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PTA広報誌トラブルの顛末 続編

 自分の心情を、感情をどうにもうまく処理することができずに、まずは事実を知りたいと思い広報部長に何気ない振りのLINEを送った。

「お疲れ様です
 広報誌完成おめてとうございます
 ところで、各活動部のコメントは100字
 ではなかったですか?
 そう思い込んでて、100字の原稿を送っ
 たと思いますが?」

 何気ない振りで送ったつもりだったが、すぐに察したようでしばらくしてから折り返し謝罪のLINEが入った。

 確かに100字で依頼したが、編集の都合で文を無断で追加したということを認めて謝ってはいる。

 いやいや追加どころの話じゃない。せめてまだ追加だけなら許せたかもしれない。

 削られているのだ私の思いの部分が。

 言葉にしたら数えるほどの文字数だが、限られた文字数の中で自分の思いを伝えるべく編まれた文を。
 確かにそこだけ見たらたいした文とも思えないのかもしれないが、あなたには伝わらなかったのかもしれないが、私が確かに記したその思いの部分を消し去ったのだ。

 そしてあなたが書かせたかったのであろう活動実績を羅列して膨らして、事もあろうにそれが私の文章だとして公に晒したのだ。

 全てが空しく、全てがバカバカしくなった。
 ガラにもなく取り組んできたPTA活動も全て放り出してしまいたい衝動にかられた。

 しかし、そう思いながらも自分でも何がこれほどまでに私の感情を揺さぶるのかと不思議に思った。

 「あーそんなこと別にええやん」と言えるような自分でありたいと思いつつも、何がこれほどまでに私の心を動揺させるのか。


 かつて筒井康隆氏が断筆宣言されたときの事を思い出した。

 当時の事情をあまり詳しくは知らないが、なぜそんなことをするのかその時はよく理解できなかった。

 作家である氏が本業を打ち捨ててでも貫かなければならないもの。

 わかったなどとは言えるものではないが、その心情に今ならば共感出来るのかも知れないと思った。

 己のアイデンティティに関わる問題なのだ。

 この時私は、かの文豪筒井康隆氏の思いと同じ思いを持つことができたのか?実のところは分かる由もないが自分ではそうなのだと思うことができた。

 文の重さを知ったのだ。

 そして、この時私は初めて文筆家のスタートラインに立つことができたのだと直感した。

 そう考えることができたらとたんに全てが尊いものに思えてきた。
 やはりこのトラブルは私を成長させるための糧となったのだと。

 破り捨ててやろうとまで思ったPTA会報も、私の貴重な一歩を記す記念だと思ったら額に入れて飾っておきたいくらいだ。

 あんなに腹を立てていたことが全て昇華された。

 謝罪のLINEに対して返事ができないままでいたので、改めて謝罪のLINEが入っていた。

 つい先ほどまでは次回の掲載は断ろうと思っていたのだが、今生まれ変わった私は次回も喜んで書かせていただこうと思う。

 ただし編集者としての最低限のマナーは厳守してもらうことを確約してもらおう。
 そして自分自身が、常に自分の文章に対しての重さをしっかり感じておこう。


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