあ、いつもの通りということなんです。
で、発信を催促するように、上階からの盗撮内視鏡ワイヤーレンズで内壁を這わせて四方から異音をたてていますね……。
金曜の夜なんで、裕子女史本人がいるか、指示を出しているので間違いありません。
前日の発信と同じく、裕子女史の異常さが良く表れているので書いておきます。
まず、私を相手としているのだから、壁一つ隔てた所に待機していて、私が帰って来るのを待っているのではなく、駐車場の前で昔待っていた時がありましたが、あの時のように見える所で外で待っていて接触をはかってこないと。
貴女、そこで監視スコープかなんか覗いている姿は、周りから見るとアホそのものだぞ……。
独身50女が相手と面と向かって立つことすら出来ずに害基地めいた行為に勤しんでいるなんて……。
このまま、私と対面できず、私が死ぬなり離れて行ったあとで80になり寝たきり状態&孤独死モードにいる貴女は50の今の愚かな行いを涙ながらに悔やむことになりますよ。
上の部屋を持ち主から借り上げて工作部屋とするのではなく、そんな余計な手間暇かける労力を自分の勇気を振り絞るための別なものへ使えよと言いたい。
これが上記の常時組織構成員行動規範を生きる裕子女史の異常行動です。
が、しかし、これを裕子女史の愚かさとしてかたずけてはいけないんです。
こういう行動をしてしまうのは貴方がそれを是認したから、そして、しているからやらかすんです。
私は裕子女史が可哀想だといつも思っていますよ。
貴方、自分の娘の心の叫びが聞こえないんですか?
裕子女史って子供の頃から私に話しかける事ができなかった。
遠くの柱の陰から顔を半分出して覗いているタイプだったんです。
私が話しかけるのをずっと待っているという性格。
歩いているだけで、その歩き姿が蒲田のヤンキー娘の反感を買いしばかれてしまうという、どんな不条理に巻き込まれてんだと言いたい、幸薄さ、運の悪さ。 気の弱さ。
26くらいまで、そんな相手の目が自分を向いてくれるのを待つタイプだった。
そこから、私が手紙を出したり、待ったりし始めるんですが、逆に追われ始めると逃げてしまう。
その後は、人垣の後ろで薄ら笑いをしながら、私へ礫を投げては自分へ目を向けさせようとし続けている。
往年のムード歌謡の歌詞をそのままに
やさしくされると切なくなる
冷たくされると泣きたくなる
この心はざわめくばかりで
追いかけられると逃げたくなる
背を向けられると不安になる
誰より好きなのに
伝えたいことはたったひとつ
ずっと想ってるあなただけを
いつも見てるいちばん近くで
やさしくされると切なくなる
冷たくされると泣きたくなる
誰より好きなのに
彼女は組織の傘から外れて丸裸にしても、公務員だし、真面目な丸眼鏡の地味な女なんで特に生活に変化はないのではないでしょうか?
そういう立場なのになぜ、組織の後援を前面に押し出してくるのか考えたことありますか?
貴方がそれなりの役職に就いていたからですよ。
父親のその威光を利用しようというのではありません。
(今なんか引退してますよね)
信心と組織第一で生きてきた、貴方の気持ちを動かしたいからなんです。
ずっと貴方が力になってくれるのを待ち続けているんです。
で、50になった今も引退した貴方の活動家時代の威光に縋っているかのように振舞っている。
これって、もう貴方が仲立ちしてくれることを待っているとしか思えませんね。
現在はもちろんですが、15の時からの話ですよ。
35年間、貴方が仲介してくれることを待っているんです。
なんでわからないんですか?
3日前ぐらいのTVニュース番組で、70代の老人の運転するプリウスが、走行中、前の車にぶつかったかと思えば、気が動転したのか、すぐさま50mバックして後ろの車にもぶつけている動画を見ました。
かなり前ですが、女児と母親を轢いてしまった90代だったかの元高級官吏も、アクセルとブレーキを間違えた感じで事故を起こしていたと記憶しています。
去年の前職を辞める間際に高速道路で老耄老人の暴走車と遭遇した事が有りました。
物凄い速さで近づいてきてピッタリ後ろにつけて蛇行して煽ってくるんです。
バックミラーでドライバーを見てみると目の焦点の合っていないヨボヨボのおじいちゃんなんです。
完全に高速逆走ボケ老人が、高速を普通に走行しているパターンだなと思い、スピードを上げて振り切って車間を開けました。
そうすると、おじいちゃんの後ろを走っている小型トラック兄さんが横に並んで脇に寄せて止めろ止めろとおじいちゃんに合図を送るんです。
おじいちゃんは完全にボケているらしく、目もくれずに私の後を追ってきます。
おじいちゃんの神風アタックを受けてしまいそうなんでSAに入りました。
そうするとおじいちゃんもついてくるんです。
完全に私を狙っとるがなとボケ老人では入り込めないだろう隘路に逃げ込みました。
おじいちゃんはSAの中をぐるぐる回り始めました。
そうするとさっきのトラックの兄さんもSAに入って来ていて勇敢にも降りて、おじいちゃんの車を止めさせたんです。
話かけに行くとトラックの兄さんも私が前を走っていた車だと分かっていて、警察を呼ぼうという事になり、売店のおばはんにおじいちゃんを引き渡して電話してもらいました。
トラックの兄さんはその場に残り、私は仕事に行きました。
まだ若い20前後の男なのに大した奴がいるもんだ、世の中捨てたもんでもないなと思いましたよ。
本章、冒頭のプリウスミサイルの老人は70代と言っていました。
70代で認知機能が著しく低下してわけわからなくなる事もあるんですね。
と言うよりも、一昔前の70代って今の90代みたいなヨボヨボ老人の扱いでしたよね。
医療技術が向上してなんとなく若く居られるようになったんだと思います。
昨日なんか、元大臣が日本は90代も働ける社会にすべきだ的な事を言ったとか言わないとかいうネットニュースを見ました。
お前が働けボケ!とか、70過ぎたら補助金でゆっくり暮らせるようにしてくれよと、皆憤慨していましたね。
貴方は80過ぎているんで、普通に老人と見て間違いない年齢です。
N氏が他界したのは76の時だったと思います。
最近も共有案件についてのメールが入っているのは前述しました。
ああいう案件については貴方が関わっていると考えています。
裕子女史は何も考えていないでしょうし、能力的に向いていないと思うから。
去年の勉書後編での発信で子供が出来ないだろうから墓守がいなくなってしまうんで樹木葬共同墓地に墓を写そうと考えていると書いた時がありました。 明日は墓参りに行きますと書き添えて。
で、その次の日に墓参りに行ったんですが、そこに墓園の販売会社の社員らしき工作人員がアンカリング工作させられていたんです。
私と家族が墓を掃除しているのをそばの東屋に座って何かメモをしているんです。
それを見て私は思いました。 ああ勉氏が墓の移転の記述を読んで、早くも次の日に手を回して来たんだなと。
おそらくは墓所の位置を把握して、墓仕舞い(墓を撤去すること)を私が申請したら、円滑に進められるようにするということらしい。
次の日ですよ……。 書いてから12時間も経っていない。
情報を得てから工作を行うまでの時間が短すぎるのは言うまでもなく、次の日に墓園販売社員の同志を手配できた事にびっくりしますよね。
準備時間があまりにも短いのは、貴方ではなく工作責任者X氏が仕切っているのかとも考えましたが、一応は娘の関係の案件として扱っているのだろうから、不動産や資産の情報を他人に開示するとも考えられないんで、やはり貴方か、姉氏の旦那さんが不動産関係者で手配できたのだと思っています。
実家案件でも、大手不動産会社社員の同志勢を動員して工作していたし、共有案件にしても墓所仕舞いにしても、不動産関係に関しての動きが手際が良すぎる。
これは貴方が不動産会社に勤めていたからなのではないかと思っています。
さらにこの話は去年の夏の話なんで、とっくに貴方が80歳を迎えて数年たっている時なんです。
80過ぎても、まだ思考も定かで矍鑠としてらっしゃるのがここに見て取れるんですね。
プリウスミサイル化はまだまだ全然無いくらい。
で、墓仕舞い斡旋工作に戻りますが、子供が出来ないだろうから墓仕舞いして共同樹木葬墓園に移そうと考えていると書いたものへの貴方の対応なんです。
実際、最終的にはそうするつもりでいますが、いろいろすべての手を尽くして全部がダメだとなった時に仕方ないから墓仕舞いして移転するという話なんです。
亡父との子供がいて良かったとの会話や、入会前からK氏折伏スキップ事件時まで裕子女史の出産リスクを叫びつつ努力してきた事を綴っている書簡の中の一部の話を取り上げての事ですよね。
御自分の得意分野だからと速攻で工作をしかけているのだとおもいます。
しかし、それをやられた私や家族の心証を想像した事あったのでしょうか?
もう子供は出来ないから、墓所は処分するしかないだろ、業者を紹介してやるよと言っているようなものですよね?
その言葉を聞く人の中に実の娘の裕子女史も混じっているという事ですよ。
いくら転落の原因を全部、私のせいにして押し付けているとはいえ、子供について微塵も未練の無い女性って少ないと思います。
これ普通の社会だと無神経過ぎると糾弾される事案でしょう。
私は、初めから出産リスクに合わせて、N氏を探し出して会ったり、入会をして条件を揃えたり、K氏を折伏したりしてきました。
私の苦労と努力を無にしたのは、事実上、貴方の娘を導く事の力不足と選択の失敗だったのは誰の目にも明らかな事だと思います。
普通の幸福を掴む為、裕子女史に人並みの幸福を掴ませる為にやって来た事を潰しておいて、もう駄目だから墓所を売る方法を教えてやるよと言われている事になります。
どういう思考でそういうことが出来るのか理解できませんが、それは育ってきた文化的背景の違いに過ぎないのだと思います。
それでも、言いたいのは、墓仕舞いの斡旋よりも先に貴方にしか出来ないもっと重要な事が有るとは思いませんか?
一年に渡ってこの勉書発信を続けていますが、文中で○○波や加害機器を撤去して下さいとお願いしています。
これを書いている今も内破系照射されているんですが、一向に廃絶する気配すらありません。
裕子女史が、加害を繰り返す事で自分の中に私から報復を受けるという妄想の恐怖を育て上げ、逃げる事しか出来なくなっている様を解説しています。
さらには安価行為とか、無意味な動員で受益権を消費するのは愚かな事だと指摘もしましたが、ますます安価勢の勢いが増している始末。
今日もスーパーカー安価勢が動員されていたんですが、あれも私が利用されているだけなの分からないんですか?
今の場所は難しい場所なのが分かってきましたが、○○波もそうですが、嫌がらせ多発するほどの利益は無いですよね。
今の利益よりも、生活保護の方が金額が上なぐらいですよ……。
そんな状況なのに、マイナス工作なしで商売をしている同志勢ばかりの中で私だけ当て馬のようにしてマイナス工作を集中させているの分らないんですか?
貴方一家は腐して貶めつつ支援依頼を出していると思いますが、普通に宣伝しないと商売なんかうまくいくわけがない。
それも前に書いています。
貴方、さらなる転落を招いているから、お願いした通りに動いていただかないと、このまま奈落へ真っ逆さまに堕ちて行ってしまいますよ。
上記の次の日、結局いつにも増して、各種○○波を一日中、高出力で照射され続け、休みなんで勉書発信を読み返そうとするも、通信障害工作をされて
(妨害電磁波的なものを、上から照射すると起きるらしい)NOTEを読むことすら出来なくされました。
裕子女史本人もおそらくは19時頃から上に来ていると思います。
彼女は現場人員を顎で使ってやっているというような、優越感を感じたいがために、加害行為を指示してやらせているだけなんで、勉書発信が妨害されようとどうでもいい事がここで分かると思います。
このヤケクソになって自暴自棄でいる心の奥底にある心理を理解しないと、いくら貴方と父娘で話し合っても意味がありません。
必ず、加害を続ける事を主張してくるでしょう?
それが、精神的に異常な主張である事をどうして見抜けないのですか?
貴方の娘が35年間も追い続けていて、何故か○○波や各種嫌がらせ工作を仕掛け続けているが、相手の私は入会したり条件を整えて、いつでも受け入れるから来てくださいと発信を続けていますよね。
この状況に於いて、加害を続ける意味とは何なのでしょうか?
自分が嫁ぐ嫁ぐと言い続けて、普通の感覚では関係を密にして良好にしていかなければならないはずですよね。
なんで加害を続けて、関係を悪化させて、自縄自縛して報復妄想を膨らませるような真似をするのか?
貴方にも理解できない事でしょうね。
わけわからないから、娘の主張を受け入れるしかなくなり、加害が続いているのだと思います。
この裕子女史の主張の裏を読むしかないんです。
で、50になった今も引退した貴方の活動家時代の威光に縋っているかのように振舞っている。
これって、もう貴方が仲立ちしてくれることを待っているとしか思えませんね。
現在はもちろんですが、15の時からの話ですよ。
35年間、貴方が仲介してくれることを待っているんです。
なんでわからないんですか?
これは、貴方が裕子女史の気持ちを理解していない事例として前の前の部分で書いているものですが、これと同じように裏を読むしかないんです。
裕子女史は生来の元々がものすごく気が弱い50女で、14の時から私に話しかける事も、誰かに仲立ちしてもらう事も出来なかったんです。
子供の頃なんか、T方女史が間に入ってあげようかと提案している決定的な場面も見た事が有ったくらいです。
その気の弱さが度が過ぎていて、姿を見せられないレベルのものだったんです。
そのせいで、私は裕子女史をほとんど見た事ない状態で成人して、大森に居た頃にようやく人相と体型の情報を得たという…。
裕子女史的には、貴方の存在もあり、組織の傘の元で全てを思考し判断して生活していたんで、地元組織の中では、力もあり同志勢からは知られる存在だったのに、なんであの泥ガメは私を見ないのだろう?という感じでいたのだと思います。
確かに出身区の組織は巨大で、前編で同級生勢が私の危機を観覧させられるために学年の35%ぐらい動員されている様を描いていますが、子供の世代が3割超えているのだから、ベビーブーマー世代なんで大人は同等もしくは、その倍ぐらいの割合になるのかもしれませんね。
(あれだけ大勢いた子供達が50になって、どのくらいの割合で非活化したのか……。裕子女史は把握しているでしょうね。)
話しかける事も、前に立つ事も出来ないという自責の念に苛まれ続けた、ある日、鬱屈した心が破裂して逆切れしぶち切れはじめてしまったんです。
キャリーで言えば、豚の血を浴びた段階ですね。
で、前編、後編で書いたとおりの展開で、代理ミュヒハウゼン症候群を発症してしまい、私を貶めて自分に注目を集めるという歪んだ愛へと向かって行ってしまったんです。
こういう言い訳を前面に出して置けば、私と会わずとも体裁が立つからなんです。(これで済むのは35まででしたけどね…)
T氏折伏スキップ事件時まで、このマッチポンプ技貶め技が周りの同志勢から見切られていないと幻想を抱いて、裸の王様状態でいたんです。
(前述しているんでそこを参照されたい)
45の時にようやく「もう年だから子供は出来ないかもしれないじゃない」と言っているぞとN氏から伝言を聞きました。
ここで、上記の幻想が崩壊したんでしょうね……。
女性にとっては、かなりつらい時期だったでしょうから、さらっと流してゆきましょう。
今の裏の心理は、いまだに注目を集めたいという性癖が疼いているのと、50まで独身でいるという事への社会的な圧迫に押しつぶされそうになっている、欲望と過酷な現実の相克に苦しみ続けていると思います。
どうにかほかのものへ目を向けたいと欲するままに、自暴自棄へ陥り、やり場のない怒りの吐け口として私へ非をなすりつけて加害攻撃を続けているんですよ。
貴方には、それをやっていても、未来の裕子女史に一利すらもたらさない事が分かると思います。
自分で道を見失って、道を作り出す事も出来ずに苦しんでいる姿が見えて来ませんか?
貴方は入会時とK氏折伏スキップ事件とその後の反作用工作期の3段階の全てで間違いを犯して裕子女史を誤導してしまっています。
裕子女史の私への加害と貶め工作を主張する意見を真に受けて、裏の本心に目を瞑ってしまい、大勢の力を借りて実現した来北体制を蹴ってしまったんです。
この勉書発信の終了が貴方の娘が人並みの幸福を手にする最後のチャンスで間違いありません。
最後のチャンスにK氏折伏スキップ事件時や入会時と同じ過ちを犯さないように気を付けていただきたい。
切なる願いです。
ここで、私のお願いする通りに動いて、裕子女史の心の中の障害を取り除いてうちへ笑顔でやってこれるようにしてください。
すぐに○○波の機材等の加害機器は全廃して下さい。
加害工作も廃止して下さい。
支援は同志商工業者勢と組織貢献度に比例した公正なものにしてください。
(もう裕子女史は自暴自棄になっているんで、私へのいわれなき罪への制裁を叫んでさらなる攻撃を始めるかもしれません。 十中八九はそうなるでしょうが、貴女の幸せを願って尽力し続けてきた人間を滅ぼして、貴女が幸せになるという事はありませんと言ってあげてください。 私が嫌なら、ほかの男を探すか、一人で生きて行く決意を固めればいいと伝えてください。 何の罪もない人間を貶めるのは自滅を招くだけです。 わざわざ人生を無意味なものへする必要ない。 今ならまだわずかだが、人並みの幸福を手にする可能性が残されています、それを娘に説いてください。)
上記の次の日、やられるとは思っていましたが、やはり裕子女史が報復に出てきました。
起きると老母が躁○○波でいきり立っており、怒り狂っているんです。
ああこれは、またコントロール波を受けて操られているな……。
と、聞き流していましたが、老母が明日は休みだろうから車検証を出しておいてと頼んだだろうという内容が含まれていました。
明日は休みの予定では無いんですね。
が、ここんところ数か月、頻繁に休業強制させられている曜日なんです。
これを言わされているという事は、夜から朝にかけて結石激痛誘発波を照射して、休ませるつもりでいるのが分かりました。
また激痛で悶絶するのも困るんで、早々に休業を決定しました。
この日を休ませているのは、前の業者にかち合わせる不利を悟らせる為か(貴方一家からは直接依頼が行っているわけではなく横浜組織を仲介して現地組織へ依頼されているので、前の業者は実態を掴んでいない)ただ単に、赤字垂れ流し予測しか立たないんで、面目を守るために潰しにかかっているだけなのでしょう。
まあ、どちらにせよ、今、利益がほとんど出ていないんで、貴方が私に会いに来ない時は、早期に廃業する予定でいます。
老母のコントロール○○波が収まり、外出すると嫌がらせ駐車がまたうちの前だけにされていて、謎の業者が段ボール箱を搬入している所でした。
地下中でバイクに乗ろうとしていると、もう一台のバイクの持ち主が私が来るのを待たされており、話しかけて来て、私がこの勉書発信で書いたとおりの事を説明し始めるんです。
そうしていると、上の階の同志勢が車で帰って来て安価行為をしていました。
この業者とバイク主と上階同志の3人は私が外出するのを待たされているんですね。
老母をコントロールして、私に怒りをぶつけさせるのは貴方ではなく、裕子女史しかいないんで、3人を動員したのも裕子女史という事になるでしょう。
45くらいから裕子女史が仕切っている可能性を考えていましたが、今日ようやく確信しましたよ。
流石に50にもなると、裕子女史が自分で工作を取り仕切っているんですね。
どうりで、男子部勢とか若い女の子部隊が、最強照射をヘラヘラしながらやらかすわけですね。
仕切っている責任者へ指示を出しているのが、独身のまま50女と化しているメンヘラ裕子女史だから、思いっきり舐めてかかってきているんです。
二回り年下の子供の世代の同志勢に軽く乗せられて、焚き付けられ加害指示を出してるんでしょうね……。
不服従への報復を恐れた病院通いの老人勢が戦慄の表情で動員されるわけだわ……。
外出から帰ると、嫌がらせ駐車の業者が隣の棟から段ボール箱を車に積んでいる最中でした。
もう夜20時ぐらいの事なんで、4時間ぐらい私の帰宅を待たされていた事になります。
何故そんなアンカリング工作をしたのか?
前日に加害機材の撤去願いを書いているんで、それに対応させているんですね。
お前のいう事なんか聞かないよと言う意味で、加害機器を搬入増設している場面を目撃させたか、貴方に話が伝わると撤去に応じる可能性があるんで、今あるものをさらに増やして対策したか(一枚脱げと言われる対策に言われる前にさらに何枚も着こんでいた)私の要求通りに加害機材を撤去するところを目撃させたか(これは次の日からも被害を受けているんで否定される)の3つのどれかです。
ここまで裕子女史が力を持ってしまうと、貴方が読む勉書発信は、歪曲改竄されたものになる可能性が高いです。
下関当たりに住んでいるのでしょうが、引退後も地元の組織の会合などには出ていると思います。
地元の男子部の信頼できる人間にNOTEに直接繋げて読めるようにしてもらって下さい。
自暴自棄になっている裕子女史はどんな手でも使って逃げようとするでしょう。
メンヘラ攻撃隊の章で書いたように、私を道ずれにしようとしているんで、大迷惑です。
K氏折伏スキップ事件時に貴方が大失敗をして機会を逃し、なおかつ同志医師とも見合いさせないというさらなる惨劇を招いています。
あの時も、裕子女史が気の弱さで遁走を始め、貴方に私の悪評を吹き込んで、商売を低迷させて貶めた事を思い出してください。
当時は最後の首の皮一枚で命脈を保っていたが、今はもう死に体内閣みたいな状態です、なおさら自暴自棄で逃げようとするでしょう。
もうキャリーで言えば、墓の下から手が飛び出してくる場面なんです。
必ず、逃げようとし始めるから忘れないでください。
読んだら、裕子女史を諭して、加害機器の全廃をしてください。
あと、まだ奇跡が起きるかもしれないから、自暴自棄にならないように言い聞かせて下さい。
全文、オリジナルのままで読んで、次の来浜の際に私に会いに来てください。
書き始めたのが、去年の初めかおととしの終わりなんで、一年以上かけて書き続けた事になります。
もう書くべきことは、書いたと考えています。
監視人員も読んでいるし、他にも数人ぐらい物好きが読んでいそうなんで、なんか趣向を凝らした感動を呼ぶような終わり方をした方がいいのかなと考えたりしましたが、何のために一年を費やしたのかと言えば、貴方を動かす為だけに書き続けてきたんです。
貴方以外の読み手を想定して、いらん小細工をする必要はないという結論に至りました。
が、貴方がくる気配を全く感じない……。
これで話が進まないなら、もう裕子女史の人生も破綻した事になるでしょう。
もう一度、おさらい的に前編から内容を軽く解説して終わりたいと思います。
35年も関わって来たから、幸せになって欲しいと心から願っています。
色んな不思議な縁が有ったんですが、なかなか公開できないような分野ばかりで、この先裕子女史と会う事が無いのなら、もう忘れて行こうと思っています。
人の一生なんて儚いものですね。
亡父や親戚達、N氏や入会当初担当幹部として来た老人達の死を見てきたので、そう思ってしまいます。
芸能人でも、生前あんなに有名だった人も、亡くなって半年もすれば完全に世間から忘れ去られてしまう。(例梅宮達夫氏や志村けん氏)
学歴、職歴も何年勉強していようが、病気になったり、天災にでも見舞われれば、その努力と苦労は失われて、無に帰してしまう。
組織と関わるようになり、世の中の仕組みが見えるようになると、世にある肩書のもろさを目の当たりにすることの連続でした。
貴方一家と関わらなければ、世の中の真実を見つめる勇気も機会もなく、何もわからず、家畜のように死んでいったと思います。
世界を知るきっかけを生んでくれた貴方と貴女にはその辺を感謝しています。
無駄に金だけ持っていて世界が見えないで死んでゆくよりはるかにましだと思いますよ。
自分がどんな場所に立って生活していたのとか、どんな時代を生きたのかとか何も知らないで生きて行く。
そういうの虚しいから。
50になって分かったのは、きちんと家庭を持って、自分のやりたい仕事を真剣に一生懸命に続けて生きられれば、それが勝利の人生だったという事ですね。
結婚して家庭を持たなかったからなんでしょう、何を残すべきなのか、何をすればいいのか、50になっても、暗中模索して、もがき続けるしか術がない。
家庭を持ち、子供でもいれば、家族の為にがむしゃらに働くしかないという揺るがぬ強い信念を持ったのかもしれません。
これは、50独身女となってしまった、裕子女史にも言える事で、おそらく悲しい心でいるのでしょう。
私のような小物を相手にして、報復と称し加害を繰り返して、滅ぼしたとて、裕子女史の人生に価値が見いだせるかと言えば、そんなことはありませんよね。
下々下賤の衆生の醜い殺し合いに過ぎず、物笑いの種にしかならない。
裕子女史はおばあさんの話を聞いて、今の仕事を志て一生懸命働き続けています。
私の観念では、それだけでも人生として半分は成功していると思います。
あとは二人でもいいのだから、きちんと家庭を作って生きるべきだと思います。
それに加えて、宗教的な使命を果たせたら、何よりの大勝利の人生となるのではないでしょうか。
貴方一家は物凄い組織の力を頼って私に働きかけてきましたよね。
その組織と私の縁もあると思っています。
私の入会は10年前ですが、10年前の時点で既に若手活動家は激減していました。
○○班とかで、人がいないとぼやいているのを見たことありましたね。
今はさらに若手が非活化しているとSNSとかで見る機会が多くなりました。
私が本格的にTI工作を受けるようになったのは、30過ぎた頃だったと記憶しているんで、20数年前です。 嫌がらせが本格化したのはH市時代なんで12年前ぐらいから。
私と裕子女史はベビーブーマー最盛期の生まれなんで、前編で記したとおりに学年の35%ぐらいが会員子弟で占められていたという凄い状況を経験している最後の世代だと思います。
我々ベビーブーマーが27,8歳ぐらいの時がおそらく男子部、女子部が人数も多く活気もあった、組織の最盛期とのちには語られる事になるのではないかと思います。 しらんけど。
私は、組織の最盛期の最高の体制で行われたTI工作を受けている事になります。
組織の衰退については諸説あるようです。
私は昔の会合とかを見たことないんで、入会した10年前も今と同じぐらいの出席者しかいなかったんで、衰退しているという実感がない。
私の世代の小学校ってベビーブーマーなんで一学年6クラスあったんです。
今は一学年1~2クラスしかなく、一クラスの人数も半分くらいに激減しているそうです。
組織の若手が減っているというのは、そのまま日本国の若手人口と連動して増減しているだけの話で、今が一学年70人とすると、我々の世代では一学年が270人はいたんで、組織若手が四分の一に減るのは当然の事ではある。
国の若手人口の減少率よりも組織の若手の減少率が上回っている部分だけが衰退していると言えるのではないでしょうか。
その上澄みみたいな組織の落ち度部分が、若者にも魅力的な活動への変化を起こせなかった失敗とSNSでよく指摘されていますね。
組織草創期より、同志は同志の為に踏み台となり、次の世代を自分より上へ登らせて、登った同志はさらに後から来る同志を引き上げて、自ら踏み台となって後から来た者を上に登らせるという自己犠牲の異体同心運動を繰り返してきたと思います。
親や先達世代が社会的な地位が低かったりすることを見るかもしれないが、それは後から来る同志を上に引き上げてきた結果であるし、追い風が吹いている中に就職して、大学を卒業して、その後に離反するのは、恩恵を受けた後で恩を仇で返しているのと同じ事。
国内のあらゆる組織の若者活動家が減り続けている中で、同志50~60世代は各分野に進んで、追い風をうけて、社会の中枢を占めるまでに至っていると思います。
数的には国と連動して衰退しているが、資産や地位と言った個々同志の質は向上し続けていると思います。
でないとスーパーカー工作とか企画出来ないでしょう?
246号線から藤沢へ向かう、湘南台とか六会とかを通る何とか街道をよく通るんですが、そこの通り沿いに新宗教の2番手とされている団体の施設があって、最近新しく立て替えられました。
元は平屋の地味なものだったんですが、建て替えられて壮麗なものになったかと言えば、前とほぼ同じの平屋の地味な建物へ立て替えたんです。
これ見て、組織ごとに違った性格みたいなものがある事が見えて面白いなと思いましたね。
2番手的には、今ある施設を同じように使えるだけの建て替えをする会員数の減少を見越した緊縮財政的な選択をしている事が分かります。
奈良の某教団の本部は物凄い壮大な建物で、戦後の拡大期に勢いで建てたはいいが50年経って建物が古くなり、色々問題が出ているとニュースで見たことがあります。
組織運営は今でもガンガン会館を建てて行っていると10年機関紙を読んでいて分かります。
無計画にやらかしているのか?
そんなわけないんですね。
貴方は下関から40前後の歳に引っ越してきているんで、横浜組織である程度の役職に就く事は出来ても、やはり地元の人間が優先されてしまったと思います。
その貴方が不動産市況を先読みして、実家売却工作を仕掛けてきたのを見ているんで、本部の不動産とか施設の担当者が、無計画にやらかし続けるとは思えない。
まだ拡大に転換する時があるかどうかは謎だが、教勢を維持するためには万全の対策をしていると思いますね。
いくつかあるXデーとか、Zデーとかの転換期をきちんと予想して対策を立てていて、自分達で見落とした部分を補うためにコンサルタント会社を雇ってチェックさせているんだと思う。
退会しようとしている同志は、組織の草創期からの上昇運動を調べて、同世代の同志の(質)に目を向けて見てもらいたい。
軽く離れて行くべきではない事が分かると思うんです。
私は組織の最盛期にTI化されていて、離れる離れないという問題でなく、自分の意志で道を選べない状態にありました。
強制参加させられていたんですね。
それを恨みに思ったりしていないんです。
ここまで巨大化した強大な運動の最盛期にめぐり合わせたという自分の縁の方が重要だと思うからです。
で、私と裕子女史の関係性に於いて、TI工作を偽装して利用していた事になります。
表向きには監視対象として登録して置き、なんかの時には支援の手を差し伸べる。
これは今も同じ構造で続いていますよね。
表向きは毎日毎日○○波で危害を命令して加えておいて、反面では支援をするという。
これって私から見ると、貴方が裕子女史の本音を見抜いて、私と会わせるだけで全て解決する問題なんですね。
(同志医師に嫁がせる手もあるが、それが出来ていれば50独身女になっていないだろうという事で除外する。 が、それを選択したら祝福します。)
マイナス工作を必要以上にする必要もなくなるし、監視勢もいらないし、何より裕子女史が人並みの幸福に手をかける事になるからです。
私と組織との縁に戻りますが、ほんとになんかの縁が有るんでしょうね。
私は身延山にも行った事が有るし、大石寺にも行ったことあって、池上本門寺が散歩コースだったんです。
両山は小学生の時に父親に連れられて富士山に登る旅行のついでに寄ったのと、山梨の温泉地に旅行に行ったついでに行ったものです。
身延山は、ほんとに山の上でケーブルカーに乗った記憶があるだけ、大石寺はまだ、組織と離れる前の話で、登山者が列をなしていて綺麗で清潔な和風の街だった記憶しかありませんが。
本堂みたいな最大の建物の前までしか入れずに、奥の大きな建物の屋根だけみた気がします。
その話をN氏にすると、その建物は千年持つという最高のコンクリートを使って会員が寄付したお金で建てたのに、わざわざ壊してしまったんだと憤っていました。
あとそのコンクリートか鉄骨を寄付者に記念品としてくれた話をしてましたね。
N氏の墓参りのついでに寄ろうと企画したのは、あの綺麗な街並みが40年を経てどのように変わって行ったのか確かめてみたかったというのが本音の所でした。
N氏は今はぺんぺん草が生えているらしいよと言ってましたね。
20過ぎてからは○○先生のお兄さんを称する人物を大森に居た時に見たことがありました。
その事については最後にTwitter発信の転載をしておきます。
私は法華経系の信仰団体に所属してもいないし、全然関係の無い時代に、主だった聖地的な場所を訪れているんです。(千葉の有名寺院は行ったことなかったと思う。)
そのことについて、N氏に過去世前世とか来世とか転生するシステムがホントにあるのなら、私も前世で宗祖の弟子だったりしたのかもしれませんねというと、よく分かったねと答えてましたね。
秋元殿御返事
秋元殿御返事 文永八年正月 五十歳御作 於安房保田
御文委く承り候い畢んぬ、御文に云く末法の始・五百年には・いかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに聖人の仰を承り候に法華経の題目に限つて弘むべき由・聴聞申して御弟子の一分に定まり候、殊に五節供はいかなる由来・何なる所表・何を以て正意として・まつり候べく候や云云、夫れ此の事は日蓮委く知る事なし、然りと雖も粗意得て候、根本大師の御相承ありげに候、総じて真言天台両宗の習なり、委くは曾谷殿へ申候次での御時は御談合あるべきか、先ず五節供の次第を案ずるに妙法蓮華経の五字の次第の祭なり、正月は妙の一字のまつり天照太神を歳の神とす、三月三日は法の一字のまつりなり辰を以て神とす、五月五日は蓮の一字のまつりなり午を以て神とす、七月七日は華の一字の祭なり申を以て神とす、九月九日は経の一字のまつり戌を以て神とす、此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし、法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明なり、経の第五に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す」云云、又云く「天の諸の童子以て給使を為し刀杖も加えず毒も害する能わず」云云、諸天とは梵天・帝釈・日月・四大天王等なり、法とは法華経なり、童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等なり、「臨兵闘者皆陳列在前」是又「刀杖不加」の四字なり、此等は随分の相伝なり能く能く案じ給うべし、第六に云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」云云、五節供の時も唯南無妙法蓮華経と唱へて悉地成就せしめ給へ、委細は又又申す可く候。
次に法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕り御弟子となると仰せ候事、師檀となる事は三世の契り種熟脱の三益別に人を求めんや、「在在諸の仏土常に師と倶に生れん若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん」との金言違ふべきや、提婆品に云ふ「所生の処常に此の経を聞く」の人はあに貴辺にあらずや、其の故は次上に「未来世中・若有善男子・善女人」と見えたり、善男子とは法華経を持つ俗の事なり弥信心をいたし給うべし、信心をいたし給うべし、恐恐謹言。
正 月 十 一 日
此くの如く心得て南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ現世安穏後生善処疑なかるべし、法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明なり、経の第五に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す」云云、又云く「天の諸の童子以て給使を為し刀杖も加えず毒も害する能わず」云云、
次に法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕り御弟子となると仰せ候事、師檀となる事は三世の契り種熟脱の三益別に人を求めんや、「在在諸の仏土常に師と倶に生れん若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん」との金言違ふべきや、
文永二年一月十一日、日蓮大聖人が安房国保田から下総国印旛郡白井荘の秋元太郎兵衛尉に与えられた御手紙です。なお、本抄の御真蹟は現存していません。
秋元殿は、大聖人様が松葉ケ谷の法難をのがれ、下総国若宮の富木邸に身を移された文応元年頃、親戚の間柄であった富木殿の縁によって入信した。
大聖人が伊豆配流を赦免され、鎌倉に帰られたのが、二年前の弘長三年二月です。
翌文永元年に、大聖人は安房に帰られ、母親の病気平癒をなされ、その直後に地頭の東条景信の襲撃を受けられるのです。
本抄は、その二カ月後に書かれたもので、まさに法難の中に法華経を弘通されている、そうした時期のお手紙と拝されます。
大意
まず、秋元殿からの手紙の内容に触れられ、五節供に関する質問を挙げられます。
次に、この五節供については伝教大師の相伝があること、また五節供の次第が、妙法蓮華経の五字の次第の祭りであることを明示されます。
さらに、このように心得て題目を唱えていくことによって「現世安穏後生善処」は疑いない事、題目を唱えることが生活万般にわたるすべての根本であることを教えられます。
続いて、末法において大聖人様の御弟子、檀那になられたことは、三世の契ちぎり、すなわち過去世よりの深い因縁によるものであることを、法華経の諸文を引かれ説示されます。
最後に、この三世の契りによって大聖人様の御弟子となったことを深く自覚し、いよいよ信心に励むよう勧誡され本抄を結ばれます。
三世の契り
過去世よりの因縁によって妙法を受持できるということです。
本抄には、 「師檀となる事は三世の契種熟脱の三益、別に人を求めんや」 とあり、師匠となり弟子・檀那となることは決して偶然ではなく、三世の契りによると説示されています。
種・熟・脱とは、下種益と熟益と脱益のことですが、これは衆生が仏様より下種を受け、さらにその機が熟し、最後に得脱をする過程を示すものです。
釈尊の仏法においては、法華経に三千塵点劫・五百塵点劫というような長遠なる化導の次第が説かれるように、まさに三世にわたる因縁によって衆生の得脱が叶うのです。
末法の衆生は、本未有善の衆生であり、こうした悠遠なる化導の次第を経ることなく、下種即得脱の妙法を受持するのです。
したがって、釈尊の仏法における仏と衆生の因縁とは当然違うのですが、大聖人との因縁の深さを示すため、このように教示されているものと拝されます。
私たちは、一面においては本未有善の荒凡夫という立場ですが、妙法を受持することによって、仏様との深い因縁を自覚していくことができるのです。
つまり、客観的には本未有善の衆生ではあっても、主観的には地涌の菩薩の眷属としての自覚が胸中に顕現するのです。
大聖人は法華経の行者として「法華経の題目」を弘通されるのですが、大聖人のみが弘通されるのではありません。
妙法を受持する私たち一人一人にも、その使命があることを忘れてはならないのです。
大切なことは「師檀となる事は三世の契ちぎり」 と仰せのごとく大聖人との深い因縁を自覚することです。
すなわち地涌の菩薩の眷属としての自覚を持つことによって、いかなる諸難も乗り越えて広宣流布に邁進することができるのです。
請願の師弟は「三世の契り」
「師匠となり、弟子となることは三世にわたる約束である」――仏法の師弟の絆は、永遠であると教えられています。今世で初めて弟子となったのではなく、三世の契りなのです。永遠の絆であると聞いた門下の感動と歓喜は、いかばかりだったでしょうか。
また、この一節は牧口先生が、傍線を引いて拝された御文であり、日蓮仏法、そして学会精神の根本を示す大変に重要な仰せです。
仏教は「師弟の宗教」です。師弟がなければ、民衆を幸福にする広宣流布の実践は成り立ちません。師匠は、民衆のために戦う仏の境涯を、なんとしても弟子に伝えたい。弟子は、その師匠の生き方を、わが生き方として貫き通すなかで、不二の境涯を自身の人生に厳然と確立していく。師と一体となって戦う民衆が出現することが、人間の境涯を高め、人類の宿命を転換する大道となるのです。
弟子を自分と同じ境地に導く師匠、また、師匠と同じ生き方を力強く歩む弟子。師弟共戦――共に戦うことが師弟不二の本義です。
そして、この師弟の絆は、今世だけのものではありません。師弟は「三世の契り」であることを、明確に教えているのが法華経です。
とりわけ法華経の焦点は、末法という法滅の時代の救済にあります。人々が正法から遠ざかり、無明が増長する闘争の時代です。この時に、正しき法を、正しく求めて、その法を説く正しき師匠と出会う。そして師匠と共に不惜と請願の人生を貫く。
そう決定した人にとって、師弟の縁は、現世だけのものではなく、過去世から未来世にわたっても続くものなのです。仏と同じ慈悲の行動を、自身の振る舞いで体現し、根源の地涌の使命を発揮しているからです。それゆえに、三世永遠に連なっている本来の境地を、生命の奥底に会得していけるのです。これ以上の誉の人生はありません。
師弟の縁を示す「種熟脱の法門」
仏法における師弟の深い縁について、大聖人は「種熟脱の三益」を通して教えられます。
法華経では、釈尊の方便品以降、「諸法実相」「開三顯一」の法理や譬喩を説いて、続いて、弟子の声聞たちのために、今世だけでなく、「因縁」を伝えます。すなわち、弟子たちは、遠い過去に成仏の教えを下種され、長時間にわたって導かれ、調え、成熟され、法華経に至って仏と等しい悟りに到達し、苦悩から根源的に開放、脱出できるのです。
後年、秋元殿に与えられた「秋元御書」でも、「熟脱の法門・法華経の肝心なり」(1072:04)と仰せです。まさしく、この種熟脱の三益は、法華経のみで明かされる成仏のための肝要です。
種を植えた人こそが、その種の正しい育て方が分かり、収穫まで携わることができます。それと同じく、仏種である法華経を説いて下種してくれた、自分にとって最も縁深い師匠を離れて、別の人に求めても成仏は成り立たないということを示されているのです。
大聖人は、化城喩品に説かれる師弟の三世の絆についての文証として、「在在の諸仏の土に 常に師と俱に生ず」という経文を引かれています。
このように、師匠とは、有縁の弟子を三世にわたって化導していくのです。弟子は師匠を求め抜き、師匠は弟子を守り導く。仏法の師弟とは、最高に麗しき「人間の絆」といえるでしょう。
「これは、弟子の側から見れば、単に「師匠と共にいた」という次元の話ではありません。師と共に菩薩行をしてきたという「共戦」の目覚めです。“師匠によって救われる存在”から、“師匠と同じ側に立って民衆を救う存在”へと、自身の本源の生き方を確立していく。それは、菩薩の誓願に徹することにほかならないのです。
自身の「久遠の使命」を自覚
この地涌の菩薩の誓願を私たちに教えてくださったのが、恩師・戸田先生です。「在在諸仏土 常与師倶生」との一節は、戸田先生が、文字通り、命を懸けて読み切られた経文でもあります。
戸田先生は戦時中、軍部政府からの弾圧を受け、先師・牧口先生と共に投獄されました。その獄中闘争で、戸田先生は法華経を身読され、遂に仏法の深い真実を覚知されたのです。その第一は「仏とは生命なり」との確信でした。さらに、唱題と思索の中で、「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得られました。広宣流布い久遠の師弟の使命を覚悟されたともいえます。そして、師弟の縁もまた永遠であると深く感得されたのです。
これが、わが創価学会の確信の精髄であり、学会魂そのものなのです。
ちょうどその頃、獄中においてなお、不惜身命の実践を貫かれた創価の父・牧口先生は、栄養失調と老衰のため、獄舎で息をひきとられました。それは、正法正義のために戦い抜かれた殉教の姿そのものでした。
戸田先生は、牧口先生の三回忌法要で、次のように語られています。
「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか。
根源の師・日蓮大聖人の御遺命である広宣流布に殉じゆく強き信心の一念、これこそが、牧口先生と戸田先生を不二ならしめた要因といえるでしょう。生きて牢獄を出られた戸田先生は、先師の意志を受け継ぎ、創価学会を再建し、本格的な、師弟不二の広布拡大の大闘争が開始されたのです。
師弟は永遠です。戸田先生は、牧口先生と来世も共にあること、そして、我々もまた共にあるのだと語られていました。
真実の「正しい人生」に生きる
第2次世界大先後の混沌とした時代に、私は稀有の師、戸田先生と運命的に出会いました。
昭和22年(1947)8月14日、19歳の私は、初めて学会の座談会に参加しました。友人から「生命哲学」の話を聞こうと誘われていたからです。
終戦からちょうど2年。折しも、読書サークルの友人たちと“真実の正しい人生とは何か”等と、毎晩のように議論しているさなかでした。そして、“自分たちの疑問に答えられる人がいれば、その人こそ師父である”と語り合っていたのです。
座談会の会場では、強い度のメガネをかけた壮年が、確信に満ちた闊達な声で、気迫を込めて語っていました。
「個人であれ、一家であれ、一国であれ、この仏法哲理をもって、根本から解決しない限り、一切のことははじまらないのです」
「私は、この世から一切の不幸と悲惨をなくしたいのです」
それは、戸田先生が「立正安国論」を講義されていたのでした。そして、講義と質疑応答が終わった後、先生は私に、旧知のような親しみを込めて声をかけてくださったのです。
私は、青年らしく尋ねました。「先生、正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」と。
先生は、「さぁ、これは難問中の難問だな」と、顔をほころばせながら、誠実に答えてくださいました。そして、最後に毅然とこうおっしゃったのです。
「正しい人生とは何ぞや、と考えるのもよい。しかし、考える暇に、大聖人の仏法を実践してごらんなさい。青年じゃありませんか。必ずいつか、自然に、自分が正しい人生を歩んでいることを、いやでも発見するでしょう。私は、これだけは間違いないと言えます」
このほかにも私は「本当の愛国者とは」等、日頃から友人たちと語り合ってきたことを質問しました。お話の中に出てきた「南無妙法蓮華経」についても伺いました。
先生は、全てに、確信に満ち溢れた明快な回答をくださいました。一人の青年に対して、なんの隔てもなく、懇切丁寧に語ってくださったのです。
私は感動しました。“この人の指導なら信じられる”と直感しました。
そして10日後の8月24日に入信しました。68星霜を数える今に至るまで、戸田先生に指導していただいた通りの「真実の正しい人生」を歩んでいくことができました。
恩師への感謝は尽きることがありません。今でも私は、戸田先生の顔を思い浮かべては、恩師と語り合う毎日です。
“この師匠に、随順して学ぶ”
さて、御文に戻れば、大聖人は続けて法師品の文を引かれます。正しい法を説く師に親近するなら、正しい菩薩道に入ることができる。その師に随順して学んでいくなら、多くの仏に会って学ぶことができ、成仏への軌道を歩み続けることができる、との意です。
「随順是師学」――師匠を定めたら、この師匠に随順し、徹底して学びゆく。
師弟とは、弟子の自覚で決まります。
私も、徹して戸田先生の仰せ通リに修行した。いついかなる時も、「私は戸田先生の弟子である」と言い切ってきました。先生の事行が逼迫した時も、ただ先生と運命を共にしようと、お仕えし、お護りしました。そして、戸田先生は、第2代会長に就任され、生涯の願業である75万所帯の折伏を宣言されたのです。
あの時の師弟の闘争があればこそ、冥の照覧の大功徳が雲の如くにわき上がり、今日に至る世界宗教への道が開かれたと確信しています。
師弟の大願に徹した時に、弟子の境涯は大きく開かれます。
「師弟共戦」とは、弟子が、わが使命の道で戦い、勝って、常に胸中の師匠に報告することにほかなりません。私は戸田先生のもと、常にその決心で真剣に戦ってきましたし、今もその思いは変わりません。
師弟は物理的距離ではありません。大聖人の御在世も、直接、お会いしない門下も多くいました。熱原の農民信徒たちもそうです。
たとえ、遠く離れていても、心は瞬時に伝わります。また、時代を超えて、生命と生命は響き合います。空間も、時間も、師弟を阻む壁にはならないのです。
なんかの縁で今があるのは間違いない。
私にも私にしか出来ない使命があるのでしょう。
私のような40での入会者にどんな使命があるのか?
実は私も貴方も裕子女史も薄々こういうものなのではないのか?という私の使命が分かっている気がします。
だから、著名人来訪工作を仕掛けずにはいられなかった。
そういう不思議な事ってありますよね。
私は私に与えられた、使命を果たす為に戦い続けるのです。
誓願を成就させる為に。
了