【創作】嫌な女

【創作】「滑稽な人」の彼女の視点のお話です。
「滑稽な人」を読んでから読む方が面白くなるように書きました。
ぜひ、こちらもご覧ください。↓
https://note.com/kitagami_/n/n0c0caab49281





これまでの人生で、私は辻斬りのように男と寝てきた。

ナンパ、援助交際、出会い系アプリなど、それこそ多種多様な出会い方でたくさんの男とベッドを共にしてきた。

私の容姿を見て、「この人はたくさん遊んできたな」と勘づく者はいないだろう。無害そうな笑顔、年相応の服装、清潔な爪先、栗色の髪。
顔の造形が良いかと言われたら、正直に言ってそうでもない。だからこそ丁寧に化粧を仕込み、自分に似合う服装を研究し、あとはとにかく相手の望む女を演じること。たったこれだけで、ひと夜の関係など山のように築くことができる。

私がこうして辻斬りとしての顔を持つことを、親しい人の誰も知らない。けれど、もしこの一面を知って、「どうしてそんなことをするの?」と聞かれたら、迷わずこう答えるだろう。

「過去の男たちへの復讐なのよ」と。

言葉の武器とはよく言ったものだが、私は言葉の鎖に呪われている。
誰もが同じ服を着せられ、自身を装飾することを許されない学生時代。私は陰湿ないじめを受けていた。

いじめという程のものでもないのかもしれない。
仲の良い友達とワイワイと話していると、クラスの派手な男の子たちが、ヒソヒソと「ブスが騒いでいる」と笑うのだ。

悪口のレパートリーを身につける前の若い男の子が、手当たり次第に女の子に対して「ブス」「デブ」と言って回る、よくある話である。ただ私はそのグループの男の子たちとはとにかく馬が合わず、ことあるごとに笑われていた。

暑くて、薄いプラスチックの下敷きで顔を仰いでいると「ブス」と言われる。
国語の授業の朗読で、「キモい声」と言われる。
体育の時間のマラソンで、苦しそうに走っていると指を刺され、「デブが走っている」と言われる。

私はその一切を見て見ぬふりしていたが、それでも言われるたび胸がずっしりと重くなった。
そのうちに、人前に顔を晒すのがとても辛くなってしまった。前髪を伸ばし、顔を隠した。
人前で笑うことにも嫌気がさしてしまった。自分の体がとにかく醜いのだと思い込んでいた。私はできるだけ唇をひき結んで、目立たぬよう過ごした。
何をするにも自信がなくなり、いつも誰かに笑われているような気持ちでいた。

制服から解放された私にもようやく好きな人ができて、はじめての彼氏ができた時。
息を荒くしながら私の身体を貪り、「可愛いね」「好きだよ」と熱に浮かされたように言う男の姿を見た。

初めて私は、男という生き物と対等、ないしは上位に立つことができたと感じた。
これまで散々私のことを罵って、笑って、馬鹿にしてきた男が、裸になり、興奮しながら必死にヘコヘコ腰を振る様は大変に無様だった。
私は心底爽快な気分であった。

それからも何度か異性とお付き合いしたが、誰とも長く続くことはなかった。
私の悪癖はそこから始まった。

相手は身長が高くて、見た目が整っている程スカッとする。昔はワルかったといった自慢をする男を相手にすると気持ちが晴れた。大嫌いだった昔のクラスメイトのことをより思い出せるからだ。
苗字も知らない、下手をすると本当の名前を知らないような相手と3時間だけ共にする事もあった。
セックスをするための箱の中には、肉欲を発散したい男と、その様を見て歪んだ優越感を味わいたいだけに生きている女がいた。

そんなことなので、誰かに熱を上げることも、愛されることもなかった。そのうちに、誰かを好きになる気持ちもずいぶん遠のいてしまった。

仕事に就てから数年して、友人の結婚報告を聞くことが多くなった。

誰もが幸せそうだった。ある友人はこう言った。
「私が結婚するなんて思ってなかったけど、この人しかいないって人と巡り会えたの。」

その夜私は、真剣にその言葉の意味を考えた。
例えば今隣で寝息を立てている男。この男との先を考えるとしたら、せいぜいこれからホテルを出て、帰り道が同じ方向だったら面倒だな、くらいしか思い浮かばない。
もう何年も恋愛をしていない。そしておそらく、この先もしばらく誰かを好きになることは無い気がする。そんな私が、「この人しかいないの」なんて言う日は来るのだろうか。
なんだか笑える話だった。

何より、こんな生産性のない遊びをしている自分が、汚くて空っぽな人間にしか思えなかった。
私にとって私は、いつまで経っても過去に囚われたままの、ブスでデブなキモい女だった。


それから少しして、私はある年上の女性と出会った。
その人は背が高くて、ほっそりとした美しい人だった。


彼女は私にたくさんの興味を持って接してくれた。私の好きなもの、私の好きな時間の過ごし方、過去の数少ない美しい思い出、色あせた恋愛の思い出。そういった取り留めの無い話を、彼女は好んだ。私は少々の嘘を交えながら、彼女と楽しい時間を過ごした。

その関係は、友人関係と言うには少し奇妙だった。
例えば食事に出かけた時、彼女は必ず私が上座に座るようにエスコートしてくれた。
待ち合わせをする時、時折彼女は小さな贈り物を携えていた。それは持ち帰るに困らないほどの大きさのブーケであったり、前に会った時に気になっているとこぼした化粧品であったりした。
彼女は多くを語らず、静かに微笑みながら、私の話に耳を傾けることが多かった。
その目は、何か大切なものを慈しむ目をしていた。

その関係を決定づけたのは、私が彼女の家を訪れた日のことだった。
私は、最近気に入りのエクレアを手土産に、彼女の家のチャイムを鳴らした。

彼女の部屋はとても物が少なかったが、落ち着いた色のソファが印象的だった。
花を飾ったら、きっともっと素敵な部屋になる、と私は言った。

その日は、彼女の家で一緒に映画を見て過ごした。
もう何年も前に公開された、あまり有名では無い映画。愛に飢えた少年が、母親の気を引くために様々な事件を起こしていき、その結末は悲劇とも、この先に希望があるようにも捉えることのできる作品。
正直誰もが好むような作品ではないと思う。陰鬱な映画だったが、彼女は面白いと言った。

帰り際、マンションのロビーまで見送ってくれた彼女は、物陰に隠れてひっそりと私の唇にキスをした。
愛しい人にするキスだった。


これまで奇妙に感じていた関係に、名前がつけられたようだった。
それから1週間、私は何度も彼女のことを考えた。


1人の誰かのことばかり考えているなんて、久しいことだった。
彼女との奇妙な関係は、私という人間を愛おしいと思ってのことなのだと思えば納得がいく。彼女は私のことを、恐らくとても大切に思ってくれているのだ。

身もふたもないことを言うが、彼女が男性であれば、こんな気持ちになることは無いと断言することができる。
男は私にとって、優越感を浴びるための存在で、愛しく思うものでも、大切にされるものでも無いからだ。
きっと彼女が男性であれば、受け取った贈り物を大切にすることも、ブーケをわざわざドライフラワーにすることも、休日に部屋を訪れることもなかった。

彼女と次に会う予定はまだ決まっていない。
それでも、次に会う時のことを考えると、目が冴えた。

まっすぐに私を見つめる彼女の優しい瞳に、喜びを感じる。
微笑む彼女の薄い唇に安堵する。
花束を持つ彼女の姿に、心が高鳴る。
そして、汚くて空っぽの自分のことを思い出しては、自己嫌悪で胸がつかえる。

彼女という存在は、たった1度のキスで、私の胸中をぐしゃぐしゃにかき乱した。

私は私が私でなくなることが恐ろしかった。
こんな時に私を私たらしめてくれるのは、皮肉なことに男の腕だった。

土曜の午後、ある男と2度目の待ち合わせをした。
いつものように心の伴わない行為は、それでもほんのひと時、頭の中を空っぽにしてくれた。

ホテルを出ると、辺りは暗くなっていた。
男と会ったあとの帰り道はいつまで経ってもなんだか後ろめたい。
駅へ向かって歩き出した時、誰かが私を呼び止めた。


振り返ると、インテリアショップの大きな紙袋を提げた彼女がいた。


こんなことが偶然であるはずが無いと思った。
これはきっと、私がこれまでして来たことの報いなのだと思った。


彼女がキスしてくれた私の唇は、万が一男と男が鉢合わせてしまった時のために用意したクソみたいに軽々しい言葉を紡いだ。
それを聞いた彼女は、何も言わず俯いて、私を追い越して行った。


自分の部屋に帰った私を、小さな花瓶に飾られたドライフラワーが出迎えた。

彼女は私のことをどう思っただろうか。
幻滅しただろうか。最低な女だと思っただろうか。汚いと思っただろうか。嘘吐きだと思っただろうか。

冷たいフローリングに座り込んで、しばらくそんなことを考えていた。涙も出なかった。


私はきっと、彼女にとって、すごく嫌な女だ。

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