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なぜだか言語を思考する~言葉は日常に潜む思考の沼~

どうも、きすけ(鳥)です。

気付けば近頃私は、身の回りの言葉にとても敏感です。
日常で見かけるいくつもの言葉に、「どうして?」「なぜ?」と疑問を抱いて考えることが増えるようになりました。
言語学や語学など、まったく専門的に学んだことのないずぶの素人の私ですが、そんな素人の私がなぜそんなにも言葉が気になるようになってしまったのでしょうか?

今回は私がなぜ言語を思考することが増えたのか、そしてこのように思考するようになってから分かった、知識を得ることの楽しさについてお話したいと思います。

なぜ私は言語を思考してしまうのか?

当たり前すぎるもの、言語

言葉というのは我々人間を構成する重要な要素の一つです。
言葉があるために我々は緻密な意思の伝達を取れますし、それゆえに我々は書く、読む、聞く、話すと普段からさまざまに言語を使いこなしています。言葉の存在しない世界に生きる人間というのはいないと思います。

しかし大半の人は、その言葉について疑問を抱き、考えるということをしないのではないかと思います。「歩く」って、なんで歩くっていうんだろう?なんて、滅多考えるもんじゃないですよね。これは、言語というのが我々にとって当たり前すぎるからだと私は考えています。

よくあるじゃないですか、失ってから初めて気づいた的なヤツ。言語はあの状態に陥っているんです。だからみんな特に考えることなく当たり前に使ってしまうんですね。

いや違うかな、違うかも、忘れてください。

とにかく、見る限り世間一般の人はだいたい言語を当たり前に使いますが言語について思考することはありません。まぁ、しかし考えなくても使えるので、日常生活に問題があるかと言えば、全然問題ないです。

けれども世の中には、そんな言語について必死に考えてしまう人がいます。気になって仕方なくなってしまう人がいます。アナタの隣のその人は、今も「歩く」について考えてるかもですよ、怖いですね。
私は当然言語学者のようにヘビーに考えているわけではありません。ずいぶんライトに考えます。しかし頻度は結構なもので、よく気になっては言語のネットサーフィンをしたりしてます。

どうして私の頭は言語について考えてしまうんでしょうか?
原因として思うところは、一つ。
私はあるとき、言語の知識のひとしずくを、ほんのちょっと頭に注がれてしまったのです。

言語沼との出会い

いつものようにYoutubeを見ていたある日のこと、私はふとこんなサムネイルを目にしました。
そこには桜とバネの写真。そして「春とバネ、なぜ両方ともspring?」とキャプションが添えられていました。
なるほど、たしかに。
当たり前に覚えていたけど考えたことなかったな、と思い動画を見ることにしました。
それが、「ゆる言語学ラジオ」というチャンネルとの出会いです。

結論から言うと、この動画があまりにも面白く疑問を解決していくものですから私はその面白さに飲み込まれてしまいました。「当たり前のように考えていた言葉の根底に、そんな考え方が存在していたのか!」と、見事に沼を見つけてしまったわけですね。

そうしてこのチャンネルのいろいろな動画を見ていくようになると同時に、言葉や言語に関する書籍もちょくちょく買って読むようになりました。
言語に関する様々なトピックは私の知的好奇心をビンビン刺激し、私をさらなる沼へと沈めていきました。

思えば言語の知識にハマる感覚って陰謀論に近いですよね、この世界の当たり前のように思える言語という存在が、実は裏ではこんな風になっていた、こんなところでつながっていた、って。陰謀論者は全員言語に関する本読んでみた方がいいですマジで、こっちの方が面白いですし健全ですよ。

さて知的好奇心に導かれるままにどんどん言語についての知見を楽しんでいましたが、こうなるともう止まりません。今度は動画や本では登場しなかった言葉に対しても、私の得た様々な知識を適用して考えてみる、という段階に突入していきました。

知識がぼやけた世界をよりクリアにしていく

「音象徴的に考えればガノンドロフって最高に悪役な名前だなぁ」とか「病の字って疾病の時に(ぺい)って変な読み方になるけど、漢字のルール的にはこれが一番ルールに則してるじゃん」とか、得た知識を日常見かける様々な言葉に応用しだすと、言語についての思考はますます面白さを増していきます。

私はこれまで当たり前すぎて疑問に思わなかったことを知識を使って掬い上げ、実はそこに通底していたルールに感動を見出したり、自分なりの考えで解釈を試みるようになりました。

日常で使う上では多少ぼやけていてもなんとも思わなかった言語の世界を、知識を摂取して解像度を上げることでより繊細に複雑に見つめることができるようになったのです。今まで見過ごしていたけれど実は宝にあふれていた言語の世界が、私にも見えてくるようになりました。

そうして私は、言語について思考する人間になったのです。

教養は何気ない生活を宝の山にする

今回は私が、普段あたりまえのように使っている言語をなぜこんなにも考えるようになったのかについてお話してきました。

言語学の世界に出会って、日常に潜む言葉に対して考えられることが圧倒的に増えました。たぶん少しでもその当たり前に疑問を投げかけ、触れるきっかけがなかったら一生気づかなかったであろう世界が、私に対して開かれてくれました。

私は大して真剣に言語学を極めようとしているわけではないですから、やっていることは学問を究めているのではなく教養を深めているという程度だと思います。

しかしこうして言語学に出会って、その沼に半身つっこんでみてわかったことですが、教養は何気ない生活の中に無限の楽しみを生み出してくれます。なんでもないように見えていた世界が、知識のフィルターを通してみればこんなにも面白い話題で満ち満ちているんだということに気付きました。

これからも言語学について教養を深めつつ、日々の言葉に驚き、ワクワクできたらどんなに幸せだろうと思います。面白いトピックや気づきがあれば、noteにもまた記事を書いてみたいです。
みなさんも自分の中にたったの一つでいいです、たった一つでいいので世界をもっと面白く見せてくれる教養を、深めてみてください。

では。



おすすめ本の紹介:
私を言語の沼に引き込んだ張本人「ゆる言語学ラジオ」さんが本を出しています。読みやすい対談形式で「えーっと」と「あのー」の違いなど、日常に潜む様々な言葉に疑問を投げかけていく本です。
もちろん母語話者なら、上の違い、わかりますよね?

こちらは言語を発する「音声」について研究する音声学者の方が、愛娘の成長記録とともに言語とその発声の面白さを語る本。
少し専門的な話を含みつつも、プリキュアやポケモンについて言語学の視点から考えたりもするカジュアルでとっつきやすい内容にまとまっています。
娘さんの声が聴けるQRコードもところどころについてます。かわいいです。


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